第1話 エリリカとアリア

「もうっ! お嬢様ったらいつまで寝ていますの。今日は一生に一度の大切な日ですわ。早く起きないと間に合いませんわよ」

「う~ん。あと三、いや五、いや十分は寝かせて」

「要求なさる時間が増えていまして・・・・・・きゃっ」

 アリア・アカシアは最後まで言い終わらない内に両手を引っ張られた。緑色の二本の三つ編みをなびかせ、ボフンッという音とともにベッドへ沈み込む。王族御用達のベッドは寝心地が違う。ふわふわで温かいベッドに入ると、思わず瞼が閉じそうになる。昨日はパーティーの準備に時間が掛かった。睡眠不足の体に寝心地の良いベッドは毒である。

 眠気に負けては駄目だと自分を叱咤し、引っ張った張本人をキッと睨む。

「お嬢様、引っ張るのは辞めて下さいませ。私、これから大事な場所でのお給仕がありますのよ。服に皺がついたら困りますわ」

「別に良いじゃない。それよりその顔。昨日は一番遅くまで起きてたんでしょ。寝ないとお肌に悪いわ。折角綺麗な顔をしてるのに」

「褒めて頂き光栄です。はい、起きて下さいませ」

「ケチッ! でもアリアの顔が綺麗なのは本当だよ」

 そうほほ笑むエリリカ・フレイムは眩しくて、まるで太陽のようだ。

 こんな時、ふと、場違いにも思ってしまうのだ。こんな幸せな日々が続けば良いのに、と。

 アリアは七歳の頃からエリリカの側近兼教育係として務めている。アリアが七歳といえば、エリリカが産まれた年だ。フレイム家に子どもが産まれたらすぐに仕える。それがアカシアの家に生まれた者の務め。アリアは今年で二十五歳になった。エリリカに仕えて十八年になる。長い間側近兼教育係として隣にいた。これからだってこの関係は変わらない。

 アリアの中に、一体いつからこの感情が芽生えていたのだろうか。十八年という長い間、毎日傍にいたせいで本人にも分からない。

 しかし、一つだけ確信を持って言えることがある。エリリカの瞳の奥にある強い意思。それが彼女の魅力をより際立たせている。彼女の瞳と自分の瞳が合うだけで、彼女が持っている強い意思に引き寄せられる。アリアはエリリカの瞳の美しさに、意思の強さに惹かれているのだ。彼女の瞳に宿る意思を信じていれば大丈夫。その確信がどんな時でもアリアを救ってくれる。アリアがエリリカの側近でいると誓った理由も彼女の意思の強さにある。

 自分が持っていない強さや輝きを誰よりも持っている。もしかしたら、そんなところに惹かれたのかもしれない。アカシアの家に産まれてからエリリカが産まれるまで、アリアは言われた通りのことしかしてこなかった。しかしエリリカは違った。自分の意思をしっかり持って、納得できることはするし、できないことには意見する。彼女のお陰でアリアは「自分」を持つことができた。「自分の意思」を与えてくれたエリリカといることで、自分の見る世界を変えることができた。こんな大きな感情は、もはや恋とか愛という言葉では言い表せられない。

 長年の思いに蓋をするため、アリアは大きく首を振った。

「早く起きて支度をしましょう。今日はいつもより時間が掛かりますわ」

「分かった。でも、一つお願い。私はアリアの口から一番に聞きたい」

 エリリカの双眸に見つめられ、アリアは思わずたじろいだ。強い意思を宿した世界で一番美しい瞳。アリアの髪色と同じ緑色の瞳。しかも、アリアの瞳はエリリカの髪色と同じ赤色なのだ。アリアはそれを酷く罪深いことのように感じている。

