猫少年と影絵猫 2
「──それじゃ、君も不定期登校してるのか」
「はい……」
僕とレンズと猫少年。三人連れだって、住宅地の中を歩く。話題はもっぱら、猫少年のことだ。なぜ猫探しのボランティアを始めたのかという話題になったとき、猫少年は、自分は不登校なのだと、か細い声で明かした。
「ぼ、ぼく……人と話すの……苦手で……学校、行っても……友達とか、できないし…………それで」
だんだんと休みがちになり、そのうちに登校自体が出来なくなった。そういうことらしい。
「最初は、学校……行かなくていいんだって…………嬉し、かった。…………でも、ずっと家にいても、なんか……みんなにも悪いし……なんか、しなきゃって……」
猫少年は消え入りそうな声で、ぽつぽつと話を続ける。
他の子供たちが学校に通っているなか、自分だけが休んで自宅にいることに、罪悪感や焦燥感を覚えたのだろう。学校へ行けなくなった人が、自分はズルをしている、楽をしている、という風に後ろめたく思ってしまうのは珍しいことではない。真面目な人ほど陥りやすい勘違いだ。
「それで、猫探しを?」
「うん……はい。…………猫の、チラシを見つけたのは、たまたま……お母さんの買い物に、ついていって…………ぼく、猫、好きだから……迷子、可哀想だなって……」
とはいえ、当時の猫少年はまだ積極的に猫を探し回るほどではなかった。その猫を見つけられたのは、単なる偶然だったらしい。道端で見かけた猫が、たまたまチラシにあった迷い猫だった。猫少年はたまたまチラシの猫のことを覚えていて、それに気付くことが出来た。そして運の良いことに、猫はあっさり猫少年に捕獲された。偶然と運で、猫少年は迷い猫を保護したのだ。
「連絡、したら……飼い主の人、喜んでて……よかった、って、思ったんです」
「迷い猫は、見つからないことも多いからね」
レンズはしたり顔で頷く。
「それが無事に見つかったら、そりゃあ、嬉しいよね」
「うん……はい。あの……たくさん、お礼言われて、ぼく……恥ずかしかったんです、けど……でも、嬉しくて……それで、それから……猫を探すのを始めて……」
味をしめた、というと嫌な言い方になるが、そういうことだろう。飼い主から感謝をされたことで、猫少年は自分の罪悪感や焦燥感を慰めてくれるものを見つけた。そこに救いを見いだしたのだ。それはすなわち、誰かのために手を尽くすこと。猫を助け、人を助けることで、猫少年は自身を苦しめる後ろめたさから逃れている。
「なるほどね」
相槌を打ちつつ、背後の様子を窺う。
そこには先ほどの影絵猫と、影絵のレンズがいる。僕らの一メートルほど後ろを、二つの影絵は並んで歩いていた。こうしてついてくるあたり、ほぼ確実に、影絵猫は猫少年についている影絵だろう。
少し気に掛かるのは、いつもなら短時間でレンズの元へ戻る影絵のレンズが、今日はずっと離れていることだ。僕が知る中で、一番長くレンズから離れている。幸いにも、今のところ一人と一匹の間に衝突が起こる気配はない。影絵のレンズが髪を伸ばすそぶりはないし、影絵猫はそちらを見もせず、尾を上げてのしのし歩いている。
「……ああ、この辺だ」
影絵たちのことを考えていて、危うく通り過ぎるところだった。
現場は、住宅地の一角だ。五叉路の手前。かつてはクリーニング店があった場所の近くである。あたりに人気が無いのは、旧地全体に共通する特徴であら。そもそも旧地はどの家も土地建物が広く、人口密度の低いエリアだ。そのうえ古くから住んでいる住民が多く、年齢層は高い。あまり子供がいないのだ。下校時間のピークであっても静けさが失われていないのは、そういう理由である。
きょろきょろと辺りを見回したレンズが、そっと僕に顔を寄せる。心なしか声が小さくなったのは、改めてこの場の人気のなさを確認して、気が引けたからかもしれない。
