第34話 レギュラーシーズン用全力投球
この時点のニューヨーク・メトロズは、MLB史上最強のチームと言われる。
最強のバッターと、最強のクローザーがそろったからだ。
上杉に対してメトロズからは、プロスペクトが三人とリリーフが一枚移籍。
実力的には、あるいは価値的には全く釣り合っていないように思えるが、実はボストンとしてもこれで得はしているのである。
今季のボストンは怪我人が主力から複数出たため、ポストシーズンはもう可能性が低くなっていた。
それでも補強をすれば、どうにか逆転の目はあったのだ。
しかしそれよりは、二年後や三年後のチーム再建を考えた。
上杉という今年いっぱいしか使えない戦力と引き換えに、メトロズから未来の戦力を譲渡。
これは数年後の戦力になることを期待するのと同時に、メトロズの将来の弱体化を図ってもいる。
またメトロズを強くすることで、今年のラッキーズの優勝を止めようという意図もあるだろう。
直史としては、むしろアナハイムにこそほしかった。
ただ今夜まで敵として対戦していたチームに、明日からは味方として参加するのは、さすがにバツが悪かったのか。
そんな風に思ったが、実のところそんなことは、MLBではよくあることなのだ。
昨日まではチームメイトだったのが、今日は同リーグの同地区の相手にいることすらある。
こういう場合はさすがに、直接のトレードがあるわけではないが、夕方に手に入れた選手を夜には放出するなど、極端な例もあるのだ。
アナハイムも一枚、リリーフをトレードで補強している。
ただ大幅な補強はなく、今年はこのメンバーと、あとはマイナーから上がってくる選手で戦うつもりだ。
確かにそれで充分、優勝は狙っていけると思った。
だが先日の直史の登板試合を見れば分かるとおり、上杉を強引に使うならば、直史の先発したアナハイムに、勝つことも出来るのだ。
しかし直史は上杉が先発でさえ投げなければ、それほどの脅威はないと思っている。
もちろん九回にリードされて持ち込まれたら、それで終わりというのは分かる。
だが逆にそれは、八回までに試合を決めていれば、上杉のピッチングでも逆転は出来ないということだ。
ピッチャーは、ピッチングで点を取ることは出来ないのだ。
もちろん上杉のピッチングには、相手の心を折る力はあるが。
今季初の四連敗を喫したアナハイムであるが、幸いにも一日の休みがあった。
ここでメンタルを上手く立て直さなければ、さらなる連敗が待っていたかもしれない。
だが次のオークランドとの三連戦、アナハイムの先発はレナード。
今年がメジャー一年目のレナードは、いまいち連敗の止め方が分かっていないようであった。
ここで坂本あたりがどうにかすればいいのだ。
ペテンにかけるのは、大の得意であろうに。
ただチーム全体が、上杉のピッチングで封じられたことが大きいのか。
精神的なダメージが大きく、どうも得点が伸びていかない。
レナードもここで踏ん張って、勝利を導くことが出来ない。
オークランドもそれほど強力なピッチャーではなかったのだが、どうにもアナハイムの上位打線が空回っている。
結局はこの第一戦も敗退し、連敗が5にまで伸びた。
ただアナハイムのファンは、ここでこの連敗が止まると確信している。
直史の先発が、ここで回ってくるのだから。
前回のボストン戦では同点の場面で退いたが、いまだに無敗。
オークランドのピッチャーからなら、一点は取ってくれるだろうとアナハイムの打線に期待は出来る。
そしてその一点を、確実に守り抜く。
もちろん一点ではなく、さらなるリードでもいいのだが。
ただ一つだけ懸念があるとすれば、今季直史から唯一の点を取ったのが、オークランドであるということ。
デッドボールはともかくエラー、そして犠飛と直史の責任ではないが、失点したのは間違いない。
こうやって五連敗もしているところでは、何か不思議な力が働いている気がする。
まさか、とは思う。
ただこの妙な空気の中では、佐藤直史も負けるか、あるいはそうでなくても勝ち星を上げることが出来ず、他のピッチャーがリリーフして負けたりするのではないか。
「そんな可愛げがあるもんじゃなかろうきに」
坂本は鼻ホジしながら、のんびりとそう考えていた。
直史は高校時代からエースクラスのピッチャーとしては珍しく、リリーフ経験が多い。
岩崎のようなプロに行くぐらいの力量のピッチャーが、チームメイトで負担を分担していてくれたというのもある。
またワールドカップでは、クローザーとして機能していた。
