三章―子― 5
*
翌日、紫苑に頼んで例の右近、小野紹子を念誦堂まで連れてきてもらった。
「女御様の体調不良は、子のせいなん? どうすれば、子を――」
「やめて!」
また子を殺める、という言葉を発しそうだった紹子を、菫子は止めた。菫子の鋭い声に口をつぐんだ紹子は、唇を噛んでいる。
「うちやって、誰かを進んで殺したいやなんて、思うてない……。でも」
「あなたは、女御様に恨みがあるの? それとも、中宮様のためかしら」
「中宮様は、そんなことを指示する御方やない!」
「じゃあ、今回の毒は、あなたがすり替えたのかしら」
「毒!? 女御様に毒が盛られたって言うん!? そんなっ、女御様はご無事やの」
紹子の慌て具合は、とてもそれを仕掛けた者のそれには見えなかった。唐胡麻のことを聞いた時の俊元よりも、顔面蒼白で、今にも麗景殿へ走っていきそうだった。
「原因は取り除いてもらったから、大丈夫よ」
「そう……、良かった」
「本当に、あなたではないの」
「違う! うちが女御様を害するなんてあり得ん」
「じゃあ、どうして御子を殺めて欲しいなんて」
「それはっ、このままじゃ女御様が……」
紹子はその先を言おうとしなかった。思い出したように両手を口に当てて、それを堪えている。中宮の女房でありながら、女御に肩入れしたような言動、違和感がある。
唐胡麻は、おそらく紹子の手によるものではない。でも、紹子は確実に何かを知っている。今回のことに繋がる、何かを。
「右近さん、あなたは一体何を知っているの」
「うちは、ただ――」
「あなたが、裏切り者と呼ばれること、殿舎を移ったこと、に関係ある?」
「!」
問いかけたのは、少ない言葉で要点を突いている、紫檀の声。気になることがあるからと、調べに行っていた紫檀が帰ってきたのだ。確信を持った言い方をしているからには、何かを突き止めたのだ。
「もしかして調べが付いたん? 人やないだけあるってことかー」
「えっ」
「この子ら、人やない。違う?」
紫檀と紫苑が顔を見合わせている。少し警戒の色を見せたが、紹子に敵意がないことは分かる。紫苑は、何で知ってんの、と聞いた。
「知ってるっていうか、なんとなくそうやなって。勘はいい方なんよ。でも、勘なんかじゃ、どうしたらいいか、分からん……女御様をお守りしたいだけやのに」
紹子は、泣きそうな顔をして、項垂れてしまった。
紫檀がとことこと紹子に近付いて、その顔を覗き込んだ。
「教えて。何があったか、今どうしたいか」
「何があったかは、調べてもう知ってるんよね」
「本人が話してくれるなら、その方が確実。それに、たぶん、全部は知らない」
紹子は紫檀を見て、それから菫子と紫苑を順に見た。少し考える素振りを見せていたが、考えても分からん! と意を決したらしく、話し出した。
「うちは、女御様の入内に合わせて集められた女房やった。一緒に宮中に来て、女御様のお傍で仕事をして。うち、要領良くないから、足引っ張ってばっかやったけど、女御様は頑張ってって励ましてくださって」
そう話す紹子の表情は朗らかで、女御のことを大事に思っていると伝わってくる。だからこそ、この話の先を考えて、どうして、と思う。
「ある日、中宮様とお知り合いやと、麗景殿の女房方の知るところになったんよ。昔、中宮様が一時期暮らしていらした屋敷に、うちが出入りしてただけ。それを中宮様は覚えていらして、お声をかけてくださったんよ」
「それで、中宮様が引き抜きをなさったの?」
「ううん、ただ久しぶりねとだけ、懐かしんで声をかけてくださっただけ。でも、それが原因で麗景殿の女房方から、嫌がらせをされるようになったんよ。麗景殿の女房方は、藤壺を敵視している方が多くて、何としても女御様をときめかせると、ぴりぴりした雰囲気やの」
確か俊元も、麗景殿の女房は口が過ぎることがあると、言っていた。内親王である中宮に並び立つには、その女房にも胆力が必要ということだろうか。
「どうも、麗景殿には居づらくなってな。そんな時に中宮様から、藤壺に来ないかとお声がけしていただいたんよ」
