第21話 メンタルコントロール

 パーフェクトを完全に、ターナーの暴走で逃した直史。

 最初から完全にターナーに任せていれば、それはそれでキャッチしてもらえたかもしれない。

 だがあの小フライは直史が取るべきであったろうし、ちゃんと自分で取るとも伝えていた。

 ちなみに九回ツーアウトまでパーフェクトでありながら、味方のエラーでパーフェクトを逃すというのも、MLBでは初めて。

 ツーアウトから死球を当ててしまった例などは、そこそこあるのだが。


 試合後のインタビューでは直史は常に穏やかに話していたが、言葉の中身はそこそこ辛辣である。

「ターナーがこれまでにチームに対してどれだけ貢献してきたか、今日の時点の彼の打率、打点、ホームラン、出塁率にOPS、それを知ってなおエラーを責めるなら、私ももう少し話を聞くが」

 これに黙ってしまうあたり、アメリカのマスコミも程度の低い者はそれなりにいる。

 実のところは直史のやっていることがスポーツマスコミの範囲にとどまらないため、畑違いの記者がやってきていたりする。

 つまり自業自得ではないが、自分自身が原因ではある。


 やっとインタビューが終わって一息つけるかと思うと、若林がやや深刻な顔で迫ってくる。

「佐藤さん、あれはまずいよ」

「どれが?」

「日本語のドンマイと英語のドンマイはニュアンスが違うんだ」

 直史がターナーへかけた言葉のことである。


「アメリカでも気にするなという意味はあるんだが、特別に期待してないとか、やっても構わないとか、そんな感じの捉え方になったりするんだよ」

「……そういえばそんなことを聞いたような聞かなかったような」

 和製英語の弊害である。

 おかげでターナーが落ち込んでいるそうな。子供か。

「英語ではこんな時に何が適切なんだ?」

「このタイミングだと……ネヴァーマインドかな?」

「じゃあ24歳の坊やを慰めに行こうか」

 やや辛辣な言い方をしながらも、表情は変わらない直史である。


 ちなみに直史がわざわざ訂正しに行ったことで、ターナーのメンタルは立ち直ったらしい。

 またインタビューの場での、発言も人づてに聞いたそうな。

 そんなこんなでここからターナーは、直史の先発する試合では、やたらと粘り強いチームバッティングをするようになる。

 直史は言わなかったが、この試合の時点でのターナーの、打率や打点、ホームラン数やOPSなどは、実は丸ごと知らなかった。

 世の中には知らせないほうが、美しくなる話もあるのだ。




 ヒューストンとの三連戦は、第一戦でポカをしたターナーが、結局は3ホーマーの10打点と大暴れをして、スイープで勝利した。

 エラーをした時にそれを、責めることは誰にでも出来る。

 だが極端に言ってしまえば、キャッチャーのパスボールでさえも、そんなところに投げたピッチャーの責任なのだ。

 文句があるなら三振を取ってからにしろ。

 直史はこう言えるぐらいに、人格が出来ていると言うよりは、ノーヒットノーランやパーフェクトをすることに慣れている。

 勝つために必要なことは、味方に文句をつけることではなく、フォローして援護してもらうことだ。


 第一戦でひどいことをした直史は、さすがに第二戦ではしなかったものの、第三戦ではブルペンに乗り込んだ。

 ここまでずっと先発として投げてきた直史が、もちろんリリーフで投げるわけはない。

 それは分かっていたはずなのだが、追撃していたヒューストンはこれで動揺した。

 キャッチボールぐらいはし始めた直史である。


 第一戦で完全に封じられた悪夢を、打線陣は思い出してしまったのか。

 おかげであと一点足らず、5-4で敗北。

 ターナーも得点で頑張ったが、この直史の嫌がらせは素晴らしすぎた。

 非常にインテリジェンスに溢れたプレイだと、なぜか絶賛されたりもした。


 優勝を争うのではと思われていた、ヒューストンを相手に三連勝。

 それも完全に直史相手には、打てないと思い知らされての完敗がきつかった。

 実際のところあの試合、直史はあまり何を考えていたか憶えていない。

 とりあえず前のバッターを、打ち取ることだけを考えていた気がする。

 集中力というのは、そういうものなのかもしれない。

 最後には自分の肉体を、どれだけ思い通りに動かすか。

 そして思い通りのボールを投げることが、ピッチャーとしては楽しいことなのだ。


