第4話 1974年

 1974年に新しく始まった特撮番組は12本。倉田保昭氏主演のアクションドラマ「闘え! ドラゴン」を特撮番組に入れて13本とする説もあるようだが、この番組で特撮と呼べるような映像を観た記憶がない。変身する訳でもビームを出す訳でもないのだから。子供向けのヒーローアクション物ではあるが、ジャンルとして特撮物ではなかろうと思う次第。


 12本、前年の19本と比べると随分減ったような印象もあるが、しかしその実、日本の特撮史上に名を残す「オバケ番組」が登場するのもこの年だ。


 1974年の特撮界の大ニュースとしては、1年のうちに新しい仮面ライダーが2人登場したことだろう。「仮面ライダーV3」は2月に終わり、翌週からは「仮面ライダーX」が始まった。史上初の武器を持つ仮面ライダーであるが、V3までの勢いはなくなったらしく失速、放送回数35回で10月に終了した。かく言う虫けらも、Xライダーはほぼ観ていない。何が問題だったのかはもう記憶していないが、何かあったのだろう。


 次に始まったライダーは「仮面ライダーアマゾン」。アマゾンの開始前にはXライダーの放送終了時、およびテレビ雑誌などで「次のライダーの名前を当てよう!」みたいな企画が行なわれていた。アマゾンライダーのシルエットを見せてハガキで応募しろというのだが、アマゾンの名前が正式に発表されたとき、「誰がわかんねん、こんなもん」と思ったのを覚えている。正解者がいたのかどうかは記憶にない。


 そんなこんなでライダー人気の回復を狙って投入されたアマゾンライダーは、デザインも戦い方も非常に斬新だった。だが少し斬新過ぎたのかも知れない、好き嫌いがハッキリ分かれる結果になってしまった。虫けらは正直Xライダーより好きだったのだが、世間的にはそれは少数派だったのだろう、仮面ライダーアマゾンは翌年の3月に24回で終了した。これはテレビで放送されたいわゆる昭和ライダーでは、特別番組だけで終了したZXゼクロスを除けば最短記録である。ただし、上記の通りアマゾンライダーは好き嫌いがハッキリしていた。つまり好きな人は大好きであり、そういう人には極めて大きなインパクトを残している。後にAmazonで「仮面ライダーアマゾンズ」(2016年)が制作、配信されたのは記憶に新しい。


 この年、ウルトラシリーズは4月にウルトラマンレオが始まる。翌年の3月まで51回が放送されたが、正直虫けらは観ていなかった。文句を付けたい部分はまあイロイロあるのだが、とにかく見ていられなかった。周囲の評価がどうであったのかは覚えていない。ただ、阿久悠氏作詞の主題歌は2曲とも素晴らしいと思う。この後しばらくウルトラシリーズは1979年のアニメ「ザ・ウルトラマン」まで休眠に入る。もちろん再放送はされていたはずだが。


 円谷プロとしてはもう一本、10月から「SFドラマ 猿の軍団」が始まっているのだが、各方面で話題というかネタにされているこの作品を観た記憶がない。放送は日曜夜の7時半、翌年3月までの26回なので野球ともかぶらなかったろうし、見ようと思えば見られたはずなのだが、やはり映画「猿の惑星」のパッチ物、というイメージが先行していたのではないか。子供というのは変なところが潔癖だったりするのだ。


 その他「電人ザボーガー」「スーパーロボット マッハバロン」などもこの年であるのだが、それより何よりこの1974年を代表する特撮と言えば、ライダーでもウルトラでもなく、やはり「がんばれ!! ロボコン」ではないだろうか。10月に始まったこの番組は、何と1977年3月まで続き、放送回数118回を数えた。冷静になって考えると、奇跡のような作品と言える。


 当時の特撮技術の粋を集めた、とまで言うと大袈裟にすぎるが、それでもそれ相応の映像技術を持ち寄って、しかも何体もロボットを登場させて、毎回何やかやを壊したりして、普通のドラマを撮るよりも金がかかっているにもかかわらず、それで怪獣を倒すわけでも地球の平和を守るでもなく、内容は「ご近所日常ドタバタコメディ」である。こんな企画がよく通ったな、と思うのは虫けらだけか。


