一章―始― 7

 菫子は、俊元に送ってもらい、念誦堂に戻ってきた。明日の夜に例の女官から話を聞くことが出来れば、何か前進するかもしれない。


「ありがとうございます。また明日、お願いします」

「ああ、また明日」

 念誦堂の戸を引いた途端、中からいきなり大声が飛んできた。


「わーーーーー!」

「!?」


 その声にももちろんだが、室内に人がいることに何よりも驚いた。五、六歳の子どもが二人、当然のようにそこにいたのだ。男子おのこ女子めのこが驚きの表情で、菫子を見つめている。


 男子は、赤色を基調とした水干すいかんを身に纏っている。子どもがよく着る装束で大人が着用する狩衣かりぎぬに似ている。袴が丸く内側に止められていて、動きやすい装束だ。首元に長い留め紐があったり、菊綴きくとじと呼ばれる丸く花のように補強する役割の紐があったりと、水干特有の装飾が見られる。


 女子は、青色が基調の汗衫かざみ。切袴に単衣と裾を引きずらない短い丈のあこめ、その上に着物を羽織った子どものための装束だ。日常着で、これも動きやすさが重視されたものだ。肩を結わずに開けておく、ゆだちを紐で留めていて、かしこまっていない、可愛らしい様相だ。


「なんなの、あんた!」

 女子が菫子を指さして、そう言った。口をめいいっぱいに大きく開けて。

 二人とも、色素が薄めの髪色をしている。胡桃色というのが一番近い。そして、顔がよく似ている、瓜二つだ。


「何者だ!」

 俊元が、大声を聞いて駆けつけてくれたらしい。腰の刀に右手を添えて、鋭い声を放った。


「そっちこそ、誰なの! 少し出掛けている間に、ここがなんか綺麗になってるし、知らない人間いるし!」

「一旦、落ち着こ」

「なんで落ち着いてんの!」

「妹がうるさいから」

「うるさくない! おにいも何か言ってよ!」


 女子は、俊元と言い合いをしていたはずなのに、一緒にいた男子に噛み付いている。菫子にも何がなんだか分からない。


「あの、あなたたちは……」

「ふんっ、名乗らせる前にあんたが名乗りなさいよ」

 女子がこちらを睨み付けて、ずんずん歩いてきた。小さい体ながらその動きは早くて、このままでは菫子に触れてしまいそうだ。


「来ないで! 離れて!」

 咄嗟にそう言うと、ぴたりと女子の動きが止まった。代わりにその顔から表情が抜け落ちた。幼い子どものそれとは思えない、周囲を威圧させるものだった。


「へえ、鬼だからって、またそういう反応。最近、ここ数十年そんなのばっかりじゃない。嫌になる」

 女子の表情に気圧されかけていたが、その言葉に耳慣れないものがあって、菫子は聞き返した。


「えっと……鬼?」

「は? 鬼と言ったか、今」


 隣に来ていた俊元と声が合わさり、訳が分からないまま、顔を見合わせた。その反応を見て、女子が首を傾げて、男子と顔を見合わせた。

 お互いに状況が把握出来ず、膠着状態だったが、俊元がひとまず刀から手を離して女子に話しかけた。


「ええっと、君ら二人は鬼、なのか?」

「そう。あんたたち分かってたんじゃないの?」

「いや、知らなかった。詳しい者なら、一目で分かるものなのかもしれないけれど、俺はそうではないから」

「ここ、見て。角がある」


 男子が、自分の髪をかき分けてこちらに見せてきた。確かによくよく見れば、小さな角のようなものが見える。遠目にはほとんど分からない。作り物などではないことは、見て分かった。


 物の怪は、割と身近に存在している。恐ろしい形相で夜に現れることもあれば、人間と変わらない見た目で昼に現れることもある。今は夜だが、この二人は人間の子どもと変わらない見た目をしている。その角以外は。


「本物の、鬼……」

「え、じゃあほんとに分かってなかったの? じゃあなんで、その子は来るなって言ったの。あたしこんなに可愛い女の子なのに」

 さらりと自分が可愛いことを自慢しつつ、女子は菫子を見上げてきた。菫子は少し迷ったが、誤解を与えないためにも答えた。


「わたし、毒小町だから……」

「毒小町って何?」

 今度は菫子が説明をする番のようだ。毒小町のことを二人に話した。隔離のためにここで寝起きしていることも含めて。話し終えても、特に二人の態度は変わらなかった。


「へー、それは大変だね。でも、あたしたちには関係ない。その毒って人間に対して、でしょ? あたしたちには無意味!」

「物の怪に、毒は、効かない」


 確かに、『毒』は人間に対して害があるから毒と呼ばれる。人間には猛毒な草でも、動物は平気で食べる、という例は山ほどある。まさか物の怪にも当てはまるとは、知らなかったけれど。菫子の頭の中に、一つの仮説が浮かんできた。


「もしかして、橘侍従様も――」

「人間だ」

 最後まで言う前に否定されてしまった。苦笑いをしながら、俊元は話した。


「俺は、ただのそういう体質。でも昔、一度そう疑われたことがあって、秘密裏に陰陽寮に放り込まれたことがある。無事に人間だと判断されて帰されたよ」

 懐かしいな、とその時のことを思い出してか、苦笑いを深めていた。女子がとことこと俊元に歩み寄った。男子のことも手招きで呼びつけて、二人で囲むようにして、俊元を一通り観察していた。


