02 新しく契約を結ぼう

「──ちっっっっくしょおおおおおおおおお!!!」


夜更けの雨が降りしきる森の中に、悪魔の声が響き渡る。

その声と共に発せられた怒気にあてられた周囲の生物は、軒並み意識を飛ばしてしまった。

彼は非常に怒っていたのだ。


「何なんだよ一体! 急な解雇通達からの即日追放って、どうなってるんだよ! そもそも俺がなにをしたって? セクハラ? あれは俺の部下が乳が大きくてエロいのが悪い! 遅刻? 眠たくなるような陽気で布団から出たくなくなるうな日が続いたのが──」


完全な八つ当たりである。

彼は、大きな声で延々と指摘されたことに対する言い訳と、元同僚たちへの恨み言を言い続けた。

終いにはその矛先が、彼らの身体的特徴や性癖へ中傷という形で向かって行く。こうすることで、目の前から目を背け、ストレスを発散しようとしたのだ。


だがこのクズ悪魔は、そんなことでストレスを発散できるような奴ではなかった。

寧ろ、口に出せば出すだけ、彼らへの憎しみがつのる。


「くっそぉ……。魔王様、いや、魔王め……」


気付けば彼は拳を握っていた。強すぎて、終いには赤黒い血が出るほどに。 

やがて、その拳を地面にたたき付けた。


「俺をクビにしたこと、絶対に後悔させてやる」


こうして、元四天王の悪魔は、"復讐"という大きな目標を得て今、動き出す──



■■■■■



村を出て半日、たくさんの水溜まりがそこかしこで見受けられる。

昨日は大雨だった。あまりにも酷かったので村を出発するのを一日遅らせたぐらいだ。

急がなければ納期が遅れ、商会との契約が打ち切られてしまう。

そんなことにでもなれば、一家全員奴隷に身を落とすしかなくなる。


──それだけは絶対に避けなければ。


自然と歩を進める速さが上がった。


「──汝の願いを叶えよう」

「な、なんだ?」


遠くから声が聞こえた。滑らかで、それでいて力の込められたものだ。

すると、腰から蝙蝠のような翼を生やした男が天からゆっくりと降りてきた。


「我が名はディアブロ、最高位の悪魔である」


どこかで聞いたことのある名前を口にしたが、目の前に驚いている私には何も思考することができなかった。

悪魔とは、あの悪魔だろうか。だとすれば命を取られるかも知れない。


──とりあえず返事をしよう。


「……は、はあ」

「我と契約すれば、貴様の願いを叶えるために汝に力を与えよう」


なんだか妙な展開になってきた。悪魔との契約という奴だろうか。


──なんだか怪しいし、もう家に帰りたい。


そんな私の思いを無視し、目の前の自称悪魔は話しはじめた。



■■■■■



──なんだこのカオスな状況は。


「あ~待って~、お願いだから契約してよ~」

「嫌だよ! なんでそんな怪し気なものを私が交わさないといけないんだ!」


森で木を伐採していたら近くで言い争う声が聞こえたので来てみれば、2人のおっさんがじゃれあっていた。

荷物を持っているのは近所の薬屋のベンおじさんだ。きっと隣町の商会まで、ポーションを卸しに行くのだろう。

彼の脚にしがみついているのは誰だろうか、見覚えがない。

何となく関わったら面倒そうなので、茂みに隠れて様子を見ることにする。


「お願いだから~、今ならトイレットペーパーもつけるから~」

「新聞の勧誘か! いらんわそんなもの!」

