二章 ―香―
二章―香― 1
如月の末。帝に盛られた毒の手掛かりを求め、俊元が調べてくれているが、菫子には今のところ出来ることがなく、念誦堂に籠っている。
紫檀と紫苑と、三人で寝起きしている念誦堂は、ここ数日で物が増えてしまった。原因は元々置いてあった双子の荷物を、返してもらったこと。菫子が使う前に片付けられた物の中には、双子の荷物も含まれていたらしく、紫檀と紫苑は俊元経由で荷物を取りに行っていた。
「藤小町~これ動かしてもいいの?」
「いいわよ」
「後これも」
「どうぞ」
しかも、それらをどの方角に配置するかが、物の怪的に重要らしく、まだ整理途中の今、室内は物が入り乱れている。菫子の物は少ないし、配置にこだわりはないから、任せている。双子の持ち物は、斧や鉈、縄、水瓶、桶、茶碗など。
「山暮らしが出来そうな荷物ね」
「前は、山にいた、から」
「そうだったの」
「山でひっそり暮らしてたんだけど、つまんなーいってなったから、下りてきちゃった。紫檀は静かな方が好きだし、あたしも嫌いじゃないけど、飽きちゃうの」
紫檀は、賑やかなのも嫌いじゃない、と言って頷いていた。二人は、性格はあまり似ていないように思うが、一緒にいるにはそれがいいのかもしれないと思った。
「そういえば、あたしたちはさ、人が寄り付かなさそうだから、ここで暮らそうと思ったけど、藤小町はどうしてここに?」
「毒小町だから、他の人がいるところにはいけないわ」
「そうだけど、そうじゃなくて。宮中でも、人が使っていない建物くらい、他にもあるじゃない? どうして念誦堂にいるの。ここは死に近い。亡くなった人間を悼むために必要だけど、ここにずっといるのは、あまりにも死が身近。人間は、普通避けるでしょ」
「……慣れただけよ。宮中に来るまでも念誦堂にいたから」
紫苑は、菫子が身に纏っている鈍色の着物を見つめて、苦々しいため息をついた。理解出来ない、と表情が語っていた。
「たかが毒で、怖がり過ぎじゃないの」
「紫苑。物の怪と人間は、違う」
「分かってる! あーもう、あたしも並べるから貸して」
「もう終わった」
紫苑が苛つきを紛らわそうと、荷物を並べようとしたのに、紫檀が手際よく終わらせてしまっていて、肩透かしを食らっていた。もう! と怒る姿は、幼子らしく見え、可愛らしい。
「術、使えると思う。試す?」
「もちろん、するに決まってる」
二人が話している、術とはいったい何のことだろう。ある程度、室内は整理されて、すごしやすくなった。菫子一人では出ない、生活感のようなものも感じて、それが、少し嬉しい。
「藤小町、あたしが一旦外に出るから、そうしたら、名前を呼んでちょうだい」
「え? えっと、名前を呼べばいいのね」
「そう」
紫苑は、戸を勢いよく開けるとそのまま、とことこと走っていった。けっこう遠くまで行ったように見えた。開け放たれたままの戸を紫檀が閉めた。紫苑が何をしようとしているのか分からず、紫檀に尋ねる。
「今、名前を呼ぶの?」
「そう、呼んで」
「分かったわ。――紫苑」
名を口にした瞬間、走り去ったはずの紫苑が、目の前に立っていた。戸も閉めたはずなのに、紫苑は念誦堂の中にいて、にっこり笑っている。
「え」
「よし、成功! ちゃんと使えるみたいで良かった。紫檀も試しといたら?」
「うん。でもその前に、説明」
菫子は何が起きたか、まるで分からなかった。自分の目がおかしくなったのかと、何度も目をこするが、紫苑はきちんとここにいる。
「あたしたち、妖術が使えるの。そのためにここの整理してたから、ちゃんと使えるかやってみたの。出来てたでしょ、瞬間移動」
「名前呼んでくれたら、どこからでも、行ける」
「呼ばれて、あたしたちがそれに応えたらね。呼べばいつでもなるわけじゃないから、まあ、安心してよ。他にも色々出来るけど、今はいっか」
