第29話 バッティングマシーン

 ※ 今回は珍しくNL編29話の時系列が完全に先となります。



×××




 MLBはこのホームランダービー、演出に失敗している。

 どういうことかと言うと、大介が先に打つようになっているからだ。

 先にとても追いつけないほど、圧倒的な数のホームランを打たれたらどうなるか。

 対戦相手は恥ずかしくない程度には力を入れるが、なんとしてでも打っていこうという執念には欠けるだろう。

 展開としても挑戦者が打ったホームランの数を、チャンピオンの大介が圧倒的に更新していく。

 こちらの方が盛り上がると思うのだ。


 直史はそう思うが、もうMLBは大介のホームランで、圧倒する演出に決めているのではないか。

 それはそれで、大介という圧倒的なスラッガーの力を、宣伝する舞台にはなるのか。

 誰もが皆、大介が優勝することを予想している。

「だけどまあ、期待したり願ったりしてるのは、他のバッターが対抗として出てくることだろうしな」

 直史はそう、群集心理を分析している。


 判官びいきという言葉ではないが、アメリカでも弱い側が強い相手に挑むことを、挑戦として歓迎する文化がないわけではない。

 最強国家アメリカ様であろうが、巨大な悪に立ち向かうヒーローは、常にフィクションに存在している。

 もっとも大介は小さいので、ダビデとゴリアテ、というようなわけにはいかない。

 だがここで大衆が見るのは、今年急激に成長してきた、アナハイムで四番を打つターナー。

 パーフェクトゲームを壊してしまってくれたが、そこからはむしろ吹っ切れたように打ち出した。


 失敗は自分のバットで返す。

 事実直史が失点した試合では、勝ち越しのスリーランホームランを打っていた。

 四番を打っているがまだ足もそこそこあるので、後半では三番を打つようになるかもしれない。

 そんな若手バッターは、純粋なアメリカ育ち。

 海の向こうからやってきたモンスターは、確かに凄いことは凄い。

 だがそれをアメリカ産のヒーローに、倒してもらいたいという気持ちもないではない。


 人種差別とか国籍差別とか、そういうものではない。

 同じ文化圏で育った人間に支持が集まる、ごく普通の現象だ。

 大介が甲子園で、直史が神宮で得たバフの効果。

 それをターナーはアナハイムからも近いこのサンディエゴで、受け取ることになる。




 さすがに伸び盛りのターナーも、自分が大介に勝てるとは思っていなかった。

 少なくともここ10年では間違いなく最強のバッターで、おそらくは21世紀最高のバッター。

 そしてあと三年も今の成績を残せれば、間違いなくMLB史上最強のスラッガーと呼ばれるだろう。


 MLBの野球殿堂に入るのは、選手ならば基本的に10年以上の実績が必要だ。

 例外的に現役中に急死した例などで、殿堂入りしていることはある。

 ただ大介の一年目、四割を達成してホームラン記録を更新したあのシーズン。

 そして今年もそれと、大差のないシーズンを送っている。

 35歳ぐらいで力が低下しても、例外的に選ばれるだろうとは想像がつく。

 そんなバッターと、自分は対戦しているのだ。


「緊張しているのか?」

 直史はできればその緊張を解きほぐしてやりたいが、言葉の壁が邪魔をする。

 通訳を通して話すと、本質が通じているか不安にはなるのだ。

「相手が相手だし、まさか初めての舞台でここまで来るとはね」

 よく日本では、アメリカ人は積極的で、プレッシャーに強いなどという意見がある。

 これは実は間違っていて、積極的でないといけないし、プレッシャーに強いように見せないといけない、というアメリカ社会の同調圧力なのだ。

 アメリカ人だって、本当に信頼できる人間には弱みを見せる。

 心療内科などの患者数が、アメリカ人は日本人より、はるかに多いのだ。

 もちろんこれはアメリカ人のメンタルが実は弱いということを示すのではなく、アメリカ人はメンタルのコントロールを個人の根性などに頼らないという見方が出来る。


 あとはまあ、教育に関する捉え方の問題でもあるが。

 日本の場合の失敗への叱責は、子供を萎縮させるだけという話もある。

 欧米の価値観では失敗は、成功への試行錯誤という捉え方が、多いという理屈である。

 もちろんこれは日米という括りでなく、それぞれ個人の差異も大きい。

 また実のところ、プレッシャーをガンガンと与えられて、伸びる選手がいないわけではない。

 ただ日本の野球界はいまだに、潰れるのは個人の責任、などと思う価値観が多い。

 選手の育成はそれぞれに、必ず違いがある。

