第30話 その本気は本気じゃない
※ 今回も時系列はNL編30話が先となります。
×××
プロスポーツの世界においては、スーパースターとは作り出すことは難しい。
パフォーマンスが圧巻であるのは、誰が見ても分からないといけない。
大介はMLBに来る前から、既に評価は高かった。
日本人としては初の大型ショートとして通用し、高アベレージと長打率も維持し、30本は打つのではと言われていた。
オープン戦からポンポンと打っていたが、開幕戦でいきなり二本のホームランを打って、そこから八試合連続のホームラン。
鮮烈なデビューは、誰の演出でもなく、自分の力で果たしたものだ。
同じく鮮烈と言うよりは、恐怖さえ感じさせるデビューを果たしたのが、シーズン初先発の直史であった。
当然ながらMLBにおいて、初先発でパーフェクトを達成した選手などはいない。
いつかはやるであろう記録ではなく、一度しか機会のない記録を、直史は球数まで最少で達成してしまった。
それからも完封をいくつもやって、おそらくシーズン完封記録は更新するだろう、と誰もが確信している。
勝手に期待するのはいいが、それで失望して怒っても、それは知らんと冷めている直史である。
今回のオールスターにしても、あくまでもお祭りという側面で参加するつもりであった。
しかしホームランダービーで、思ったよりも多くの球を投げてしまった。
全力ではないにしろ、それなりの球数を投げている。
連投に比べればどうということもないが、あれはもう次の試合はないと分かっていたからこそ出来た、最終手段である。
ア・リーグのピッチャーとして、先発として投げることは決まっていた。
オールスターに選ばれても、33人も選手がいる中、全く出番のない選手もいる。
そういった選手に譲りたかったのだが、そういうわけにもいかないらしい。
「まさか、またこいつを使うことになるとはなあ」
用意してもらったものを見て、直史はげんなりとする。
ナ・リーグのバッターは一番が大介だ。
その大介相手に、本気でどうにかしようとは、直史は考えていなかった。
オープン戦を思い出せば分かるように、直史は調整のためならば、普通に打たれる人間である。
バッピを務めてスタンドに放り込まれても、放り込ませることをこそ役割とするなら、オープン戦ではお祭り騒ぎに相応しいことをするべきだろう。
本気で投げないわけではない。
だが手を抜いた本気、というものが直史には存在する。
そしてその手を抜いた本気では、大介には勝てないとは分かっているのだ。
マウンドに立つ直史。
そして投球練習を開始して、多くの人間がその異常に気付いた。
ひょろひょろとした球を投げるのは、いつもの投球練習と変わらない。
いつも以上に遅い球を投げているのは、もちろん変わったところである。
しかしそれ以上に変わっているところが一つ。
直史は左で投げていた。
普段のトレーニングの中でも、左手で投げるトレーニングはしている直史である。
ただしその球速は120km/h程度であって、体軸のバランスを取るのが目的であって、球速を上げようなどとは思っていない。
ちょっと特殊な練習だなとは、多くの記者が知っていた。
しかしオールスターの大舞台で、まさかこんなことをするとは。
なるほどこれか、と大介は気分を害することもなく、苦笑するしかなかった。
一応左ピッチャーと対戦する前は、直史は左でバッピをすることもあったのが高校時代である。
ただ左の速球派であれば武史がいたし、スライダーならアレクに投げさせていた。
それでも直史が投げるとしたら、そのカーブとスライダーの変化量が多かったときである。
使っているグラブは、高校時代も使っていた両利き用。
(俺相手だけは左で、次からは右かな?)