12イニングに投げて、無失点どころかパーフェクト。
そして大学時代も、クローザーとして投げた経験は多い。
もっともその大学時代は、監督の采配ミスで負けた試合が多かったりする。
カレッジのリーグとはいえ、29勝0敗7セーブ。
この成績を見ると、MLBのスカウトやGMは、二度見三度見する。
完全試合11回、ノーヒットノーラン四回。
先発した試合の半部以上はノーヒッター。
大学生活四年間で自責点0という。
まさに野球をやるために生まれてきたような、化け物を超えた化け物。
一般的にプロの世界では、勝率が八割を超えたら、そのピッチャーは無双していると言われるものだ。
どう頑張っても半分ぐらいはフィールドに飛ばされて、それがアウトになるかどうかは運が関係する。
防御率も2点台で超優秀。
2点を切っていたら神というレベル。
なので直史と上杉は超越神とも言える。武史もそれに近い。
去年の武史は故障と、そこからの復帰後には少し多めに点を取られたが、それでも防御率はちょうど1であった。
ちなみにアナハイムの先発で、直史の次に防御率がいいスターンバックで、防御率は2.00である。ヴィエラは2.60だ。
ものすごく素晴らしいのだが、はっきり言って霞む。
ちなみにメトロズの先発で一番の防御率は、今年大ブレイク中のジュニア……ではなく超ベテランのウィッツなのだが、それでも2.76である。
いかにアナハイムが投手王国であるか。もちろん守備陣の強さなども関係しているが、全体的にレベルが高いのだ。
ただ他の各種投手指標まで見ていくと、アナハイムはこの先発三人が崩れると、かなり大変になる。
野球に限らずスポーツには、流れというものが存在する。
「いや、それはただのオカルトだし」
直史はそれを信じない。
正確に言うと、それには純粋に理屈があると分かっている。
良い結果が続くことにより、積極性が増して集中力も増す。
その結果、よりいい成績が続くということはあるが、それにも限度がある。
直史が野球において一番得意なこと。
言うまでもなくもちろんピッチングであるが、中でも特別に得意なこと。
それは調子に乗っている相手の勢いを止めて、それどころか一気に奈落の底に突き落とすことである。
「いいか! 確かにサトーは化け物のような数字を残しているし、ここまで無敗だ。だがどんな化け物にも限界はある!」
オークランドのFMは、試合前に激を飛ばしていた。
「しかも前の試合ではついに勝利投手を逃したし、うちを相手に失点している!」
その失点して試合でも、ノーヒッターを記録しているのだが。
「積極的に、しかし狙いを絞っていけば、勝てない相手じゃないんだ!」
フラグ建築士二級の資格ぐらいは持っていそうな台詞であった。
オークランドはこの時点で、既にポストシーズン争いからは脱落していると言っていい。
だがそれだけに選手の起用には柔軟性を持っていて、若い才能が自分の成績に集中している。
MLBは指標で年俸が決まる。
ピッチャーにしてもその評価は、ただ勝てばいいというものではない。
年間10勝しかしていなくても、ちゃんとその内容を見れば、サイ・ヤング賞に選ばれる。
チームスポーツであるが、その評価は個人の数字になるのだ。
直史に初めての敗北を与えたチーム。
その称号を手に入れるために、オークランドの全員が一丸となる。
勝とうという、その積極的な姿勢。
一方その頃の、アナハイムのFM室である。
「ちょっと連敗が続くのはまずいと思いますか?」
話が漏れないように、通訳も交えずにブライアンとオリバーを訪れた直史。
「まあ、もちろんまずいのはまずいが」
「少し球数を多めに使って、完封しましょうか」
球数制限を、この試合だけ解禁するということである。
球数制限の100球。
実はこれば、科学的に根拠があることではない。
統計的に故障しやすい数字を見つけたのか、というとそれも個人差が大きすぎる。
だからといって何も決めなければ、結局は制限なく投げさせてしまうことになる。
中五日なら100球、中四日なら90球というのは、あくまでも便宜的に決められた数字なのだ。
確かに連敗は続いてもらっては困る。
この間のように味方が点を取れなければ、直史が投げた試合でも負けることはあるのだ。
ただ、あの試合は上杉が出てくるまでに充分に得点のチャンスはあったので、FMなどが批難されていたものであるが。
直史に少し球数を増やしてでも、完封をしてもらう。
それはまさに悪魔の囁きのようなものであった。
冷静に考えればこの時期、勝率トップのアナハイムが、エースに少しでも負担をかけるのは悪い判断だ。