「猫が入っていったのは、どこ?」
「そっちの側溝」
本来ならぴったり閉じられているはずの側溝の蓋が、ある一カ所だけ少し隙間が空いている。僕が見た猫は、そこから側溝の中へと滑り込んでいった。
猫少年はそこをのぞき込み、それから側溝に沿ってゆっくり歩き始めた。僕とレンズは、それを静かに見守る。僕もレンズも、猫を探すことについては素人だ。下手に手を出して邪魔をしてはいけない。
「ヤマヤドリは、猫、好きだったっけ?」
「好きでも嫌いでもない」
見れば可愛いと思うが、それだけだ。特別大事にしようとか、飼いたいだとか、そこまでは行き着かない。猫に対する様々な感情は綿菓子のようで、瞬間的な幸福はあっても永続的な感情へは繋がらない。
ただ僕の場合、それは猫に対して特別そうである、というわけでもない。相手が犬だろうがウサギだろうが人間だろうが、あまり差は無い。我ながらつまらん奴だと思う。
「レンズは、好きだろ。猫とか、犬とか」
「うん、好き。本当は、飼いたいんだけどね」
残念ながら、レンズの家は動物は飼えない。レンズの兄が、アレルギーを持っているからだ。しかも結構な重症らしく、猫どころか猫を飼っている人間相手でも症状が出る場合があるらしい。それでもあの人なら、レンズのために我慢して猫を飼い始めかねない。レンズの兄はシスコンを患っていて、こちらもまあまあ重症なのだ。レンズもその辺りはわかっているので、家族の前では動物に興味がないふりをしている。
素晴らしい兄妹愛……なのだろうか。
僕はレンズに悟られないよう、こっそりと影絵のレンズの様子を窺う。そっと手を伸ばして、影絵猫に触れている。もしかしたら、本物のレンズと同様、影絵のレンズも猫が好きなのかもしれない。普段は触れないから、ここぞとばかりに猫と戯れようとしているのだろうか。そう考えると、ああして遠慮がちに猫へアプローチする姿は、いじらしさのようなものを感じさせる。
「……側溝の中には、いない……みたい、です……」
猫少年が戻ってきて、そう告げる。
どうやら猫は既に移動してしまったようだ。
「あ、でも……まだ、近くには、いる、かも……だから……もう少し、探してみます……」
猫少年がそう言うのに合わせるように、のっそりと影絵猫が立ち上がった。そのまま足を前に突き出すようにして、ぬうっと伸びをする。仕草自体はまごう事なき猫なのだが、サイズがサイズなのでかなりダイナミックで物騒な動きに見えた。物理的に影響がないのが救いだ。そうでなかったら、さすがの僕も素知らぬふりは出来ずに飛び退くくらいはしていただろう。
影絵猫はしっぽの先をちろちろと揺らすと、のしのしと何処かへ向かって歩き始めた。すぐ脇で会話をしているレンズと猫少年には、それが見えていない。
「手伝えること、ある?」
「え……ええと……猫が隠れていそうなところ……狭いとことか、見てもらって…………あ、でも……急に近づくと、逃げちゃう、から……静かに、ゆっくり……」
「うん、わかった。気をつけるね」
にっこり笑うレンズに、猫少年はおどおどと頷いた。周囲の様子を窺うようにしながら、恐る恐るとでもいう風に歩き始める。僕とレンズもそれに倣い、ゆっくりと静かに、物陰などを注視しながら歩みを進める。
今、事情を知らない人が通りかかったら、僕らを見て何をしていると思うのだろう。猫を探しているのだな、と思う人はいるのだろうか。そんな益体のない考えが脳裏をよぎった。