大介としては普通に、直史と対戦したかったのだが。
(まあお楽しみはワールドシリーズでいいか)
そして大介もまた、左ではなく右のバッターボックスに入ったのであった。
大介が右でもホームランを打てることは、日本のファンなら誰でも知っている。
怪我で左でのスイングが出来なかったとき、右でしっかりと打っていたからだ。
左に比べれば打てなかったので、スイッチヒッターとは言えない。
だが右で打ったときも、本職以上には打っていたのだが。
日本人同士で、普段とは逆というのはどういうことだ。
ブーイングをすると言うよりは、まだ戸惑いの方が大きい。
だが大介は苦笑していたが、直史もまた苦笑していた。
左で投げたボールで、右の大介を打ち取れるとは思っていない直史である。
しかしMLBのルールに従うのなら、一度どちらかの手で投げると決めたなら、一打席分は必ずそちらの手だけで投げないといけないというルールになっている。
(まあお祭り騒ぎだしな。一球目からは打ってくれるなよ)
そう思った直史の初球は、アウトローにぴたりと決まった。
球速はお粗末なものである。
だが表示されたコースに、おお、と歓声が漏れる。
チェンジアップ程度のスピードに、驚くことはない。
ただオールスターでこういうことをして、果たしていいものなのだろうか。
直史は二球目にカーブを投げた。
大きく縦に割れるカーブは、ドロップカーブと言うべきなのだろうか。
これも大介は振らずに、ストライクがコールされる。
(う~ん、やっぱりこの球で俺を打ち取るのは無理だろ)
直史にも分かっているはずだ。
一球あれば大介は、この程度のボールであれば打ってしまうと。
あるいは右のように、完全なコントロールと、緩急を使えれば。
そして球種も、あと何種類か使えれば。
だがさすがにそれは無理というものだ。
大きく曲がるスライダーは、懐深くに入ってくる。
これが左打席であれば、少しは苦労したかもしれない。
だが大介は、簡単にこれを振り切った。
バットはボールを無理なく捉えて、その打球は伸びていく。
レフトスタンドにスコンと入って、先頭打者ホームラン。
右利きのピッチャーが左で投げたボールを、左打席のスラッガーが右打席で打った。
字面だけだと意味不明な、初回の第一打席であった。
直史はそこから、グラブを左に持ち替えた。
さすがにここからは普通に投げるのだと、観客たちは思っただろう。
しかし沈み込んだフォームから投げたのはアンダースロー。
低い位置からリリースされて、ふわりと浮き上がってから落ちてくる。
スローカーブを打ちに行って、二番は内野ゴロで凡退した。
初球で片付いてくれたので、直史はこのままアンダースローで投げる。
今度はスローカーブではなく、ストレートを投げるのだ。
アンダースローからの独特の軌道を描くストレートを、三番は見逃す。
だがそれを目にして、打てなくはない、と判断した。
二球目はやはりアンダースローから、同じようにストレートと思われるボールが投げられる。
しかしそれはベースの手前で、すとんと失速した。
打ちにいったバッターは泳いでしまって、内野フライを打ち上げる。
問題なくキャッチして、これでツーアウト。
レギュラーシーズン自責点0のピッチャーが、オールスターに先発。
これが本格派なら、求められるのは連続奪三振などであったのだろう。
だが直史は技巧派であり、そして相手を分析して投げる。
普段は対戦の少ないナ・リーグのバッターを相手にするには、情報が足りていない。
お祭り騒ぎなのだ。
ならば普段は、やらないことを見せてやろう。
そう思って投げて、左ではホームランを打たれた。
そしてアンダースローから変化球を投げて、しっかりとバッターを打ち取る。
あと一人を、どうやって打ち取るべきか。
ランナーがいない。
この状況から直史が選んだのは、背中を大きくバッターに向ける投球フォーム。
トルネード投法であるが、そこから投げたのはサイドスロー。
ボールは角度がついて、バッターからは打ちにくくなる。
それでもファールは打たれてしまうのだが、最後に投げたボールは落ちた。
サイドからのスプリットというのは珍しいだろうが、これで実際に内野ゴロを打たせることに成功。
スリーアウトを取って、直史の出番は終わった。
直史は自分の持ち味と言うか、期待されているものが何か、はっきりと分かっていた。
それは一試合を通して投げて、相手を完全に抑えてしまうこと。
オールスターの一イニング、あるいは最長の三イニングを投げても、全てを三振で抑えることも出来ない。
