第3話 縛りプレイ

 縛りプレイという言葉を聞いて、なんて不謹慎な、という人は世俗の知識が足りない。

 一般的にはゲームにおいて何かの制約をつけて、その中での達成を図るという使い方が多い。

 何か一つか二つの要素を禁止して、それで課題をクリアする。

 ピッチャーにとっては、今日は昨日投げたからノースロー、などというのは禁止であるが、変化球は小学生は禁止であったりする。

 禁止と縛りは違うが。


 直史は複数の変化球を使える。

 そしてその多くが、決め球として使える球種だ。

 だがそれに縛りを入れたら。

 しかもその縛りが、一定のものを使わないのではなく、一定のもの以外を使わないとしたら。

 さすがにコンビネーションを主体とするそのピッチングは、真価を発揮し得ない。


 直史は事前に確認しておいた。

 かなり打ち込まれるかもしれないが、何度ぐらいはチャンスをもらえるのか、と。

 オリバーとしては意味が分からない言葉であり、通訳の間違いを疑ったほどだ。そこまでして何を確認したいのか、と訊いた。

「ツーシームだ」

 直史が今、一番こだわっている球種である。


 前年のエキシビションマッチで、一番使いやすかったと言うか、それまで以上の威力を発揮した。

 変化量を調整すれば、空振りも取れるファストボール。

 本来はわずかにミートポイントをずらし、打ち損じを狙う球種。

 一時期のMLBはこれに席巻されていた。


 今は直史の得意とするカーブと、あとは高めのストレートが復権している。

 だが復権している中でそれを使うのでは、またすぐにバッターに追いつかれる。

 必要なのは常に変化し成長すること。

 可能性の獣であることを、直史はやめないのだ。


 基本とするのはストレートでもカーブでもなくツーシーム。

 これがまず直史の作った縛りの一つである。

 大前提であり、ここから全てが発生する。

 これに速い球と遅い球、そして変化量の多い球を一つ使う。

 四種類の球種は、普通のピッチャーなら充分な数だ。

 だが直史にとっては、大きすぎる縛りだ。

「そこまでやらんでもいいやろが」

 坂本は呆れるが、次の瞬間には楽しそうに笑っている。


 この坂本という人間の本質も、だいたい直史は分かってきた。

 自分が楽しいと思うこと以外は、何もしたくない男である。

 その楽しいと思うことの範囲が広いため、色々と手を広げてはいる。

 だがこれで内向的で一つのことにばかり集中する人間なら、立派な職人か生産性のないオタクのどちらかになっていただろう。

 初球、ど真ん中ストレート。

 そんなサインを頻繁に出すのが坂本である。




 オープン戦初戦、サンフランシスコ・タイタンズとの対戦。

 直史は先発である。

 まだこの時期には試すピッチャーがたくさん残っているため、一試合を丸々投げさせるわけにはいかない。

 三イニングを目途に50球までで。

 直史が受けたのは、そんなオーダーである。


 相手のバッターにしても、そうそうデータが揃っているわけではない。

 たとえデータがあったとしても、向こうも新しいことを試してくる。

 つまりオープン戦はある意味、レギュラーシーズンの公式戦より難しい。

 特に直史のようなタイプにとっては。


 それでも分かる限りのデータを吸収し、あとはバッテリーに任せるベンチである。

 いざグラウンドに出れば、もうピッチャーは交代させない限り、ベンチからの指示を無視することが出来る。

 ただ直史は指示を特に受けていないし、あえて無茶をする無頼漢でもない。

 もっとも計画を聞かされた坂本は、思わず笑ってしまったものだが。

「まあそれで行くのもいいがよ」

 面白ければあとはどうでもいい。

 過激で刹那的な坂本の価値観に、直史の設定はマッチしたようである。


 サンフランシスコが先攻で、直史はまっさらなマウンドに立つ。

 まだオープン戦であり、給料に響く状況ではない。