だが直史なら、という期待はどうしてもある。
眉根を寄せて考えるブライアンは考える。
「120球だ。そこまでの展開次第で、次のローテを二回ほど、80球ぐらいに減らせばいいか?」
オリバーに質問したわけだが、そのオリバーは直史の方を見る。
直史は軽く頷いた。
どの世界でも、男同士の間では、成立する一つの約束。
舐められたら負け、というものがある。
あるいは油断につながることもあるが、嵩にかかって上から目線で勝負にかかるのは、下手なプレッシャーがかからなくていいとも言える。
オークランドを相手に、そんな状態にはなりたくない。
ここでチームの歯車が狂ったのを、強制的に元に戻す。
そんなことが出来るのは、確かに直史ぐらいしかいないのだ。
本拠地アナハイムで、いつもは楽しむだけの満員のファンが、少し不安そうな顔で見守る中、試合が始まる。
よりにもよってオークランドは、今季は最初からポストシーズンは狙えない、などと言われていたチームなのだ。
それが勢いづいたのは、やはり直史から自責点ではないとはいえ、点を取ったからか。
(俺の責任ではないけど、俺が遠因ではあるかもな)
そう考える直史であるが、別に変な責任感などは持っていない。
同じ地区のオークランドに、苦手意識を持っては困るのだ。
どうせ地区優勝しポストシーズンに進むのは決まっているが、問題は勝率だ。
MLBにおいては勝率が高ければ高いほど、ホームフィールドののアドバンテージが良くなる。
この調子の悪いまま、次のシアトルとのカードをこなすのもまずい。
だがここで直史が、万一にも負けてしまえば、本格的にアナハイムはおかしくなりかねない。
ここまでが順調すぎたのだ。
ボストン相手に四連敗しても、75勝30敗。
四連敗がなかったら、史上最高の勝率でレギュラーシーズンを終えたかもしれない。
いや、この先もボストン相手のような試合をしなければ、充分にその記録は狙える。
メトロズと比べても、まだ少し勝率は上回る。
もっともそのメトロズは、クローザーに守護神が入ってしまったため、とても勝てるようなものではなくなってしまったかもしれないが。
八回までに決める。
そんな縛りが入っていては、試合全体が窮屈なものになる。
(勝率一位でシーズンを終えれば、自信も持って戦えるか)
ただ大介とまともに勝負して、一点も取られずに済むか。
それは微妙な問題だろう。
直史自身、オークランドには点を取られて、ちょっぴり逆恨みをしていたりする。
いや、恨みとしては真っ当なものかもしれないが、そもそも失点はエラー絡みであるのに。
ともかくなんだかんだと、直史は考えている。
ただそういったものは普通なら、普段とは違うピッチングになってしまうものだ。
頼むから、この連敗を止めてくれ。
妙な緊張感に満ちた試合が、始まろうとしていた。
直史の最強の武器は、そのコントロールである。
コントロールといっても単純に制球だけを指すのではない。
そのメンタルコントロールまで含めて、コントロールと言えるのだ。
この試合、オークランド相手の初回から、直史は相手の心理を洞察していた。
勢い込んで、トップを走るアナハイムに一撃を浴びせる。
先のことなど考えずに、目の前の試合で全力を出す。
それが今は上手く、オークランドの戦力を前向きにさせていた。
打ち気に逸るオークランドに対して、直史のピッチングは、結局のところいつも通りであった。
大きく落ちるためで空振り三振を奪い、そしてもう一人は内野ゴロ。
ぶんぶんと振り回してくるだけに、むしろ球数は増えそうにない。
ただし速球系の変化球は当てられているので、どこかでヒットは打たれそうだ。
そうは思っても直史は、集中してバッターを打ち取ることを考えるのみである。
アナハイムの打線は、決して完全に沈黙しているわけではに。
ボストン相手の四連戦も、初戦以外は三点以上を取っているし、昨日のオークランド相手にも、六点を取っている。
(ボストン相手には初戦の勢いから負けて、オークランド相手には殴り合いで負けただけだ)
単なる統計の偏りで、連敗が続いただけなのだ。
初回の自軍の攻撃で、一点が入る。
直史はそれで、コンビネーションの枷を外せる。
(少しだけ、冷静に投げよう)
それはつまり、いつもと変わらないということだ。
なんだかおかしいな、とは思われていた。
サインを出す坂本も、首を振られることが多いな、と思っていた。
いつもとは直史が、要求してくるパターンが違う。
(ツーシーム?)
