第24話 ストッパー
マスコミもそろそろ、直史が相手を完封するのには慣れてきた。
パーフェクト一回にノーノー二回と、何か基準がおかしいのは分かってきたのだ。
だが二回目のパーフェクトを、同じシーズンにしたことで、さすがにおかしいと結論付けた。
佐藤直史は人間ではない。
薬物疑惑は全く浮かばなかった。直史の肉体的能力は、超人ぞろいのメジャーリーガーの中では、さほど優れているわけでないことは確かだったからだ。
ただ集中力の高さから、普通に覚醒系の薬物疑惑は残ったが。
もちろんおしっこに変な反応は出なかった。
試合後のインタビューで直史は、普段とは少し違う論調で語った。
「若くて才能に溢れたバッターがそろっていた。なのでどうにか長打だけは避けたいと思った」
ただ勝つだけでは駄目だったのだ。
「前の二試合が荒れた試合になっていたから、ロースコアに持ち込む必要があった。それに同じ地区ということも考えれば、今年だけならず先のことも考えて、苦手意識を植え付けたかった」
もっともMLBであれば、選手の移動は頻繁に行われるが。
「今日の試合では、パーフェクトを狙っていたと?」
「そういうわけではないが、配球を見てもらえば、いつもとは違う意図が分かってもらえると思う」
もちろん配球を見ても、直史の意図などそうそう分かるはずもない。
それでも、後から見ればそうだったのか、と気付く。
そういうピッチングをしなければ、パーフェクトなど出来るはずもない。
なお坂本は、もっとざっくりと考えていた。
オークランドの打線の爆発は、その一つ前のカード、テキサスとの対戦から始まっていた。
チームの止められない勢いというのが、野球というスポーツではあるものなのだ。
それが坂本の知る野球というスポーツであったが、直史にはその常識というか、大前提を覆している気がする。
川の急流の中に、突然に出現した巨大なダム。
坂本が直史のピッチングに抱くのは、そういったイメージだ。
そしてそのイメージは間違っていない。
それほど分かりにくい記録でもないが、今年のアナハイムは特別に強いため、ここまで二連敗が三回だけで、三連敗以上をしていない。
そしてそのうちの二回の連敗を、三連敗になるのを止めたのが、直史である。
今回はオークランドとの対決であったが、前回はテキサスとの対決。
シーズン序盤で四連勝した後に連敗したのだが、そこで三連敗目を防いだのが直史だ。
直史のピッチングの特徴は、冷徹さ、安定、不動。
相手がどれだけ嵩にかかって攻めてきても、それを止めてしまえる力を持っている。
それは先発としてよりはむしろ、クローザーとしての才能かもしれない。
ワールドカップでは12イニングをパーフェクトに抑えたのが、直史の国際大会での最初の記録だ。
ただ常識的に考えれば、打たせて取るタイプのピッチャーは、本来はリリーフには向かない。
なぜならリリーフはランナーがいるピンチの火消しをすることもあるため、ランナーが進塁するかもしれない打たせて取るスタイルよりも、確実にアウトを取る奪三振能力が求められるからだ。
もっとも直史の、押し出しはまず考えなくてもいい制球力の高さも、それはそれでクローザーとして魅力的な条件なのだが。
直史はストッパーと呼ばれる。
かつてはクローザーのことを、そう呼んでいたのだ。今でもある程度は通じる。
やっていることは完全に先発完投型の、昭和のエース。
しかし相手の流れなどを完全に封じてしまうのは、守護神と呼ばれたクローザーに相応しいもの。
味方の打線が沈黙しても、延々と相手を封じ続ける。
こういった絶対的なピッチャーは、ポストシーズンの短期決戦になると、価値が急激に高まる。
むしろレギュラーシーズンは、ポストシーズンまでの調整とさえ言えるかもしれない。
「ヒューストン、崩れないなあ」
オークランドの次に当たったのはヒューストン。
今季二度目のカードである。
前回はせっかく、直史がノーヒットノーランでボコボコにしておいたのに、このカードでは投げないと分かっているからか、伸び伸びとプレイしている。
二戦目と三戦目は、またブルペンに移動してみようかな、と地味に嫌がらせを考える。
精神的なプレッシャーを与えることは、重要なことであるのだ。
マクダイス、レナード、ウォルソンと本来ならリリーフが本職だったり、ローテを回すための先発だったり、マイナーから上がったばかりのピッチャーが先発ということも厳しい。
アナハイム打線は貧打というわけではない。なにしろ今季完封負けを食らったこともない。
ただ二桁得点もないのだ。九点までは取った試合は何とかあるのだが。
先発が悪くても、それ以上の爆発力で試合に勝ってしまう。
それもまた、野球の勝ち方の一つだ。