 この三連勝の勢いを、次のデトロイト戦にまで持ち続ける。

 二連勝したところで、五月の試合は終了。

 三戦目を終えたら次は、敵地ピッツバーグでの試合となる。




 たった一人のプレイヤーが、どれだけ全体の勝敗に影響を与えるか。

 野球においては一つの試合に限れば、先発ピッチャーの貢献度が一番高いと言われる。

 だが現在のプロ野球では中六日、MLBでも中五日がほぼ主流だ。

 一試合あたりの貢献度は高くても、投げる試合が少ないので、相対的には野手の方が高くなる。

 だが実際のところ直史一人の存在は、チーム全体の好循環をもたらしていると言っていい。


 チームとしても五月が終わった時点で、40勝13敗。

 メトロズを抜いて勝率は両リーグを合わせてもトップである。

 これに調子をよくしたオーナーのモートンは、さらに打撃力を強化するトレードを考えたらしいが、さすがにGMのブルーノが止めた。

 レギュラーシーズンでいくら調子がよくても、ポストシーズンを戦うのはピッチャーの整備が必要なのだ。


 もっとも現在はマイナー落ちしたマクヘイルが、AAAでリリーフとして無双している。

 完全にリリーフとして覚醒しているので、もうしばらくしたら上がってくるのだろう。

 これまで五人では回らないときに、リリーフ陣から先発に入るのが多かったウォルソンが、とりあえずは五枚目として働くらしい。

 そしてマイナーからメジャーのロースターに上がってきたピッチャーが一人。

 ただしこれは結果が残せなければ、またすぐにマイナーに送り返されるだろう。

 MLBのそのあたりのドライさは、本当に驚くべきものだ。


 マイナーでは無双していたピッチャーが、メジャーでは全く通用しない。

 そういうことはよくあることだ。

 NPBにしても、残していた成績は同じようなものなのに、MLBでは全く通用しない者がいる。

 こちらはボールの違いというものもあるが、合う合わないというのは必ずあるのだ。




 六月初日、対デトロイトの三戦目。

 佐藤直史の先発に、当然のごとくアナハイムのスタジアムは埋まった。

 デトロイトのベンチは試合の前からげんなりとしているが、これほどのデバフ要員は、他にはいないだろう。

 大介もバッティングで頑張っているし、上杉もセーブ失敗がない状態が続いているが、一人の選手にフォーカスを当てた場合、現時点では直史が一番センセーショナルだ。


 毎試合出る野手や、いつ出番があるか分からないクローザーより、その商品価値は高い。

 希少性というものが自然と高まっているからだ。

 大介にしても全ての試合で、ホームランを打てるわけではない。

 だが直史は全ての試合で、何かをやらかすか、やらかす寸前まで行ってしまう。


 デトロイトとの試合も、相手は強くもないが弱くもないのだが、やはり観客は直史を見に来る。

 ヒューストンとの試合を一試合ずらしたことで、直史はホームでの試合が多くなった。

 これで観客の落とす金も、アナハイムの球団にとっては、貴重な収入源となる。

 もちろん現場としては、無茶なオーナー命令は聞かないものだが。

 この間のヒューストン線は、ずれるのが一日だけだからやれたこと。

 直史もちゃんと、調整をしていったのだ。

 日本でも中四日はやってみたが、MLBの中四日はあまりにも休みが少なすぎる。

 ただ先発の駒不足から、そういったことをやるチームはある。


 この日の直史も、いつも通りに投げていた。

 奪三振が続くような、派手なピッチングではない。

 それでも内野ゴロを打たせて、いざとなれば三振も奪いにいく。

 打者一巡の三イニングまでは、簡単にランナーを出さずに片付けることが出来る。


 他のMLBの試合とは、明らかに楽しみ方が違う。

 分業制の今、お気に入りのピッチャーが投げても、おおよそは六回から七回まで。

 そこからリリーフでつないでいくことが、もう完全に一般的になっている。

 直史のように打たせて取るピッチャーは、いてもこれほど精密ではない。

 それにグラウンドボールピッチャーは三振を奪う能力も微妙で、特に内野の守備力に、その成績は依存してしまう。


 今日もどれだけ続くのか、と観客は期待する。

 だがそんな期待は無視して、直史は球数を数えている。

(今日はいいペースだ)

