第26話 威嚇
※ 前回のAL編の裏側にNL編の25話があり、26話も今回の裏話的な要素があります。
×××
長いシーズンの中でコンディションを保ち続けるのは、本当に大変なことである。
直史はわざわざ調べることまではしなかったが、MLBよりも試合の数が多いスポーツなど、他にないのではないかと思った。
その中でも先発ピッチャーは、まだしも中五日で投げることが出来る。
昨年は試しに中四日などもしていて、これなら大丈夫かなとは思えたのだ。
甘かった。
実際にはNPBの特に在京球団の場合は、移動による疲労がない。
移動する程度で疲労するのかと言われれば、肉体的にはそれほどでもない。
だが直史などの場合は、むしろ調整の意味合いで時間を必要とする。
ホームの球場でのんびりと調整するのと、移動を繰り返すのとでは、やはり精神的なものも違う。
娘の遊んで攻勢を泣く泣く拒否し、どうにか調整をかけておく。
ボストンとの初戦では、どうやら上手く投げられそうになった。
六月の終わった時点で、直史はもう15勝している。
そしてその内容も、14完投の13完封。
11試合でノーヒッターかマダックスを達成するという、異次元の記録を残し続けている。
これをミラクルなどと言われたりするが、本人としてはラッキーという程度だろうなと思っている。
「いったい何勝する気だね?」
そうやって揶揄するように言われても、直史は真顔で答える。
「先発ピッチャーであれば、登板した試合は全て勝つつもりで投げるのが当然だと思っている」
一応は正論であるので、ビッグマウスにはならない。
勝つつもりもなくマウンドに立つなど、あってはいけないことなのだから。
実際は五回ぐらいまで投げれば、それで十分というピッチャーが増えているのだが。
休日に移動が出来たので、試合当日には調整がしっかりと出来る。
先発の日にはノースローの状態から肩を作るピッチャーもいるが、直史は練習の時からある程度は投げておく。
もちろん全力ではなく、微調整が上手くできているかを確認するためだ。
ピッチングは各種回転運動と、そこから生み出される前後運動が肝である。
10球もゆるゆると投げておけば、今の自分の状態が、どうかぐらいは分かる。
重要なのはどれだけ、体力の消耗を防ぐか。
日本の湿度の高い夏ほどではないが、アメリカの大地も七月に入れば充分に暑い。
アリゾナやフロリダなどは、50℃を超えることすらあるのだとか。
岩砂漠のある国はやはり違う。アメリカは広いのだ。
そんな中ではボストンは、比較的動きやすい気候だ。
暑すぎることはないが、この季節では充分に暖かい。
今日は天気もいいので、気分よく投げることが出来る。
アメリカに来てからこっち、直史はまだひどい雨天には巡りあっていない。
どちらかというと直史は技術で勝負するので、少しでも足場などが悪いと、充分にポテンシャルを発揮出来ない。
またグラウンドボールピッチャーというのも、悪天候とは相性が悪い。
その意味でも今年、まだ本格的な雨天では投げてないことは、直史にとっては本当に幸運なのだ。
元々セイバーがアナハイムを直史に選ばせたのは、その降雨量も関係している。
冬場はそこそこ降るのだが、雪になるほど寒くはならないし、四月あたりからは滅多に雨も降らない。
安定した戦場でこそ本領を発揮する直史には、まさに適した本拠地であったのだ。
ボストンは通年でアナハイムよりやや気温は低いが、それだけにこの七月の暑さでの体力消費は少なくて済む。
もっとも日本の湿度の高い夏と比べれば、どちらもずっと過ごしやすい方なのだが。
同じア・リーグとはいえボストンとはこれが今季初対決となる。
直史としては聞いてはいたが、ボストンの本拠地球場の変な形に、どうにも違和感が拭えない。
右打者に引っ張られたら、簡単にスタンドに届きそうだ。
左打者が流し打ちしても、フライアウトがフェンスに当たってヒットになるだろう。
実際に打者有利の球場ではある。
直史がこの球場で投げるのは、ボストンとポストシーズンで当たらない限りは、この三連戦の最初の試合のみ。
ただそういったものとは全く別に、感情的にこのスタジアムには嫌悪感さえ感じる。
街中に建設された球場は、確かに拡張の余地はなく、それでいて古典的で味はある。
だが直史の持つ、日本式の均整の取れた球場に感じる、美的感覚がどうしても受け付けない。
「まあおまんなら、上手くやれるがよ」
坂本はそう言うが、これは気分の問題である。
ちなみに直史が一番好きなアメリカの球場は、トロールスタジアムだ。
