第33話 トレード
NPBにおける選手評価をした場合、実は直史よりも上杉の方が、かなり総合力では高くなる。
それはなぜかと言えば単純な話で、セ・リーグではピッチャーもバッターボックスに立っていたからだ。
また登板間隔も、上杉は中四日などを平気でこなして、同じチームのピッチャーはかなり楽が出来た。
それでもレックスがスターズに勝てたのは、やはり総合的なチーム全体の投手力の問題である。
キャッチャーの差も大きい。
同地区でライバルになるはずのヒューストンに、このカードも三連勝。
10勝2敗とバランスよく勝ち越しているし、アナハイムは他のどのチームにも勝っている。
そう、まだ日程の都合で一度も対戦していないトロント以外とは、三連戦が一度きりのチーム相手でも、必ず勝ち越しているのだ。
この勝率の安定感は凄まじい。
野球は確かに一人のエースが、チーム全体を左右するものではなくなってきている。
だがピッチャーが安定していれば、やはり勝率も安定するのだ。
カリフォルニアの暑い夏。
本拠地アナハイムで迎える、今月最後のカード。
ボストンとの四連戦で、七月も終わる。
そして直史は、この第一戦が先発。
(もし負けるとしたらここだよな)
直史はそう考えている。
ボストンは主力が数人故障離脱し、特にピッチャーが回らなくなっている。
上杉を先発に回すか、とも思われたが発表されたカードではそんなことはなかった。
それでもどうにか八回まで、無失点に抑えれば。
上杉はそこからなら、全力でこちらを抑えにかかる。
直史も球数が100球を超えれば、延長にまでは投げない。
そんな状況で上杉が二イニングも投げれば、ボストン打線も奮起するだろう。
アナハイムにもピアースという、ここまで28セーブを記録しているクローザーがいる。
ただしそれでも上杉の、セーブ機会全部成功という記録には、とてもかなうものではない。
「八回までに点を取らなければ負ける、か」
プロ野球ではよく言われることだが、上杉は完全にそれを達成している。
(八回までにリードしてなければ、俺も降ろしてもらおう)
勝てるところで勝てばいいと、冷静な直史。
ア・リーグ東地区は現在、ラッキーズとトロントが一位と二位。
ボストンがポストシーズンに出てくる可能性は低い。
この四連戦、終盤にもつれこんだら、その試合は負けると考えてもいい。
上杉はクローザーであるが、前回の対戦を見ても、自軍を鼓舞するために、同点やビハインドの展開でも出てきたり、あるいは回またぎで投げることもあるからだ。
故障明けでいきなり無茶なことをとも思うが、チームのために献身的なのが上杉だ。
ただそれが今年は悪い方向に働いてしまって、無理をした主力が怪我で戦線離脱した。
ブーストの薬品は、オーバーブーストで破壊してしまうこともある。
上杉自身がそれで、肩を壊したのだ。
フィジカル頼みのプレイというのは、確かに原則に忠実で単純なのだろう。
だがテクニックによって上手くプレイしなければ、長く現役でいられることは出来ない。
そんなテクニックを、長く現役でいようとはしない直史が、保持しているのは皮肉であるのか。
アナハイムのホームで、七月最後の四連戦が行われる。
初戦の直史の投げる試合は、言うまでもなくとっくにソールドアウトだ。
臨時に座席を増設したりもしたのだが、それも焼け石に水。
ただベースボールにも限らないが、スポーツは家にて中継を見るというのが、段々とトレンドにはなっている。
だからこそ放映権料が高騰し、それによって選手は高い年俸を得ることが出来るのであるが。
直史はもう投げるごとに、新しい記録を作っていると言ってもいい。
あるいは自分自身の持つ記録を、さらに更新することに挑戦するか。
従来の記録を大幅に更新した、131イニング連続無失点記録。
自責点ではないが失点したことにより、これは一度途絶えた。
だがそこからまた、記録は始まっている。
49イニング連続無失点記録。
今季一点しか取られていないという狂気の記録により、これもまた歴代上位の記録となっている。
直史のピッチングには、質があるのだ。
単純に力任せではなく、かと言って華麗なわけでもない。
単純に言えば地味であり、ただひたすらに効果的である。
長く続けられるピッチングを、ひたすらに続ける。
下手をすれば40代の後半になっても、かなりの成績を残せるスタイルだ。
それだけの才能を、長く現役を続けるつもりもない人間に与えてしまった。
そう思う者もいるだろうが、直史の身近にいる人間は、直史の能力は全て自ら獲得したもので、与えられたものではないと反論するだろう。
本来ならばその体格には、もう少し筋肉をつけるべきだ。
そうすれば球速は、もう少し上がるだろう。
だがそれは直史のピッチングから、他の多くのものを奪うことにもなる。
