猫少年と影絵猫 3

 元いた公園に戻り、飼い主に連絡を取る。チラシに記載されていた番号は成人男性のもので、ベルを保護したことを伝えると、すぐに引き取りに来ると返事があった。

 飼い主を待つ間、ベルは上機嫌だった。逃げ出すそぶりはまったくなく、むしろ幸せそうに喉を鳴らしている。猫少年の腕の中は、そんなに居心地がいいのだろうか。

「あの人たちかな?」

 ベルを眺めていたレンズが、公園の入り口に車が止まったのを見て呟く。ばたばたと慌てた様子で降りてきたのは、父親らしき男性と、娘らしき女の子だった。手にはミントグリーンのキャリーバッグがある。首輪と同じ色。間違いなさそうだ。

 こちらへと駆けてくる二人を見て、猫少年がさっと顔色を変えた。

「どうした?」

「あ……えと、あの子……」

 同じクラスの子なんです、と猫少年は消え入りそうな声で言った。

 クラスメイト。猫少年にとっては、会って嬉しい相手ではないのだろう。同じクラスで、顔と名前は知っているけれど、交流は全くない。それだけで、どんな顔で会えばいいか迷う距離感だ。猫少年の場合、あまり登校していないことと、それに対する後ろめたさが、その距離を更に広げている。その顔はひどく気まずそうだった。

 もっとも、そのあたりは相手も同じだった。駆け寄ってきた少女は、まず相手の顔を確認して、驚愕。次いで、一瞬の忌避感。そこから一気に困惑へと表情は変わり、最終的にはやはり気まずそうな顔へ行き着いた。

 ちくちくとむず痒い、居心地の悪さ。

 父親らしき男性はそんな空気に気付いていないのか、おああ、とよくわからない声を上げて猫少年の前にしゃがみ込んだ。

「ベル! うおおおおベルゥ! 心配したんだぞお!」

 男泣きしている男性に、ベルが心なしか面倒そうに、にゃあ、と鳴き返す。さっきまでうるうると猫少年を見上げていた目が、今は別猫のような半眼になっていた。それでも抱き上げられれば喉を鳴らしているので、嫌いなわけではないようだ。呆れてはいるかもしれないが。

「おおもうこんなに痩せちゃって可哀想に……ああ、いや失礼。少し、取り乱したね」

 僕らが少し引いているのに気付いたのだろうか。男性は涙を拭うと、急に大人らしい落ち着きのある振る舞いをし始めた。正直、取り乱し様は少しどころではなかったと思うが、そこを指摘する意味はない。

「ベルを見つけてくれたのは、君かな?」

「いえ」

 僕は、猫を見つけたのはあくまでも猫少年であり、僕とレンズは偶然の協力者でしかないことを説明した。その間、猫少年は僕とレンズの背後に隠れるようにして、もじもじとしていた。

「そうか。いや、ありがとう。本当に、感謝している。──もう、いなくなってからずいぶん日が経っていてね。諦めるしかないのかと覚悟をしていたから、こうして無事にベルと再会できて、本当に嬉しいよ」

 何度も繰り返し、ありがとう、とお礼を言う男性に、猫少年は僕とレンズの後ろからもごもごとよくわからない返事をしていた。同級生の親が相手ということで緊張しているのか、あるいは面と向かってお礼を言われるのが気恥ずかしいのか、判断はつかない。両方かもしれない。

 どんどん俯いてく猫少年が見ていられなくなった僕は、会話になっていない会話に割り込むようにして、話を逸らした。

「怪我はないようですけど、一応、病院には行った方がいいですよ。なにか悪い物でも拾い食いしているかもしれませんし、早めに」

「ああ、確かにそうだ。すぐに連れていくよ。──さ、ベル。いい子だから、鞄に入ろうね」

 ベルはキャリーバッグが嫌いなのか、男性の腕の中でびちびちと魚のように身体をくねらせた。また逃げ出したらどうしようかと冷や冷やしたが、幸いにも逃走することなく、最後はキャリーバッグに収まった。男性がキャリーバッグを持ち上げると、うにゃあ、と不機嫌な声がそのなかから聞こえた。

「……あの」

 男性と共に去ろうとしていた女の子が、足を止め、こちらを振り返る。その目が見ているのは、僕らではなく、僕らの後ろに隠れた猫少年だ。視線を感じたのか、猫少年は落ち着きなく身体を揺すっている。その様はまるで、突然広い場所に放り出されて隠れる場所を探す小動物だった。

「ベルのこと、見つけてくれて、ありがとう」

 猫少年はびくっと身体を震わせて、動きを止めた。だいぶ間を開けてから、か細い声で、うん、と小さく返事をする。

「またね」

「…………うん」

 女の子は手を振ったが、猫少年は俯いていて、それには気付かなかった。なにかに堪え忍ぶように、シャツの裾をぎゅっと掴んでいる。その手は真っ白で、少し震えていた。

 女の子と父親の乗った車が走り去るまで、猫少年は身じろぎ一つしなかった。

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