のしのしと歩いて行った影絵猫は、少し先の十字路のところで立ち止まっていた。おそらくはこちらを向いて、ゆらゆらと尾を振っている。なにをしているのだろう、と訝しんでいると、いつの間にか猫少年が影絵猫の足元までたどり着いていた。影絵猫はひょいと尾を振ると、ぷいと前を向いてまた歩き始めた。迷いのない、あらかじめ決められた場所を目指しているかのような足取り。しかししばらく行くと、また足を止めてこちらを振り返る。
待っている……のだろうか。
影絵というのは奥行きや境目というものがないので、どうにも動きがわかりにくい。表情もないので、なにを考えているのかわからない。それでも微かな仕草から、その行動を読み、意味を推測することはできる。
影絵猫は、苛立つように尾を振りながら、じっとしている。猫少年が近くまで来ると歩き出し、そしてまた少し先で立ち止まる。こちらを振り向くような仕草。やはり、そうなのだろう。影絵猫は、猫少年を待っている。
不思議なことに、猫少年は必ず影絵猫の元へ向かう。猫少年は影絵猫が見えていないはずなのに、必ずだ。猫を探してあちこちふらふらとしながらも、最終的には必ず影絵猫の元へたどり着く。まるで光に誘われる蛾のように、猫少年の足は影絵猫のいる方角へ向く。
猫少年は、影絵猫に先導されている。
本人も気付かぬままに、影絵猫を追っている。
影絵猫は猫少年がやってくるのを静かに待ち、そしてまたのしのしと歩き始める。歩いては止まり、猫少年を待つ。そしてまた歩き始め、猫少年をどこかへと誘う。
時間にすれば、十分ほどだろう。影絵猫は住宅地の中にぽっかり空いた空き地の前で足を止めた。長い尾の先が、ひょこひょこと揺れている。
にゃあ、と微かな鳴き声がした──ような気がした。
一瞬、影絵猫が鳴いたのかと思って、僕はぎくりとした。猫少年が、あっと声を上げたことで、それが本物の猫の声だと気付く。
「今の、猫の声だよね?」
「はい」
レンズの問いに、猫少年はそれまでより少し力のこもった返事をした。ようやく猫を見つけたかもしれない、という事実が、彼を高揚させている。
どこにいるのだろう。空き地は除草がされておらず、背の高い草が生い茂っている。中の様子は見えない。迂闊に踏み込むと、猫を驚かせて追い立てる結果になるだろう。ようやく見つけた猫をまた見失う──だけならまだしも、運悪く車が来たりすれば、事故に繋がりかねない。迂闊に踏み込むことは出来なかった。
「ベル」
猫少年が、目の前の草むらにそっと声をかける。今度こそはっきりと、にゃあ、と返事があった。ざわざわと、草むらが揺れる。猫は、そこにいるのだろうか。
二の足を踏む僕らをせせら笑うように、影絵猫がひょうっと跳ねて、草むらに飛び込んだ。影絵猫は影絵なので、草を揺らすことはない。黒い姿は青い草むらに重なるだけで、なにも起こさない。そのはずなのに、草むらがざわさわっと激しく揺れた。影絵猫の尾が、さっと草むらを薙ぐ。
「あっ」
草むらを鳴らしながら、小柄な猫が一匹、こちらに飛び出してきた。灰と黒の特徴的な模様。琥珀色の目。そしてミントグリーンの首輪。
「ベル」
名前を呼ばれると、ベルはぎょっとしたように立ち止まった。まん丸な目が、猫少年を捉える。わずかに身を屈めた猫少年になにを見いだしたのか、ベルはとととっと小走りに猫少年の元へ駆け寄った。まるで旧知の友にでも会ったかのように、尾を高く上げて、身体を猫少年の足に擦りつける。足元を行ったり来たりするベルを、猫少年は慎重に抱き上げた。
「怪我とかは、なさそうだね」
猫少年の腕の中でごろごろと喉を鳴らすベルを見て、レンズが笑う。
その横では影絵のレンズが、レンズと同じようにベルを覗き込んでいた。
彼女は、笑っているのだろうか。──レンズと同じように。
表情のない真っ黒な横顔を見て、そんなことを考えた。
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