第13話 至高の記録

 直史の記録には色々とおかしなところがある。あるいはほとんどがおかしい。

 低すぎる防御率、低すぎるWHIPなど、それらは比較的にも分かりやすいものだ。

 だが数字の大好きなMLBが、どうしても入力の手を止めて、二度見三度見してしまうところがある。

 それはBB関連の値だ。


 正確にはそこから出てくる、K/BBというものだ。

 セイバーにおいてピッチャーの能力を測るのに、重要な数字の一つである。

 Kと言うのは言わずと知れた奪三振であり、BBというのは与四球である。

 つまりこれは一つフォアボールを出している間に、どれだけ三振を奪えているかというものだ。


 極端な話をしてしまうと、フェアグラウンドに飛んだ打球がヒットになるかアウトになるかは、ピッチャーだけの責任ではなく、守備力が関係する。

 また球場によって、ヒットが出やすいか出にくいかというものもある、

 ただピッチャーの明確な責任と言えるのが、ホームラン、奪三振、フォアボールの三要素である。

 正確にはここに、キャッチャーのフレーミング技術なども含まれるのだろうが、フレーミングが可能な程度に投げるということもピッチャーの能力だろう。

 ホームランはいくら野手の守備力が高くても、グラブが届かなければ意味がない。

 奪三振とフォアボールも、ピッチャーの純粋な力と言える。

 もっとも三振に取ったはずが、キャッチャーが後逸して試合に負けるなどということもある。

 直史はそれに対しては全く恨んでもないし悔しくもないが、そういう例外もあることはある。


 とにかく限りなく、ピッチャの実力の分かりやすいのが、K/BBである。

 一般的にこれが2を超えていると、好投手の条件となる。

 優秀な投手は3.5を超えていて、だいたい4を超えているピッチャーは、ベンチからも計算の出来るピッチャーとなる。

 そんなわけで、直史のK/BBの値はどうなっているのか。

 答えは、算出不可というものだ。


 なぜならこの数字を出すためには、前提条件が二つあるからだ。

 一つは、三振を奪っていること。

 もう一つは、フォアボールを出していること。

 直史はMLBの四試合で、49個の三振を奪った。

 だがフォアボールのランナーを出していない。

 つまり前提となる数字がない。

 よってこの数値を出せないのである。


 混乱したMLB関係者は、日本時代の直史の記録を詳しく調べて、発狂しそうになった。

 一年目はポストシーズンはともかく、レギュラーシーズンは一つのフォアボールもなし。

 そして二年目はようやく、三つのフォアボールが存在する。

 もっとも瑞希は良く分かっていることだが、そのフォアボールはあの事件の後の試合で、調整も不充分で精神的にも動揺していたのだが。

 レギュラーシーズン二年間で、三つのフォアボール。

 それに対して奪った三振の数は、640個。

 するとK/BBは213.33となる。


 優秀なピッチャーは3.5を超えていて、4以上であると勝利を計算出来る。

 213というのはどう評価すればいいのか。

 おそらく機械に投げさせても、これほどの数字にはならない。

 一億円以上するような、自動で調整の働く機械なら、話は別だろうが。

 そしてあくまでもこれは、日本における話。

 NPBよりもレベルが高いはずのMLBで、49個の三振を奪いながら、まだフォアボールを与えていないのだ。


 オープン戦での記録は、一応フォアボールは出している。

 だがオープン戦での記録は、あくまでも調整期間の記録。

 これを公式の記録とするわけにはいかない。当たり前のことである。

 しかしどうしてこんなことが出来るのか。

 フォアボールの存在しないピッチング。

 試合の記録を見ても、初球をボール球から入ることは少ない。

 まずファーストストライクを入れるのは、ピッチャーにとって重要なことだ。


 そう思って見ていたら、いきなりボール球ばかり投げるシチュエーションが出てくる。

 ただ重要なのは、そのボール球をしっかりと振らせていること。

 直史がファーストストライクを取ってくると、それまでのピッチングから判断した途端に、外れるように変化していくボールで、空振りかファールを奪っている。

 スコアではやや分かりにくい。

 だが直史は結局のところ、初球でストライクカウントを取りに来るのだ。

 バッターの気配を察知して、それをゾーンに投げて取るか、ボール球を振らせて取るかが変わる。


 このあたりの直感的な判断は、坂本のリードが実は多い。

 直史と樋口のコンビであれば、初球はゾーンに投げて、それでファールを打たせる。

 だが坂本の考えは、パワーに優れたMLBのバッターなら、打たせてファールのつもりが、強引に引っ張ったりすることもある。

 なのである程度はボール球から入るし、相手の狙いが見えれば、ひたすらボール球を続ける。

 一球もゾーンに投げることなく、三振を奪ったこともある。

 つくづく相手を翻弄することに長けている。




 フォアボールを出さないピッチャー。

 それはある意味、三振を奪えるピッチャーや、ひたすらWHIPが低いピッチャーよりも魅力的である。

 もっとも直史は、その両者も兼ね備えているが。

 とにかく点を取られず、球数を増やさず、ローテを守ってくれる。

 そんな直史の投げる第五戦は、テキサスが相手となる。

 以前はアナハイムに敵を迎えての対決であったが、今度は敵地での登板となる。

 投げるのは三連戦の初戦。

 ただし移動に一日がかけられるため、移動したその日に投げる、という事態は避けられる。