これだけ打者有利の条件であっても、いまだに上杉は無失点記録を続けている。
おそらく60には到達し、MLB新記録を狙えるのではないか。
ただそのためには、勝っている状態でマウンドに登らなければいけない。
連続セーブ記録の更新は、おそらく難しい。
なぜなら上杉はこの一年のレンタル契約だからだ。
どういう方針でいくべきか、と直史は考える。
だがその計算のノイズになるのが、この球場の歪さ。
外野のファールゾーンも狭いため、普通ならキャッチアウトの打球でも、ファールで済んでしまう。
計算の要素を普段とは、違うものにしなければいけないのだ。
ただ、まず考えなければいけないのは、試合に勝つということ。
変な記録にこだわる必要はないし、なんなら完投をしなくてもいい。
もっとも直史が完投することは、リリーフ陣への負担を格段に減らすことになる。
シーズンを通して勝つことは、直史が完投勝利にこだわることと、目的としては反していない。
またこのカードから、マクヘイルがロースターに復帰している。
ただしリリーフとして。先発はまだ不足している。
アナハイムが勝てると計算しているピッチャーは、直史の他にスターンバックとヴィエラの二人。
マクダイスは貯金なしでも五分五分程度に投げてくれたらよし。
ウォルソンは本来リリーフで、オープナーとして使っている。それほど負けは先行しない。
マクヘイルに代わって上がってきたレナードは、まだメジャーに慣れているところだが、とりあえず初勝利は上げた。
あと一人ぐらいは、そこそこ計算出来るピッチャーがほしい。
もっともそれを考えるのは、GMたちフロントの仕事だ。
一回の表は無得点に終わり、そしてボストンの攻撃となる。
直史は改めてマウンドに立って、観客で満席のスタンドを眺める。
ボストンのスタジアムは街中にあって、その収容数はあまり多くない。
それでも今年はほぼ満員なのは、上手くすれば上杉のピッチングが見れるからだ。
この試合はそれに加えて、直史の先発も事前に発表されていたからだが。
マウンドから、坂本のミットが近くに見える。
こういう時はだいたい、調子がいい時なのだ。
メンタルの状態を、常に保つにはどうすればいいのか。
それは直史も分かっていない。
また調子がいいからと言って、ピッチングの成績につながるとも限らない。
調子に乗ってストレートで押して、タイミングが合ってしまってホームラン。
直史はそこまで考えて、ピッチングを組み立てるのだ。
左の先頭打者がどういうバッティングをしてくるかで、その日の作戦はある程度読める。
直史の今日の課題は、どれだけ省エネピッチングが出来るか。
球数もそうであるが、指先の感覚などもしっかりと確かめておきたい。
そして試合に勝つために必要なのは、失点をしないこと。
今年のボストンは九回にリードしていれば、100%その試合は勝利している。
ただし故障者も出ていて、やや打線は弱くなっている。
(たっぷりとリードして上杉さんの出番を作らない)
そう考えて投げた直史の初球は、ツーシームであった。
アウトローのボールがコーナーぎりぎりに入って、審判のコールはストライク。
バッターは驚いた顔をしているが、映像などで確認するのと、実際に対戦するのは違う。
あのコースでしっかりとコントロールが出来るのか。
ピッチングの基本はアウトローで、直史もそれを無視しているわけではない。
基本はちゃんと守った上で、あとはどうバッターと駆け引きをするのか。
駆け引きの中にはアウトローを一度も投げず、インハイだけで勝負するというものもある。
二球目はスライダーをインローに投げると、外に視線を向けていたバッターは、内のスライダーに目が付いていかなかった。
これはぎりぎりボールかなというコースなのだが、審判の判定はストライク。
おおよそ審判のクセも把握はしているが、審判もまた人間なのだ、毎日完全にゾーンが決まっているわけではない。
追い込んだのだから、ここからは三振を狙っていってもいい。
だが慎重な直史は、スルーを投げた。
サード正面のゴロで、まずはワンナウト。
ボストンの作戦は、今のところ見えてこない。
主力に故障者が出たボストンであるが、それでもまだポストシーズンを完全に諦めるかどうかは微妙なところだ。
その試金石の一つとして、アナハイムとの試合を考えていた。
ボストンにとって大事なのは、第一に同じリーグの同じ地区のチームに勝つこと。
だから今年は七試合あるアナハイムとの試合では、負けてもそれほどの影響はない。
全くないわけではないし、勝つにこしたことはないのだが。
