第14話 絶対にマネをしないでください
ある記者が直史に尋ねた。どうやったら貴方のようなピッチャーになれるのかと。
直史は少し考えたが、別に隠すでもなく答えた。
「どうやったらと言うよりは、欠けていたからこそこうなった」
このあたりはデリケートな問題である。
直史と同じような過程で鍛えれば、直史のようになれるのか。
絶対に無理である。
そもそも人間は、他人になることは出来ないし、なる必要もない。
ただそれでも直史は、質問の本質自体は理解している。
「私のやった練習や、その環境について説明することは簡単だが、普通は途中で故障するだろうし、アメリカでは指導者がやらせないと思う」
アメリカ人から見ると日本の野球、特に高校野球は、頭がおかしいとか異常だとかそういうものではなく、明白な人権侵害であるらしい。
そんなものを他人が勝手に外野から決めるな、と日本の旧来の野球人は思う。
だが理性的にスポーツの立ち位置を考えるものは、日本の若手指導者でも賛意を示す。
アメリカ人は中には、こんなもの外野とかどうとかではなく、人間の人権として当たり前のものだと言う。
日本の旧来の指導者でも、その主張を理解する者はいる。
直史としては、立場は明確である。
「やりたいやつはやればいい。ただし指導者は故障のリスクを理解し説明するように」
基本的には客観的な事実を認識するのに長けた直史であるが、彼の想像力にも限界はある。
中学時代も高校時代も、そして最も軍隊的なはずの大学時代も、自分の環境はいい意味で特殊だった。
大学に関しては、周りに合わせたのではなく、強引に周りに合わさせたという例があるが。
直史は基本的に頭がよく、合理性と効率性の塊のような人間であるが、だからこそ精神論を理解出来ない。
表層的には理解できるが、当たり前の話だが納得はしないし共感もしない。
ただ甲子園という象徴が存在するため、日本の野球は特に、高校時代がおかしくなっているのは分かる。
だからこそ白富東が全国制覇を四連覇したことは、本当に意義のあることなのだ。
もちろんそれ以前から、大阪光陰も白富東ほどではないが、かなり最新のロジスティックで野球をしていた。
それでも日本の高校野球の限界、というものがあったとは言える。
白富東以外で、大介や直史が成功しただろうか?
おそらくではなく状況的に考えて当然に、潰れていたことは間違いない。
直史のその基礎にあるのは、スポーツではない。
珍しくも母親の勧めで始めた、ピアノである。
指先の繊細なタッチと、その柔らかさ。
これはおそらくここに、根本的な技術の基がある。
そこから武史のやっていた水泳、妹たちのやっていたバレエ。これを我流ながら自分なりに取り入れた。
そして中学に入ってからは、とにかく正しい位置に投げることを繰り返した。
正しい場所に投げなければ、ファーストが取ってくれるとは限らない。
それが中学時代のレベルであったのだ。
ストライクに投げられる選手がピッチャーをして、そのボールを後逸しない者がキャッチャーをする。
そしてそれほど優先度が高くないはずのファーストを、悪送球をしっかりと取るために、重要なポジションとしていた。
劣悪な環境だからこそ、生まれるものはある。
これを逆に、劣悪な環境でないと、本物は生まれないなどと勘違いしたら困るが。
直史はキャッチャーの重要度や負担を減らすために、構えたところにしっかりと投げられるようになった。
たとえコースなどより緩急差が重要なカーブなどでも、曲げた後に、ちゃんとキャッチャーのミットに入るか。
それが上手く出来なければ、キャッチャーが変化球を追いかけて、結局は後逸してしまう。
あまりに曲げすぎるとそれでも追いかけてしまうので、制限した変化球しか投げられなかったが。
100発100中で狙ったところに、狙ったボールを投げられる。
そのために必要なのは、とにかくフォームを固めること。