 ここからまた遠征で、直史は投げることになる。

 しかもここで少し、ローテーションが変わったのだ。

 本来ならば中六日で投げるところだったが、直史の球数などを見て、首脳陣は判断する。

 ここで一度、直史を中四日で使おうと。


 これが直前の話であれば、調整が出来ない、として直史も突っぱねただろう。

 だが話が出たのは、この遠征に入る前。

 調整できるかどうかは、直史も試しておきたいことではあった。

 ここは休みが一日入るため、中五日とはならないのだ。

 よって余裕のピッチングを見せる直史に、そんな声がかかったわけだ。


 直史はとても嫌そうな顔をしながら「出来る」と言った。

 アメリカでは日本人の「出来ません」は「出来る」という意味だというジョークがあるが、直史は付け加えながらも頷いたのだ。

「今までのような精度のピッチングを求めてもらっては困る」

 そもそも次のテキサスとの試合が、移動してから第一戦を投げることになる。

 これまでとは違う手順を踏んだ、相手のアウェイでの先発登板。

 今までよりはやりにくいだろうな、とは思っている。


 結局直史は承諾した。

 前後の日程を考えて、大丈夫だろうと判断したのだ。

 大丈夫でなければ、それは起用法を変えた首脳陣の責任だ。

 失敗すれば失敗したなりに、次への経験の蓄積とすればいいのだ。




 テキサス・レイダースとのカードは今季二度目。

 前回はアナハイムでのゲームであったが、敵地でありながら満員の観客に埋まっている。

 なぜにここまで、と思ったりもするが、スタジアムの収容人数が、やや少なめというのもあるだろう。

 そして何より、直史自身が集客力に買っている。


 ほぼ四万人しか入らないというグローバルライフスタジアムは、どの席も埋まっている。

 だが直史はそこで、まずは練習時間に見たのと、今のスタジアムの印象を、頭の中で刷り合わせる。

 センターは深いのであるが、左右の両翼は狭い。

 かなり歪な形だなと、日本人としては思わざるをえない。

 このアメリカの球場の多くが持つ、左右非対称であることに対する気持ち悪さ。

 日本の建築美術などは、アンシンメトリーなものも多いのではあるが。


 午前中の運動で、体の状態は確認してある。

 柔軟にストレッチは済ませて、キャッチボールもした。

 おそらくメカニックでおかしなところはない。

 あとはメンタルに何かおかしなところがないか。

 実際の試合で投げてみなければ、分からないところはある。

 四万人の観衆の前で、普段どおりに投げればいい。


 母数となるデータがまだまだ少ないのだが、直史はホームで投げた方が成績がいい。

 超すげー成績と、超マジすげー成績ぐらいの差ではあるが。

 ただ厄介なのは、一回の最初の投球で、バッターがアレクであるということ。

 味方としてはありがたかったものだが、敵となって一番バッターで出てくると、本当にうんざりする。この間もヒットを打たれているし。


 それでもベンチの中では、直史に注意が向いているのが分かる。

 直史はその中で、試合に集中する。

 一回の表に味方が点を取ってくれれば、とても投げやすくなるのだがとは思ったが、なかなかそう上手い話はない。

 ランナーは出ても得点にはいたらず、いよいよアナハイムの守備である。




 アレクには前の試合でもヒットを打たれている。

 そして試合での映像を見る限り、けっこう無茶なコースのボールでも、ホームランにしてしまったりする。

 アレクにあって、大介にはないもの。

 それは手足の長さだ。


 大介は自分に当たるような球であっても、バットを盾にファールにしてしまうことが出来る。

 また内角に食い込むようなコースを、しっかりと回転運動で飛ばす。

 アレクのヒットで多いのは、外角の球をちょこんと当てて、内野の頭を軽く越えるといったもの。

 ボール球であっても、そのあたりは上手く打ってしまう。


 その手足の長さから、内角は外角よりも、苦手に思えるかもしれない。

 だが腕を上手く畳んで、姿勢を崩しながらでも、体軸をしっかりとして打つことが出来る。

 一応数字の上では、内角の方が外角よりもマシと言える。

 ただ内角であろうと外角であろうと、狙ったボールはきちんと長打にしていく。

 そして塁に出たら走るため、厄介なバッターなのだ。


 その初球に直史は、ツーシームを選んだ。

 左打者のアレクにとっては、外に逃げていく球。

 最悪でもレフト前の単打で済ませる。

 ただ狙い打ちをしてきたら、長打になる可能性もある。

 坂本のサインに対して、わずかに悩んだのはそこだ。

 アレクは直感で打つことがある。

 この初球にどう対応してくるのか。


 投げたボールを、バットは追いかける。

 やや姿勢を崩しながらも、しっかりとしたフルスイング。

 ただ直史も想定より、さらに一個外に外している。

 これを長打に出来るものか。


 打球は遠く、外野の頭を越えていく。

 だがスピンがかかって、ポールの左へ切れていく。

 飛距離はあったが、完全なファール。

 やはり狙われていたか、と直史としては珍しくもホッとする。

 それを顔に出したりはしないが。


 この一球で決められなかったアレクは、外野フライでワンナウト。

 三球でしとめたわけだが、それでも肝を冷やさせる要素はあった。

 そもそも外野フライというのは、あまり良くないと直史は思っている。

 内野フライに比べれば、野手の追いつかない場所が多いのだから。

(まだまだMLBで稼ぐんだろうな)

 高校時代から口にしていた、アレクのアメリカンドリームへの夢。

(ここもまた途中か?)