しかしこの三連戦の最初の試合は、さすがに勝つのは難しいと思っていた。
単純にアナハイムのピッチャーが強すぎる。
デビュー戦からここまで、15連勝という記録。
一応MLBでは21世紀になってからも、20連勝という記録は存在する。
だが最高は24連勝であり、これは大戦前に記録されたものだ。
デビュー戦からいきなりパーフェクトなどをする非常識なピッチャーは、前の試合でようやく失点したが、自責点ではない。
131イニング連続無失点という記録は、MLBのそれまでの記録を倍ほどにもしたものだ。
一点を取られてもノーヒッターというのは、本当にいったいなんなのか。
上杉に聞いたところ、日本でもそんな感じであったらしい。
一応その上杉は、攻略法でこそないがこれをしたら駄目だという作戦は告げていた。
早打ちで球数を減らすことを、直史は狙っている。
だが下手に見逃していっても、ストライクを稼いでくるだけ。
結局日本のプロ野球球団では、攻略することは出来なかった。
シーズンオフのエキシビションでも、さすがにわずかに体が緩んでいたとは言え、ワールドチャンピオンとなったメトロズをパーフェクトに抑え込んだ。
油断しすぎだと笑っていられたのは、いつまでだったろうか。
MLBに移籍してくると聞いて、ボストンも動いてはいたのだ。
しかしNPBでの実績が二年しかなかったため、二の足を踏んだ球団は多い。
ハイスクールやカレッジ、そしてWBCでの活躍なども、ちゃんと含めた上での話だ。
NPBと比べても、MLBは必要な体力が違いすぎる。
だがそういった言い訳は、全てMLBの方が、NPBよりも上だと思いたい言い訳でしかなかった。
三イニングを終えてパーフェクトピッチ。
ただこれは直史にとっては、いつものことである。
相手チームの打線は、どうしても一巡目は見に来ようという傾向がある。
それこそ直史の狙い通りなのだが、だからといって早打ちをしてきても、別に簡単な球を投げてくるわけでもない。
直史としてはどうするのが一番いいかは、自分のことだけに一番よく分かっている。
狙い球を絞った上での一発狙い。
だから味方が安全な点を取ってくれるまでは、一発だけはないピッチングをする。
おかしな話であるが、ホームランを一発打たれても大丈夫という状況になると、そういった球もコンビネーションの中で使っていける。
するとどんどんと、ホームランもヒットも打てなくなってくる。
直史を打つことに必要なのは、バッターの努力だけでは足りない。
ピッチャーと守備も必死になって、アナハイムの打線を封じなければいけないのだ。
すると直史はヒットの可能性は高くても、ホームランの可能性は低い組み立てをしてくる。
そういった状況ならわずかだが、ヒットが打てる可能性は高くなるのだ。
直史はまた今日も、大量点ではないものの、先制の援護点をもらえた。
それが二点差になったので、ランナーなしの状況からなら、ホームランの可能性はあっても、ピッチングの幅を広げることが出来る。
ただし二点差になるまでに、内野安打が一つ発生している。
なので今日は幸いにも、ノーヒットノーランまでは消滅している。
対戦するのにパーフェクトをされる可能性を心配しなくてはいけないピッチャーとは、いったいなんなのだろうか。
それにパーフェクトがなくなったとなると、アナハイムの守備陣の動きも軽快になる。
ピッチャーがパーフェクトやノーヒットである間は、どうしても守備も固くなりがちだ。
だがヒットを打たれてしまえば、そこからは普通に守っていけばよくなる。
終盤に入ってさらに点差がつくと、今度は色々と試していく。
直史はレギュラーシーズンの終盤からポストシーズンにかけて、より体力を削る展開になると考えている。
そしてそろそろ、自分を過小評価することはやめた。
ポストシーズンに確実に勝つためには、自分が万全の状態であるべきだ。
ただそのために、リリーフ陣に負担を分けるのも躊躇われる。
必要なのはやはり、体力を温存しての勝利。
中でも完投が重要となる。
七回が終わったところで、点差は3-0となっていた。
満塁ホームランを打たれたら逆転という点差は、まだ油断していいものではない。
だが高めの真っ直ぐを少しだけ使うと、一気に奪三振が増えてくる。
ホップ成分は自分でも、ボールに指がかかった感覚で、ある程度は分かるものだ。
それと各種の沈む球に、左右の打者の懐に食い込む球。
球数は充分に制限できていて、肉体的にも精神的にも疲労はない。
二本目のヒットはふらふらとファーストの頭を越えたもので、長打になることはなかった。