 だがアピールのポイントであり、当落線上の選手は、分かりやすい有名人である直史を、打ち崩したいと考えるのは当たり前である。


 MLBは世界最高峰の舞台だ。

 そこのチャンピオンが、完全に封じられるなどということは、あってはいけなかったはずだ。

 しかし事実は事実として認めるべきである。

 事実として認めた上で、そのピッチャーに勝つ。

 サンフランシスコのバッターは、全員がかなり好戦的になっている。




 そして直史オープン戦初先発が終わった。

 三回10人に38球。

 打たれたヒットは二本だが、ダブルプレイを一つ。

 そして三振は一つだけであった。


 期待して見ていたキャンプ地の観客や、実戦での活躍を期待していた首脳陣は、正直拍子抜けである。

 まあ許容内のピッチングではあるのだが。

「……好きなように野手の方向に打たせるとかはどうなったんだ?」

「いやまあ、ヒット二本でゴロばかり打たせてるんだから、充分ではあるだろう」

 直史を絶賛していたオリバーを揶揄するような声もあったが、それほどの悪意はない。

 そんなものは、あるはずがないのだ。

 ただ充分に、期待には応えてくれている。


 七回までをHQS(ハイクオリティスタート、二失点までに抑えること)してくれれば、今のチーム状況からすれば充分というものだ。

 アナハイムの今年の先発起用法は、一試合100球までとなっている。

 ただこのオープン戦の成績を見て、レギュラーシーズン全体のスケジュールを決めてしまうのだ。

 もちろん途中でどんどんと修正は入っていくが。


 球速は94マイルが出ていたし、コントロールに苦しんでいる様子でもなかった。

 イニングが終わるごとにマウンドから降りてきても、涼しい顔をしていた。

 ヒットを打たれても悔しそうな顔はしない。

 それはシートバッティングで、しっかりとバッターに打たせるボールを投げた時も同じだ。

 打ち取るつもりで投げて打たれた時は、怒るでもなく不機嫌にもならず、ただ不思議そうな顔はしていた。

 それに対して今日は、特に感情の色を見せていないのだ。


 いくらオリバーが直史のファンであろうと、そこはピッチングコーチとして、他の選手のコンディションもチェックしなければいけない。

 平然とした直史の様子に、とりあえずは安心すべきなのだろうか。

(まだ調整期間ではある)

 MLB挑戦まだ一年目なのだ。

 それは試行錯誤、手探りしながら考えているころだろう。


 直史は別に挑戦などとは考えていない。

 仕事場が変わったのだから、それに合わせて調整の必要はある。

 だが弁護士をやっていた時から、プロ野球選手に転職した時ほどの変化ではない。 

 あの時は本当に、ある程度仕事の引継ぎもしながらも、半年ほどをかけて体を作っていったのだ。


 学生やクラブチームの、アマチュアのレベルならば大丈夫。

 リーグ戦など大学では年間多くても15試合ほどで、週末だけの試合であった。

 大会などは特別であるが、それはそこに合わせて調整をすればいいだけ。

 だがプロは半年間、毎週投げることがある。

 状況によってはリリーフに回り、30登板以上もする。


 体力やメンタルと言うよりも、バイオリズムの変化。

 それが直史は一番の心配であった。

 レックスを選んだのは、そして最初の一年は寮で暮らすことを選んだのは、生活習慣を出来るだけ変えたくなかったから。

 二年目は自宅にしたのは、MLBで環境が変わることに慣れるため。

 もっとも本当に大変なのは、自分の生活だけではなく、瑞希と真琴の生活も関連していたからであろうが。


 オープン戦ではMLBの感覚を体にしみこませないといけない。

 全力でどうにかするのではなく、どうにかするところのラインを見極めるのだ。

 そして余力でもって、野球以外の部分での生活を考える。

 綺麗ごとを言えず、育児の方はかなり瑞希に任せてしまうが、彼女にも仕事はあるのだ。

(やっぱり将来的には、土日にしっかりと休める仕事だな)

