五章―菫― 4



 がたん、と音を立てて、菫子の乗った車が停止した。車が綺麗に列をなしている道の脇に、その列を崩すことなく停まった。予め場所を確保していたらしく、多くの車のように場所を探して、うろうろすることはなかった。


 大叔母は、物見と呼ばれる車の両側についている小窓を開けた。もし、と隣の車に声をかければ、その隣の窓も開けられた。隣り合った車が窓を通じてお互いの姿が見える状態になった。


「……大叔父上」


 隣の車には、大叔父が乗っていた。示し合わせて、隣に停めたようだ。大叔父は、体を少しずらして、同乗者がこちらに見えるようにしてみせた。その姿を見て、菫子は一気に血の気が引いた。喉が押し潰されているかのように、声が出なかった。何度か浅い息をしてから、ようやく声が出た。


「橘侍従様!!」

 俊元は、菫子と同様に後ろ手に縛られている。その上、手拭いを噛ませられていて、声を発することすら阻まれている。俊元も菫子の姿を認めて、大きく目を見開いていた。


 大叔母と大叔父は、菫子へ俊元がこちらの手の内だと、まざまざと見せつけてきた。悲嘆の表情を浮かべる菫子を見て、大叔母は満足そうに頷いていた。計画通り、ということだろう。


「殿、毒小町が母の死について聞きたいようです。よろしいですか?」

「最後の望みくらい、聞いてやってもよかろう。完全に落とすには、あと一押し必要だろうしな」

 大叔母と大叔父は何やら含みのある会話を繰り広げていた。どうして母のことについて話す気になったのか、不気味だ。嫌な予感しかしない。


「さきほど、お前は、どうして自分の母が死んだのか聞いたな」

「はい」

「お前の母と侍女は、確かにお前の毒に触れた。だが、高熱が出るだけで、死にはしなかった」

 紹子の症状と同じだ。紹子から聞いた、友人の話とも一致する。


「じゃあ、どうして……」

「わたしが殺した」

「!」


 単調に言った大叔母の答えに、菫子は耳を疑った。もちろんそれが、自ら手を下したわけではなく、そう指示をしたという意味なのは分かっている。だとしても。


「どうして! どうして、おかあさまを!」

「お前を高階から出そうとしたからだ。侍女もそれを手伝った。毒小町は、わたしたちが作り出しただというのに」

「道具……?」

 さっきも、菫子のことを『失敗作』と言った。毒を持って生まれる娘を世話しているのが高階家だから? だとしても、言い方に何か違和感がある。


 疑惑の目を向けていると、大叔母はため息をついて、やれやれと言いたげに檜扇で口元を覆った。


「毒小町は、わたしたちが作り出した毒人間。作り方は、お前も知っているだろう」

「は…………」


 毒小町は人為的に作られた? しかもその作り方を菫子も知っている? 何を言っているのか。大叔母は、こんな作り話をして一体どうしようというのか。


「……作り、方」

 菫子の頭の中に、点と点が現れた。それは、繋がるものでは、なかったはず。だが、気が付いてしまった。点と点が繋がった。



 鴆だ。


 餌に少しずつ毒を混ぜて、あれは作られた毒鳥。同じことを人間にしたならば。

「うっ、おえええっ……」

 とてつもなく、吐き気がした。ここ数日まともに食べていなかったから、吐けるものすらなかったけれど。


 逆だったのだ。鴆を作ったのは、毒小町のことを解明するためなどではない。そんなのはでたらめだ。人間で出来たのだから、鳥ですることなんて、簡単だったのだ。菫子の目の前にいる大叔母が、人の形をした化け物に見えてきた。おぞましいのはどちらの方か。


「お前の母も、そうやって作った。あれは成功作だった。毒は唇のみで、すぐに死にいたる猛毒。宮仕えをしながら、よく働いた。なのに、お前に同じことをさせたくないと、逃がそうとした」

 大叔母は忌々しげにそう言った。


 菫子は、息を呑んだ。母は、菫子のことを想って、高階から逃がそうとしてくれていた。母の記憶が少ない菫子にとって、母に想われていたと、知ることが出来て、こんな状況なのに、嬉しさが込み上げてきた。それは、大叔母の冷めた声でかき消されたけれど。


「だから、娘の毒で殺してやろうとしたのに、お前の毒は全身に弱く存在するものだった。母よりも強い毒人間を、と附子ぶしを飲ませたというのに。他にも色々な毒を混ぜたのがよくなかったのかね」


 附子、またの名を鳥兜とりかぶと。青紫色の美しい花を咲かせ、その形が烏帽子や兜に似ているため、こう呼ばれる。毒草の代表格で、花粉から根まで全てが毒である。鳥兜の花の蜜を含む蜂蜜を口にしただけで、中毒症状が出る。通常、嘔吐や手足の痺れ、痙攣など。成人であれば、葉一枚で死に至る。ただ、葉が蓬や二輪草などに似ていて、誤食が起こってしまうこともある。


 幼い頃、よく蜂蜜が食後に出されていて、喜んで食べていた覚えがある。それも、鳥兜の蜜が入ったものだったのだ。いや、出される食事の全てが、そうだったのだろう。菫子は、鳥籠に入れられた鴆と、大差ない。


「お前の父でさえも、お前を藤原家に戻すなどと言い出して、面倒だった。さすがに後ろ盾がなくなると、お前に何の使い道もなくなるからね、生かしておいたけれど。全く、夫婦揃って役立たずめ」


 そうだ。父は、亡くなった母にこう言ったのだった。「君だけに背負わせてごめん。僕が必ず」と。母が亡くなってから、父は高階家に全く来なくなったが、母を殺めた菫子に会いたくないからだと思っていた。それもあっただろうが、実際は大叔母たちに締め出されていたのだ。


「何ということを……! 常軌を逸している」


 俊元が、口を塞いでいた手拭いを振りほどいて、怒りを露わにして大叔母たちを非難した。怒りを含めた全ての感情が追い付かない菫子の代わりに、俊元が怒ってくれている。

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