それらの取捨選択も、直史自身が行ったものだ。
一回の表、ボストンに向けてマウンドに立つ直史。
色々と考えることは多いが、とりあえずボストンを出来るだけ叩いて、ポストシーズンには進出しないようにしておきたい。
上杉のいるチームというのは、戦力が圧倒的に不利なはずなのに、なぜか奇跡を起こしてしまうのだ。
個人で奇跡を起こしている直史が、そんなことをいう資格は本来ないのだろうが、上杉のいるチームはチート化する。
短期決戦のポストシーズンで、戦いたい相手ではない。
そんなボストンをさくっと、まずは三人で終わらせる直史。
今日もまたボストンも、待球策を基本に考えているようだ。
(12球か。少し多いな)
いや、その認識はおかしい。
もっとも100球完投を目指す直史にとっては、確かに多いのだろうが。
終盤に疲れが出てきたら、ピッチングの質が落ちる。
そこに気をつけなければ、直史の投球術が意味をなさなくなる。
どこかの変態キャッチャーのように、フォアボールを二桁出しても、無失点で抑えるリードをしてくれるほどには、坂本を信じていない直史である。
ボストンは本日、エースクラスのピッチャーを出していない。
そもそも七月に入ったあたりからどのチームも、先発のローテを再調整している。
直史との投げ合いにならないようにである。
エースクラスでも防御率は二点台が普通で、六回か七回まで投げれば平均的に一点以上は取られる。
その後のリリーフ陣もまた、一点以上は取られる。
そしてその時点で、直史は一点も取られていない。
どうしても勝たなければいけないポストシーズンならともかく、レギュラーシーズンでは勝てそうなピッチャーは、勝てそうな相手に当てるべきだ。
現場の選手たちの士気は下がるかもしれないが、事実上好投して一点しか取られなくても、直史が0に抑えればアナハイムは勝てる。
ただそうやって弱いピッチャーを当ててきても、アナハイムはいまいち得点が伸びなかったりするが。
リリーフ陣をつないで投げさせる今日のボストンは、それが案外上手くいっている。
一回の裏は三者凡退に始まり、直史が投げると共に、リリーフ陣も球数が増えたところで、次々に引き継いでいく。
ぽつぽつとヒットを打たれたりしてランナーは出るが、得点には結びつかない。
直史も四回に一本ヒットを打たれたが、それを除けばほとんどパーフェクトに近い。
0-0のまま試合が進んでいく。
そしてこれは直史にとって、少しだけ考えていた都合の悪い展開だ。
球数がやや多い。
100球前後を交代の目安とするなら、八回で交代になるだろうか。
一イニングを他のピッチャーに任せたら、そこで一点を取られる可能性がある。
そして九回の表はボストンの攻撃であり、そこで一点を加えてリードしていれば、九回の裏は上杉が終わらせてしまうだろう。
八回までに、アナハイムは点を取らなければいけない。
ボストンのピッチャーはリリーフ陣を短くつなげていく。
バッターとの相性次第では、上手く無失点に抑えることが出来るかもしれない。
そして言うまでもなく、直史は一点も取られてはいけない。
もちろん二点以上を味方が取ってくれるなら、一点までは取られてもいい。
ただリリーフに試合の終盤を任せるなら、点差は少しでも多い方がいいだろう。
二回以降も直史がゾーンでストライクを取っていくのを、簡単に見逃していく。
そして追い込まれてからは、狙い球を絞ってそれ以外はカットしていく。
直史としてはそれでも、むりに速い球を投げようとはしない。
ただ遅い球と変化球を使って、コンビネーションを組み立てる。
ボール球を振らせて、最後に三振を奪ったりもする。
疲労はあまりたまらないが、むしろ球数は増えていく。
機械的に100球と決めるのではなく、ピッチャーの疲労度を見ながら交代を考えた方がいいのではないか。
そういう判断も、ないではないのだ。
しかし実際のところどれだけ、力を使って投げているかは判断しづらい。
それならば機械的に、球数だけで決めるべきだろう。
MLBは現在は中五日が主流だが、以前には中四日というチームも多かった。
その場合は先発は、90球で交代が一般的であった。
直史は過去には、150球以上投げた翌日に、また一試合を完投したこともある。
それに比べればここで少し球数が増えることは、たいしたことのないようにも思える。
実際に本人は、一試合程度なら大丈夫だとも思っている。
しかしそれを例外として認めるわけにはいかないのが、MLBのルールの一つだ。
MLBとは言わず、アメリカの一般的な思考と言うべきだろうか。
アメリカは契約社会と言われるように、約束には緻密な例外条項なども、厳密に定めておく。
その範囲から外れてしまうならば、確かにその場の判断が必要になる。