二人が物の怪であることは分かっていたけれど、こうして人間技ではないものをまざまざと見せられると、改めて実感する。
「物の怪なら、みんな妖術を使えるのかしら」
「誰でもじゃない。僕たちは長生きだから」
「そうそう。あたしたち、四百年は生きてるから、年の功ってやつ。可愛くって術まで使えてあたしたち凄いんだから」
「四百!?」
初めて会った時、『最近、ここ数十年そんな反応』なんて言うから、言い間違いかと思っていたのに。四百年も生きている鬼、もしかしてこの双子は凄い物の怪だったりするのだろうか。
「久々に使って疲れたあー」
文句を言いながらごろごろしている紫苑の姿を見ると、そうは思えないのだが。
くいっと袖を引かれて、見ると紫檀がこちらを見上げていた。
「僕も、試していい?」
「ええ」
紫檀がそっと戸を押し開けた。すると、ちょうど戸の前に人が立っていた。戸を開けたのが紫苑だったら、その人は戸に額を叩かれていたところだ。
「あ、としもと」
「こんにちは、紫檀」
二人は、はじめはきちんと橘侍従、と呼ぼうとしていたが、長いと言って、俊元と呼ぶようになった。俊元自身も別にいいよ、と許していた。
俊元は、少し元気のなさそうな様子だった。調査の進みがあまり良くないのだろうか。
「何か困りごとですか」
「うーん、中宮様からお話を聞ければ、と思っているんだけどね……」
中宮とは、実質的に帝の正室にあたる位である。次いで、女御、更衣、稀に尚侍が帝の妃扱いになることもある。
今上帝には、現在二人の妃がいる。
「中宮様でしたら、橘侍従様から事情をお話しすれば、聞けるのではないですか? 主上の側近でいらっしゃいますから」
「それが、中宮様は真面目な方で、主上以外の男性とはお話しにならないんだ。用事がある時は、女房を通じて話をする。高貴なお方だから、そもそも滅多に直接お話しすることはないかな。普段はそれで別段困ることはないけど、今回はね……」
「青梅以外の毒の可能性は、まだ秘密ですものね」
「それもあるけど、藤小町のことを伏せたまま話は出来ないなと思って。でも、女房たちを通せば、藤小町の噂がさらに広がってしまう。それはまずい」
青梅の粉を持っていた女官は、その証拠のおかげで解決出来たということもあり、処分は降格に留まった。そのため、彼女から『毒小町が正月の事件の毒を見つけ出した』と一部で話題になっているらしい。
毒小町のことが話題になるのはあまり好ましくない。公的には、正月の事件の調査を行ったのは、あくまで俊元で、専門の者の助言があった、と報告しているだけだ。毒小町を実際に知る者は少ない方がいい。
「全然進展してないじゃなーい。としもと、何しに来たの」
紫苑が、にやりとしながらそう言ってきた。初めて会った時に紫檀の方を褒めたことを、長いこと根に持っているようで、何かと突っかかっている。
「ん? 藤小町の顔を見に来たんだ」
「えっ」
菫子は、思わず小さく声を上げた。てっきり、調査の経過報告とか、方針の相談だとか、そう言うと思っていた。宮中の女官としては、何か返すべきなのだろうけど、固まってしまう。
俊元が口元に微笑みを浮かべていたから、からかわれているのだと分かったが、そういうやり取りに慣れていないのだから、仕方ないじゃないか。
「でもまあ、紫苑の言う通り、進んでいないのは本当だ」
「ほらー!」
「なんとかしてみるよ」
それじゃあ、と俊元は帰っていった。俊元に任せっきりで、出来ることがないのがもどかしい。でも、考えなしにここから出て話を聞きに行くなんて、ましてや中宮に、など出来るはずがない。
「わたしも、何か……」
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