影絵のレンズ

影絵のレンズ 1

 レンズが入院した。

 僕にその知らせが届いたのは、入院日数が二桁になった日だった。

 連絡をしてきたのはレンズの兄だった。

 最初に見たときは、仰天した。

 レンズが入院したことはもちろん、送り付けられたメッセージの文面に。

 およそ普段のレンズからは考えられないぶっきらぼう──を通り越して攻撃的な内容を、よりによってレンズの携帯端末から送りつけてきたのである。レンズの名前で届いたとんでもなく柄の悪い文面に、僕は最初、危うく階段を踏み外しかけた。それくらい驚いた。頼むから、心臓に悪いことはしないで欲しい。

 まあ、あの人のことだ。十中八九、わざとやっている。

 レンズの兄は僕のことが嫌いなのである。

 理由は、知らない。

 心当たりはいくらでもあるので、そのどれかなのだろう。

 絵に描いたようなシスコンを患っている彼は、隙あらば僕に嫌味を言い、嫌がらせをする。これが二つ三つ歳上程度なら、まあそういう事もあるかと思うのだけど、レンズとレンズの兄の年の差は十歳である。現在は、市内の某金融機関に勤める会社員。立派な社会人だ。しかも、これまでの経歴からしてエリート街道を突っ走ってきた人で、おそらくは今後もそうであろう人である。

 そんな人が、妹の友人である中学生相手に、ちまちまとしょうもない嫌がらせをしている。

 正直、だいぶ問題だと思う。

 シスコンをこじらせた人が行き着く先としては、まだマシなのかもしれないけど。

 閑話休題。

 レンズが入院したのは、市内の総合病院だった。面会可能ということなので、早速、放課後に訪ねることにした。というかレンズの兄からのメッセージに、『こんなことは口が裂けても言いたくないけど、妹が会いたがっているのですぐに会いに行け。行かなかったらただではおかない(意訳)』という内容があったので、行かないという選択肢は最初からない。ただでおかないといったら、ただではおかない人だ。妹が絡むとやばい人なので、素直に従うが吉。

 レンズと友人であり続ける以上は無視できない存在なのだし、仕方のないことだけど──やっぱり、ちょっとめんどくさい人だ。


 ◇◇◇◆


 個人的に、病院という場所はあまり好きではない。

 そもそもいい思い出のある場所ではない、というのが一番の理由だ。それに、どこにいても常に緊張感があって居心地が悪い。忙しそうにしている人を見ると、トラブルの気配を感じてそわそわしてしまう。怒られそうな気がして、迂闊に携帯端末もいじれない。手持ち無沙汰な状態でそわそわと待つ時間ほど、嫌なものはないと思う。

 それでもレンズに会うため病院に向かう。建物が見えてきたあたりで気づいたが、よく考えたら僕は一人で誰かの面会に行ったことがない。どうしたらいいのかと正面玄関の窓口に聞いてみたら、そのまま面会の手続きが始まった。手続きといっても、単に書類を一枚書くだけである。思っていたより簡単で、拍子抜けした。利便性という観点で言えば楽チンでいいのだが、セキュリティという意味ではいまいちな気がする。いいのだろうか、こんなに簡単に入院病棟に入り込めて。

 受付で貰ったカードケースを首からぶらぶらさせながら、病室を目指す。カードケースの中身は、『面会者』と印刷された紙だ。これを首から提げることで、不審者ではないという証明になるらしい。

 正直に言おう。すごく簡単に偽造できそう。

 この病院は、性善説を信じているのだろうか。

 しょうもないことを考えながら、階段を上り、目的の部屋を目指す。レンズは個室に入院しており、そしてこの病院の入院病棟は、基本的に上階へ行くほど一部屋の人数が減る構造になっているらしい。

 なにが言いたいかというと、個室の病室は正面玄関から一番遠いということである。

 目的の階まで到達した時には、僕はすっかり息切れをしていた。最初から素直にエレベーターを使えば良かった。なぜ階段を選んでしまったのか。数分前の自分を恨む。

 ひいこら言いながら目的の部屋に到達する。ノックをすると、小さな返事があった。

 ごろごろとドアをスライドさせて、病室へ入る。

 薄い。

 ベッドの上で横になっているレンズを見て、僕はそう感じた。

 どうしてそう感じたのかは、よくわからない。けれど今のレンズは薄い。もちろん、厚みではない。存在、とでもいえばいいのだろうか。目の前にきちんといるのに、なぜか存在感がひどく希薄で、透けているわけでもないのに透明度が異様に高く感じる。濃度が低いと言い換えてもいいかもしれない。

 初めて覚える妙な感覚に動揺しながら、僕はそっとベッドへ近づいた。

 レンズは、ぐったりとしていた。細い腕に、点滴が繋がっている。顔色は青白く、表情には疲労の色が濃い。額は汗ばんでいて、前髪が張り付いていた。

 微かに開いた目が、ぼんやりと僕の姿を視界に収める。

「ヤマヤドリ……? なんで……?」

「お兄さんから、連絡を貰った」

「言わなくていいって、言ったのに……」

「身体が動かないって聞いたけど」

 レンズの兄が送りつけてきたメッセージによれば、最初の症状は手足の異常だった。手足が重たく、動かせない。感覚がないとか、痛みがあるとか、そういうことではないらしい。ただ、まるで凝り固まったように動かないのだという。そのほか、倦怠感や息苦しさなどの症状もあり、入院と相成った。様々な検査を受けたが、現時点で原因は不明。その間にも症状は悪化し、数日前からは微熱も出始めた。

「原因、まったくわからないんだって?」

「うん……毎日、色々検査、してもらってるんだけど……」

 レンズはだるそうに答えた。

「なんか……変なの。腕に、なにかまとわりついてるみたいな……重りがついてるみたいで……」

「原因に、心当たりとかないのか? 前兆とか……」

「前兆……」

 レンズはその言葉を繰り返した。眉を寄せ、なにかを考えている。

「……あのね、ちょっと変なこと言っても、いい?」

「なんだ?」

「身体が動かなくなる、前の日、なんだけど……」

 レンズは深く息をすると、途切れ途切れに話し始めた。

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