「え、女御は何もしなかったの? そんな状況なのに?」
「ちょっと紫苑」
紫苑の言葉をたしなめつつ、続きを促した。
「実は、中宮様に引き抜きを頼んでくださったのは、女御様なんよ。うちが居づらいのを見兼ねて、お願いしてくださったと、中宮様から聞いたんよ。ここにいるより、藤壺の方が、うちが楽しく過ごせるやろうからって」
「麗景殿でいじめがあったことが表に出れば、評判が下がる。だから、右近は、自主的に藤壺に行ったことにした。違う?」
紫檀の付け足しに、紹子はこくんと頷いた。
「そうやよ。女御様に迷惑はかけたくなかったんよ。藤壺の女房方は事情を知っていたから、優しくしてくださって、快適な女房生活やよ。でも、まさか麗景殿の女房方にこんなにぐちぐち裏切り者って言われるとは思うてなかったけど。あの方々しつこいなあ」
紹子は軽い調子で、しつこい女性は嫌われるのになー、とか言っている。
中宮、女御双方の尽力があって、紹子は女房を続けることが出来ている。中宮の傍にいながらも、女御のことも気にかけているのは、そういうわけだったのだ。
「僕が調べられたのは、ここまで。右近しか知らないことが、この先にある、はず」
「分かったわ」
紫檀から小声でそう言われて、菫子は頷いた。何とかして聞き出さなければならない。
「右近さん、あなたが女御様を大事に想うのは分かったわ。中宮様への感謝も。ならどうして、御子を殺めるなんて言うの」
「それは……」
「教えて。お願い」
長々しい言葉は無駄に思えた。紹子の目を見て、短い言葉で乞う。
「毒小町は、中宮様の味方? 女御様の味方?」
「どちらでもないわ。強いて言うなら、内裏女房の立場だから、主上の味方よ」
帝に会ったばかりのころも同じようなことを言った覚えがある。宮中には、競うどちらかの側につかなければ、という強迫観念のようなものがあちこちである。どちらかに所属することで、安心したり、相手側を貶める理由にしたり。政治に直結する人間関係が数多存在するこの場所では仕方のないことかもしれないが、せめてどちらでもない、と言わせて欲しい。
「本当!? うちも、どっちでもないんよ。中宮様も女御様も、どちらも幸せでいていただきたいんよ」
紹子が、ぱあっと顔を輝かせて菫子に近付いてきた。紫苑がすかさず、触れたら危ないでしょって、間に入ってくれた。ついうっかりなんて、笑うが、全く笑いごとではない。菫子は紹子とさりげなく距離を広げてから、もう一度問うた。
「あなたは、何を知っているの」
「今から言うこと、誰にも言わんって約束して」
「分かったわ」
「……主上は、夜伽をなさっていないんよ。中宮様とも女御様とも」
「!?」
紹子が声をひそめて言ったことを、すぐには理解が出来ない。帝は、中宮も女御も平等に夜、清涼殿に召しているのではなかったのか。
「どうして」
「理由は、うちには分からんけど」
「どうして右近さんがそれを知っているの」
「中宮様、女御様それぞれから、お聞きしたからやよ。中宮様は、待つしかないわねとおっしゃっていたけれど、女御様は随分悩まれていた、と思う。麗景殿から藤壺へ移る時、それぞれの内情を相手側に話してはならないことになっているから、このことは、今まで誰にも言うてない」
帝がどちらの妃とも夜伽をしていない。そんなことは、中宮や女御に近しいものしか知らないだろう。しかも、それを両方知っているのは、帝を除いては紹子しかいない。
「え、じゃあ、どうして女御様はご懐妊なさったのかしら」
「相手は、主上やないってことになる」
「……!」
菫子は、言葉をなくした。女御のお腹の子は、不義の子ということになる。ようやく、紹子の言った『このままでは女御の立場が危うい』の意味が分かった。不義をはたらいたなど、世間に知られれば、評判は地に落ちる。
大人しく聞いていた双子も、予想外だったらしく、驚いていた。
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