第9話 1979年
パリ症候群という言葉がある。これはフランスの首都パリを訪れた人が、イメージと現実のギャップにショックを受け陰鬱になることを指す。日本人女性にその傾向が強いと言われるのだが、その原因の1つとなったアニメがこの年テレビで始まった。「ベルサイユのばら」である。
虫けらは例によって例のごとく、「女の子向けアニメだから」といって本放送では観ていないのだが、それでもあのオープニングアニメーションの凄さは知っていた。突拍子もない奇抜さはなく、色彩も抑え気味。キャラクターが派手に動き回る訳でもない、なのにハッと息を呑ませるセンス。いろんな意味で「大人が創っていた」作品だという気がする。この作品は海外でも、それもヨーロッパは元より中東などでも大人気だったとか。さもありなんというところか。
1979年はもうすでに、「宇宙戦艦ヤマト」(1974年)の再放送から火がついたヤマトブームが、さらに拡大したアニメブームとなっていた。「月刊OUT」の創刊が1977年、「アニメージュ」の創刊が1978年である。「テレビまんが」でも「まんが映画」でもなく、「アニメ」という呼称が一般に拡大した時代だ。SONYのベータマックスが登場したのは1975年、日本ビクターのVHSビデオデッキは1976年の登場らしい。当初は普通のサラリーマンでは手が出ない価格だったものの、この頃になると一般家庭でもビデオが活躍し始めていた。
ブームを牽引するヤマトはずっと読売テレビ制作で、日本テレビ系において放送されていたのだが、何故かこの年フジテレビでテレフィーチャー「宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち」が放送された。この裏事情についてはWikipediaなどをご覧いただければいいかと思う。
正直、当時の虫けらにはイマイチついて行けなかった。ヤマトらしい戦闘シーンやヤマトらしい感動シーンなど、パターンはキッチリ踏襲しているのに、どうもそれだけのような気がしたのだ。どうやら後に劇場公開されたらしいが、虫けらはまったく知らない。自動惑星ゴルバはそれなりにインパクトあったのだけどなあ。島倉千代子氏に歌わせて視聴者を泣かせたのは、いかにもヤマトらしいと思った。
宇宙戦艦ヤマト2の後を受けて始まったのが「宇宙空母ブルーノア」である。言うほど空母か? みたいな文句も聞こえてきた模様。これもヤマト的なお約束を盛り込んでいたのだが、まあ、さすがにヤマトレベルのヒットは難しかった。
スタージンガーⅡの後に始まった「円卓の騎士物語 燃えろアーサー」は折からのブームに乗って大ヒット、とまでは行かなかったものの、虫けらは大好きだった。おそらく視聴率も堅実に稼いでいたのだろう、翌年には続編として「燃えろアーサー 白馬の王子」が放送されるが、物語が一気にお子様向けの勧善懲悪物へと変わり、虫けらはガッカリすることになる。
名作劇場では「名作オブ名作」として名高い「赤毛のアン」が始まる。これも観ていないのだよなあ。いまとなっては「国民的アニメ」と言っても異論は出ないであろう「ドラえもん」がテレビ朝日で始まったのがこの年。久しぶりのウルトラシリーズが、特撮ではなくアニメ「ザ・ウルトラマン」として放送開始となり、翌年の特撮ドラマ「ウルトラマン80」に繋がる。しかしこれも観ていない。観てない作品ばっかりだな。
じゃあ1979年に一番熱中して観たアニメは何だと問われたら、間違いなく挙がるのがこの作品、テレビシリーズとしては2回目のアニメ化、「サイボーグ009」だ。サイボーグ戦士と巨人との戦いはワクワクした。003のフランソワーズが一番可愛かったのもこのシリーズだと思う。まあこれは好みの問題だけどな。009はアニメブームに乗ってかなりの人気作となり、翌年には劇場版「サイボーグ009 超銀河伝説」が公開される。虫けらも期待に胸躍らせて映画館に出かけた。そして怒り心頭で帰宅する訳だが。
