第3話 フレイム夫妻

 アリアはフレイム家に務める一族であるため、メイド長として指揮を執ることも任されている。メイドの服装は基本同じである。しかし、アリアの服は他のメイドと一箇所だけ違う。彼女はメイド長の証として、胸元に赤いリボンをつけているのだ。

 今からはメイド長としての仕事をこなしていく。まず、二階の食堂で化粧担当に声をかける。その後、一階のエントランスにある棚の前まで移動する。棚には様々な骨董品や調度品が並べられている。そこから水瓶を一つ手に取った。これは、両国の友好の証としてアクア王国から送られた水瓶だ。水瓶はこの世界に二つとない特注品で、赤色と青色の横線が交互に入っている。フレイム王国からは、これまた特注品の松明を送った。布の部分は青で木の部分は赤に着色している。

 アリアは水瓶の中の水を水道に捨てる。空になった水瓶を拭く仕事は何回やっても緊張する。水を入れた分重くはなるが、水瓶自体はとても軽い。それに、調度品とともに棚に並べられるサイズだ。それほど大きくない。軽くて小さい分、落としそうで怖い。アリアはこの仕事に全神経を注ぐ。水瓶を拭き終わった後は、その中に水を入れて元あった棚に戻した。

 次は、厨房で料理の進捗確認に取り掛かる。一通り指示を出し終えたところで、厨房の入り口に二つの影が表れた。それらはアリアを見つけて近づいてくる。

「今日のパーティーの準備は順調かねっ! 我が娘の大事な誕生パーティー、それも成人する年の、だからなっ! 俺は今日のパーティーが楽しみ過ぎて、全く寝られなかったぞ。はははは~」

「コジー、それほど大きな声で騒ぐと使用人に迷惑よ。ごめんなさいね。今日はエリリカの誕生日ですから、盛大に祝えるようお願いしますね」

 騒ぐコジーを叱るエリーの声は、弾んでいる。今日は年に一度の大切な日。二人の楽しそうな雰囲気に、アリアも楽しい気持ちになってきた。

「もちろんですわ。エリリカ様の特別な日を祝えるよう、一丸となって準備に励んでおります」

「そうか。ありがとう。アクア王国からも沢山の招待客が来るからなっ。よろしく頼む!」

「お任せ下さいませ」

コジーとエリーが厨房に来るなんて珍しい。基本は寝室にいるか、玉座にいるかの二択だ。アリアは不思議に思ったが、特に気に留めなかった。

 コジー・フレイムはフレイム王国を統治する王であり、婿養子であり、エリリカの父である。オールバックの髪も長く伸ばした髭も力強い瞳も全て、金色に輝いている。

 コジーを支えるのは、フレイム家の血を受け継ぐエリー・フレイム。フレイム家の血筋なだけあって、エリリカ同様、緑色の瞳と燃えるような赤い髪を持っている。

 コジーは楽しそうな笑みを崩し、声のトーンを落とした。

「そうだ。今日は年に一度の大切な日だからな。招待客も多いことだし、城内の警備を厳重にしておいてくれよ」

「警備ですか? もちろん、抜かりはありません。念のため、後で執事長のトマスさんから警備団に伝えてもらいますわ」

「そうか、すまんなっ」

 コジーは大きな口を開けて豪快に笑い始めた。あまりの大きさに、ここにいる使用人の視線がいっきに集まる。エリーが慌ててコジーを止めた。

「コジーには困ったものだわ。普段から熱い、声の大きい人ですけど、今日はいつも以上ね」

「エリリカ様のお誕生日ですもの。仕方ありませんわ」

「ふふ、それもそうね。私もいつも以上にわくわくしているわ。それに、一か月後はローラの誕生日だものね。ローラはどうしているの」

 アリアは返答に困ってしまう。書斎でサボっていたと伝えると、何だか密告している気分になる。

 アリアが頭を抱えていると、トマスが厨房に入ってきた。救世主とばかりに、彼の前に駆け寄る。アリアが走ってきたので、トマスは眼鏡の奥で黄色の瞳を見開いた。

「何か御用でしょうか。厨房で走っては危ないですよ」

「すみません。今しがた、コジー様から頼まれたことがありますの。『今日は警備をいつもより厳重にして欲しい』とのことですわ」

「ふむ。お嬢様のお誕生日で、お客様が沢山お見えになるからですね。了解しました。警備団には私から伝えておきます」

「お話が早くて助かりますわ。お願いします」

 トマスは燕尾服のポケットから赤い手帳を取り出し、今の内容を書き込んだ。

 皺一つない燕尾服や話の呑み込みの早さから、トマス・ルートの性格が伺える。彼は几帳面で物分かりが良い。六十という歳でも現役で執事長を任されているのは、信頼あってこそだ。白髪をきっちりオールバックに固めている姿からは、清潔感が漂っている。