「ティッシュやキッチンペーパーだってつけちゃうから~」

「いや、なんで紙製品ばっかり?! とにかく諦めてくれ!」

「本当に少しだから~、ここに血のついた指をつけるだけで良いから~」

「何しれっと契約させようとしてんだ! いい加減話せ!」

「先っぽだけで──」

「あっ、UFO!」

「え、本当?」


指のさされた方向へと彼は振り返る。その拍子に手の力が緩んだようだ。

その瞬間、ベンおじさんは凄まじい勢いで腕を振りほどき、一目散に隣町の方へと走っていった。

振り返った先にUFOがおらず、残された彼は残念そうに視線を戻す。


「なんだよ、何もない──」


しかし、視線の先にはすでに誰もいなかった。ベンおじさんの強靭な脚力の勝利だ。


──あの人、確か今年で60だよな。どうなってんだよ。


「しまった逃げられた。仕方ない、別の人間が通るのを待つか」


そう言い、彼は道の中央にあぐらをかいて座った。

その様はまさしく『ドッカリ』という擬態語が似合っている。


──俺も見つかったら面倒臭そう。


俺はゆっくりと音を立てないように、茂みから森の奥へ戻ろうとした。


パキンッ


やってしまった。あまりにもベタ過ぎる。

何故こういうときに人は枝を踏んでしまうのだろう。


「そこに誰がいるなー!!」


いつかどこかで読んだ本と似たような展開だ。

おそらくこれから俺は捕まるのだろう。


──大人しく捕まろう。


こちらを見る彼を向き両手を上げ立ち止まった俺は、次の瞬間意識を失った。



■■■■■



「絶対に嫌だ」

「どうしてだ?! トイレットペーパーだって──」

「それはもういい」


茂みの中で意識を取り戻した俺は、すぐ側で待機していたこの男に話を聞かされた。

彼いわく自身は悪魔であるという。一度疑ったが、腰から翼が生えていたので信じることにした。

自分と契約して使い魔にしろと迫ってきている。


「それで、なんでこんなところに悪魔がいるんだ。 本来なら召喚しないと出てこないだろ?」

「それは──」


こうして彼は、何故今ここにいるのかを説明しはじめた。


「はぁ?! 元四天王?!」

「ああ、つい昨日までな」


四天王といえば、あの魔王直属の最強家臣のはずだ。

聞いた噂によれば、たった1人で国1つを滅ぼす事も可能だという。

勝てるのは魔王と真の勇者、そして神くらいらしい。


──そんな存在がこんな片田舎にいてたまるか! 


「あら、それは大変だったね。それじゃあ!」

「ちょっと待て」 


荷物を持ち退散しようとして背を向けた俺の肩を彼は瞬時に掴んだ。

その手に込められた力は凄まじく、肩が砕けそうだ。


「こちとらお前で12人目なんだよ。いい加減に次に進みたいんだよ。お前で妥協するから契約しろ」


なんとも失礼な言い回しだ。温厚な俺でも少し腹が立つ。

俺は感情を押し殺し、極めて冷静な表情を作った。


「どうして俺なんだよ。妥協するくらいなら別の奴を探せよ」

「このままでは、俺は消えてしまうんだ……」

「えっ?」


衝撃的な言葉に、思わず俺は驚いた。


「悪魔は悪魔召喚によって召喚されるが、その儀式はどこか別の場所にいた悪魔が呼び出されるわけではない。術者の目の前で悪魔を作り出す儀式なんだよ。愚かな人間が造ったまがい物の命、それが悪魔だ」