ただ今日のヒューストンは、エースのスノーマンがほぼ無双している。
散発二安打で六回までを投げて、まだ球数が90球に到達していない。
アナハイムの先発マクダイスは五回までを投げて三失点で降板。
そしてスノーマンは結局、七回までを無失点で抑えた。
残り二イニングで三点差、そしてヒューストンはそれなりに勝ちパターンのリリーフはそろえてある。
これはこの試合は落とすな、と判断出来る。
プロは最終的に勝率で上回ればいい。
特にアナハイムは現在、ナ・リーグまでを含めても、勝率は二位なのだ。
その一位がメトロズというところが問題ではあるが。
完封負けはさすがに辛いな、と思ったところで八回に一点を獲得。
二点差になれば逆転の目もあるかと思われたが、打線は下位に回って、ヒューストンのクローザーを攻略できない。
1-3と敗北してしまったのであった。
なおアナハイムが今シーズン、一点しか取れなかった試合はこれで四度目。
だがその内容は二勝二敗。
勝った試合が1-0であるのは、単純に直史が一点もやらなかったからであった。
第二戦もレナードは頑張ったのだが、失点に得点が追いつかなかった。
六回を三失点とクオリティスタートではあったのだが、最終的には3-5で敗北。
これでヒューストン相手には連敗である。
かなり勝率に差はあるとは言え、同じ地区の優勝を争う同士。
この先も考えれば、三連敗は避けたいところだ。
ローテの弱いところとはいえ、相手は一応まだ地区の対抗馬のヒューストン。
だからといって直史を、ここで使うほどの非常識さはない。
アメリカの野球に関しては、特にレギュラーシーズンも中盤頃までは、選手の管理が重要となる。
特にピッチャーはこの時期に、無理をさせるメリットはない。
「終盤に勝ってたら投げた方がいいかな?」
「いや、さすがにそれは」
若林は止めるが、直史も本気ではない。
ただこの試合はアナハイムも、リリーフ陣を継いで戦うという目論見であった。
バッターがしっかりと打って、終盤にまでリードを保つ。
先発で投げたウォルソンが、三回までとはいえ無失点で抑えたのが大きかった。
リードした展開であると、こちらも勝ちパターンのリリーフが使える。
4-3とわずか一点差ながら、アナハイムはスイープをどうにか回避。
ただこれで、全体勝率一位のメトロズとの差は、またも開いたのであった。
MLBの試合のカードは、実際のところ移動などの選手の疲労を考えると、かなり偏ったものとなる。
たとえば同じリーグ同地区のヒューストンと、五月の終盤まで対戦がなかったこと。
そしてついこの間対戦したオークランドと、またも三連戦を行うということである。
オークランドはパーフェクトを食らったチームに相応しく、あの試合からずっと連敗が続いている。
勢いだけで勝っていたチームには珍しくない、勢いを失った結果だ。
(逆にあのまま勢いづいたら、どこまで勝ってたんだろうな)
直史は試合の流れや勢いが、ないとは言わない。
高校野球の中でも甲子園などは、一試合ごとに強くなる、というのが高校生にはあったものだ。
ただ直史自身は、そういった急激なレベルアップを感じたことはない。
若いうちはそういうことがある。
ただ限界以上の力を出せば、そこで故障してしまうことがある。
直史自身も練習では、154km/hまでMAXは投げられるが、最近の試合では150km/hを投げることすら数球しかない。
パワーを出すリミッターは、確かに外れることもあるのだろう。
だがコントロールを高める集中力は、なんらかのルーティンぐらいしか思いつかない。
あとはメンタルの安定が求められる。
オークランドは勝っていた間も、それなりに投手陣が失点していた。
そこで打線が働くなくなると、もう勝てる展開がなくなる。
第一戦はスターンバックが七回までを無失点で投げて、完封リレー。
第二戦もヴィエラが、余裕を残して六回を一失点。
そして第三戦は、直史の先発ローテである。
この間パーフェクトをやられたばかりのピッチャーと、また対戦しなければいけない。
なんと偏ったカードかと、直史も思わないではない。
だが純粋に公平性を考えると、逆に移動などの負荷が偏ってしまう。
そのあたりも考えて、それでも出来るだけ偏らないよう、コンピューターで考えているはずなのだ。
若さは蛮勇につながる。
あれだけ完全に封じられても、直史を相手に戦意をまだ持てるバッターはいるらしい。
確かにどんな勝負で、どれだけ実力差があっても、挑む気持ちを持ってさえいれば、勝率は0にはならない。
だから完膚なきまでに、徹底的に折ってしまうのがいいのだ。
魂にまで、もう勝てないと刻み付けること。
それでも新しい対戦相手は、どんどんと現れてくるのだが。