 もちろん一人一人に、それぞれ合ったトレーニングや練習を導き出すのは難しい。

 だが白富東はそれをやっていたし、大阪光陰も選手を絞ることによって、それを可能としていた。


 直史はここまで色々とやってきたが、確かにこれでも大介に勝てるかは微妙なところだ。

 大きく崩れてくれれば別だが、大介は上手く修正してくるだろう。

 しかしその修正の間に、どれだけ差を詰められるか。

 先に打つ大介がミスをしてくれたら、それだけターナーには打っていこうという自信も出来るだろう。

 負けたとしても、どうせ賞金が直史のものになるわけではない。

 どういう負け方をするのかが、重要なことなのだ。




 大介が先行して打っていったが、直史の計算通りの結果が出ている。

 直史が珍しくも、他人に求めた結果。

 それが大介に、わずかな力みをもたらしたのだろう。

 そしてミスショットから、今度はジュニアの方に乱れが生じた。

 タイムアウトを使って、お互いが修正を図る。

 ここで一度は立ち直れるか。


 もしも本当に勝つとしたら、決勝以外のラウンドで当たりたかった。

 なぜなら決勝以外は、タイムアウトが一回しかないからだ。 

 修正にかけられる機会が一度しかない。

 自分のことならともかく、パートナーの修正を図るなど。大介には難しいことだと思ったからだ。


 野球は間違いなくチームスポーツであるが、究極の個対個の場面が存在するスポーツでもある。

 それはピッチャーとバッターとの対決だ。

 同じフィールドでプレイするサッカーなどは、ボランチ、フォワード、ゴールキーパーなどといったポジションがある。

 だがゴールキーパーであっても、守備との連携はかなり重要だ。

 アシストを送っても、確実にそれが点になるとは限らない。

 また決定力のあるフォワードでも、アシストの技量に成績は左右される。


 アメリカンフットボールのNFLでは、確かに一番大事なポジションはあるが、それでも完全に分業制に近い。

 ただこれは日本人には、あまり馴染みがないだろう。

 バスケットボールのNBAはどうか、確かに支配的な選手はいる。

 だがそれはその選手が支配的なだけであって、そのポジションが支配的なわけではない。

 ゴール下の要のセンターや、司令塔のポイントガードなども、近年ではその役割分担が崩れかけている。


 野球の場合は確かに、直史のように打たせて取るピッチャーは、守備に頼るところが大きい。

 だが本当に大事な場面は、やはり守備が意味を成さなくなる。

 ホームランは完全にピッチャーと言うのは、野手の守備が関係ないからだ。


 大介は頼れるショートで、守備連携も上手く、またバッターとして見たときに、ちゃんとチームプレイが出来る。

 だがこのホームランダービーでは、ピッチャーをケアしなければいけなかった。

 その大介にとってピッチャーと言うのは、直史や真田といったところが味方である。

 抑えてもらっている間に、自分が打って決める。

 キャッチャーほどにピッチャーをケアする技術はないし、必要もなかった。


 それでも本数を伸ばしてきたのは、さすがとしか言いようがない。

 だが途中のわずかな崩れで、思っていたような圧倒的な数字にはならなかった。

 そして直史は、やる前から敗北を悟った。

 二本及ばない。


 別にこの勝負で、勝つことが重要なわけではない。

 自分にも報酬があるなら、それはそれなりにもっと考えただろうが、重要なことはメトロズの二人にわずかでも歪みを与えることと、ターナーの成長。

 ターナーは決勝まで進んだ時点で、充分に成長している。

 自信というのはそれが慢心でない限り、選手をしっかりと育ててくれる肥料だ。

「行こうか」

「ああ」

 大介の数字に対して、アナハイムの二人が挑戦する。

 敗北は分かっていたが、挑戦することに意義があった。




 直史は一回戦と二回戦で、どのコースにどのスピードで投げればいいか、もう完全に分かっている。

 あと問題なのは、ターナーがフルスイングを続けて、そのスイングが乱れないこと。

 上手くタイムアウトを取ることで、その疲労から短時間で回復しないといけない。


 理論的には完全に全てを打ったら、大介の数字に並ぶことが出来る。

 だがターナーの気性や、途中での疲労を考えると、おそらく三本足りない。

 完全に上手くいっても、二本足りないだろう。


 ターナーの構えるところで、ど真ん中からわずかに高め、わずかに内角よりに投げる。

 一本目から見事に、レフトスタンドに入っていった。

(風がなければな)