 もちろん、特撮枠で日常コメディというのはロボコン以前から存在した。しかしそれらは特撮物とは言え、あえて悪口を書けば低予算ドラマであった。ロボコンほど金をかけて特撮技術をふんだんに使ったコメディはほとんど例がないように思う。


 ロボコンは決してウルトラマンや仮面ライダー、マジンガーZのように熱狂的に受け入れられた訳ではない。それらはロボコン放送後も子供たちの1番人気だった。しかしロボコンは静かに音もなく、かつ速やかに子供たちの間に浸透し、2番手3番手の席に何食わぬ顔で座ったのだ。そして長く座り続けた。いまある映像作品で言えば「アンパンマン」や「ドラえもん」に近いかも知れない。


 この1974年、アニメの世界で大きく話題になったと言えば、まずは「マジンガーZ」の最終回、そして「グレートマジンガー」の登場であろう。あの無敵のマジンガーZがボロボロになる展開は子供心に衝撃だった。そこに颯爽と現われたグレートマジンガーは本当に格好良かったのだ。本当に。


 ただ、いざグレートマジンガーが始まると、違和感があった。「これ本当にマジンガーZより強いのか?」と。何より気に入らなかったのは、グレートタイフーンである。グレートマジンガーの口から吐き出されるこの風は、ただの強い風だった。マジンガーZのルストハリケーンのように相手が錆びてボロボロになったりしないのだ。単なる風。ブレストバーンはブレストファイヤーと同じだし、ブーメランとして投げるのは、うーん。マジンガーブレード、ただの剣だよね、うーん。サンダーブレーク、要は雷ですよね、うーん。設定上はみんなそれなりに意味があったのだろうとは思う。しかしそれが作品中で上手く表現されていたかというと、正直なところ説得力は感じなかった。


 ただ、同情する訳でもフォローする訳でもないのだが、自分がこうして下手くそながらも小説とか書くようになって思うのは、続編って難しいのだ。やりたいこと、やれることはほとんど前作でやってしまっているから、どう転んでも二番煎じにしかならない。まったく新規のキャラクターを主人公にしても、視聴者が求めているのは前作の延長線上にあるグレードアップである。別物は見たくないのだ。これは難しかったろうなと思う。いまとなってはそう思うのだが、当時の虫けらはそんなことになど思い至りはしない。グレートマジンガーからは、じきに興味を失ってしまった。でも問題はなかった。何故ならこの年、「ゲッターロボ」も始まっていたからだ。


 ゲッターロボはいまさら言うまでもなく、日本初の変形合体巨大ロボである。玩具では再現できない、と但し書きは付くものの、当時の子供たちはそんなことなどどうでもよかった。そのアイデアに、発想力に、痺れまくってしまったのだ。ゲッターロボはたちまち大ブームを起こした。その後も長きに渡って人気コンテンツとなったのはご存知の通り。


 ご存知の通りって言われても存じてないぞ、という方もおられるだろうが、ゲッターは漫画にせよ映像作品にせよその他にせよ、展開が多岐に渡り過ぎて、とてもじゃないが全部は追えない。ここにタイトルだけ並べても、おそらく誰も最後まで読まないと思う。そのくらい数が多いのだ。虫けらも目にしたことのない作品の方が圧倒的に多い。だから書くに書けないのである。ただ、「真ゲッターロボ 世界最後の日」(1998年)は頭空っぽで楽しめる良い作品だし、主題歌の「今がその時だ」「HEATS」はどちらも胸を打ちすぎるくらいに打つ名曲だと思う次第。


 上記の「グレートマジンガー」「ゲッターロボ」は主題歌が熱いことでも知られるが、主題歌の熱さだけならこの2作品に勝るとも劣らないアニメがこの年放映されている。それが「ジムボタン」である。堀江美都子氏の熱唱するこの主題歌は、その熱さだけなら日本のアニメ史上ベスト10に入ってもおかしくない。なお、ジムボタンの原作はあの「ネバーエンディング・ストーリー」「モモ」のミヒャエル・エンデ氏であるが、内容はまったく別物らしい。だろうな、とは思う。