(違う)
そして投げられたスライダーで、相手は空振り三振。
直史はこの試合、普段よりも積極的に三振を奪いにきている。
それは内野ゴロなどにより、ピッチャー以外の要因で、ランナーが出てしまうのを避けるためだ。
本格派で100マイルのストレートを投げるようなピッチャーではない直史。
だが上手く速球とチェンジアップ、それからスライダーを使っていくと、空振りが面白いように取れるのだ。
100マイルのストレートは投げられないが、60マイルのチェンジアップは投げられる。
そして今日は95マイルのストレートもそこそこ投げている。
途中で静止したような、完全に緩急の幅が広いチェンジアップ。
これで空振りを取ることを、直史は積極的に行っている。
ただしチェンジアップが目に焼きついたなら、そこからはカーブとストレートを組み合わせていく。
60マイル以下のカーブの後では、90マイルのストレートでも速くは感じる。
球速に比すると、直史のストレートのスピン量は多い。
それを使って上手く、高目を振り遅れて空振りさせていく。
球数はさほど増えない。
直史にとって球数というのは、肩肘の疲労とはあまり関係がない。
重要なのは、どれだけ全力のボールを投げたかだ。
なので普段は、94マイルのボールもまず投げない。
だいたいが93マイル、おおよそ150km/hのボールであり、日本ではそれでも充分なものだった。
そしてMLBでも、開幕から試合が重なるほど、その試合当たりのストレートの速度平均は落ちていく。
球速は必要ないのだ。
それでバッターが打ち取れるなら、極端な話85マイルのボールでも充分だ。
60マイル以下、つまり90km/h程度の変化球と組み合わせれば、その球速差にバッターは対応出来ない。
特にオークランドにように、速球に強い若いバッターがそろっていると、この球速差に翻弄される。
何かがおかしい。
ブライアンもオリバーも、事前に聞いていた話とは違う。
直史は今日は少し球数を増やしてでも、確実に抑える予定ではなかったのか。
「まさか今まで、本気で投げてなかったのか?……」
ブライアンは呆れたように呟くが、ナオフミストであるオリバーはもう、目がイっている。
アナハイムの打線の援護は、今日も貧弱。
だが二点は取っている。
そして直史は、八回を終えた時点で、まだ球数が70球に達していない。
さらに言えば、ヒットは0である。
もちろん、と言ってしまうのはおかしいが、フォアボールも0である。
幸いなことに、エラーも出ていない。
そしてなぜか、もう16個も三振を奪っている。
スコアを見れば、色々とおかしすぎる。
四球以上球数を使った相手が、今日は二人しかいない。
それ以外は全て、三球以内でしとめている。
三振か、もしくは内野ゴロ、そして内野フライ。
外野に球が一球も飛んでいない。
直史はレギュラーシーズン最初の試合で、72球で試合を終わらせた。
12個の三振を奪い、これこそまさに完璧なピッチングと言われた。
だがあまりにも完璧すぎて、本人にも再現は不可能だろうなと言われた。
しかしこの試合は、ある意味それ以上。
トップレベルの奪三振率を誇ってはいるが、あくまでも打たせて取るグラウンドピッチャー。
それが今日は積極的に三振を奪う、パワーピッチャーのような数字を残しているのだ。
九回の表のマウンドに立つ直史を、オークランドの選手たちは、死んだ目で見ているか、あるいは目を逸らしている。
なんでこんな化け物に、少しでも勝機があると思ったのか。
完全に戦意を失った若い選手たちは、とにかくもう試合が終わってくれることを願っている。
勝てると思ったのが馬鹿だった。
ひどい話であるが、それが事実であろう。
九回の先頭打者を、スルーを使って三振で打ち取る。
代打にはインハイストレートを使ったが、ふんわりと浮かんでサードフライとなった。
(そうか、代打相手には錯覚が通用しにくいんだな)
そう思った直史は、最後の代打に対して、カーブと内角ツーシームで追い込んだ後、最後の球を決める。
(インハイのボールは打たれた。だからこのボールで行く)
(打たれるかもしれんのに、よくやる)
坂本は直史から出されたサインに、呆れながらも頷いた。
そこから投じられたのは、アウトロー。
わずかに遠いとバッターには見えただろう。
確かに、わずかに遠い。
ほんのわずかにシュート回転がかかっていたが、それでもわずかに遠い。
しかし見逃したその球へ、審判の宣告はストライク。
見逃し三振、18個目の奪三振で、ゲームセット。
ボール球と判断していたバッターは、呆然としていた。
打者27人に対して77球。
自身の達成した72球パーフェクトには及ばない。
それでも81球以内に収めてしまったパーフェクトピッチング。
スタジアムはスタンディングオベーションで、この快挙を称える。
今季三度目のパーフェクトは、またしても同時にマダックスを達成。
マダックスでパーフェクトを達成するのを、サトーとでも呼ぶべきではないか。
そんなことが囁かれるようになるが、それはおそらく、10年に一度も達成されないだろう。
もっとも直史に限って言えば、パーフェクトを達成するのはほぼ同時に、マダックスも達成していたりするが。
フラグを逆方向にへし折った直史は、坂本とハイタッチを決める。
そしてこの後オークランドは、連敗街道を突っ走ることになるのである。
×××
※ 本日群雄伝投下しています。
先行公開版とは、やや細かいところが変化しています。
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