初回からあっさりとツーアウトを取った直史であるが、三番バッターは三振すると、そのバットがすっぽ抜けて飛んできた。
マウンドの直史を直撃するなどということはなく、あくまでも足元に転がっただけであったが。
本気ではない。まだただの威嚇だろう。
だがアナハイム側のベンチや守備陣が、一瞬不穏な空気になったのは確かだ。
ここまでやるか、と直史は考える。
やるのだろう。ハングリーであれば。
そして倫理観がなければ。
直史は基本的には、保守的な思考であるがゆえに、法道徳はしっかりと守る。
試合中にバットがすっぽ抜けて、転がることはおかしくはない。
足元のバットを拾うと、鋭く睨みつけるバッターが拾いにきたのに、無表情のまま返す。
一触即発というほどでもなく、普通にそのまま別れた。
わずかに殺伐とした空気にはなったが、まだ乱闘に発展するほどではない。
ベンチに戻ってきても、アナハイム側は敵意を増している。
オークランドのベンチもそれに呼応したのか、わずかに戦意を取り戻している。
方法は無茶苦茶だが士気を戻そうとした点で、なんとかしようという気持ちになっているのは分かる。
実際にぶつけたわけでもなし、怒るほどのことではない。
「落ち着け」
だから直史としては、味方を宥める方に回る。
「こちらを挑発してでも、向こうの落ち込んだ空気をどうにかしようとしているんだ。下手に相手をするな」
嫌がらせを受けたピッチャーが、一番落ち着いている。
そうは言われてもやられた方も、ただ黙っているわけにはいかない。
だがそうやって力むことが、オークランドにとっては狙いだったのか。
一回の裏はアナハイムの攻撃も、三者凡退でスタートとなる。
試合の中で仕返しをするという手段が、微妙に空回りしている。
やる気があるのと、怒りに取り付かれているのは違う。
しかし打席に立つわけではない直史としては、どうもバッターの感覚が分からなくなっている。
DH制は確かにピッチングに専念出来る。
バント攻勢もだが塁に出て走らなければいけないのも、ピッチャーとしては出来るだけ避けたいのだ。
本質的にはピッチャーも、一人のバッターなのだとは思っている。
ただせっかくのルールを使わないというのも、それはそれでおかしな話なのだ。
二回にもバットのすっぽ抜けはあった。
だが今度はファースト方向に、明らかにピッチャーを狙ったものではないと分かる。
まさかこうやって、ピッチャーの集中力を削ごうというのか。
確かにこんなイレギュラーなことが、何度も起これば集中力は乱されるかもしれないが。
ここまで露骨なのは日本ではなかったな、と考える直史である。
オークランドは球場周りの治安が悪いことで有名だが、それでもそんな空気と選手は関係がない。
そのはずなのだがどうしても、オークランド全体への偏見につながる。
チームカラーとしては若手を中心とした、まだまだ未成熟なチーム。
なのでその若さが暴走するということもあるということか。
バットを飛ばした選手と、ファーストのシュタイナーが、わずかに言葉をかわす。
シュタイナーはレジェンド手前というぐらいの実績のある選手だが、それでもこのプレイには怒りが湧いたのか。
ただこういった野球のプレイ以外でのかき乱し方は、直史としては本意ではない。
さっさと点を取って、さっさと完封して、さっさと家に帰りたいものだ。
アナハイムが一点だが、先に先制する。
しかしその次の攻撃、オークランドはまたもバットを飛ばしてきた。
ピッチャーの足元の、大怪我はしないようなところ。
審判としても注意はしても、退場までは命じないぐらいのところだ。
これもまた神経戦の一つか、と直史はむしろ感心する。
MLBは確かに野球発祥の地であり、その理論の最先端である。
だが同時にその原始的な、野蛮な精神も失っていない。
ただまあ、こんなことをしているようでは、まだまだオークランドは脅威ではないな、と直史は思ったりする。
なんなら報復にデッドボールをぶつけても、問題にはならないのだろうが。
もちろん直史は、無駄にランナーを出そうなどとは思わない。
そういった無駄な行為は、合理的に排除していくのだ。
だがそれでも、苛立たしいことは違いない。
それが直史の、ピッチングの攻撃性に表れる。
内角攻めだ。
MLBでは内角のストライクゾーンが狭く、やはりアウトローのコースがピッチングの基本である。
だが直史は内角のストライクゾーンから、ボールにまで外れていく球で、上手くカウントを取っていく。
そちらが先にやってきたのだから、やり返されても文句はないな。
直史が平和主義者であるが、非武装論者でもない。
殴られたら殴り返すし、あるいは先に殴られないようにもする。