 もっとも弁護士は相手に合わせて、休日出勤もある仕事なのだが。

 むしろ稼ごうと思えばかなり、激務の仕事と言えるだろう。




 直史のそのあたりの環境まで、さすがにオリバーは知らない。

 なので試合で組んだ坂本に、試合で組んだ状況を訊くのである。

「心配いらないよ」

 坂本はもうかなり、英語のほうはペラペラである。

「ヒットを打たれても、結局は無失点に抑えてるだろ? それがあいつの一番大事なことなんだ」

「だが少し球数が多いな」

 三イニングを50球を目途にと言ったのは、いったいどこの誰だったのか。


 坂本としては、オリバーがまだ直史を、しっかり理解していないのだな、と逆に理解した。

「試合で投げる感覚を掴むために、わざと球数が多めになる配球にしてたんだ。だからそれも心配はない」

 一イニングで13球ぐらいと考えるなら、七回を投げれば91球になる。

 チームが期待する範囲では、充分なピッチングではないか。

 もっとも坂本自身は、こんな説明をしながらも信じていない。

 これは直史の本気などではない。

「試合前にも、メインとなる球種を確認するため、それなりに打たれるとは言っていただろう?」

「まあそうだが」

 オリバーもまた盲目になっているのか。

 狂信者というのはどこにおいても、面倒なものである。


 ツーシームを中心にチェンジアップと横のスライダー、そしてわずかにフォーシームストレート。

 その四つで組み立てて、あのピッチングであったのだ。

 右バッターへのアウトローが、なかなか面白く決まった。

 外れるコースからツーシーム軌道で入ってくるバックドアの類の変化。

 打てなくはないのだが、おおよそはカットするのが精一杯であった。


 坂本は元はピッチャーで、MLBでさえ何かの事情でピッチャーが足りなくなったときは、イニングを進めるために投げることがある。

 なので究極のピッチングということについて、考えないこともない。

 もっとも彼の考えていることは、思考の過程は全く違っても、直史と似ていることが多い。

 より少ない労力で、アウトを取ってしまうということだ。


 極論してしまえば、ツーシームだけを投げて、27球でアウトに出来ないだろうか?