ならば普段はやらないことを、やってやった方がいいだろう。
ベンチに戻ってきた直史は、呆れたような表情で見られた。
現在のMLBにおいては、サイドスローの選手はともかく、アンダースローの選手は少ない。
それがなぜかと言うと、ピッチャーのトレーニングや練習が、完全に効率化されすぎたせいだ。
誤解を恐れずに言えば、アンダースローというのは、上や横から投げて通用しなかったピッチャーが、最後にたどり着くものだ。
他にセンスがあれば、ピッチャー以外のポジションに回ってしまう。
アンダースローというのはそれだけ、指導する側も数が少ないのだ。
現在のMLBにおいては、そもそもアンダースローの先発がいない。
リリーフで数人、片手で数えられるぐらいだ。
指導の効率化を進めると、どうしてもオーバースローかサイドスローになってしまう。
なので直史のアンダースローや、トルネードも初見であれば、通用してしまうというものだ。
右利きのピッチャーが左で投げたことも、オールスターならでは。
それをホームランにされて、右に戻したがそこからアンダースロー。
結局ホームランの一点だけに抑えて、まずまずという始まりであった。
エンターテイナーとしては、ミスターパーフェクトがするので、価値がある。
普通のピッチャーがやっても、奇を衒っただけのものになったろう。
「アンダースロー、実戦でも使えるんじゃないのか?」
ベンチでは上杉からそう問われて、スタメンではない織田なども、注意を向けている。
直史は軽く首を振った。
「他に投げる球がなくなれば、投げるかもしれませんね」
それはつまり、投げないということだろう。
ただ直史としては、奇策として考えないわけではないのだ。
日本では淳が投げているため、それなりにいるような印象のアンダースロー。
だが日本でも、今はかなり少なくなっている。
高校までは目先を変えるために、それなりにいることはいるのだ。
だがプロレベルで通用するアンダースローなど、やはり数えるほどしかいない。
「三振を狙って奪えるなら、俺もそうしたかもしれませんけどね」
昨日のホームランダービーで、明らかにボールを投げすぎた。
球数的にはそれほどでもないのだが、投げる頻度の問題である。
同じコースに、同じボールを、同じタイミングで。
打つほうも息切れしていたが、投げる方もそれなりに大変なのだ。
よって肩や肘ではなく、足腰に負荷がかかるアンダースローを選択した。
サイドスローも肩や肘の動きを固定し、必要以上の負荷はかからないようにした。
本日の最速は130km/hと、上から投げたらさすがに打たれる球速だ。
もっとも左で投げるのを、大介に右で打たれてしまったのは、果たして面白いイベントだったのか。
お祭り騒ぎのオールスターで、全力で投げるピッチャーというのは少ない。
なので一回から点の取り合いになるが、普段から短いイニングを投げるリリーフは、それなりに抑えることが出来る。
そして多くの者が期待していただろうし、直史も期待していたのは、大介と上杉の対決。
だがそうそう上手く、タイミングよく打席は回ってこないのだ。
九回の表、ア・リーグ一点リードの状況で、上杉がマウンドに登る。
ここを無失点に抑えれば、九回の裏に回ることなく、ア・リーグの勝利が決まる。
大介は一打席目以降もポコポコと打っていたが、オールスターであんまり打っていると、シーズンでのマークがより厳しくなるのではなかろうか。
ただ普段のストレスを発散しているという意味では、無駄なことではないであろう。
その大介の打席に回るには、ランナーが二人出ないといけない。
一イニング限定の上杉から、ランナー二人。
ほぼ絶望的な数字である。
代打が告げられて、新たなバッターがやってくる。
ただそのあたり上杉には、ほとんど関係はない。
105マイルを投げる怪物がいる。
ア・リーグノ東海岸では、大いに恐れられた存在だ。
八回を終えてリードを許していれば、そこで試合終了。
クローザーだからということもあるが、WHIPは0.1ほど。
もっともこれは先発である直史も、0.2を切るほどであるのだが。
三球三振。
そして代打が出て、三球三振。
最後に代打が出て、またしても三球三振。
ストレートは全てが103マイル超えであり、バットに当たることは当たったが、前に飛ぶことはなかった。
スリーストライク目のストレートは、明らかにギアを代えて投げていた。
「あれでまだ、完治してないんだからなあ」
途中で一打席代打に出てきた織田が、またベンチに戻ってそんな風にぼやいていた。