 90球ほどで試合を終わらせることが出来るか。

 そんなことを考えていたら、ショートの深いところで打球が飛ぶ。

 外野にまで抜けることはなかったが、そこから一塁に送球しても間に合わない。


 四回のワンナウトを取ったところで、直史の本日のノーヒットピッチングは途切れた。

 エラーじゃないのかという声も客席からは上がったが、あれはどう見ても内野安打だ。

 そこから後続を断つことで、直史はまだ無失点記録を更新している。

 93イニング連続無失点記録。

 これがどこまで続くのか、もはやアメリカ全土の注目となっている。


 ランナーが出ればそこから、色々とやることが出来る。

 たとえばMLBでは絶えて久しい送りバントなど。

 ランナーを二塁に進めることすら、直史相手では難しい。

 ただこの場合は三番バッターなので、さすがに送りバントはない。

 しかしそれとは別に、バントヒットなどは充分にありうる。

 もっともここで目指すのは、やはり打つことだ。

 打球は浮かんでショートフライ。

 なかなか進塁打にもならない。


 四番を内野ゴロにしとめて、結局は無失点。

 もっともこの試合は、アナハイム側もまだ得点がない。




 直史が投げる試合で勝つのは、果たしてどうするべきなのか。

 一度きりのトーナメントならばともかく、何試合も続けるレギュラーシーズンならば、それを試すことは出来る。

 だが結局メジャーリーガーの意地が、これまでそれをさせてこなかったのだろう。

 だがデトロイトの攻撃は、六回からついにそれをやってきた。


 バッターボックスに入って、そこからバントの構えをする。

 ランナーはいない。バントヒット狙い。

 あるいはバスターなども考えられるか。

「ついにやってきたか」

 日本の高校野球なら、確かにやってきてもおかしくない。

 実際に上杉などは、高校時代にやられていたそうだ

 もっとも上杉ほどのスピードがあれば、バントさえもまともにするのは難しい。

 

 直史のスピードであれば、バットに当てること自体は、それほど難しくないと判断したのか。

 だがこれはこれでありがたい。

 バッターがホームランの一発を、完全に捨てたことになるからだ。

(まあ上位打線なら、また話は変わってくるのかもな)

 やってくる確率は低いと思っていたが、一応は想定していた。


 こんなことをやってくること自体は、それほど驚くべきことではない。

 ただこれが成功してしまうと、他のチームもなりふり構わず、直史相手にはやってくるかもしれない。

 だからここはじっくりと、確実に潰さなければいけない。

(それと問題なのは、バスターをやってきた時だよな)