 出来ない。それは間違いない。

 だが出来ないことと、そこに近づけていくこととは、全く別の問題である。

 下手にノーヒッターで味方の守備にプレッシャーを与えるよりも、ヒットでランナーを出してダブルプレイで処理する。

 その方がほどほどに味方の守備も動いて、総体的にはいいのではないか。

 坂本はそんなことを考えながら、ロッカールームに戻る。


 椅子に座った直史は、スコアをタブレットで確認していた。

 そして紙にペンで、何やら書いている。

 一人一人のバッターについて、おそらくはそのバッターに特有の反応と、普遍的に誰にでもありうる反応。

 それをわざわざ書いているのだ。

「そこまでやらんでも、おんしゃ充分に出来ようがよ」

 そう言われた直史は、不思議であった。

 坂本は自分とはかなり価値観が違う。

 遊びにかける労力が、かなり比重が大きいのだ。

 ただサーフィンの世界でも、何やら知られるぐらいのレベルになっている坂本。

 遊ぶのにも全力投球である。


 だからそこは、同じだと思っていたのだ。

「どうせやるなら、全力でやらないともったいないだろ」

 言葉足らずではあるが、直史の正直な気持ちである。


 直史が野球をプロでするのは、あと三年だけである。

 だが直史に限らず、プロスポーツの選手寿命は短い。

 もうすぐ29歳になるが、それはプロ野球選手の平均引退年齢。

 普通にやっているだけで、これまでの人生を賭けてやっていた野球とは、そこでお別れになる。

 他の人間もそうだと思っていた。

 全力で、野球に取り組んでいるのだと。

 もちろん全力で取り組んでいるのだろうが、その取り組み方が甘いのだと、直史は思っていた。


 立ち方、座り方、歩き方。

 たとえばツインズが護身術を学んだ怪しいおっさんは、武術を修めるということは、その武術の体系で生活することだと言っていた。

 それぞれの足運びや、物の持ち方に、体重移動。

 日常の全てのレベルから考えれば、歩き方で自然と分かってくるのだ。


 体幹と体軸。単純に言うとその二つが重要だ。

 この二つを鍛えて、そして意識することによって、同じ体からでも出せる力が変わってくる。

 それぐらいの意識をもって、あと三年を過ごす。

 とは言っても直史はクラブチーム時代も、これらのことを忘れてはいなかったのだが。


 半年をかけて体を作ってきた、と直史はプロ入りの時に言ったものだ。

 その時多くの人間は、半年で何が出来るものか、と思っていただろう。

 実のところセイバーでさえ、あそこまで維持出来ているとは思っていなかった。

 何かをしなくなっても、その機能がすぐに失われてしまうわけではない。

 たとえば自転車などは、一度乗れるようになってしまえば、もうずっと乗れるだろう。

 直史の体の使い方というのは、そういうものなのだ。




 こういったことの細かい部分までを、直史は坂本には言わない。

 坂本は何事にも全力で遊ぶため、自然と体が出来るタイプだ。

 ある意味こういう人間こそが、天才と言えるのだろう。

 直史はつまり、生活の中にトレーニングと練習を組み入れているわけで、それを考えれば練習もトレーニングも短いわけではない。

 むしろほぼ四六時中それを意識しているとなれば、その蓄積はどれだけの差となって出てくるか。


 こういったことを直史が自分で体現して、そして武史には教えたため、あれは直史以上の身体能力となっているのだ。

 自分の体で試したことを、弟で実践する。

 もっともそれが最初からほとんど出来ていたのが、ツインズである。

 だからあの二人は、本物の天才なのだ。


 直史はレギュラーシーズンを、ポストシーズンのための調整期間と考えている。

 意識するのは大介を、どうやって打ち取るかということだ。


 無意識にではあるが直史も、大介とワールドシリーズで対戦することを確信している。

 それがどれだけ難しいことなのか、分かってさえいないのに。

 純粋に今の戦力だけでは、途中で誰かが故障すれば、一気に戦力は落ちる可能性もある。

 そういった論理的な思考は、確かに頭のうちにある、

 だがそれよりも強い、信念から導かれる確信は、お互いがバカな怪我をしない限りは、対決の機会は訪れるであろうということ。


 大学を卒業して、もう大介との対戦はないはずだったのだ。

 壮行試合と、その後のWBCは、大介と対決する機会であり、同時に一緒に戦う機会であった。

 あれが最後であると思ったからこそ、大介との四度目の対決を望んだのだ。

 まだ次があると分かっていたエキシビションマッチは、情けをかける必要などなかった。

 だからこそ全力で抑えにいったのであるが。


 この三年間――そう、三年間と言うと思い浮かぶのが、高校の三年間だ。

 正確には向こうも二年半ほどだが、甲子園のために青春を賭けた日々。

 10代の時間は濃密で、瞬く間に過ぎていったと言っていい。

(その中にこいつの記憶があるんだけどな!)

 坂本に打たれた記憶は、絶対に忘れられない。


 おかしな話かもしれないが、直史はNPBでの大介との対決を、本当の最終決戦のようには感じていなかった。

 まだ一年目だということもあったが、レギュラーシーズンでも対決の機会があり、そして全力で戦うプレイオフでは、最初からアドバンテージがあった。

 あれがクライマックスシリーズではなく、日本シリーズではあったらどうだったろうか。

 舞台が大きければ大きいほど、大介は力を発揮する。

 その大介に、果たして勝てただろうか。


 おそらく一番燃える展開は、直史がラッキーズに入ることだったろう。

 ならばレギュラーシーズンのサブウェイ・シリーズで対戦が出来て、そしてポストシーズンを勝ち進めばワールドシリーズで当たる。

 クライマックスシリーズのように後ろに日本シリーズがあるわけではない、本当の最終決戦だ。

 そこでならば直史は本当に限界まで力を出せたし、大介もそれに引きずられて限界のさらに先に到達していただろう。

 だから、これはそういうことなのだ。

 日本では上手く成立しなかったから、野球の神がわざわざそういう舞台を用意した。

 もっともそのために動いた地上の化身は、天使ではなく悪魔だったのかもしれないが。


 そのあたりのことを説明しても、坂本には分からないだろう。

 あるいは分かられたくもないというべきか。

 間違いなく世界最高とされる舞台。それはWBCの決勝ですらなく、北米リーグであるMLBのワールドシリーズ。

 ナショナリズムを持つ直史としては、そこを世界最高の舞台とするには、かなり抵抗がある。

 だがその世界最高の舞台で、日本人同士が対決するというのは、歪んだナショナリズムを満足させるものだ。


 じっと見ていた坂本から、視線を逸らす。

 とりあえず三年間、こいつを相棒に戦わなくてはいけない。

 前哨戦すらも、まだ始まっていないのである。

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