ダッシュなどもやったがそれよりは、とにかくマウンドに立ち続けるのだ。
庭に盛り土をして角材でプレートとし、石垣にめがけて投げ続ける。
一球あたりが全力投球ではなかったが、とにかく出来るまで投げる。
フォームを崩すことなく、とにかく投げる。
「それは故障しませんか?」
「一応もう一つコツがある」
左手でも投げる、ということだ。
投球動作は極めて歪なアンシンメトリーな力の流れである。
投げるために特化した体は、バランスよく鍛えなおす。
これによって全ての力を、スピードに込めることは出来なくなる。
だがバランス感覚が良くなって、より少ない力でより質のいい球を投げられるようになる。
「スピードが出るようになるわけではないと?」
「う~ん、スピード信仰、フィジカル信仰は確かに間違っているわけではないですが」
スピードは遅いより速い方がいいし、フィジカルも優れていた方がいい。
「ただ私の場合は下手に筋肉をつけすぎると、逆に動きにキレがなくなりそうで。今はこれで結果が出ているのだから、結果が出なくなるまでは変えないと思いますね」
このあたりの考えを、保守的と言うべきだろうか。
変革することを恐れるな、常識を疑え、などと世間では言う。
その観点からすると、直史は完全に常識から外れている。
自分の真似はしてはいけないと、しっかりと説明もする。
ただそれでも、アホはいる。
論理性に欠けた人間だ。
「メジャーリーガーとしては子供や若年層にとって害になるようなトレーニングは、発信しない方がいいのではないか」
知らんがな、である。
そう思うなら直史に取材をした人間に言うべきだろう。
直史は記者に対してのみ言っただけで、自分でSNSなどで広めたわけではない。
自分の練習は特別だと最初に言ってある。
もしもその部分を省いて発表されているなら、それはマスコミの失態であろう。
取材されたからそれに答えた、というだけの話だ。
日本でもそうだがアメリカでも、頓珍漢な人間は一定数いるものだ。
さて直史が今季初めての完投を逃したテキサスとのカードは、どうにか完封負けを防いだということで、それほど相手の打線も崩壊しなかったようだ。
ただそれでも二勝一敗と、アナハイムは勝ち越した。
その中で直史が思うのは、実はこれまた大介と同じことである。
うちのチームはピッチャーが弱いな、ということだ。
リリーフ陣はそれなりにいい。
実際に数値を見れば、メトロズよりも優れている。
だが先発が弱い。
スターンバック、直史、ヴィエラと三人は勝利を計算出来るピッチャーであるが、マクダイスとマクヘイルの二人は、ほとんどイニングを食うだけで精一杯。
それでもなんとか七回までを投げれば、リリーフの二人はかなり安定している。
ただ普通に六回、あるいは五回までで炎上する試合もある。
その時に二イニングを投げるピッチャーが、少し弱い。
最悪、自分が中四日で投げるべきか、と直史は考えたりもする。
ただそれをするなら、せいぜい五月までが精一杯。
夏場にそれをやっていると、体力を大きく消耗してしまうだろう。
もっとも日本の高校球児は、炎天下の夏の大会でプレイさせるため、そこからプロになっている選手はおおよそ、本来は暑さに強い。
甲子園はアメリカ人にとっては、未成年者の虐待に見えるらしいが。
あながち否定できないな、と直史はそこは認める。
ただ甲子園というのは、そんな過酷な環境での、サバイバルも含めた大会と考えれば自然である。
移動移動のMLBはブラック労働かと思わなくもないが、特殊な職業なので仕方がない。
そもそもそれが分かっていたから、直史はプロの世界に来なかったのだ。
もっともそれだけが理由ではないし、結局は来てしまっているのだが。
(夏場の中四日か)
去年レックスでやった限りでは、出来ないわけではなかった。
(言っておくだけ言っておくか?)