 そうは思うが、やはり弾道の違いが大きい。

 大介とターナーでは、打撃と打撃の間隔が、時間的に違う。

 それが積み重なると、最後にはわずかな差が出てくる。


 下手にリズムを詰めようなどとはせずに、一定のリズムで。

 直史はやったことなどないが、薪割りのような一定のリズムで。

 ターナーの体内のタイミングを、狂わせてはいけない。

 機械よりも正確に、同じ球を投げ続けろ。


 二回戦を上回るペースのホームランの量産に、球場は盛り上がっていく。

 ここまではミスなく来れている。

 だがそろそろ、連続してフルスイングをするには、疲れてくるタイミングだ。

 そこでターナーは無理をせず、タイムアウトを取る。

 直史としても、そこが最適と考えていたタイミングだ。


 わずかな時間の休みをはさんで、またホームランを打ち続ける。

 だがこの一球目が、わずかにスタンドに届かなかった。

 おおよそ直史の予想していたことだ。

 休まなければ続けられないが、休めば微調整が必要になる。

 この一本のミスは、必要なミスなのだ。


 野球のフルスイング、そして渾身のストレートは、間違いのない無酸素運動だ。

 スイングであればインパクトの瞬間、ピッチングであればリリースの瞬間、肉体の動きを全てボールにぶつける。

 バッティングもピッチングも、その瞬間は変わらない。

 だからピッチャーには、ダッシュを繰り返して瞬発力を高めることが求められるし、これが走りこみの信仰の一つの理由となっている。

 今では単なる無酸素運動であれば、ウエイトの方が効率がいいとも言われるが。


 ピッチャーは一試合で100回以上も、そのフルパワーの瞬発的な運動が出来るか。

 それはかなり難しいことだ。

 指先の感覚などもあるので、一イニングに15球程度が、限界と言われている。

 25球も投げていたら、とても最後まではもたない。

 それでもストレートの球威か、変化球で150球以上を投げてしまうピッチャーはいる。

 具体的には上杉や武史のことであるが。


 15球を投げて九回を完投したら、135球。

 MLB的には多い球数であるが、NPBの中六日であるならば、問題はないなと直史は思っている。

 15球ごとに味方の攻撃が入って、少し長めに休むことが出来る。

 それでもピッチャーはブルペンで投げるより、試合で投げる方が疲れるのだ。




 ターナーの規則正しいスイングは、どんどんとホームランを積み重ねていく。

 直史もそれに連動して、全く同じようにボールを投げる。

 おそらく後から映像を再生すれば、同じシーンを何度も繰り返しているように見えるのだろう。

 ほとんどミスなく、ターナーはホームランを量産する。


 大介の打球の滞空時間を考えれば、どうしてもミスショットは防ぐ必要があったのだ。

 それでもどれだけ大介がミスをしてくれるかで、勝てるかどうかは決まるはずだった。

 自力だけでは無理で、大介の、あるいはジュニアのミスが必要だった。

 しかし直史が計算していたほどは、ミスの数が多くならなかった。


 二回目の休憩を入れて、あとはどれだけを打っていけるか。

 直史が計算する限りでは、あと二本足りない。

 だが休憩明けの初球を、ターナーはスタンドへ運んだ。

(こいつ)

 スイングが、わずかに変わっている。

 ホームランを打つための、特化したスイングに変えたのか。

 理論上はありえても、この瞬間に変えたのか。

 それでは試合に戻れば、アベレージが残せなくなるのではないか。

 色々と直史は考えたが、弾道が変わったことにより、投げる間隔が短くなる。


 だがそれでも、足りない。

 直史は正確に投げ続けて、そしてターナーは正確に打ち返す。

 だがそれでも、あと一本足りない。

(賭けてみるか?)

 バッターボックスのターナーの目の輝きが、異様なものになっている。

 おそらく今、ゾーンに入っているのだ。


 直史は投げる間隔を、ほんのわずかに早めた。

 これでミスショットがあれば、その時点で終わりである。

 だがターナーは、それをスタンドまで運ぶ。

 この間隔で打ち続けられるなら、大介に並ぶ。

(だけどまあ、延長になったら……)

 今のゾーンに入った状態のターナーなら、あるいは勝てるかもしれない。

 大介かジュニアか、どちらかがミスをすることが前提となるが。


 ただマウンドの上から観察する直史は、ターナーの限界を見極めてもいた。

 どんどんとホームランの数が積み重なり、観客は大喜びだ。

 大介が圧勝する姿も見ていて面白いのだろうが、ターナーがそれに追いつくなら、それはそれで面白い。

 一番面白いのは、同数になって延長戦に突入することだろう。


 だが、それは無理だな、と直史は悟っている。

(少しでも休憩を入れたら、そこで集中力は切れる)

