一章―始― 8
*
翌日の夜。俊元は例の女官を連れてやってきた。万が一騒ぎになったら困るため、双子には、念誦堂の中にいてもらい、菫子は戸の前で対応することにした。
女官は怯えながら、俊元に連れられてきた。毒小町に怯えているのは、まあ分かるが、何故か俊元にも怯えているように見える。もしかして、脅して連れてきたのでは、と思ったが、今は触れないことにした。
「では、もう一度話してくれますね」
「は、はい」
女官は、菫子をちらちらと見ながら話し始めた。
「あの日、供御薬でお出しするものに、これを入れるようにって渡されました。正月だから、特別な薬草だと言っていました。すごく高級なものって聞いて、こっそり少しだけ取っておいたんです。本当に、本当に、申し訳ありませんでした」
なるほど、と思った。この女官は、帝に差し上げるはずのものを無断で取ったのだ。それを知られたから、ここまで怯えているのだ。
「その、入れるように言われたものは、まだありますか」
「俺が持ってきた。当日は大騒ぎだったし、その存在を忘れていたらしいけど、しばらくしいて思い出して、これが毒だったんじゃないかって恐ろしくなったと」
「は、はい。ですが、誰にも言えず、自分で処分するにも恐ろしくて触れられず、そのまま……」
「だから、それを回収する代わりに、ここへ来てもらった」
俊元は交換条件を持ちかけて、その物と証言をここまで持って来てくれた。気を引き締めて、菫子は俊元に言った。
「見せて、いただけますか」
「ああ。ただ、この中に混ざっている毒を判別するのは難しいかもしれない」
「混ざっているのですか」
「この女官が持っていたのは、これなんだ」
俊元から手渡されたのは、小さな瓶だった。中には何かの粉末が入っていた。小瓶を顔の前に持ってくると、ふわりと華やかな香りが鼻孔をくすぐる。
「これは、梅ですか」
「ああ。梅の粉に毒を混ぜて持ち込んだ、ということだと思う」
その時、菫子の頭で、点と点が繋がった。一本の線となって、菫子に『答え』を教えてくれた。
「……いえ、これが毒です。梅の粉末、それ自体が毒なのです」
「ええ!?」
女官が大きな声を上げた。夜であるから、その声はかなり響いた。俊元は、女官を帰そうとしたが、このまま中途半端な情報だけ噂で広がってしまうのも良くない。最後まで聞いていて欲しいと、俊元を止めた。
「梅の全てが毒というわけではありません。危険なのは、熟していない青梅です。おそらくこれは青梅の種をすり潰したものです。触わる分には何の問題もありませんが、口から体内に入ると、毒へと変化します」
「変化する? 毒でないものが、毒に変わると?」
「はい。青梅は、人の体内に入ることによってその成分が変化し、毒となるのです。軽症ならば、頭痛や眩暈、吐き気、発汗などの症状。重症の場合はけいれんを起こし、呼吸が止まることもあります」
女官が、ひいっと悲鳴を上げていた。怖がらせてしまったようだ。ここで微笑んでみせたとしても逆効果だろう。菫子はそのまま続ける。
「ただ、子で百、大人で三百を食べなければ重症にはならないので、滅多に起こることではありません。意図的でない限りは」
「なるほど。体内に入ってから毒となる。だから銀の瓶には反応がなかったというわけか」
「時間差で症状が現れたのも、おなじ理由かと」
俊元が、大きく息を吸った。ようやく、事件の真相が分かったのだ。高揚する気持ちはよく分かる。
「すぐに、主上へ報告をしてくる。この梅の粉を入れるように指示した者を探し出す。必ず。ありがとう、藤小町」
「いいえ。橘侍従様の尽力あってこそです」
途中から話についていけず、放心状態になっていた女官を連れて、俊元は慌ただしく念誦堂を後にした。菫子は、一つ息を吐いて肩の力を抜き、空を見上げた。紺色の空には月が浮かんでいる。今日は
戸を開けると、双子がなだれ込んできた。
「わあ」
「いてて」
どうやら、戸にぴたりと体をくっつけて話を聞いていたらしい。二人とも軽やかに体勢を戻すと、菫子にずいっと近付いた。
「あんた、凄いじゃん! 梅が毒になるとか初めて知ったんだけど」
「凄い。知らないこと、たくさん知ってる」
立て続けに褒められて、何だかくすぐったい。男子が、菫子に座るように手で示してきたので、戸を閉めてからそこに座った。いい子いい子と、頭を撫でてくれた。褒められるためにやったのではないが、それでも心と頬はほころんだ。
「もうー、ほんとに子どもみたい。可愛く見えてきた。あ、そうだ、あたしたちがあんたの兄とか姉になってあげる」
「え?」
「あたしたち、うんと長く生きてるから、父と母でもいいけど。ねえ、お兄はどう?」
「いいよ。見た目は、弟と妹だけど」
よく分かっていない菫子に構わず、二人は膝の上にちょこんと座ってきた。急に触れられたことに驚くが、嫌ではないし、怖さは徐々に少なくなってきた。
「一緒に住むんだから、いいじゃん。家族っぽい感じで」
「嫌?」
男子にそう聞かれて、すぐに菫子は首を横に振った。あまり考えずに体が動いたことに、自分でも驚いた。でも当然だ。一緒にいようと言ってくれることが、嫌なはずがない。
「ねえ、あんたの名前は?」
「毒小町か藤小町って呼ばれているわ」
「名は? あー、滅多に言わないんだったっけ。じゃあ、言わなくてもいいけど、それに関連した名前、付けてよ」
「名前を付けるなんて、わたしがしていいの」
「呼び名ないから、決めて」
確かに、二人はお互い名前を呼んでいるところを見たことがなかったし、名乗ってもいない。呼ぶ名がないのは不便だ。菫子の名に関連した名前、という注文だが、どうしたらいいか。菫子は二人の顔を見ながら、考えた。
菫、双子、赤色と青色……。紫……。
「えっと、
前者を男子に、後者を女子に当てて伝えてみた。どんな反応が返ってくるか、妙に緊張した。
「紫苑! いいじゃん! あたし気に入った」
「うん、紫檀。いい」
二人の、紫檀と紫苑の笑顔につられて、菫子も笑顔になった。
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