ただどのみちアナハイムは、リリーフ陣の強化は最優先事項になる。
セットアッパーもほぼ任せられるのはルーク一人で、あとはクローザーのピアース。
あとはそこまで安定感のあるピッチャーがいない。
点差が開いている時はいいが、接戦だと難しい。
かといって七回までを制限数内の球数で投げられるのは、直史しかいない。
(今の野球って、本当に分業制が当たり前だよなあ)
なので直史は普通ではない。
今のアナハイムの先発陣は、確実性の高い三人が、しっかりと六回までは投げる。
そしてそこからのリリーフは、ベンチの考える仕事である。
ただ直史は例外だが。
いや本当にもう、宇宙人扱いされたりサイボーグ扱いはされているが。
ちなみに最新のコンピューター制御の数億円もするマシンでもない限り、直史は機械よりも性能のいいピッチャーである。
現在のMLBのピッチャーの評価は、非常にややこしいものとなっている。
昭和終盤までのNPBのような丼勘定ではなく、全ては数字が物を言う。
またその数字を算出するにも、ヒットを打たれたにしても、それがどういう性質のものかが重要となる。
それに戦力均衡によって、優れた選手はちゃんと評価されやすくなると、それと対決するピッチャーも大変になる。
10勝や11勝しかしてなくても、内容がよければサイ・ヤング賞は取れる。
ただそれとは別に、ピッチャーのタイトルが存在するのも事実である。
アナハイムも基本的にはローテは五人で中五日で回し、中四日になりそうなところは、前の試合であまり投げていないピッチャーか、リリーフ陣を動員して埋める。
あくまで試合終盤で大差がついたときなどは、肩の強い野手に投げさせることもある。
基本的にはダブルヘッダーや急な故障で、ピッチャーを使い切ってしまったときのものだが。
NPBでこれをすると、相手に対して失礼だなどという話になるが、MLBでは実はそこは事情が違う。
MLBとNPBでは、ベンチに入れる選手の数が違う。
そしてNPBの場合は、ロースターの人数とベンチ入りの人数が違うのだ。
先発投手は完全に次の試合まで、出番もなくベンチにも入らない場合が多い。
対してMLBでは、基本的に26人でシーズンを戦っていく。
NPBではロースターは29人で、あがりと言われる前日に投げた先発や、翌日に投げる先発は、そもそもベンチに入れない。入れる場合もあるが。
だがMLBは故障でもしない限りは26人で戦う。
極端な話、ピッチャーを代走に使うかもしれないし、内野と外野を守れて、最低限のピッチングも出来る選手もいる。
実はアナハイムも、普通にロースター入りの選手が、故障で離脱していたりする。
なので現在のピッチャー不足は、そのあたりにも原因はあるのだ。
回復が早くマイナーで数試合を投げて調子がよければ、そのままメジャーで使っていけばいい。
ただ調整が間に合わなければ、やはり選手補強は必要だ。
そんな中で直史は、もうMLBでは珍しい、完封をやってくれる。
これがどれだけありがたいかは、おそらく実際の現場に入ってみないと分からない。
もちろんこれは評価の対象になる。とんでもない成績とは別の話として。
テキサスとのカードを勝ち越して終えたアナハイムは、次はナ・リーグのチームと対戦することになる。
アウェイが続くが中地区のミルウォーキーとの対戦だ。
今年のミルウォーキーとの対戦は、ここでの三試合のみ。
MLBはチームの区分けが日本と違い、リーグと地区で六つとなる。
すると年によっては、こういった一方的にホームやアウェイの試合も生まれるというものだ。
そしてこの三連戦の最後が、直史の登板。
中四日の登板である。
(それにしても、テキサスの次はミルウォーキーか)
日本でももちろん遠征は経験している直史だが、移動距離というよりは、気温や気候の変化に戸惑う。
セ・リーグは基本的に、緯度の変化はそれほどないからだ。
パ・リーグのチームと対戦する交流戦があったとしても、せいぜい福岡と札幌までの変化。
それをせいぜい一度するぐらいなのだ。
まだ疲労がたまっているとは思わない。
だがこの環境の変化、時差による消耗が、日本人プレイヤーでは通用しない人間がいたりする原因ではなかろうか。
実際のところ直史自身も、一年間続くかは微妙である。
先日の完投できなかった試合を思えば、あちらさんもどうにか体力を削ろうとしてくるだろう。