 それにもう一つの問題がある。

 今のターナーは、より短い間隔で打っている。

 いずれはこの無酸素運動が、不可能になるはずだ。

 わずかにスイングが乱れれば、それでもうホームランは打てなくなる。

 集中力が最後まで続くかどうか。

 脳内の酸素のことを考えたら、限界は近いと分かる。




 あと一本。

 時間的に最後の一球で、そしてこれをスタンドに運べば、大介に並ぶ。

 だがそこが、ターナーの限界であった。

 スイングがわずかに下がり、ボールの下を叩く。

 打球は高い放物線を描き、フェンスの前に着地した。

 一本だけ届かず、大介の優勝。

 そしてターナーはバッターボックスから外れると、その場にうずくまった。


 大きく呼吸をして、必死で酸素を取り入れようとしている。

 想定外の無酸素運動で、肉体は必死で細胞の欠損を防ごうとする。

 エネルギーが筋肉や、あるいは脳から抽出された。

 そこまでやるほどの、無酸素運動であった。


 大介が圧勝すると、誰もが思っていたホームランダービー。

 実際に一回戦と二回戦は、それも当然と思われるものであった。

 だが大介の方にミスがあったとはいえ、決勝戦ではこれほどの接戦。

 ターナーには大きな拍手が送られた。


 ちなみにターナーはまだ年俸調停の資格を持っていないため、その年俸は100万ドルにも満たない。

 なのでこのホームランダービーの優勝賞金100万ドルは、かなり本気でほしかったものだ。

 大介も直史も、あまり金に執着するタイプではない。

 そもそも年俸が高いため、そこまで気にするものでないということもある。

 だが大介はそんな理由で、優勝を譲るような人間ではなかった。

 直史としては、そのターナーの金銭への執着を考えれば、もっと事前に練習をしていたかもしれないが。


 ただホームランダービーに特化したものと、試合でのスイングは全く違う。

 ターナーは確かに覚醒していたが、このままレギュラーシーズンに戻れば、間違いなくアベレージを落とす。

 オールスター後の二日間の休日。

 そこでターナーは、しっかりとスイングを戻す必要があるだろう。




 二年連続でホームランダービーを制した大介。

 ただ内心では、反省するところは多い。

 決勝前の直史との接触で、わずかながら動揺していた。

 もちろんジュニアのミスも、苦戦の理由ではあるが。


 ただターナーが、まさかここまで打つと思っていなかったのは、明らかに自分のミスだ。

 直史が投げる以上、打たれることは間違いなかったのだ。

 それにホームランの数自体では、大介はトップとなっているが、ホームラン率ではターナーの方が高かった。

 つまりミスショットが少なかったのだ。


 直史はバッターに打たせることも、全く打たせないことも出来る。

 このホームランダービーを見ていて、戦慄した球界関係者は多かっただろう。