初耳だ。というより、悪魔を見ること自体が初めてだ。

そもそも召喚術というのは、ほぼ廃れてしまった魔術の一つだ。

理由は簡単で、召喚に必要な魔力量が膨大すぎ、それだけの魔力を扱える人間が少ないからだ。


「だが、まがい物ゆえに不安定な存在だ。本来ならば、召喚された悪魔はその場で契約されるもの。そうしなければ造られた命は形を保てないんだ」


なんと不敏な生き物なんだ。完全に僕たち人間のエゴで生まれてくるものじゃないか。

それで契約できなかったら消えるだなんて、可愛そうにも程がある。


「このままでは俺がもうすぐ消えてしまう。だから、お前に頼んでいる。俺と契約を交わしてくれ」


彼には何の義理もない。だから従う必要もない。だが、ずるいと思う。 


──あんな話されたら、契約せざるをえないじゃないか。


「……で、どうしたらいいの?」

「契約してくれるのか?!」

「このままじゃ可愛そうだからね」

「そうか、ありがとう! そしたらこの紙に署名と血判を入れて」

「ちょちょちょちょっと待って、なんか、早くない?」


机と椅子を魔法で瞬時に作りだし、そのうえに契約書と羽ペンを置いた。

彼の顔は先ほどの悲しげな表情から打って変わり笑顔を作っている。

それはまるで仮面のようで、明らかに作ったものだった。


「早くない早くない、善は急げっていうだろ? こんなもんさ」


──なんか急に胡散臭くなってきたな。どういうことだろう。


差し出された契約書を手に取り読もうとすると、彼は契約内容のところを隠すように手を置いた。


「おい、この紙の上に置いたてを退けてもらおうか」

「いやぁ、なんか、有毒な虫が飛んでたから。今退けちゃうと危ないよ~」


鳴らない口笛を鳴らし、彼は明後日の方向を向いている。


「そういえば、悪魔って人間と契約するのに対価を要求するって聞いたことがあるんだけど、あれは本当なのかな~」


わざと大きな声で独り言をしてみると、彼は一瞬身体を振るわせた。

首筋には汗が垂れている。図星らしい。


「俺が聞いたのはたしか、寿命とかだったんだけどな~」


更に彼は汗を噴き出した。わかりやす過ぎる。

人を惑わすという悪魔なら、もう少しポーカーフェイスというものを覚えて欲しいものだ。


──さて、どうするつもりなのかな?


もはや俺はこの状況を楽しんでいた。この悪魔の焦る態度がおもしろくて仕方がない。


「ウォオオオオオオオオオオオ!!」


彼の反応を楽しんでいると、突如森の茂みから大きな魔獣が現れた。

アウルベアと呼ばれる、熊の身体に梟の頭をつけた怪物だ。

俺はただのきこりだ。襲われたら一撃で死ぬだろう。


──襲わないでくれ!


そんな俺の願いも虚しく、アウルベアは俺と目が合う。

とっさに反らすと、それが合図のように襲い掛かってきた。

死を覚悟した俺は目を閉じ最期の瞬間を待つ。


俺は今朝のリビングを思い返していた。

食事を作って持ってきてくれた妹、そしてそれを食べて「まだまだ塩が足りない」とからかう俺。両親が普段留守の俺にはいつも通りの光景だった。


──ああ、こんなことなら、妹にご飯美味しかったって伝えておけばよかった。



「……何をしているんだ」 


──声が聞こえる。あの悪魔の声だ。彼は大丈夫にだろうか。仮にも悪魔なのなら、奴の攻撃など効かないのかもしれない。それにしても俺にも何もない。案外どこかへ逃げたのかもしれない。


「早く目を開けろ」


言われるまま、恐る恐る目を開ける。するとそこには、アウルベアの二本の前脚からの攻撃を両手で抑え込む彼がいた。

その表情には余裕の色が見える。


「10年」

「……へ?」

「契約でお前の寿命からいただく分だ。このまま放っておくとお前は死ぬ」


──なるほど、助けてやるから代わりに契約をしろと。なんて悪魔らしい交渉だ。


「わかった、それで契約をしよう!」


俺は先ほど驚いて落としてしまった契約書とペンを拾い上げ急いで署名をした。

そして、右手の親指を勢いよく噛んだ。痛みはあったが堪えられないほどでもない。


「これで……お前は俺の使い魔だ!」


そう言い、俺は血のたっぷりついた親指を、契約書に押し付けた。

それを背中越しに見ていた悪魔は、心底嬉しそうな顔をした。


「俺の名はディアブロだ。よろしくゴシュジンサマ!」


そうして俺の使い魔ディアブロは、アウルベアへ反撃を始めた。

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