猫少年と影絵猫

猫少年と影絵猫 1

 学校帰り、いつもの公園へ行くと、巨大な猫がいた。

 訂正。巨大な影絵の猫がいた。

「…………」

 思ってもみなかった光景に、僕は絶句した。

 巨大な──それこそ、軽自動車サイズの影絵猫は、砂場にごろんと横になり、しっぽをゆっくりと左右に動かしている。その横には、なんと影絵のレンズがいた。猫の頭に手を伸ばし、しきりに動かしている。どちらも影絵なので、重なってしまうとなにがどうなっているのかいまいちわからないのだけど、どうやら撫でているらしい。

 巨大な影絵猫と、影絵のレンズ。

 夢があるんだかないんだか、よくわからない光景だ。

 ぐるりと公園内を見回すと、木陰のベンチでレンズが手を振っていた。きらきらと輝くような笑顔。もちろん、比喩表現だ。あるいは木漏れ日による錯覚だろう。僕は努めて平静を装い、レンズの元へ向かう。

 レンズは珍しく、一人ではなかった。リュックサックを背負った小学校三年生くらいの少年が、隣に座っている。半袖シャツの袖から伸びる腕は細く、うっすらと血管が透けて見えるほどに白い。あまりハサミを入れていないらしい、もっさりとした髪が暑そうだった。

「どこの子?」

「猫くんだよ。猫探しの達人」

「猫探し?」

「迷い猫を探すボランティアをやってるんだって」

 そうなのか、と猫少年を見下ろすと、少年は恥ずかしそうに下を向いた。こんにちは、と挨拶をすると、か細い声で返事があった。

「そこの道をふらふら歩いてて、熱中症かなと思って声をかけたの」

 二人の手にスポーツドリンクがあるのは、そういう事だったらしい。公園内の自販機で買った物だろう。夏の暑さの中で、ペットボトルはびっしょりと汗をかいていた。

「この暑い中、猫探しか」

「うん……はい。……あの……この子なんです、けど」

 猫少年が差し出した携帯端末に表示されていたのは、迷い猫のチラシを撮影したものだった。飼い主が自作した物だろう。チープなデザインで、いかにも素人仕事だ。だがそれ故に、焦りや緊迫感が伝わってくる。

 添付されている画像は、まだ若そうなアメリカンショートヘアだった。まん丸な琥珀色の目で、こちらを見上げている。ミントグリーンの首輪をしていた。名前はベル。

 僕は思わず首を傾げる。画面に顔を近づける僕を見て、レンズが不審そうな声を上げた。

「どうしたの?」

「いや……ついさっき見かけた猫に似てるな、と」

 ここに来る途中のことだ。まだ昼の暑さの残る道を、僕が汗を拭いながら歩いていると、目の前をとことこ横切る猫がいた。おや、と顔を挙げるのと、猫が側溝の中へするりと入りこむのはほぼ同時で、細かな部分までは観察できていない。ただ小柄で、アメリカンショートヘアらしき毛並みだったのは確かだ。

「ベルちゃんかな?」

「どうかな。断言は出来ない」

 特徴的な首輪は確認できていないし、毛並みも遠目に見ただけで、きちんと確かめたわけではない。あくまで遠目に、しかも一瞬見ただけだ。

 昔ほどではないが、今もこの辺りは猫が自由に闊歩している。その中には似たような毛並みの猫もいるだろうし、間違いなくベルだったとは言えなかった。

「あ……」

 猫少年が蚊の鳴くような声を上げる。僕とレンズが目を向けると、さっと下を向いて口を閉ざしてしまった。どうやら注目されるのは苦手らしい。

 しばらく見ていると、猫少年はもごもごと口を動かした後、意を決したように顔を上げた。最初はきりっとしていた顔が、僕と目が合った瞬間にしゅんと萎んでいく。なんだか申し訳ない気分になった。

「ええと、どうした?」

「あの……猫、見たって……どの辺ですか……」

 後半は徐々にボリュームが下がり、語尾が空気に溶けて消えていく。コミュニケーションはだいぶ苦手そうだ。僕もどちらかと言えば人と話すのは苦手な部類だが、それとは比較にならないレベルである。色々と大丈夫なんだろうか、こんな調子で。

「案内しようか」

「え…………あ、はい……」

 猫少年はおどおどとした仕草で、お願いします、と頭を下げた。

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