影絵のレンズ 4
影絵のレンズを助けるには、どうしたらいいのだろう。
帰路についた僕は、歩きながらそれについて考えていた。
影絵は、こちらからは直接干渉できない。影絵同士は干渉し合うけれど、僕らとは不干渉の関係だ。それはこれまでの経験からわかっている。つまり、僕が自分の手であの影絵蜘蛛をどうにかして、影絵のレンズを助け出すことは出来ない。
どうにかしようと思うなら、影絵で影絵をどうにかするしかないのだが──
「…………」
無理では?
僕は影絵が見えてはいるけれど、思い通りに動かせるわけではない。仮に誰か、影絵のついている人を連れてきたとして、その影絵が上手いこと影絵のレンズを助けてくれる確証はない。無視されるだけならいいほうで、下手をすれば影絵のレンズの二の舞になるか、あるいは逆に影絵のレンズをさらなる危険に晒すことになりかねない。それでは本末転倒だ。
どうしたものか。昨日のレンズの様子を見る限り、あまり悠長なことは言っていられないのだけど。
悩みながら歩いていると、背後から呼び止められた。
嫌な予感がしながら振り返る。案の定、会いたくない人がこちらを睨んでいた。
レンズの兄だ。
「…………どうも」
「あからさまに嫌そうな顔をするな」
そっちも嫌そうじゃねえか、と言いたかったがやめておく。面倒なことになるのが目に見えているからだ。素直に謝っておく。
「お仕事帰りですか」
「暇そうだなお前は。いつものことだが」
「そうですね」
「否定しろよクソガキ」
否定したらキレるだろうがクソ野郎。
言い返したいが、我慢する。
「妹が大変な思いをしているときに、なんだ? デートか?」
「なんでそうなるんですか」
「お前が休日に浮かれた格好で出かける理由なんて、ほかにないだろ」
「浮かれた格好なんてしてませんし、僕が出かける理由のほとんどは図書館に行くためです」
「はっ、そうかよ」
鼻で笑われてしまった。
一応フォローしておくと、この人、僕に対してはこんな態度だが、他の人の前では極めて礼儀正しい人だ。ご近所でも評判の好青年なのである。この悪辣な態度は、僕にのみ向けられるものだ。無関係の他人に八つ当たりしなくて偉いと見るか、たった一人とはいえそんな態度をとるなんて酷いと見るか。意見は分かれるかもしれない。
「で? 実際はどこ行ってたんだよ」
「ただの散歩です」
「とてもそうは見えなかったけどな。えらく深刻そうな顔しやがって。別れ話でもされたか?」
「なんでもかんでも恋愛沙汰に繋げるの、やめてもらえます?」
「じゃあなんなんだよ」
じろりと睨まれる。こわ。
「貴方の妹さんの心配をしていました」
「見え透いた嘘を吐くな」
「嘘ではないです」
「ああ、そうだな。お前は確かに俺の妹の心配をしてるよ。でも今考えてたのは別のことだろ」
「…………」
この人、エスパーだったりするんだろうか。
「なにを悩んでた?」
「いえ、別に……」
言える内容ではない。ただでさえ嫌われているところに、『僕、他人には見えないものが見えてるんです』などと言ったらいよいよ頭がおかしくなったと思われて、レンズと引き離されかねない。それは困る。
「…………」
レンズの兄は沈黙する僕を睨み、そしてため息を吐いた。
「まあ、お前の悩みなんぞどうでもいい。──ただな、いいか。これは絶対にお前のためを思って言うんじゃないぞ」
「はあ……」なんだ?
「お前がなにか悩んでいるのを見ると、俺の妹はそれが気になって気になってしかたないらしい。自分のことそっちのけでお前の心配ばかりしている。──腹立たしいことこの上ないがな」
「…………」
「普段はいいさ。俺はなにも妹の言動全てを支配して制御したい訳じゃない。俺にとっては不愉快なことでも、妹にとってそれが重要なことだというのなら、基本的には目をつむる。でもな、今は違うぞ。今はそうじゃない。妹は今、苦しんでいる。原因もはっきりしない病で伏せっている。そんな妹に余計な負担をかけることは許さん。いらぬ心配をかけて妹を苦しめることは絶対に許さん。ましてや、悲しませるようなことがあったらただじゃおかない。──わかるな?」
「ええ、はい」
ようは、『そのしけたツラをレンズに見せるな』と。そういうことである。
「言われなくとも、そうしますよ……」
「そうかい、そいつはよかった。ここで素直に頷かなかったら、殴るつもりだったからな」
怖いことを言う。冗談かと思ったがこちらを見る目は本気だった。虚仮威しでもなんでもなく、本気でそのつもりで諸々の覚悟を決めていたのだろう。そういえば昔から、変なところで度胸のある人だった。やけに潔いというか、腹をくくるのが早いというか。そういう部分を、昔は頼りがいのある人だと尊敬していたのだけど、その矛先が自分に向けられると物騒この上ない。もう少し躊躇なり遠慮なりしてほしい。
気付けば、自宅近くまで来ていた。僕は早口に挨拶を済ませ、そそくさと家へ逃げ込む。これ以上は、ちょっと関わりたくない。
めんどくさい人だなぁ。
玄関ドアに寄りかかり、僕は深々とため息を吐いた。
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