 小さく深呼吸をして気持ちを入れ替える。今日は暗い気持ちになっていてはいけない。アリアは自身で思う最高の笑顔を作った。

「十八歳のお誕生日おめでとうございます。これで大人の仲間入りですわね。フレイム王国の次期女王としてのご活躍をお祈り申し上げます」

 あなたの一番近くで、という言葉は飲み込んだ。エリリカは、このフレイム王国を背負っていくフレイム家の一人娘。もう一方の国、アクア王国の次期王であるセルタ・アクア王子との縁談が進んでいる。

 アリアが故意に消した言葉を察したのか、エリリカは悲しそうに目を細めた。しかし、すぐにいつも通りの笑顔に戻る。

「次期女王だなんて気が早いわよ。それに、いつも言ってるでしょ。二人の時くらい呼び捨てにしてよ! 敬語もなし」

「駄目ですわよ。こうした線引きは必要ですもの。さて、まずはお召し物を替えましょう」

「・・・・・・はぁ~い」

 エリリカは不満そうに唇を尖らせる。アリアだって「線引き」だなんて他人行儀な言葉は使いたくはない。しかし、フレイム王国とアクア王国には縁談が必要なのだ。アリアが永遠を望む隙間は、一寸たりとも存在しない。「エリリカとの永遠を望む」という自分の意思は、封じなければならない。

 アリアはそっと窓に近づき、そこからフレイム王国内を見渡した。

 この世界には、東西に一つずつ国がある。両国は陸続きで、周りは大海に囲まれている。

 西は火神を守護にもつフレイム王国。この国はフレイム家が治めている。フレイム王国は火神を守護にもつため、国や城内の至る所に火神の銅像が置かれている。銅像は右手の松明を高く掲げ、左手を腰に当てている。この国では、火神が重要視されているのだ。

 東は水神を守護にもつアクア王国。この国はアクア家が治めている。この国も守護神の銅像を至る所に飾っている。銅像は水瓶を両手で持ち、左肩の上で担いでいる。アクア王国では水神が重要視されているのだ。

 アリアは自分の意識を元に戻した。窓の外では一羽の鳩が自由気ままに飛び回っている。それを眺めながら再度気持ちを引き締めた。

 エリリカの着替えが終わったようだ。両手を腰に当てて、満面の笑みでこちらを見ている。アリアはそれを確認して、次の行動を伝える。

「お嬢様の着替えがお済みになったようなので、化粧担当を呼んで参ります」

「ちょっとアリア、『お嬢様』だけはなしよ。せめて―本当は呼び捨てが良いけど―、妥協して、『エリリカ様』よ。はい、やり直し」

「我儘ですわね。分かりましたわ。エリリカ様、お着替えはお済ですか」

「うん、よろしい!」

 エリリカはパッと花が咲いたように笑った。アリアはこの笑顔にいつも救われている。エリリカの笑顔には、瞳と同様に誰かを導く強い意思がある。アリアはエリリカの魅力に吸い寄せられている気分だった。

「ところでアリア、あれを見て」

「どれでしょうか」

 エリリカが指差した先を見ると、部屋のカーテンが開きっぱなしになっていた。アリアの頭は一瞬で真っ白になる。サーッと顔が青ざめた。

「も、申し訳ありません。つい、うっかりしていまして・・・・・・」

「そんなに慌てなくても大丈夫よ。私が言いたいのは、飛んでいる鳩が凄く綺麗よねってこと。あんなに綺麗な鳩、見たことないわ」

「鳩ですか? それなら私も見ましたわ。とても綺麗ですわよね」

 二人して窓の側に駆け寄る。

 何者にも囚われず、美しいままの鳩。純白の翼を翻し、誰にも邪魔されずに空の旅を満喫している。

 エリリカは眩しそうに目を細めた。

「私も、あの鳩みたいに自由に空を飛んでみたいわ。ここから自由になれたら―」

「エリリカ様! 化粧担当を呼んで参ります!」

「え、ちょ、ちょっと」

 大きな声で遮ると、アリアは扉を壊す勢いで部屋を飛び出した。この続きを聞いたら戻れなくなる気がしたからだ。部屋に残してきたエリリカの表情を見ることはできないが、それで良い。それが良い。

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