 またしても厨房に誰かが入ってきた。その人物は大きな声を出しながら、勢いよく扉を開ける。

「ちょっっっと待ったぁ~っ」

「エ、エリリカ様!? どうしてこのような所へ? まさか、パーティーの前につまみ食いなさるおつもりですか」

「違うわよ。アリアは私を何だと思ってるの」

 エリリカがむっとして口を曲げる。その様子を見て、アリアはすぐに頭を下げた。

「すみません。エリリカ様が厨房にいらっしゃる理由が、他に思いつきませんでしたので」

「さらに失礼じゃないの」

「それは普段の行いが・・・・・・ああっ!」

 会話の途中で、急にアリアが声を上げた。その声に驚いたエリリカは、足を開いて身構える。

「な、何よっ。くせ者!? 私が叩き潰してやるっ」

「そのような言葉遣いはいけませんわ。私が言いたいのは、エリリカ様のお姿です。先ほどは慌ててお部屋を出てしまいましたから」

「ああ、なんだ。ふふ。似合ってるでしょ」

「ええ、とても素敵です。やはり、エリリカ様は世界の誰よりもお美しいですわ」

 アリアは改めて、目の前のエリリカを見た。踝まであるドレスは、髪色同様に燃える赤色をしている。袖や裾には、女の子らしさを引き立てる白いレースがあしらわれている。胸で結ばれているリボンは、瞳と同じ緑色。どの部分もエリリカの美しさを最大限に引き立てている。

 アリアがエリリカの姿に見とれていると、後ろからフレイム夫妻がやってきた。

「おおっ! さすがは俺の可愛いエリリカ。なんて美しいんだ。とても似合っているぞ。これなら、セルタ王子もエリリカに釘付けだなっ! あっはははは」

「本当ね。その赤いドレスと緑のリボンがよく似合っているわ。もう少しでセルタ王子がお見えになるから、あなたがお出迎えしなさい」

「お父様、お母様、お褒め頂き光栄です。ですが、毎回申しておりますように、セルタ王子と結婚するつもりはありません」

「はぁ。まだそんなことを言っているのか」

 嬉しそうに話していたフレイム夫妻は、今の一言で険しい表情になった。今までに何度もこの話題が出ているが、エリリカは首を縦に振らない。

 十五年前の戦争以降、二国間の仲は少しずつ回復を果たしている。しかし、二つの国を行き来するためには、未だにルールを守らなければならない。どちらかの国の住人が原因を作り、再び戦争を起こさないためだ。ルールは全部で三つ。

 一つ、互いの国に不法侵入しない。フレイム王国とアクア王国の境目には、高さ三十メートルの壁がある。フレイム城から東へ一時間、アクア城から西へ一時間歩いた場所には、関所と郵便箱がある。二国間には壁があるが、その壁の中心部分にある関所からは、互いの国へ行けるのだ。関所を通れるのは九時から二十一時の間だけ。関所には通行記録が残される。関所を通って通行記録を残すため、相手国に無断で移動できないのだ。関所には、両国の信用できる警備兵が配置されている。

 二つ、移住は禁止。ただし、結婚した場合はどちらかの国に決めて住むのは可能。相手国で戦争の原因を作らないためのルールなので、相手国に住んで欲しくない。そのため、移住して生活することを認めていないのだ。

 三つ、商売は禁止。これは行き来可能な時間内で、通行記録をつけていても禁止である。また、二で移住が禁止されている通り、相手国に住んで商売するのも禁止である。商売や取引の内容で、再び戦争が起きたら困るからだ。

 両国の縁談は、このルールに関係する。終戦後に両国の間で取り決めたルールは、最低でも百年は有効にする予定であった。しかし、両国の仲は戦争以前に戻りつつある。そこで、王族の子ども同士を結婚させ、ルールを撤廃しようというのだ。いわば、政略結婚である。

 アリアはフレイム夫妻のことを尊敬している。が、嫌がるエリリカを無理矢理結婚させようとする姿だけは賛同できなかった。確かに、王子であるセルタと王女であるエリリカが結婚すれば、両国の仲を戻すことができる。アリアだって、口では「おめでとう」を言っているのだ。普段はエリリカの意見を聞くフレイム夫妻が、セルタ王子との結婚だけは意見を聞き入れない。その理由が分からなかった。

 結婚する、しないの押し問答はまだまだ続きそうに見えた。たまりかねたエリーがコジーの後押しをしようとしたところ、トマスが間に割って入る。

「そろそろお客様方を招待したお時間です。コジー様とエリー様は玉座に、お嬢様は城門前でセルタ王子をお出迎えなさってはいかがでしょうか。お嬢様はお一人で不安でしょうから、アリアさんが同行なさるのがよろしいかと思います」

「むっ。分かったわ。お父様、お母様、このお話はまた後で。成人した今日こそ、決着をつけさせてもらいます。アリア、ついて来なさい」

「は、はい。かしこまりました」

 フレイム家に長年勤めているだけあって、トマスは冷静に状況を判断した。仕事ができる上に物腰も穏やかで、威圧感を与えない。更なる口論に発展しそうだったコジーとエリリカは、トマスの提案を受け入れることにした。これぞ、信頼されている証である。

 エリリカはアリアの腕をぐいぐいと引っ張る。ドレスの裾と彼女の髪がふわふわと揺れている。去り際にトマスを見ると、「頑張って下さい」と動く口が見えた。

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