ただそういったピッチングは、あまり直史には合っていないのも確かだったろう。
内角のボール球は、充分に回避出来る程度のもの。
だがあえて避けることなく、その球をプロテクターで弾く。
デッドボールでランナーが出た。
そして直史のパーフェクトが途切れる。
初めてのランナーを出した直史へ、坂本が歩み寄る。
「誘っとったがか」
「よけられたよな」
坂本は頷く。
MLBのアンリトンルールの中に、デッドボールを投げても謝らない、というものがあったりする。
これは謝るということは、故意に当てたことを認めるからだ、などという超解釈がアメリカでは成り立つらしい。
ただそれも近年ではあまりなく、試合中ではなく試合後は、普通に謝ったりもする。
これは日本人選手の影響が大きいとも言われる。
直史としてはわざと当たるコースに投げたが、避けようと思えば避けられたとも思うのだ。
それを避けずにプロテクターで弾いているあたり、なんともせこいなとは思う。
しかし当たるコースを選択して投げたのは直史なので、それには文句を言うこともない。
ただこれでランナーが出たというのは、純粋に一つの失敗ではある。
フォアボールから崩れるピッチャーはいる。
だが直史は意識してボール球を振らせることに失敗した以外には、まずフォアボールを出すことがない。
デッドボールにしても、コントロールが甘くなって当てたわけではない。
なので次のバッターでダブルプレイを取れば、それで問題はないのだ。
そう思ったところ、イレギュラーで野手はボールを止めるのが精一杯、結局ランナー一二塁になったりもするのだが。
一応今のはエラーである。
ただイレギュラーからのエラーなので、セカンドはボールを前に落として、ランナーが一気に三塁まで進まないようにしてくれただけありがたい。
しかしノーアウト一二塁は、これまで直史が経験してきた中で、最も大きなピンチであるかもしれない。
「う~ん」
ピッチャーの崩れる原因、あるいは好投手が一点を取られる原因。
それはエラー、フォアボール、一発などが考えられる。
(ここはランナーを三塁に進めてでも、ダブルプレイでアウトを増やしたいが)
(三振は狙わんちゅうがか)
球数を増やしてでも、三振を狙うべきか。
確かにリードが一点のこの場面、ダブルプレイでツーアウトにしても、ランナーを三塁には進めたくない。
ただ三振を狙うというなら、球数が増えていく。
味方の援護がどうなるかで、ここでの選択は重要なものになる。
一点差で勝っているというのが、微妙な判断材料なのだ。
これが同点であったり、もっと点差があるなら、色々と考えられ部分は他にもあるのだが。
直史は結局、ツーシームを左バッターに対して投げた。
これを打った打球は、ショート正面へのゴロ。
ダブルプレイが取れるかといったところであったが、難しい場面になる。
セカンドランナーが打球を隠してしまったのだ。
ショートはトンネルこそしないが、打球をファンブル。
どうにか投げようとしたところで、セカンドもファーストもそれを止めた。
ノーアウト満塁である。
デッドボール、エラー、エラーでノーアウト満塁。
なんだか今日はおかしな試合だと直史は思うが、そもそもの原因は自分にもある。
執拗に内角攻めなどしなければ、この事態には陥っていないのだ。
(自業自得というか、原因は常に自分にもあるわけだ)
ノーアウト満塁ならば、内野ゴロを打たせればホームでフォースアウトも取れる。
内野が集まっている中、直史はあまり縛りを入れすぎないようにする。
バッターの様子を見て、ゴロを打たせるか三振を狙うか、それを決めればいい。
それに点が入ってしまっても、三塁ランナーの進塁した原因がエラーである以上、自責点にはならないはずだ。
ただ純粋に、この試合で同点に追いつかれるのが、問題と言えば問題であるが。
「追いつかれても、また点を取ってくれるだろ?」
直史の言葉に、頷くアナハイムの守備陣。
さすがにこれで直史が点を取られて、そのまままた勝ち越せないのなら、打線として情けなさ過ぎる。
直史は頷いてバッターと対する。
ノーアウト満塁などという状況になったのは、いったいいつ以来か。
しかもそれがエラー絡みではなく、自分のデッドボールから始まっている。
(恥ずかしいなあ)
そう思った次の瞬間には、目の前のバッターだけに集中する。
守備陣には言わなかったが、ここは三振を狙っていく。
そこからならばホームフォースアウトや、ダブルプレイという選択肢が広がる。
渡米以来の最大のピンチだが、これぐらいは普通にあるはずのことだ。
直史はいつも通りに、セットポジションで構えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます