第10話 Q.またかよ A.またです
ベアーズとの三連戦は、三試合目も勝利したが、これは直史がベアーズの打線陣をボコボコに叩きのめしたことが大きい。
MLBの歴史に残る大惨敗を食らったのだから、指揮官はどうにかこの雰囲気を払拭するべきなのだが、そう都合よくことは運ばないのである。
実際ここからベアーズは、スタメンを大きく入れ替えるまで、得点力が極めて低い状態に陥った。
一人のピッチャーがこれだけの影響を与える。
これは本当にピッチャーの仕事であるのか。
続いてアナハイムが対戦するのは、直史の後輩であるアレクの所属するテキサス・レイダース。
四連戦をアナハイムで行い、この四試合目に直史の先発が回ってくる。
今年のテキサスはほどほどの戦力と言える。
ポストシーズンに進出できるかどうか、確実と言えるほどの戦力はない。
元々戦力補強をして、毎年ポストシーズンを狙うというチームではないので、今年は再建期に近いと言える。
去年のア・リーグ西地区は、一強一弱で他は普通、と言われていたものだ。
ひどいことを言われたオークランドは、まだ今年も再建中。
ヒューストンがほぼ戦力を持続していただけに、シーズン前には優勝候補のコンテンダーと言われていたものだ。
ここからポストシーズンを狙うのは、七月のチームの順位を見て、そこからどうトレードデッドラインまでに補強をしていくかが問題となる。
ただし序盤でチームが崩壊するような事態になれば、主力を手放していくかもしれない。
そんなテキサスとの対戦、直史はバッターを確認する。
試合をしっかりと見て、バッターの特徴をリアルタイムで確認するのだ。
後からの映像と、リアルタイムとではやはり、情報がまったく入っていない状況なので、判断がより純粋になる。
ちなみに今日は、スタジアムでユニフォームを着ている。
もちろん試合で投げるはずはなく、クラブハウスで見ているだけだが。
完投したとは言え、その内容は数字だけを見れば、随分と楽そうに思える。
72球しか投げてないし、ストレートの最速も150km/hを超えたのは数えるほど。
中四日でも投げられるのでは、と思われてしまうぐらいのものだ。
もちろん実際はそんな単純なものではない。
直史は中五日で投げるように、今日も調整しているのだ。
あまり適切な例えではないだろうが、普通のピッチャーがHP(ヒットポイント)とST(スタミナ)を使って投げているのに対し、直史はMP(メンタルポイント)まで使って投げている。
これが回復するのは、しっかりと休んで精神をリラックスさせた後、また締め上げていく過程が必要だ。
ルーティンをこなすのと似ていて、これが出来ていないと、単純な数字だけでは回復度合いなどは分からない。
そんな直史はしっかりと、テキサスの打線を見ていた。
(俺との試合で投げるのは、エースクラスじゃなかったよな)
MLBではカードごとに、先発投手の予定が発表される。
変更は可能であるが、MLBは先発のローテーションはまず変更しない。
過酷な日程でピッチャーを使うために、その調整には万全を期すためである。
もちろん正念場のカードでは、変更を行うこともある。
だがそれもある程度前から、ピッチャーには告げる。事故や故障など以外で、先発が突然に変わることはない。
どのようなピッチングをするべきか、直史は考える。
テキサスは同地区同リーグのチームなので、対戦するのは19試合もある。
ここで叩き潰して決定的なダメージを与えてもいいのだが、そうするとヒューストンも楽になってしまうだろう。
順番を間違えてはいけない。
ポストシーズンの最終地点であるワールドシリーズに進出するには、ア・リーグのチームは基本的に全て叩き潰さないといけない。
今年のア・リーグは例年と同じように、東地区が一番強いだろうと言われている。
去年のリーグチャンピオンはヒューストンであったが。
ポストシーズンで移動やホームフィールドのアドバンテージを手に入れるためには、優勝してポストシーズンに進むべきである。
(まずはヒューストンをボコボコにする)
二位争いになるかもしれないシアトルとテキサスは、ヒューストンをボコボコにして、アナハイムの優勝の手助けをしてもらわないといけない。
オークランドにはあまり期待できないとしても、その二チームにもヒューストンをボコボコにしてもらわないと、アナハイムが地区優勝するのは難しいのだ。
ヒューストンとの初対決となるのは、実はかなり後の日程である。
五月の末に、やっと三連戦のカードが回ってくるのだ。
一応その時までの、先発のローテーション予定は決まっていると言うか、最初の開幕から全試合のローテは決まっている。
もっともさすがに年間スケジュールが、その通りに回ることは少ない。
直史は29先発を予定されている。
ヒューストンとの最初のカードでも、二試合目に投げる予定はある。
順番は、間違えてはいけないのだ。
まずはヒューストンを粉々に砕いて、地区優勝の環境を作る。
テキサスとシアトルを蹂躙するのはその後だ。
ならばテキサスを相手には、どの程度のピッチングで勝てばいいのか。
(失点は許してもいいぐらいか)
重要なのは少ない球数で、完投勝利することだ。
下手に完封やノーヒットを狙うよりも、重要なのは味方のブルペンに負荷をかけずに、自分の消耗も抑えること。
理想的なのは数本のヒットを打たれても、ダブルプレイなどで球数が増えないこと。
日本時代にはあったハイクオリティスタートでのインセンティブはなくなっている。
もう一度条件を確認する。
・200イニング登板で100万ドル
・200三振で100万ドル
・サイ・ヤング賞で200万ドル
・ホールド、セーブは一つごとに10万ドル
・シーズンMVP200万ドル
・オールMLBチームは100万ドル
・サイ・ヤングMVP三位内で100万ドル
最初の試合で9イニング登板、12奪三振の数字になっている。
ホールドやセーブはさすがに、今の戦力からは考えにくい。
29試合全てに出て、まず勝てるところまでを投げたら200イニングは行くだろう。
三振も追い込んだら、積極的に狙っていけばいい。
パーフェクトを達成したらどうとか、タイトルについては、特に決まっていない。
そもそもパーフェクトなど狙っても出来るものではないし、タイトルも味方の援護が密接に関係するため、ピッチャーの技術とは少し異なる。もちろん完全に乖離しているわけではないが。
重要なのはイニングイーターとして、しっかりとリリーフ陣の消耗を減らすこと。
そしてここぞという場面では、三振でアウトを取れること。
現実的なのは200イニングと200奪三振で、おそらくそこまですれば、サイ・ヤング投票でも三位以内には入る。
(300万ドルは大きいよな)
ありえないとは分かっていても、パーフェクトやマダックスを条件に入れておいたら良かったかな、と思う直史である。
パーフェクトは派手なだけだが、マダックスはリリーフを使わずに、しかも自分も無理な球数を投げず勝ち星を上げるということ。
充分に交渉の余地はあったなと思うが、今更の話である。
第一戦はここまで三連勝していたアナハイムが、その勢いのままに勝利することが出来た。
だが第二戦にまでなると、さすがに先発の陣容も薄くなる。
実際にアナハイムとしては、エースのスターンバック、ベテランのヴィエラ、そして直史までは勝ちを計算していけるピッチャーであるが、他はローテを回せばいいという程度のものだ。
4-7と今季初黒星で、カードは一勝一敗となる。
第三戦は開幕戦を務めた、エースのスターンバックのローテとなる。
そのスターンバックが、試合前に直史に話しかけてきた。
調整方法は人によって違うが、スターンバックは前日からノースローで当日に調整だけをする。
27歳のアフリカ系黒人男性である彼は、ピッチャーらしいしなやかな体つきをしている。
直史に対して何か英語で話しかけてきたのだが、けっこう訛りがあるため、いまいち理解出来ない。
だが表情や口調から、何か挑みかかるような、敵対的とまではいかないが、挑発的なものは感じる。
とりあえずFから始まるような言葉は発していないので、直史は表情を変えないまま若林を呼ぶ。
「若林! プリーズ、トランスレート!」
これはスターンバック相手に、俺はお前の物言いを理解していないということと、通訳という第三者を、証人として用意していることになる。
弁護士は慌てず、そして抜け目がない。
若林に話したスターンバックの言葉は、明らかにトーンダウンしていた。
そして若林も、なんとなくは察していたのだろう。
「なんだって?」
「どっちが本当のエースか見せてやるからしっかり見てろ、と言いたかったらしい」
「俺には奇跡という言葉が聞こえたけどな。たぶんいい気になるな、あんなのは奇跡以外の何者でもないとか、そんな感じだったんだろうな」
「分かってるんじゃないか」
「分かってないことにした方が、都合がいいことはあるんだよ」
なるほど、と若林も納得した。
スターンバックは二年後にFA権を得る。
あるいは調子がよければ、今年のオフにでもFA権前に大型契約、という話にもなったかもしれない。
だが直史の活躍と、その獲得資金は、他の選手をそこそこ圧迫するものだ。
もっとも大介に比べれば、その影響は小さいものだろう。
アナハイムは基本的に、治安が良く観光や旅行にも都合がいい。
完客動員数は、MLB全体で見てもかなりいい方だ。
三年3000万ドルに、インセンティブ。
かなり無茶と思われる内容であるが、直史のあのピッチングパフォーマンスが続けば、それは現実のものとなる。
するとそこで、補強に回すはずだった資金を、直史への契約にあてなければいけないわけだ。
アナハイムは基本的に、バッターのスタープレイヤーを集めようとする、オーナーの意向が強い。
直史にしても他の球団であれば、実はもっと年俸の高いところが提示してきたはずなのだ。
ただ直史は、金で動くが金で全て動く人間でもない。
その他諸々の条件を含めて、アナハイムに移籍した。
また球団のラグジュアリータックスとは関係ないが、移籍金はそれはそれで巨額のものであった。
それは直史に入ってくるものではないのだが、傍から見たら大金を動かせる人間というのは、それだけの価値があると言えるのだ。
直史にとってスターンバックは、仕事の同僚である。
プロ野球において同ポジションの選手は、基本的には競争相手だ。
ただピッチャーは需要が多いため、エースクラスであれば競争意識はあまりない。
ただスターンバックが普通に、対抗心が旺盛な人間というだけであろう。
強いて言うならクローザーは競争心が旺盛になるかもしれないが、それが敵愾心にまでなるとは思えない。
そんなスターンバックは、今日は不運であった。
「またかよ」
日本時代には、高校でもプロでも良く見た、アレクの初回先頭打者ホームラン。
それで相手に先制を許してしまう。
チームの打線は不調で、五回までを投げても無援護。
やや感情を見せているところは、まだ若いと思うべきか。
そして六回に二点目を入れられる。
悪い内容ではなかったのだが、ここでやや球数が増えてきていた。
FMのブライアンは、ここでピッチャーを交代。
そしてテキサスの方も、無失点で抑えてきたピッチャーを交代させる。
ここからがリリーフの仕事だ。
基本的にリリーフ陣は、勝つためのリリーフ陣と、試合を成立させるためのリリーフ陣の二つがある。
日本で言うところの、勝ちパターンとビハインドというものだ。
そしてもちろん勝ちパターンで投げるセットアッパーやクローザーの方が、ビハインドで投げるピッチャーよりもレベルは高い。
ただ重要な試合であると、ビハインドの場面でも、勝ちパターンのピッチャーを使うことはある。
残念ながらこのシーズン序盤で、リリーフに無理をさせることはないが。
勝ちを諦めるわけではないが、優先度というものがある。
ピッチャーの肩肘を消耗品として考えるなら、勝てない試合では使ってはいけない。
このあたりでビハインドで使える、それでいて防御率もそれほど悪くない、イニングイーターのピッチャーは需要があるのだ。
レックス時代であれば、星がそうであった。
陰の功労者として、もっと誉められてもおかしくはない。
実際に球団は、それなりの年俸を払っていた。
このあたり野球は、数字と統計のスポーツと言われる所以であろう。
アナハイムのリリーフ陣も、さらに一点を取られた。
テキサスも一点は許すが、そこでクローザーが出てきて試合を〆る。
3-1にてアナハイムは、打線の不調によって負けた。
もちろん相手のピッチャーが、今日の出来は良かったとも言える。
スターンバックは昔ながらのエースという気風を持っているらしい。
ロッカーでも不機嫌で、共感はしないが理解は出来る。
ピッチャーは六回までを三失点に抑えればクオリティスタート。
スターンバックは二点である。
ただブライアンの判断は正しかった。
結局は逆転出来なかったのだから、スターンバックの消耗を少しでも減らしたというピッチャー交代は正しい。
それに年俸評価にしても、今日の試合をマイナスにはしないであろう。
昔のNPBであれば分からなかったろうが。
ここまでアナハイムは、4勝2敗で来ている。
ただし同じ地区のテキサス相手に、2敗してしまっている。
シーズン全体の流れを考えると、この四連戦はせめて五分で終わっておきたい。
スタジアムに出勤した直史は、本日のプランについて告げられる。
「七回までをしっかりと投げてほしい」
失点については特に要求されなかった。
アナハイムは現在、勝ちパターンの時のリリーフにしても、あと一枚ほしいという状態にある。
セットアッパー一枚と、クローザーのピアースには、かなりの信頼を置いている。
問題なのは七回で、だから直史にも七回までを投げてほしいというわけだ。
当然ここでこういうからには、二点までは取られても許容範囲なのであろう。
昨日は上手くつながらなかったアナハイム打線だが、そもそも攻撃力自体が低いわけではない。
上位打線を中心に、そこそこの得点能力は持っている。
ここまでの試合を見ていても、そこそこ点は取っている。
だが直史が気になったのは、その得点が五点、四点、一点と減っていることだ。
あるいはテキサスがアナハイムの打者を分析して、得点源のバッターの分析に成功したのか。
二点まではOKではあるが、額面どおりに受け止めるわけにもいかないだろう。
ただ直史は、バッティングに関してはそこまで高度な技術も理論も持っていない。
ランナー自体は出ているし、少しは得点も取っているのだ。
七回までを目安に、あとはリードを許さないように。
なんとか先制するまでは、しっかりと抑えていくべきか。
「ラジャー」
直史は淡々と返事をして、本当に大丈夫なのかな、とナオフミストのオリバー以外を心配させた。
直史の危惧は当たっていた。
いや昨日の試合とはまた違い、攻撃での作戦が上手くかみ合わないのだが。
若手のテキサスの先発について、あまりデータを持っていないというのも、攻略を難しくした原因であろう。新球種が随分と効果的であった。
とりあえず直史としては、初回にいきなりアレクにヒットを打たれて、点こそ取られなかったものの、三塁まで進まれたのは不快であったが。
クイックで投げたのに、簡単に盗塁された坂本が悪い。
ただアレクのスタートのタイミングも、相当に上手かったのは確かだ。
やはり敵として塁に出すと、面倒極まりない相手である。
(準大介級として対応しよう)
そこから双方の、0行進が始まった。
テキサスが何か、アナハイムのバッターに関して、重要な知見を得たというのは確かかもしれない。
主砲であるシュタイナーとターナーが、沈黙してしまっている。
こういう時こそクラッチで打ってほしい坂本も、多くがランナーのいない場面か、特にツーアウトの場面で回ってきたりする。
ホームラン狙いもしてみたが、上手くいかなかった。
それにキャッチャーは守備負担が大きいため、あまり走塁まででも無理をして、故障されても困る。
だが九回の裏に関しては、そうも言っていられなかった。
ツーアウト三塁から、なんとバントスクイズ。
いやバントヒットの間に、ランナーがホームを狙う、という方が正しいのか。
坂本は足もあるが、それ以上にここで五番のキャッチャーが、というのが意外であった。
ここから延長か、とテキサスはげんなりとはしていただろう。
そこでランナーが三塁なので、やや深く守っておくのは当たり前だ。坂本でアウトを取らないといけない。そんな色々な要素が前提にあった。
だがこういう時に、相手の裏を書いて楽しむのが坂本だ。
サヨナラスクイズで、1-0の勝利。
喜ばしいことは喜ばしいのだが、テキサスはかなり、そしてアナハイムも少し複雑である。
ベンチで見ていた直史は、息を吐いて立ち上がる。
坂本にハイタッチぐらいはするべきだろうと思ったのだが、周囲の視線がおかしい。
さすがに今回は自分のやらかしたことを、ちゃんと理解している直史である。
「二勝目サンキュー」
平坦な口調で直史は言った。
九回30人に投げて、被安打四本。
フォアボールは一つもなく、球数は98球で完投。
もちろん1-0で勝ったわけであるから、失点もしていない完封である。
球数がそれほど嵩まなかったため、最後まで投げてしまったのだ。
もっともさすがに延長になれば、ピッチャーは交代の予定で、ブルペンも準備していたのだが。
ベンチに戻ってきた坂本は、直史の掲げた左手にハイタッチをする。
ただ苦笑を顔に浮かべてはいたが。
「たまるか~」
マダックス達成の直史は、前ほどの騒ぎにはならないだろう、としか思っていなかったが。
もちろんそんなわけはない。
勝利インタビューともなる記者会見は、また色々と騒ぎになりそうであった。
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