 たぶんアレクにも、まだセイバーは声をかけているのだろうが。


 一回の裏は三人でチェンジ。

 無難なスタートを切った直史である。




 直史がアレクを警戒するのとは、逆方向の感情もある。

 アレクは直史のことを、畏怖している。

 基本的にアレクはブラジル人であり、まず最初にフィジカルで選別されている。

 はっきり言って元々肉体的に優れていた人間を育てる方が、技術でフィジカルをカバーするより簡単なのだ。

 フィジカルを持っていて、そこからさらに技術を学ぶ。

 これが一般的な考え方だ。


 日本はどうしても、柔よく剛を制すという言葉が好きで、昔から小男が大男に勝つという話が多い。

 確かに達人であれば、そういうことも可能なのかもしれない。だが世の中の多くの人間は、体格差を覆すほどの素養を持ってはいない。

 小柄な方が有利な競技もないではないが、一般的にどんなスポーツであり、大きい方が小さい方より強い。

 ただしハイペリオンを除く。

 あとは大介も、奇跡のような存在だ。


 ただアレクは大介の肉体、特に瞬発力が、鬼のようにえぐいことを知っている。

 基本的に質量と、スピードが結果的にパワーとなる。

 質量が、つまりは体重が軽い場合は、瞬発力でスピードを増やさない限り、パワーで上回ることは出来ない。

 大介は反射神経も凄いが、とにかく凄いのは一瞬のパワーと、そこから一気に最大出力に持っていく早さだ。

 正確に計測して、あの体格で50m走で6秒を切る。

 あと10cmほども身長があれば、陸上競技からもたくさんの声がかかっただろう。


 直史には、そういう瞬発力がない。

 もちろん優れてはいるが、超人ではない。

 ただし打ちづらさという点では、MLBでも高校時代の直史を上回る人間はいないと思う。

 起動が早く、そしてトップを作ってからリリースが早く、またそのタイミングを時折外してくる。

 ラテンの音楽に合わせてタイミングを取るアレクにとっても、打ちにくいのは間違いないのだ。


 テキサスは今年、ポストシーズンに進むには、はっきり言って微妙な戦力である。

 開幕してからここまでのおよそ一ヶ月、諦めるほどではないが、確実にコンテンダーとして勝負していくほどではない。

 それでもアナハイムが、直史一人の加入で、ここまで強くならなければ、話は分からなかった。

 先発一人でここまでチームが激変するなど、21世紀の戦力均衡を目指したMLBにとっては、悪夢のような存在だろう。

 去年は大介が降臨して、今年は直史が襲来した。

 そして上杉が封じ続けている。

 MLB史上、最も日本人選手が活躍した一年となるだろう。




 試合はアナハイムが中盤に入って、ようやく先制した。

 当たり前のように、直史は0で封じ続けている。

 ただ二打席目のアレクに、10球も粘られたのは痛かった。

 こうなってはある程度打たせて、もっと球数を減らさなければいけない。

 もっともほどほどに打たせるとなると、どうしてもヒットは出てしまう。


 ランナーが塁に出ても、ダブルプレイで殺せないものか。

 そう狙ってもなかなか、早いカウントからは打ってこない。

 そしてMLBらしくもなく、進塁打を打ってくる。

 もちろん塁にランナーが出ることは少ないし、上手く進塁出来るとも限らない。

 だが一点を取ることを、そして直史を苦しめることを、必死で考えていることは分かる。


 これに困ったのは、アナハイムのベンチである。