 ベンチからのサインが出る。

 投げられてから前進するのは、ファーストとサード。

 下手にチャージして直史に、打球が直撃する確率を上げるわけにはいかない。


 ここでストレートを投げるとしたら、インハイかアウトローへ、当てるのが難しい球を投げる。

 MLBにはバントはないと思っている日本人もいるかもしれないが、実際には巧みにバントヒットをしてくるバッターはいる。

 だがそういう選手であっても、隙を突いてやってくることの方が多い。

 こうやって最初からバントの構えをするのは、一つには直史にダッシュをさせるためであろうし、もう一つはとにかくプレッシャーを与えたいのだろう。


 直史はアウトローのギリギリに、ストレートを投げた。

 もしもバントで当ててきても、おそらくはファールになるであろうというコース。

 そこでバットを引いたので、まずはストライクカウント。

 チャージしていたファーストとサードは浅めの位置に戻る。


 二球目はインローへとやや落ちるシンカー。

 これを当ててきたが、ボールは三塁線を切れていく。

 ファールとなってストライクカウントが増える。


 ツーストライクとなってからは、さすがに普通に打ってくるように構える。

 だがここで意表を突いてバントヒット狙いというのが、充分に考えられる話だ。

 直史はここで、自分からサインを出す。

 確かにここでしっかりと、バント攻勢は通用しないと、思い知らせておくべきか。

 坂本はそう考えたが、直史としてはバントヒット狙いは、さすがにクリーンナップは出来ないだろうと思っている。

 下位打線ででもやってくれたら、いちいち走る内野の二人は大変だが、簡単にストライクカウントは取れるし、ホームランは絶対に打てない。

 バントでもホームランなどというのは、ホ-ナーだけで充分なのだ。


 投げたボールは真ん中あたりのボール。

 だがこれに対してバッターは、バットを寝かせてきた。

 しかしボールは真ん中から、外に逃げていくスライダー。

 打っても上手く飛ばせないと、バットを引く。


 さほど大きく変化したわけでもないスライダーは、アウトローのゾーン内に決まった。

 フレーミングをするでもなく、普通にぎりぎりのコースでストライク。

 見逃し三振で、バント戦法を破綻させた。




 バントヒットの構えは、それから後も何度かやってきた。

 だが最初から狙うような、そんな露骨なものではない。

 実際に転がされたこともあったが、これは汚名返上とばかりに、チャージしたサードのターナーが処理した。

 そしてさすがにクリーンナップはバントヒット狙いはしてこない。


 どちらの方の戦法が、直史から点を取る確率が高いのか。

 おそらくそれは分かっているはずなのだ。

 直史の日本時代のスコアを見れば、明らかに一発狙いをするべきだ。

 しかしそれでもこういったことをやってくるのは、一種の嫌がらせという面が大きい。


 点を取る前の段階の揺さぶり。

 だがそういった揺さぶりには、めっぽう強いのが直史である。

 そしてアナハイム打線が先に点を取ることで、デトロイトも悠長なことはしていられなくなっていった。

 その後も内野の頭を抜けるポテンヒットはあったものの、結局は得点にまでは結びつかない。

 直史が淡々とアウトを積み重ねている間に、アナハイムも少しずつ援護点を重ねていく。


 九回の表のマウンドに、直史は立つ。

 結局あのバント戦法は、わずかながら効果はあったのだ。

 早打ちをしなかったことにより、直史はやや投げる球数は増えた。

 それでも単純に、球数を増やしたと喜ぶべきではない。

 バントをされるかと考えていたときの直史は、威力のあるストレートは控えていたからだ。


 ラストバッターでまずワンナウトを取り、そこから上位打線に回る。

 パーフェクトもノーヒットノーランもマダックスも成立しないが、直史は機械的に投げる。

 内野ゴロを打たせて、ファーストでアウトにする。

 そのコントロールはわざと何度かバントを処理させても、全く衰えることはなかった。


 結局のところこれは、精神戦であったのだろう。

 ならば直史が、負けるはずはない。

 実際にこの試合は直史が完投したこれまでの試合の中で、一番球数が多いものとなった。

 それでも結局はフォアボールを与えることなく、ヒット二本で封じてしまったわけだが。


 4-0の完封で、アナハイムの勝利。

 直史はこれで早くも11勝目。

 このペースで投げていけば、シーズン30勝も現実的になる。

 もう半世紀以上も、この30勝投手は出てきていない。

 現実的に考えれば、今の継投のシステムだと、そんなことは不可能だと分析される。

 だが継投を必要としないピッチャーなら、その可能性はあるということだ。

 あくまでも机上の空論だが、それを実現してしまうのが直史だ。




 試合後、敗戦したデトロイトのFMにも、インタビューはされる。

 バント戦法というのは、いくらなんでも消極的すぎるのでは、とおいう質問は当然ながら発せられた。

 それに対する回答も、最初から用意されていたものだった。

「我々は何があっても失点を許さない、奇跡のピッチャーと対戦した。もちろん彼が日本時代、偶発的なホームランで失点していることは知っていた。だが本当の意味で勝つためには、まずヒットを重ねて一点を取ることが必要だと考えた」

 苦々しい顔をしているが、それでも断固とした決意に満ちた顔であった。


 直史のコントロールの正確さは、誰も疑う余地のないものである。

 それを少しでも崩すには、バント処理をさせて足腰の疲労を誘うか、あるいはメンタルの動揺を狙うのが効果的と考えた。

 なのでバントをするのを見せたのは、間違いではないのだ。

「ただ彼は単に技術だけではなく、精神的にもとてもタフなピッチャーだった。それが分かっただけでも、今日の敗戦には意味があると思う」

 あるいはこれから、他のチームもこういったことを試してくるかもしれない。

 今更ではあるが、今までは他のチームは、直史を舐めすぎていた。

 去年の大介に、打たれまくってようやく敬遠が増えたように。


 九回29人に投げて111球完封勝利。

 前の試合に引き続いて、球数がやや多くなっていた。

 その点を指摘された直史は、簡単に答えた。

「バントを仕掛けられた時は、少し力を抜いて投げていた。球数だけを見るのではなく、総合的に疲労度は判断して欲しい」

 なお奪三振は今季最少の、合計七つ。

 ハーラーダービーの先頭を、直史は走り続けている。



×××



 ※ バントでホームラン

 ファミコン時代の某野球ゲームソフトには、そんな無茶な仕様があったのですよ。

 もちろん特定のあるバッターのみでしたが。

 ただこれは有名であっても、同じチームのとあるピッチャーは、コンピューターには絶対に打てない球を投げることは、あまり有名でないかもしれない。

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