ただ100球交代というのは、契約などではないが、事前に決めてあることだ。
パーフェクトやノーヒットノーランを継続中ならともかく、今日はもうヒットを一本打たれている。
ならば厳密に100球交代を適用しようというのが、アメリカの社会の常識なのだ。
なるほど、確かにこれは攻略法だ。
直史は球数が増えても消耗しないように、控えめの力で投げている。
ただし七月のアナハイムは、それなりの気温になる。
太陽の真下で投げるというのは、それだけで体力が削られる。
実際の数字の球数ではなく、体感の体力の減り具合。
それを自分で判断して、直史は投げている。
どうにか球数を増やさせて、リリーフに交代させる。
そのリリーフを打って、勝ち越しか逆転をする。
それがボストンの生み出した攻略法らしい。
直史としても確かに、これは攻略法だな、と納得するしかない。
四月から五月まで、あるいは六月までは、気温の関係から基礎代謝も控えめになる。
体力お化けではない直史は、普通に投げていくことが出来た。
だが暑い中で投げるのは、直史にとって消耗が大きい。
寒い中で投げるのは故障のリスクがあるが、直史は事前準備がしっかりとしているため、むしろそれなりに寒いというか、暑くない方がいい。
だが日本ほどの不快指数はなくても、暑さの中で投げるのは基礎的な体力を減らしていく。
甲子園もそうである。
岩崎や武史、そしてアレクに淳といったピッチャーに、直史はかなりの部分を投げてもらっていた。
決勝での延長再試合なども、それまでに体力が温存できていたからこそ、出来たものだと言っていい。
この先の八月や九月の試合を考えれば、球数制限を解除すべきではない。
それが直史の運用としては、正しいものである。
実際のところはNPBでの二年間、明らかに春先は調子はいいが、夏場でも八月などはそれほど成績が落ちているわけではないのだが。
直史が自分自身の攻略法として、レギュラーシーズンに考えていた手段は二つ。
一つは球種を絞って、全てのバッターがホームラン狙いにくること。
もっともこれは球種の多すぎる直史相手には、出会い頭の事故以外では発生しづらい。
そしてもう一つがこの、徹底した待球策。
直史はそれが分かった上で、自身の体感でスタミナを切らさず、肩肘に負担がかからないように投げている。
直史自身がFMであるならば、自分は最後まで代えない。
だがFMは他にいるし、ピッチングコーチのオリバーも直史のことは信じているが、最終的な選手運用はFMの仕事だ。
FMのブライアンも、この試合が自分の想定の範囲内であれば、直史を代えることは考えなかったろう。
だが実際には想定の範囲外である。
ブライアンは悩んでいた。
(参ったな)
直史は100球前後までは代えない。これが大前提だった。
今までは110球までには、相手を完封してくれていた。
だが今日は七回が終わった時点で、球数は91球となっている。
もう一つの大前提、スコアが少ない点差で勝っているなら、やはり代えなかった。
一点差や二点差なら、直史以外のピッチャーであると、逆転される可能性があったからだ。
ただ今日の試合は、七回が終わった時点で0-0というスコア。
それでもノーヒットノーランなどをやっていたなら、そのまま投げさせていただろう。
だがヒットを二本打たれて、ノーヒッターも既になくなっている。
完封記録も更新して、これからまだまだそれを伸ばすことは出来るだろう。
直史に無理に九回まで、あるいは延長戦にまで、投げさせる意味がない。
もちろん確実に、九回の裏や10回の裏で、決勝打が打てるのなら別だろうが。
八回の表のボストンの攻撃を、直史は三者凡退でしとめた。
ただしここで球数は、100球を超えてしまう。
八回の裏のアナハイムの攻撃は、上位打線からの攻撃。
ここで一点でも取れれば、九回の表も直史に投げさせるだろう。
一点差を確実に勝つなら、ピアースなどよりも直史が投げた方がいい。
ただしアナハイムのブルペンは、勝ちパターンのリリーフは投げさせていない。
一点が入ってしまえば、そこから直史に最後まで投げさせるためだ。
八回の裏にアナハイムの点が入らなければ、九回は交代させる。
ブライアンはそう判断していたが、そこでボストンはピッチャーの交代を告げる。
「ここでか」
八回の裏に、上杉が登場。
無失点イニング記録は先発の直史にかなわないが、無失点試合記録は直史よりも長い。
なぜならクローザーであるから。
直史の失点が自責点でないことも考えると、この年のア・リーグには防御率が0のピッチャーが、二人もいたことになる。
しかもそれが先発とクローザー。
後の世から見れば、奇跡のような一年と言われることだろう。
「だが一点ぐらいは」
その見通しは甘い。
上杉のストレートを、アナハイムの上位打線は全く打てない。