 直史の次の登板は、中四日でのミルウォーキー戦を予定している。

 そこで投げるためにも、この試合はしっかり100球前後で上がってもらわないと困る。

 100球以内で完投してもらおうなどという思考がおかしいことに、気がついていなかったのか。

 どうやら直史に毒されている。


 おそらく八回には、球数は100球に達する。

 ただアナハイムも二点を取っているので、普通にリリーフでつないでいったらいい条件だ。

 もっとも直史としては、相手が待球策をやってきた時から、球数を減らすことはある程度諦めたが、肩肘の消耗がたまらないようには考えている。

 球速のMAXは150km/hは出さない。

 カーブとチェンジアップを使って、上手く緩急差を使う。

 これによって150km/hのボールでも、155km/h程度には見えるだろう。

 あとは変化球を使えば、ジャストミートを食らう確率は少ない。


 四打席目のアレクとの対決で、危うく内野安打にされそうだったが、ショートが強肩でアウトにしてくれた。

「サンキュー」

 これで八回を上手く抑えれば、九回のテキサスは、さほど強力ではない打順からの攻撃となる。

 完投記録が途切れるのはともかく、もう少し点差が大きければ、クローザーのピアースではなく、他のピッチャーで試合を〆ることが出来ただろうに。

 そのあたり本当に直史は、打線の援護に恵まれていない。


 


 八回までを完封し、ヒット四本の無四球というピッチング。

 球数は101球となったので、ここで交代。

 中四日ということを考えるなら、90球で交代でも良かった。

 アナハイムにはクローザーのピアース以外にも、セットアッパーのルークは確実性のあるピッチャーだ。

 ただリリーフの消耗を考えると、直史があっさりと封じてくれるのに期待してしまった。

 選手に期待しすぎては、首脳陣失格である。

 点差は2-0で、ブルペンでピアースがしっかりと準備を初めている。

 今季はまだセーブ失敗のない、アナハイムの守護神。

 もっとも最近はクローザーでもない直史が、なぜか守護神扱いされているが。


 ここから追いつかれて逆転でもされたら嫌だなあと直史は思う。

 勝ち星は直史のインセンティブとは関係ないが、自分の投げた試合で負けるのが嫌なのだ。

 そういえば大学時代も、大丈夫と思って交代したら、リリーフのピッチャーが打たれて逆転負けしたことがあったか。

 他のピッチャーにも登板経験を積ませたいというのは分かるが、たったの56球でパーフェクトの状態から降ろされた。

 今更あの記録を持ち出して、辺見を叩いているネットの住民がいたりする。


 だが今日は事情が違う。

 むしろ七回で終わりでも、直史としては当然だと思った。

 ピアースはしっかりと準備をして、そして最終回のマウンドに登る。

 既にマダックスもなくなっていた直史は、特に記録にこだわることもない。

 ただアレクはやはり厄介だったな、と思うのみだ。


 劇的な逆転などは発生しなかった。

 ピアースは内野の間を抜けるヒットを一本打たれたが、そのランナーが二塁を踏むこともない。

 見事に完封リレーで、アナハイムは勝利。

 そして直史は、勝ち星を5と伸ばす。

 四月は五登板五先発五勝0敗の四完封。

 ピッチャー・オブ・ザ・マンスに選ばれることは、誰がどう考えても間違いなかった。

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