映画と言えばこの1979年、「銀河鉄道999」も映画化された。テレビシリーズとも原作とも違うオリジナルの物語で、ゴダイゴの歌う主題歌は大ヒットしたが、個人的にあまり好きな映画ではない。とは言え興行的には大成功し、続編「さよなら銀河鉄道999」(1981年)も制作されることになる。決して子供とは言えない世代が、アニメを観るために映画館に行くのも当たり前になった時代だった。
ガッチャマンの第3弾、「科学忍者隊ガッチャマン
24時間テレビ内の手塚アニメは「海底超特急マリンエクスプレス」。毎年恒例となったこのシリーズでは一番有名かも知れない。ただ時代の平均から見ると、もう手塚アニメの古さは隠せなくなっていた。
タイムボカンシリーズは「ヤッターマン」が終了し、「ゼンダマン」が開始。だがこれ以後の作品は、ヤッターマンほどの評価を受けなかった。
1979年の巨大ロボットアニメは3本。ゴーダム以来のタツノコ巨大ロボットにして、マトリョーシカ合体が「関節部どうなってんだよ!」と話題になった「闘士ゴーディアン」に、この後続出する胸にライオンの顔を付けたロボの元祖「未来ロボ ダルタニアス」、そして日本アニメを語るなら、いまや触れない訳には行かない作品となった「機動戦士ガンダム」である。
ガンダムは本放送で1話から観ていたが、正直な感想を書くと――当時もう中学生だったこともあるのだろうが――「マジンガーZ」(1972年)の登場時に体感したような衝撃、つまり「新しい時代が始まった!」みたいな感動は一切なかった。演出はよりリアル方向に振られているものの、ヤマトが作った流れの中にある巨大ロボットアニメの正常進化、というのが当時感じたことである。
もちろん抜群に面白かったのは間違いない。当時のアニメでは009かガンダムだった。だが、いまあるような巨大な流れがここから発生するなどとは、夢にも思わなかったのは事実。ガンプラブームがやって来るのは1981年らしい。ガンダムの再編集映画シリーズの劇場公開が始まるのも1981年。すなわち、虫けらが「……あれ?」と首をひねるまで、2年かかったということであるな。
再放送から人気に火がついたガンダムは日本のSF界隈、ミリタリー界隈、プラモ界隈を引っかき回し、社会現象となった。アニメ業界的には「巨大ロボット物」というジャンルを「ガンダム系」と「スーパーロボット系」に分離した。ガンダム系はやがてさらに「ガンダムグループ」と「リアルロボット系」とに分裂して行くのだが、またそれは後々の話である。
この年もアニメは30本以上が新番組として放送された。もうテレビシリーズが何本で、テレフィーチャーが何本で、とか数えるのも面倒臭いレベルである。アニメは完全に市民権を得たと言っていいだろう。もちろん、「中学生にもなって、まだまんがなんて観てるのか」と嘲笑する声も少なからずあったのは間違いないのだが。
1979年の特撮の新番組は、スーパー戦隊シリーズ第3弾、と言うより現在のスーパー戦隊の定義に当てはまる初めての作品と言った方がいいだろう「バトルフィーバーJ」、そして久しぶりの新作ライダー「仮面ライダー」(いわゆるスカイライダー)、後は「メガロマン」だけだ。虫けらはどれも見ていない。まあガンダムが自分にピンズドだと思っている中学生が、これら特撮を見ないのもある意味仕方ないのかも知れない。
ガンダムの登場でアニメ界の景色はまた変わり始めた。しかしその変化に抗う者もいる。特撮の世界ではスーパー戦隊が気を吐くが、盛り上がりを見せるにはあと数年が必要だ。こうして新しい波が続出した70年代は終わり、混沌の80年代が幕を開ける。
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