「うん、こいつは人間ね」

「人間」

「だからそう言っているだろう」


 小さな子ども二人に振り回されている俊元が、なんだかおかしくて、菫子はこっそり笑った。鬼とはいえ幼子で、きっとそんなに力も強くない小鬼なのだろう。


「さてと、話脱線したけど、ここはあたしたちの場所なの。だから、毒小町? だっけ、あんた出て行ってよね」

「えっ」

「何よ、ここはあたしたちが先に使ってたんだもん」

「わたし、この念誦堂以外に行くところがないわ……」

「こいつのところに転がり込めばいいじゃない。毒効かないんでしょ」

 女子が俊元を指さしてそう言った。俊元はゆるゆると首を振った。


「俺が寝起きしているのは、侍従所といって、他の者も多くいる」

「だから何よ」

「他の者は、毒に耐性がない」

 女子は、むむむと言葉になっていない声で口を尖らせた。口数の少ないうえに話に加わっていなかった男子が、口を開いた。


「いてもいい。ここに」

「え!? むむー、うーん、仕方ない、今日だけ許してあげる」

 尖らせていた口をほどいて、女子はそう言ってくれた。俊元は、鬼と一緒で大丈夫なのか、と不安そうだったが、さっきも言った通り、ここ以外に行くところがないのだ。


「大丈夫です、橘侍従様。また明日、よろしくお願いします」

「……俺も共にいようか」

「お気持ちだけで、有難いです」

「何かあったら、叫んで。すぐに来るから」


 俊元は、菫子を安心させるための気遣いを残して、帰っていった。恋仲でもない男女が共に夜を明かすことはそもそも避けるべきだし、それが毒小町だと噂が広がれば、俊元の立場が危うくなる。菫子はそれでもそうしようとした俊元に、その背中に深々と礼をした。


「ほら、さっさと中に入ってよ」


 女子に言われて、菫子は念誦堂に入って戸を閉めた。今、室内には菫子と、鬼の男子と、鬼の女子。同じ空間に自分以外の誰かがいることに慣れていなくて、菫子は緊張してしまう。気を紛らわすために、話しかけてみた。


「二人は、兄妹?」

「え、なんで知ってんの!」

「さっき、お兄、妹、って言っていたから。それに、顔がよく似ているから、双子かと思ったのよ」

「そう」


 男子がこくんと頷いた。口数は少ないけれど、しっかり話を聞いているし、答えてくれる。女子は、言ったっけ? と首を傾げていたが、まあいいかと一人で頷いた。


「あんたは、兄弟いないの?」

「おねえさまがいたと聞いたことがあるけど、早くに亡くなってしまったらしいわ。後は、会ったことのない従兄妹がいるわ」

「そうなの」

「もう、寝よ」


 いそいそと寝る準備を整えた男子がそう言った。女子も寝床を整えていて、寝る準備万端だ。菫子の寝る場所がなぜかこの二人の間になっている。


「ねえ、どうしてわたしが真ん中に」

「別にいいでしょ。そうねー、あんたが変なことしないか、見張るためよ」

「何もしないわ。間違えて触れないように、わたしは端で寝るわ」

「もう、怖がらないでよ。嫌な気分になるじゃない」


 女子が頬を膨らませて菫子を見つめる。怒っている、というより拗ねているように見える。見かねた様子で男子が声をかけた。


「怖いのは、僕たちじゃなくて、自分の毒、なんだと思う」

「はーー、あたしたちには無意味って言ってるのに! もう!」

 唐突に、女子が菫子の腕にしがみ付いてきた。菫子の腕に、女子の腕や頬が触れてしまっている。


「!」


 腕を引き抜こうとするが、意外に女子の力が強く、動かない。息が浅くなる予感がした。怖い。


「あたしを見なさい、何ともないでしょ。ほら、お兄も」

「分かった」


 男子も反対側の腕にしがみ付いた。両側から強い力で腕を押さえられてしまい、菫子は身動きが取れない。二人の顔を見れば、苦しそうな様子は微塵もないし、むしろにっこり笑いながら菫子の顔を見つめている。その顔を見て、怖さがすっと引いていった。


「ほら、毒なんて無意味って言ったでしょ」

「怖くない、大丈夫」

 女子は、むぎゅっとくっついたまま、腕をゆらゆらと揺らして笑っているし、男子はしがみ付く力を緩めて、手の甲をそっと撫でている。


「…………あ」

 ほろりと、菫子の頬に一筋の雫が零れ落ちた。自分でもそのことに驚いた。嬉しいと思うよりも前に、涙が出た。触れてもらえることが、こんなに心が満たされるとは、知らなかった。


「もうー、あんた子どもみたいじゃない。仕方ないから、明日からもここにいることを許してあげる」

「いいの?」

「弱い子を放り出すほど、鬼じゃないから。鬼だけど」

「僕も、いいと思う」

「ありがとう」


 菫子は、手をぎゅっと握って、二人に自分から触れてみた。まだ少し怖くて、震えたけれど、二人はそれ以上の力で握り返してくれた。


「二人とも、手が冷たいわ。もしかしてここ寒いかしら」

「物の怪の体温は、低い。気にしないで」

「あんたの手は温かくて、いい感じー」


 菫子は、二人と手を繋いだまま、その日は眠りについた。

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