 抜群のコントロールを持っていて、バッターのタイミングに合わせないと、打たせることは難しい。

 逆にそこでわずかにずらせば、打たせないことが可能になる。


 直史のピッチングの原理を、このバッピから考える者も多いだろう。

 だからといって打てるようになるとも、自分のピッチングに活かせるとも、ほとんどの人間が思わなかっただろうが。

 ただここから、何か攻略法のかけらでも見えないものか。

 そう思う者は多かった。


 ちなみに遠い海の向こうでは、このお祭り騒ぎを見ていて、樋口は顔をしかめた。

 サービスのしすぎだと。

 直史のピッチングの本質の、あらゆる意味でのコントロール。

 もちろんそれはピッチャーに主導権があるため、そうそう狂わせることは出来ない。

 また直史のメンタルを考えれば、動揺させることも難しい。

 だがそれでも、対戦相手は色々と、直史を削ってくることになるだろう。


 樋口以外は味方も敵も、そして日米の関係もなく、ターナーのホームランの理由は、直史のバッピにあると思っただろう。

 そしてこれだけ、バッターというのは直史によって、支配下に置かれているのだと思ったか。

 



 大介はターナーの背中を叩いている直史に歩み寄った。

「お前、あれ盤外戦だったろ」

「それが何か悪かったか?」

「悪くはねえけど、えげつねえことするなあ」

「先を見据えておくと、そっちのピッチャーを潰すのは悪いことじゃないしな」

「まあ潰れないけどな」

「らしいな」


 ジュニアは確かに途中で崩れたが、それでも大介は打っていった。

 ピッチャーの背中を守るショート大介が、打つことによってそのピッチャーを守るというのは、なんだか不思議な感覚もあったが。

 序盤に大介が力んで、ミスショットをするのは直史にとって、間違いのない収穫であった。

 大介の、弱点とも言えないがわずかな攻略ポイントを、他の球団はどう見ただろうか。


 ここから勝負される回数が増えれば、大介としてはむしろありがたいだろう。

 しっかりと封じてくるというのは、勝負してくるということなのだ。

「明日のオールスター、一打席だけど勝負だからな」

「俺は本気では投げないけどな」

 直史としては今日、八分の力とはいえ、それなりに投げた。

 しかも全く同じタイミングというのが多かったので、調整が必要になる。

 

 オールスターの休日明け、最初のブラックソックスとの試合が、直史の後半戦初先発だ。

 そこまでにしっかりと調整し、またレギュラーシーズンを戦っていかないといけない。

 それと同時にしっかりと休養も取って、回復しておくことも重要だが。


 オールスターで対決する、わずか一打席。

 思ったよりも消耗してしまった直史は、負けることを割り切って考えていた。

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