五章―菫― 5

 大叔父は、再び俊元に手拭いを噛ませようとしている。俊元は抵抗しているが、押さえつけられてしまう。大叔父は、低い声で菫子に語りかけてきた。


「この男も、母たちと同じにしたいか。毒小町の毒によって死んだ哀れな侍従とするか」

「なっ……」

「致死量以上の鳥兜の用意はある。刀でさっさとやってしまってもいいが」


 当たり前のことを話すように、そう言われた。脅されていることにすぐには気が付けないほど、普通に。


 菫子は、絶望を見た。大叔父の言うことが狂言でないことは分かる。母と侍女は、直接菫子の毒が原因で死んだわけではなかったが、結局は菫子のせいで死んでしまったのだ。菫子が、いたから。俊元まで、死なせたくない。菫子のせいで誰かが死ぬのは、見たくない。


「お願いします……。やめてください」

「では、この証文を書き写しなさい。そうすれば、あの男は助けてやってもいい」


 大叔母は、車の中に用意してあった簡易的な文机を押し付けてきた。机にある証文には、菫子が毒を使って帝の命を狙ったのだと自白する内容が書かれていた。命をもって償うという言葉で証文は結ばれていた。


 菫子は、まっさらな紙にそれを書き写していくために、筆を取った。これを書いて、菫子が死ねば、俊元は助かる。菫子の頭の中は、それだけだった。自分の手が別の生き物のように、筆を動かしていくのを見つめているような心地だ。


「藤小町!!」

 大叔父に抵抗し続けている俊元が、必死に叫んでいた。菫子の耳にもかろうじて聞こえたが、感情はそれに追い付かない。筆を動かす手は止まらなかった。


「藤小町! 俺は、手伝うと約束した。諦めるな!」

 刹那、菫子の前に光が一筋、差し込んだ。手を止めて、小窓を通じて俊元と目が合った。幸せになることを諦めるなと、死なないでくれと、そう言った俊元の声を、鮮明に思い出した。


 死にたくない。そう思う感情が追い付いた。


 もう一つ、ついこの間言われたばかりだったのに、忘れていた。頼れと言った二人の言葉を。きっとまた怒られてしまう。菫子は、大きく息を吸った。


「紫檀! 紫苑!」

 めいいっぱい、二人の名を呼んだ。それに応えて、紫檀と紫苑は一瞬で菫子のいる車の中に現れた。突然現れた物の怪に、さすがの大叔母も驚いていた。


 紫檀は、隣の車の俊元を見つけると、こちらの窓から隣の窓へ、小さい体を駆使して突っ込んだ。その勢いのまま、大叔父へ蹴りを入れた。大叔父は、予期しない攻撃を食らい、気絶したようだ。


「こっち、制圧した。としもと無事」

「いい蹴りじゃない、紫檀」


 背の低い二人は、窓の前でぴょこぴょこと飛び跳ねながら会話をしている。急に雰囲気が和らいで、菫子はおかしいやら、ほっとするやらで、不器用に笑った。菫子の拘束は、紫苑がさっと外してくれた。


「な、な、何だ、この物の怪らは。兵を呼びなさい! 早く!」

 突然の出来事に激昂した大叔母は、御簾を上げて外に控えていた者たちに命令を飛ばした。どこかに待機していたのか、複数の足音がこちらに向かってきた。


「としもと、あたしたちこの前、派手に暴れちゃったから、あんまり目立つわけにいかないんだよね」

「戦って、鬼だと、大勢の前で知られると、困る」

「分かった。心配ないよ」


 拘束を解かれた俊元は、紫檀に何やら耳打ちで指示を出していた。そして、御簾を上げて牛車の前から、外へ出た。手に持っている太刀は、大叔父の腰から抜き取ったもののようだ。


 集まって来た兵、それに相対しようとしている俊元。なんだなんだと群衆がざわつき始めた。車の場所取りの喧嘩か? などと言って面白がっている人たちもいる。


「侍従! 動くな!」

 大叔母は、俊元へ向けて声を荒らげた。刀身剥き出しの懐剣を、菫子に突き付けてきた。人質交代。菫子を助けたかったら、動くなと俊元を脅している。俊元は、顔を強張らせ、刀を持つ手に力が入っているように見える。俊元の足を引っ張りたくはない。菫子は声を張り上げた。


「大丈夫です! 行ってください」

 俊元は一瞬迷っていたようだったが、一緒に紫苑がいることもあってか、くるりと車に背を向けて兵に向き直った。

 俊元は、太刀を鞘も抜かずに構えた。腰を落として、兵を睨み付ける。


「刀を抜かず、舐めているのかっ!」

 兵の一人が俊元に向かって、刀を振りかぶった。俊元は鞘を真横にして受け止める。鞘を傾けて勢いを流す。体勢を崩した相手の隙をついて、脇腹を打つ。あっという間に、相手は地面に伸びた。


「なっ」

「舐めているつもりはない。ただ、裁きを下すのは主上だ。ここで俺が殺すわけにはいかない」


 兵たちは数人がかりで俊元に迫る。背の高い者から繰り出された上からの攻撃を、地面を蹴って避ける。左右から同時の攻撃に、その場にしゃがんだ。片方の兵の足を払い、地面に転がる前に腹を鞘で打つ。


「このっ」

 苛立った言葉を吐きながら、兵は刀を振るう。鞘で刀を受ける。何度も刀と鞘が交差し、その度に、がり、とどちらかが削れる音がする。俊元が交差させたまま力で押していき、脇腹を打って、気絶させた。


「あっ、危ない!」

 背後から別の一人が迫っているのが見えて、菫子は思わず声を上げた。

 俊元は、その声を聞いてか、背中で殺気を感じてか、体をくるりと半回転させて難なく避けた。逆に不意を突かれた相手のみぞおちを、柄頭で一突き。


 鮮やか、その一言だった。複数でかかっていったのに、俊元はいとも簡単に打ち伏せてしまった。紫苑が横で、すごーいと手を叩いている。大叔母でさえ、ぽかんと口を開けて固まっていた。


「あの時、怪我をさせてしまった時から、きちんと護りたいものを護れるよう、鍛えてきた。心配してくれてありがとう、藤小町」

「何を勝ったつもりになっている。殿、このような者、斬り捨ててしまってくださいませ」


 いつの間に目覚めたのか、大叔父がゆらりと牛車から降りてきた。紫檀はどうしたのかと思ったが、隣の牛車にはいなかった。俊元から指示を受けて、どこかに行ったようだ。

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