織田は上杉の高校時代、一試合でヒットを二本打った、唯一のバッターである。
ただそれも織田に言わせると、事実ではあるが真実ではない。
「キャッチャーが壊れるから、ある程度は抜いて投げてたはずなんだよな」
確かに高校時代とプロ入り後を比べると、一気に球速は上がっている。
三年の夏の相棒を務めたキャッチャーは、樋口であった。
間違いなくNPBで最高レベルのキャッチング技術を誇っているが、当時はまだ一年生。
技術だのなんだのの前に、単に肉体の耐久力が、上杉のボールを受けるのには達していなかったのでは、ということだ。
もっとも樋口が受けた試合で、上杉は一度も失点していなかったのだが。
なおこの試合のMVPは、最後に圧巻の投球を見せて、九球で試合を終わらせた上杉が選ばれた。
ナ・リーグが試合に勝っていれば、三安打で三打点の大介になっていたのだろうが。
もちろん直史には全く関係がない。
最初にホームランを打たれた時点で、その資格は消えている。
ここから二日間、MLBは休みとなる。
直史は休み明けが先発であるため、ああして少しでも疲労を取る必要があった。
大介としては不本意な対戦であったが、シーズンの試合を優先する直史が、悪いわけもない。
「上杉さんと対戦したかったなあ」
今日は朝から試合を見に来たツインズと共に、直史と大介は食事などをしていた。
ホームランダービーもオールスターも、派手ではあるが茶番である。
選ばれるだけで名誉なことだとは理解するが、その名誉は直史にとって、特に必要な名誉ではない。
とりあえずオールスターも終わったため、次に対戦があるとすれば、それはもう10月下旬から始まるワールドシリーズとなる。
「つーかお前、サイ・ヤング賞とシーズンMVP両方取れるんじゃねえの?」
基本的にシーズンMVPをピッチャーが受賞することは、ほとんどないことだ。
特にこのローテーション制と分業制が成立してからは、ピッチャーの勝利貢献度が、毎試合出る野手に比べて低くなるからだ。
サイ・ヤング賞の設立以降は、投手がMVPを取ることは少なくなっている。
だが皆無というわけではないし、直史のやっていることはそれに相応しいことだ。
これがナ・リーグであれば大介がいるため、獲得はひどく難しい。
だがア・リーグであるというのは幸いで、打撃でそこまで傑出した数字を残している者はいない。
強いて試合を決定付ける選手がいるとすれば、それはやはりピッチャーの上杉になるのだろう。
だが直史は完封が多く、セットアッパーとクローザーの役目も、同時に果たしているとさえ見てもいい。
それにクローザーは、機会がなければ数は増えない。
ボストンは打線陣に故障離脱者が出たため、ここから数が増えていくのは、難しいだろうと言われている。
「シーズンMVP取ったら200万ドルもらえるんだよな」
「マジか。つけててよかったな」
全くである。
直史はイニング数と奪三振数で、おそらくインセンティブに到達する。
そしてサイ・ヤング賞の投票も、わずかに上杉に流れるかもしれないが、順当なら直史のものだろう。
今年一年の契約は、1000万ドル。
日本の基準からすると高いが、MLBの超一流先発としては安い。
ここに400万ドルインセンティブが重なっても、まだ安いだろう。
大介と同じく3000万ドルをもらっているピッチャーは、そこそこいるのだ。
ともあれ前半戦が終了した。
だが二年目の大介には分かっている。
ここまではまだ、千里の道の半分にも達していないのだと。
「七月末までに、どうフロントが動くかだな」
「こっちではトレードは多いらしいな」
それこそまさに、GMの腕の見せ所とさえ言われる。
日本の場合は育成枠が存在するので、完全にドラフトと育成が戦力充実の主軸となっている。
トレードはあまり大型のものはないし、FAも昔ほどは成立しない。
そもそも日本においては、FA権を取るのに時間がかかりすぎる。
なので旬を過ぎかけた選手が、大型契約を一度結ぶだけ。
二度目のFA権を行使する選手は、ほとんどいない。
NPBは今年も、やはりレックスとライガースが争っている。
そして意外と言うべきか、タイタンズがやや復活してきているらしい。
本多と井口を失って、なおそんな力があるのか。
FAや外国人で、補っている部分が多いのだろうが。
「故障するなよ」
「そっちもな」
酒を飲むことはなく、健全に食事だけを楽しんで、ピッチングとバッティングの化け物は、お互いの住処に帰ることになる。
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