だがそれでもゴロではなく、フライになった。
本来なら三振を狙う、詰まらせる予定のストレートだったのだが。
思ったよりも指先が疲労しているのか。
あるいは疲労というものではなく、わずかな皮膚感覚の麻痺なのか。
その原因があるとしたら、MLBのボールである。
日本のNPBのみならず、硬式野球で使われているボールよりも、滑りやすく重い。
NPBのボールを知るピッチャーの多くが、日本のボールに変えろと言っているのが、MLBで使うボールなど、巨大な利権の塊だ。
もっともこのあたりはNPBでも今は公式球が一つとなり、独占禁止法に違反している可能性は極めて高い。
WBCの短い日程などでは感じなかったが、毎日これを使い続けて、シーズンも半分ほど終わってくると、影響は出てくるものだ。
野球選手ではなく弁護士としての立場を考えると、どうして選手会がこのボールの取り扱いを、MLB側に変更するよう求めないのかが分からない。
一応は同じ選手でも、NPBのボールを使われると、ピッチャーが有利になると考える者もいるのだろう。
しかし実際にはピッチャーはこのボールの影響で、間違いなく故障しやすくなっている。
それにあまり滑ったりすると、コントロールが乱れてバッターに当たることも多くなるだろう。
こんなボールを使わせることで、ピッチャーの負担を大きくしているMLBは、すぐにもメーカーを変えるか、せめて品質を変えるべきである。
もっともそれは直史が、ピッチャーだから言えることだ。
八回が終わる。
ここまで直史はヒットを二本打たれたが、それ以外はエラーもフォアボールもなく無失点。
そして球数も85球と、充分にマダックスのペースである。
点差は3-0のままだが、ここから逆転できるとは、ボストンも思っていなかっただろう。
だが直史はマウンドからも、ボストン側のブルペンを見ていた。
上杉が肩を作り始めていた。
一点差ではない。三点差だ。
いくら上杉が完璧なピッチングをしても、ピッチングでは点は取れないのだ。
威嚇だろうな、と直史は流していた。
少しでも直史のコントロールを狂わせようと、様々な手段が取られてきた。
その中でこれは、相当に効果的だとは思う。
点差が一点であったら、現実的な脅威となっていただろう。
だが三点。
直史は八回の裏も、三者凡退で抑えた。
そしてベンチでのんびりとしていたのだが、そこでボストンのピッチャーが交代する。
上杉が、クローザーの上杉が、三点差で負けている場面で出てきたのだ。
「なんで?」
わずかにそう思った直史であるが、一応説明はつかないわけではない。
この試合にはもう影響しないが、ボストンとはあと二試合残っているのだ。
直史によってほぼ完全に抑えられたこの試合、明日の試合にまでその空気を引きずらせるわけにはいかない。
上杉のピッチングで、空気を変えるつもりなのだ。
あるいはそれによって、九回の裏にボストン打線が奮起する可能性もある。
もちろん直史は奮起させようが投げる球は変わらない。
ただこの負け試合でも、上杉をアナハイムに見せる。
勝利にはつながらないだろうが、意味はあるのだ。
上杉は九回の表、大声援を受けながら、アナハイムを三者三振で抑えた。
バットに当たったことは当たったが、完全に前に飛ばない。
球速は105マイル出ているのだから、それはもう他と比べることなど出来ないだろう。
試合自体は負けるが、いいピッチングを見れたと思っていたボストンの観客も、これには大喜びだ。
そして九回の裏、逆転か、あるいは同点を目指して、ボストンの最後の攻撃が始まる。
ただ勢いなどでは、どうにも出来ないのが直史である。
前のめりになってくるボストン打線を、むしろその勢いを利用するかのように、チェンジアップやカーブ、シンカーなどの遅い球でしとめる。
そしてそういったボールに、アッパースイングで対応して来ようとすれば、高めに外れたストレートも生きるというものだ。
内野ゴロ一つと、三振が二つ。
上杉が変えようとした流れを、完全に直史は断ち切った。
3-0にてアナハイムは第一戦を勝利。
直史は九回を95球11奪三振で、マダックス勝利をしたのだ。
ただアナハイムも分かってはいる。
上杉の力を、ほんのわずかだが実際に見た。
二戦目と三戦目、九回に突入して負けていたら、もう逆転の可能性はない。
(八イニングしか攻撃の機会がないと考えるもんか)
上杉なりのプレッシャーのかけ方には、感心するしかない直史であった。
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