成長著しく、四番から三番へ打順変更したターナーが、やっと当ててファールにすることには成功した。
だがその次の球は、よりギアを上げたもの。
空振り三振で、スリーアウトチェンジである。
「ここまでか」
ブライアンはピッチャーの交代を告げた。
上杉が次のイニングも投げるのかどうか、それは分からない。
だがもし上杉が次のイニングまで回またぎで投げるなら、直史は10回の表も投げなければいけなくなる。
すると確実に球数がかなりのオーバーとなってしまう。
直史としては、まだ余力はあった。
だが余力がある100球と、余力のない100球を比べられても困る。
ならばここはチームの意思に従っておくべきだろう。
どうせ勝率はトップであるのだし。
九回の表、リリーフ投手がマウンドに登る。
ここから点を取られても、それは直史の責任ではない。
だが直史はついに、MLBデビューからここまで続けてきた、19試合連続先発連続勝利が途切れたことになる。
負け星がつくわけではないので、連勝記録のストップとはならない。
だがそれでも、直史が投げれば必ず勝つという、その記録がストップしそうになっている。
この九回の表を抑えて、裏にサヨナラの打点を記録すれば、直史自身の勝ち星にはならなくても、先発した試合では勝つという記録は続いていく。
だがそういう時に限って、相手に点は入ってしまうものだ。
勝ちパターンのセットアッパーを使っていれば、それも違ったのだろう。
だがこの状況では、イニングを食うタイプのリリーフが使われる。
そして一点だけ、ボストンが点を取った。
九回の裏、アナハイムはなんとしてでも追いつきたい。
だがここでボストンは、上杉を回またぎでマウンドに送った。
今シーズン、まだ一点も取られていない上杉。
自責点だけではなく、他のピッチャーが出したランナーを背負っていても、確実に無失点で抑える。
その力はアナハイムを圧倒した。
「球が見えん」
あっさりと三振した坂本は、ベンチに戻ってそう言った。
そして結局最後まで、アナハイムは上杉を打てなかった。
こうなるかもしれないな、と直史が思っていた最悪の展開。
大学時代も似たような敗北はあったが、今回は球数が嵩んでいたので仕方がない。
1-0にてボストンはアナハイムに勝利。
そして直史は、必ず勝利をもたらすという神話を、上杉によって打ち砕かれたのであった。
別に負けたわけでもないのだが。
この四連戦、上杉は三度の登板があった。
打線も不調になっていたはずのボストンだが、この第一戦目の勢いが続いたと考えてもいい。
アナハイムは直史だけではなく、スターンバックにヴィエラと、勝てるピッチャーを先発に出したのだ。
だがそれを合わせても、ボストンは終盤をリードして迎える。
そこで上杉が出てくると、本当に打てない。
ヒットどころか、まともに前にも飛ばない。
三振しないだけで充分という、まさにボストンの守護神。
試合を終わらせる支配力はとてつもないものだ。
日本時代は主に先発をしていた上杉だが、ルーキーイヤーにはクローザーでセーブも記録していた。
そのときも一度も、セーブ機会の失敗はなかった。
中四日で投げても回せる、先発の鬼とも言える上杉。
だが実際のところその適性は、クローザーとしても充分のものだ。
同じ本格派でも、武史などは全く、クローザーの適性はないのだが。
まさか四連敗をするなど、思ってもいなかったアナハイム。
だがこれでも75勝30敗と、両リーグを合わせてトップの勝率を誇っている。
たださすがに四連敗は、チームを意気消沈させた。
こういう時には直史が、次の試合で完封をして、ムードを変えるのが日本時代のことであった。
もっとも本当の衝撃は、第四戦の敗北後にやってきた。
八月に入れば、オークランドとの試合で投げることになるな、と考えていた直史。
だが試合後のロッカールームで、電撃的なトレードの成立が告げられる。
「誰だ、この図面描いたの」
思わず直史は口に出してしまったし、他のチームメイトも絶句していた。
それはもう、あの人しかいないのだろうが。
こんなに無茶なトレードを仕掛けて成立させるのは、直史の知る限りでは一人しかいないのだ。
GM一人の力では、これは成立しないはずだ。
上杉のニューヨークへのトレード。
ニューヨークと言っても、二つのチームがある。
ポストシーズンへの進出が難しくなったと言っても、ボストンからまさか同じア・リーグのラッキーズに移籍するはずもない。
ニューヨーク・メトロズに、トレードデッドラインの今日、上杉の移籍が決まったのであった。
つまりメトロズは、最強のクローザーを手に入れた。
両リーグを合わせた戦力の地図が、大きく変わることになった。
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