 この年のアニメは他に「破裏拳ポリマー」「小さなバイキング ビッケ」「カリメロ」「柔道讃歌」「星の子チョビン」「はじめ人間ギャートルズ」「てんとう虫の歌」くらいだろうか、観ていたのは。かの有名な「チャージマン研!」もこの年なのだが観た記憶はない。


 ……おい、というツッコミが聞こえてきそうな気がする。1974年を代表するアニメに触れていないだろう、と。その通り、ここまで日本のアニメ史を俯瞰的に眺めるのなら絶対に触れなければならない作品に触れていない。しかしこれは主観的な雑文であるから、触れないという手もある。いや、実際どうしたものかと思うのだ。何せどちらの作品も本放送では観ていないのだから。しかしまあ、まったく触れないのも不自然であるかも知れない。


 上記の猿の軍団は10月6日から日曜夜7時半の放送だったが、その時間帯は裏にバケモノのような作品があった。1月から「アルプスの少女ハイジ」が、そして猿の軍団とまったく同じ日から「宇宙戦艦ヤマト」の放送が始まったのだ。


 この時代までの「子供向け」と言われる映像作品、特撮やアニメには「弱点」があった。物語性の脆弱さである。つまり一話一話には起承転結があり、相応に深さや厚みのある物語が描かれたりはしていたのだが、第1話から最終話にまで貫くように至る、背骨のような太い物語がなかった。ほとんどが1話完結で、物語らしい物語が動くとしたら第1話と最終話だけ、という作品ばかりだった。


 もちろんそれが悪い訳ではない。ただ「大人向け」の作品にはあった伏線とその回収を繰り返すような物語の動きを取り入れた特撮やアニメがほとんどなかったのだ。それはある意味当たり前だと思われていた。子供向けの話というのはそういうものである、という共通認識が社会に常識の如くあったように思う。だが、それをひっくり返したのがハイジとヤマトである。


 作画や映像技術的に見れば、ハイジとヤマトもグレートマジンガーやゲッターロボとたいして変わらない。しかし全話を一本の作品として観たとき、ハイジとヤマトは新世代の作品だった。同じ年に放映されたグレートマジンガーもゲッターロボも、ハイジとヤマトに比べればすでに旧世代のアニメと化していたのだ。この凄さに、虫けらはすぐには気付かなかった。ハイジは女の子向けのアニメだったし、ヤマトは巨大ロボットが出て来ないのだから観る価値などないと思っていた。


 虫けらが最初にヤマトに触れたのは、本放送から1年以上経った頃、再放送か、再再放送ぐらいだろうか、たまたま従兄弟の家に行ったらテレビに流れていたのだ。このときの衝撃と後悔を想像できる人はいないだろう。「こんな面白い物を、何で知らなかったんだ!」と自分を殴りたくなったのは初めてだった。ハイジに至っては、そこからさらに6~7年はかかっている。「未来少年コナン」(1978年)の方が先に見ているはずだ。このときも「自分はどれだけ時間を無駄にしたのだ」とガックリ来た。


 ハイジとヤマトについて、作品の内容に関して書くべき言葉はない。それは過去、いろんな世代のいろんな世界のいろんな人々が、ああでもないこうでもないと言葉を尽くして語り倒しているのだ、いまさら虫けらが書くことなど何も残っていない。ただ忘れないでいただきたいのは、いまあるアニメも特撮も、いやそれ以外の映像作品ほとんどが、ハイジとヤマトを土台のどこかに埋め込んで成立している。それは往年のディズニーアニメや手塚治虫作品がそうであるのと同じレベルで。そういう意味でこの両作品は、日本の文化を変えたと言ってもいいのかも知れない。


 長いな。こんなに書くつもりではなかったのに。まあ書いてしまったものは仕方ないか。さて翌年は1975年、特撮界にもう1本の巨大な柱が立つ年である。続きは次回。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る