この作戦を相手が採用しないようにする手段は、一応考えてはいる。
球数が120球ほどになってでも、とにかく完投完封してしまうことだ。
すこしばかりのやせ我慢でも、直史相手には無駄とわかれば、待球策はなくなるかもしれない。
一応首脳陣に話してはみたが、通訳の若林も含めて、皆が呆れていた。
ようするに効果がないことをアピールして、相手の作戦を撤回させる。
我慢比べか。
直史はそういった我慢比べには強い。
15回をパーフェクトで投げて、翌日も投げられるほどには強い。
首脳陣も直史の言葉に、一分の理があることは分かった。
だが今回はまだ、検討中と言われてしまった。
実際に中四日での登板になるし、ミルウォーキーも同じような手を取ってくるとは限らない。
100球前後で完投してくれれば、そういったリスクを考えなくてもいいのだ。
「中四日……」
いちいち現代野球の常識を、50年以上も前にタイムスリップさせてくれる。
MLBのチームによっては現在、四人ローテの中四日で回しているチームもいるが、基本的にそれは90球までに球数を抑えている。
本当ならばそんなチームも、もう一人は先発のローテーションピッチャーがほしいのだろう。
アナハイムにしても今の先発に、満足しているというわけではない。
「だが今の時点で無理をして、壊してしまうわけにはいかないだろう」
FMのブライアンはそう現実的な判断をするが、そのあたり判断基準が直史に関しては、かなりおかしくなっている人間もいる。
「遠征での移動などにもよりますが、中四日は充分に検討の余地はあるかと」
信者であるオリバーの台詞は、少し割り引いて考えるブライアンである。
今のアナハイムは、普通に地区でトップを走っているのだ。
ヒューストンとの対決がまだ一度もないことは懸念材料だが、このままのペースで勝っていっても普通に優勝は出来る。
もちろん今の戦力のまま、ポストシーズンに入るつもりはない。
一言で言えば「まだ早い」というものだ。
ミルウォーキーとの第一戦は、先発がマクヘイル。
五回を三失点したが、制球が乱れてきてここで交代とする。
こういう時に勝利の勝ちパターンである、七回・八回・九回につなぐにはピッチャーが足りない。
かろうじてリードはしていたものの、六回で一気に逆転されて、そのまま試合は負ける。
ほどよく試合を捨てていくのも、長いシーズンを戦っていく中では仕方のないことだ。
そおの理屈は分かるが、それとは別に直史は、普通にミルウォーキーのバッターを見ていた。
ミルウォーキーは一応、去年は地区で二位となっている。
だがそれほど突出した成績ではなかったし、今年も戦力は流出し、補強はいまいちよくいっていない。
本来ならば去年までが、それなりにポストシーズンを勝ち進める戦力だったのだ。
だが主力数人に怪我が出ると、一気に計算が狂ってしまう。
直史や大介ほどではなくても、スーパープレイヤーは確実にいる。
その抜けた穴を埋めることは、決定的に難しい。
復帰してきそうなそれに合わせて戦力を整えるか、一度は解体してしまうか。
ミルウォーキーは後者を選んだようである。
とりあえず直史の目から見て、要注意というような選手はいない。
だが守備は鍛えられているし、足のある選手が多い。
そういう場合はゴロを打たせても、内野安打になることが多い。
あるいは強く打つことが出来れば、普通にヒットを打ててしまうか。
第二戦のスターンバックは、しっかりと投げた。
六回までを投げて一失点と、楽な点差で後ろにつないだ。
これでもう少し球数が減れば、七回までを任せられるのだが。
アナハイムのイニングイーターは、直史だけである。
そして第三戦。
遅くも早くもなく起きて、直史は調整をする。
柔軟とストレッチが習慣になってから、どれぐらいの時間が経過しただろう。
大学以降は瑞希にもつき合わせているが、肉体の柔軟性は別にアスリートに限らずとも、とても健康の面で重要なのだ。
(特に天気も狂いそうにないし、気温もちょうどいいか)
ミルウォーキーは巨大な湖の近辺の都市だけに、そこそこそれで気温などが調整される。
天気は晴れているが、ナイトゲームには特に関係もない。
ホテルで食事をする直史は、いつも通りの自分に、少しは安心していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます