第8話 サーガ

 ぜんまい人形のようなぎこちないバッターを三振に打ち取り、直史は息をついてマウンドを降りる。

 大歓声が襲ってくるが、とりあえず坂本と悪手をする。

 ハイタッチはしない。万一にも掌の皮膚感覚が痺れたりすると困るので。

 坂本はにたにたと笑っていたが、悪意を感じないので問題にはしない。

 パーフェクトゲームに対して、さすがフランチャイズのアナハイムなので、観客がスタンディングオベーションで讃えてくれる。

(大介がこういうの多かったなあ)

 そう思った直史であるが、さすがに気づいている。

(メジャー初先発でパーフェクトは初めてなんだろうな)

 違う、いや、違わないがそれだけではない。


 ベンチに向かう間にも、どこかぶっきらぼうな顔をしていたシュタイナーが、直史を肩車してくる。

 え、お前キャラ崩壊してない、と直史は思うのだが、そのままグラウンドの中を駆け出す。

「ストオオオオップ!」

 さすがに真剣に止める直史であるが、他のチームメイトが追いついてくるまで、シュタイナーの爆走は止まらなかった。


 バカらしい怪我につながるかもしれない行為から解放された直史は、ようやくベンチに戻ってくる。

 あちこちでレコードという単語が交わされているが、とりあえず首脳陣とも握手をする。

 彼らは直史に驚いていると言うより、偉業を達成したはずの直史が、普段と変わらない様子なのに驚いている。

 直史としては単に、パーフェクトをすることに慣れているだけだ。

 たださすがに、球数の記録にまでは考えが及んでいなかった。


 記録の更新などどうでもいい。

 重要なのは少しでも楽に勝つこと。

 150km/hオーバーはほんの三球か四球。マイル表示はややこしい。

 そんなわけなので上手くできたな、という程度の感想しかなかった。

「100年以上前の、パーフェクトの最少球数記録を更新したんだ。いや、それ以前にパーフェクトだけで凄いんだが!」

 若林がそう説明をして、ようやく直史は理解した。

 自分がまた何かやっちゃったのだということを。




 試合後の記者会見には、さすがに直史も出席する。

 当たり前だ。他の誰に対して、記者たちは取材をするというのか。

「まずは偉業を達成したことへ何か一言を」

 困ったものである。

 直史はこれに対して、本当は一言で答えることが出来る。

 特に何もない、と。

 だがさすがに自粛した。

 それでは話にならないだろうと。


 幸いなことに直史とマスコミの間には、通訳が存在する。

 おかしなことを言ったら忖度して弱めてくれるだろうし、後から何かを言われても、通訳との意思疎通が不充分だった、と言い訳がきく。

 そして直史は弁護士だ。

 毒にも薬にもならない言葉を、機械的に紡ぐのには慣れている。

 そして口を開いて言った。

「何が偉業なのか分からない」

 おそらく失言である。


 事実を考えよう。

 直史は前年、ワールドチャンピオンとなったメトロズとのエキシビションマッチで、パーフェクトを達成している。

 あれはエキシビションだとしても、日本の試合ではパーフェクトを達成している。

 リーグが違うと言うかもしれない。

 だがどこのリーグであっても、パーフェクトなど狙って出来るものではない。

 直史は狙っているが、出来るかどうかは運の要素が大きい。


「元々パーフェクトはピッチャーの実力よりは、運の要素が強い。強いて言えばエラーしなかったバックには感謝を、そして自分としてはフォアボールを出さなかった技術は誇りたいが」

 よくも言ったものだ。

 フォアボールどころか、ボールカウントが3になることさえなかった。

 ほとんどをゾーンに投げて、だからこそ逆にボール球を、バッターに振らせることが出来た。

「相手も良かった」

 オープン戦に、100球未満で完封をしたベアーズ。

 マダックスによって封じられるというのは、ある意味ノーヒットノーランよりも、ピッチャーの技術によるものだと言われたりする。

「あれでベアーズは、慎重にも積極にもなりすぎた。序盤は見ていこうというのが透けて見えたためツーストライクまでは簡単に取れていったし、逆に積極作に出てきた時も雰囲気で分かった」

 その雰囲気で分かってしまうところは、それで納得しなければいけないのか。


 初登板の初先発でパーフェクト。

 これもなかったことである。

「むしろメンタル的なことを除けば、いやメンタル的なことまで含めて、シーズン序盤の方が調整はしやすいから、パーフェクトの確率は上がる」

 このあたりの説明を、どれだけの人間が納得できるのだろう。

「シーズンが進めばローテの中で、完全な調整が出来ていなくても登板する責任がある。事前にたっぷりと準備が出来るのは、このシーズン初先発ぐらいだ」

 それは、そうなのだろうか。

 なんだか正しいことを言っているように聞こえるが、実は全く正しくないのではないだろうか。


 ベアーズの中に、直史に対する先入観があったのは確かだ。

 なので必要以上に慎重になろうとしたし、それを見抜かれたと思ったら、今度は積極的になりすぎた。

 三振はあまり取ってこないという印象があった。

 それは間違いではないのだが、ストレートの球速に比較しては三振の数が多かった。

 緩急がよく利いていたのだ。

「パーフェクトをしたことに対しては何か」

 何か人間の姿をした他の生き物と、会話をしている気分になるマスコミである。

 通訳を介しているので、そこで変な誤解があるのかもしれないが。

「パーフェクト自体はもう何度もしているから、特にそれはどうも思わない」

 普通のスーパーエースでさえ、パーフェクトなど生涯に一度か二度ある程度だろう。

 ……江川って本当に化け物だったんだなあ。


 やがてインタビューの時間も終わりに近づく。

「今日はこれからどうしますか?」

 英雄が偉業と、あるいは彼にとっての普通の仕事を果たした後に、何をするのか。

「妻と一緒に家に帰って、普通に食事をしてから、娘の顔を見て寝るぐらいだが?」

 とても平凡なことを、直史は告げた。

 ちなみにこれは、アメリカ人にはけっこうなツボになる言葉であったらしい。

「ちなみに私がハイスクールの時にどういう環境でプレイしていたかは、同じチームの大介のことも含め、妻の書いた本が日本では出ていますので。ああ、大介は私の妹たちが嫁いでいるので今は義弟ですが」

 双子の姉妹が一人の男を、というのは日本では大問題になったものだ。

 いや、あれは大問題にしたがった人間が多かったということか。

 別にアメリカでも、問題視しない人間がいないわけではない。

 ただ社会通念的なことよりも、個人の問題だと捉えているだけだ。


 なお多重婚自体については、それが認められているという国において、三つ子の女性が一人の男性と順番にデートをして、ついには種明かしをして三人とも結婚したという例がある。

 そちらは法律でも普通に認められているので、完全に問題にすらならない。話題にはなったが。

 ……大変であろう。主に、男性が。

 これほど社会通念上許されない、などと声高に叫ばれるものは、実は単なる価値観の差異の問題である。


 直史の説明に、アメリカの出版社は日本の出版社と本格的に交渉することを、すぐに考える。

 だが既にその件に関しては、金髪の魔女が契約を結んでいると知ることになる。




 甲子園で優勝しようが、パーフェクトを達成しようが、日本シリーズで優勝しようが、次の日は来る。

 シーズン中ではあったが昨日は軽くお祝いにと、食事に日本酒をつけたものだ。

 ちょっと気が緩んだせいもあって、夫婦でたっぷり仲良くしてしまったが、特に遅れることもなく目覚めることが出来た。

 朝食の席でテレビを点けるが、自分の顔がニュースで流れている。


 瑞希は現地の資料として、いくつかの新聞を取っている。

 それにもだいたい、この件はニュースになっているようだ。

「神の右腕っていうのは大袈裟だな」

「大袈裟……かなあ?」

 真琴がスプーンを使うのを見ながらも、瑞希は直史の様子を見つめる。


 誰もが特別扱いをしようとする。

 だが直史は、ごく普通の人間だという姿勢を崩さない。

 直史が人間であることを、物心両面から一番よく知っているのは瑞希だ。

 昨晩もやたらとねちっこかったが。

 そんな瑞希の無意識な熱っぽい視線を向けられて、直史はかなり朝っぱから欲情した。

 だがそれは夜まで待とう。いや、今日はノースローであるし、ほどよい運動を午前中からしてもいいのでは?


 乱れた様子を手早く整えた奥さんに、逆に欲情するあたり、直史の性癖はとても正常である。

「瑞希」

「はい」

「そろそろ二人目もいいかと思うんだが?」

「はい?」

 その言葉の意味を理解して、いまだに初心く赤面する瑞希である。

「今なら真琴と三つ違いになるわけだし、丁度いいと思わないか?」

「それは……」

 死ぬほど頑張って産んだものだが、出産自体はとっても安産と言われたものだ。

 大変だったのは産んだ後であったわけで。

「朝からする話かなあ」

「家族計画はとても重要で健全な議題だ」

 なるほど、とそこは納得する瑞希である。


 遺伝子を後世に残すことに、瑞希はそこそこ肯定的である。

 生活は日本にいる頃とだいぶ変わったが、不便自体はそれほど感じない。

 ロスアンゼルスにまで行けば仕事関連でいくらでも知り合いがいるし、その中には住居はこのあたりで持っているという者もいる。

 いざという時に頼れる者が、他にいるかどうかだけは、ちょっと心配ではあるか。

「今ならいい、かな」

 耳まで赤くなりながら、承諾する瑞希であり、そして強く直史は頷いた。

「よし、じゃあ食事を早く終わらせよう」

「え、朝なんだけど?」

「まだピル飲んでないだろう?」

「そうだけど~」

 完全にやる気充分の直史は、なかなか止めることも難しい。

「真琴が起きてるんだけど……」

「あまり聞こえないようにしないとな」

 何を言っても止められないのは、既にもう充分分かっている瑞希であった。




 直史が朗らかな笑みを浮かべている理由を、全ての人間は勘違いしているだろう。

 あれだけクールにパーフェクト後の会見を終わらせたが、一晩経過すればやはり、喜びもあふれてくるものだ。

 そう勘違いして、逆に安心する周囲の人間。

 もちろんその誤解を、わざわざ訂正することなどない直史である。


 ただ坂本は、やたらと愛想のいい直史に、違和感を抱いた。

「何かめでたいことがあったがか?」

 パーフェクト協力者でありながら、坂本はそれに気付いたのだ。

「めでたいということじゃないが、妻と話して二人目を作ることにしたんだ」

 それで朝から機嫌がいいのか、と戦慄する坂本である。


 彼は直史がパーフェクトをしようが、そしてそれが永遠に記録に残るものになりそうが、それで直史を畏れるという人間ではない。

 しかしあれだけの大記録を達成して平然とし、そのくせ二人目の子作りに熱心になるという。

「それは、あれがか、パーフェクトをしたからとかどうとか」

「そういうわけでもないが、少しは関係あるかな?」

「……たまるか~」

 ついに坂本からも、こいつの精神性は人間ではないと、人外認定される直史であった。


 だが別に坂本に何を思われようと、直史としては仕事さえしていればそれでいい。

 ジンや樋口は友人であったが、坂本は仕事仲間であり海外の同胞という程度の関係だ。

 とりあえず柔軟やストレッチから始まり、昨日の試合の影響というか、朝から頑張った負荷が残っていないかを確認する。


 午前中で練習を終えた直史は、そこから球団で色々と説明を受ける。

 広報からは色々と、インタビューの依頼が入っていることを伝えられる。

 これに関しては直史は、まとめて行おうという方針である。

 長めに時間を取ってでも、同じような質問が重なることを考えれば、その方が効率がいい。

 独占スクープをほしがる記者は困るだろうが、そもそも直史は失言しない。

 間に通訳が挟まっているというのは、その点でも便利なのだ。


 特にこの日は、日本からのマスコミが、粘って取材の許可を求めていたらしい。

 これこそさっさと、練習台にしてしまおう。

 クラブハウスの隅を借りて、10人ばかりの記者と話をする。

 海外の記者というのは、そこまでして直史を取材に来る専門家か、もしくは現地の情報を一斉に取り扱う記者のどちらかだ。

 後者は勉強不足なところもあるが、直史はそのあたりとても丁寧に説明をする。

 ただその説明は、あくまでも事務的だ。

 なかなか面白い話などすることもなく、それでも有意義な取材がなされる。


 終盤におそるおそる手を上げたのは、野球専門ではない記者であった。

 ただ勉強をしていないというわけではないらしい。

「あの、佐藤選手はもうこれまで、普通なら一生に一度あるかどうかのパーフェクトを何度も達成してきたわけですが、これはひょっとしてパーフェクトをする気で投げているんですか?」

 なんというか、思考の飛躍した質問である。

 ただ、直史にとってのピッチング観には、それなりに琴線に触れるものがあった。

「パーフェクトやノーヒットノーランは、なんだかんだ言って最後は、運だと思いますよ。日本でただ一人、一軍初先発でノーヒットノーランをしてしまった人や、平成唯一のパーフェクトをした人の話を聞いても、案外調子は良くなかったと聞きますし」

 その言葉を、そのまま受け取るわけにもいかないのだろうが。

 そしておそらく直史は、ナチュラルに弟の偉業を忘れている。


 直史は考えている。

「おそらく先発のピッチャーは調子が悪くない限りは、全員が最初はパーフェクトを目指して投げ始めるんじゃないですかね」

 このあたりは実のところ、他のピッチャーに確認を取った回数は少ない。

 ちなみに武史は「俺はそうだけど?」と普通に答えたが淳は「ナオ兄と一緒にしないでほしいな」と迷惑そうに言っていた。


 ヒットを打たれれば、そこから完封に目標を切り替える。

 そして点を取られても、完投を意識する。

 そうやって常に目標を持っておかないと、一試合の中で投げきるモチベーションは続かない。

「すると佐藤選手はやっぱり、常にパーフェクトを狙っていると?」

「いや、昨日も言ったけど、シーズンのローテの中では、どうしても調整が完全ではない日はあります。そういう時はパーフェクトや完封、あるいは球数などを、どれだけで抑えるかを目途にして投げますね」

 それで結局完封をしまくるのだから、やはりどこかおかしいのだろう。




 帰宅した直史は、難しい顔をしながら、考え込んでいる瑞希を見つけた。

 彼女は考えるときも、何かを参考にすることが多い。

 なのでただ考えているということは珍しいのだ。

「ちょっと座ってください」

 言われたので座った直史に、瑞希は告げる。

「朝のことだけど」

「うん」

「ちょっとお医者さんに行ってきました」

「うん?」

 家族計画を変更するのか、と少し残念に予想した直史だが、少し違うらしい。

「よく考えてみたら、この二ヶ月ほど生理が来ていなくて、それで引越しした時、色々バタバタしたでしょ?」

「ああ……」

「妊娠していました」

「……」

「出産予定日は11月です」

 真琴の時と同じであるが、この夫婦は避妊を妻側に任せっきりにしているため、こういうことが起こるらしい。

 直史としてはほんの少しだけ混乱したが。


 ピルは確かに避妊効果があるが、飲み忘れていれば完全に妊娠が確定してからでは、その効果は発揮されない。

 また他の避妊に比べても高い効果を誇るが、それでも3%ほどは妊娠の可能性がある。

 また下痢をしていたりすると、これまた効果が発揮しないことがある。

 今回の場合は単純に、忙しかったから飲み忘れたというものだ。

 引越しでどたばたしていたから仕方がない。


 ただ、別に悪いことではない。

 元々子供を作ろうとしていたのだから、その時期が少し早まっただけである。

 直史はゆっくりと手を近づけると、柔らかく瑞希を抱きしめた。

「ありがとう」

「こちらこそ」

 めでたいことは続くものである。

「あと妊娠初期だから、しばらくは基本的に夜のお勤めはなしということで」

 直史は死んだ目になった。

 翌日は多くのチームメイトや首脳陣から心配されたものである。



×××



 ※ 文中の三つ子の話は実際にあったお話です。

   ツイッターで私も見て、現実は常に想像を上回るのだなあと思いました。

   三人の妻を持つ男は立派だと思います。

   うらやましくはないです。いや、本当に。


   あとピルの用法は現実のお医者さんからちゃんと指導を受けましょう。

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