影絵ウサギ 8
「そういえば、なんでこの前、あんなところにいたの?」
「うん?」
レンズに聞かれて、ぼくは我に返った。ついつい、これまでの出来事の回想に浸ってしまった。思ったより上手く事が運んだからといって、それを思い返して悦に入るなど趣味が悪い。
「何の話だ?」
「先月の終わり頃に、太郎橋駅の駅ビルに入ってる、エトワールってお店にいたでしょ」
「……見てたのか」
まさか、よりによってレンズに見られていたとは。
僕らの生活圏からは離れているから、知り合いはいないだろうと思っていたのに。
ちなみにエトワールは、いわゆるファンシーショップである。可愛い雑貨が所狭しと並ぶ、砂糖菓子とフルーツポンチとチョコレートパフェが化けて出たような店だった。パステルカラーとふわふわひらひらしたものがいっぱいある。なにも食べていないのになぜか胸焼けがする、不思議空間だった。
「あんな可愛い店でヤマヤドリを見かけるなんて、思ってもみなかったわ」
「ああ、うん……」
「なにしてたの?」
「そりゃ、買い物だよ」
「ふーん」
じいっと、レンズがこちらを見つめてくる。
僕は誤魔化すのを諦めて、正直に話すことにする。
「その……レンズの誕生日になにを買おうか、下見に」
僕の言葉に、レンズは目を丸くした。
「私の誕生日、来月だけど。だいぶ早くない?」
「そうやって余裕綽々でいると、直前になって焦る羽目になるんだ」
これは別に嘘ではない。実際、エトワールを訪れた目的はそれだった。わざわざ遠くまで出かけたのは、身近な店のものは一通りレンズに贈ってしまってレパートリーがなくなってきたからである。
ただ、それだけが目的ではない。それと同時に、別の用事を済ませる目的もあった。だから、見られていたのは少々ばつが悪い。
ぼくがエトワールの他に立ち寄ったのは、同じフロアにあるリサイクルショップだ。購入したのは、ウサギのぬいぐるみである。
先生が張り紙の件をもみ消したのではという疑念を抱いた僕は、もう少し踏み込んで、先生に直接仕掛けてみようと思ったのである。その小道具として適当なものを探していたところ、ちょうど良さそうなウサギのぬいぐるみがリサイクルショップで投げ売りされていたのだ。
ぼくはそのウサギを、先生が通勤に使っている自転車の前籠に入れておいた。上手くいけば、先生がそれをSNSに投稿するかもしれない。そんな期待があった。
結果からいうと、期待通りだった。あまりにも期待通りで、ごちゃごちゃと小細工などせずに最初からこうしておけば良かったと思ったくらいだ。
先生は、籠に放り込まれたウサギのぬいぐるみについて、画像付きで投稿していた。前々から目をつけていたアカウント群のうちの一つだった。
僕はそのアカウントの過去の投稿を全て保存した。いくつかの、公になったら問題になりそうな投稿についてはプリントアウトした。そこに匿名の手紙を添付し、先生の自転車の前籠に入れておいた。手紙の内容は小細工なしで、『先生のことが好きではないのでいなくなってください(要約)』というシンプルに酷い内容だ。『先生がいなくなってくれないなら、こちらのアカウントの投稿について教頭先生にチクります(要約)』という一文も付け加えたので、輪をかけて酷い。完全に脅迫である。
とはいえ先生に無視されたら僕に出来ることは少ない。このアカウントが先生のものであるという明確な証拠はない。それを説明するには、僕がやったことについても説明しなくてはいけない。仮に僕が教頭先生にアカウントについて注進したとしても、先生が『知らない』『でっち上げだ』と訴えれば、教頭先生はそれを受け入れるだろう。 その上でアカウントが削除されれば、もはや打つ手はない。
やはり、期待値は低かった。おそらく先生は無視するだろうと思っていたし、それはそれで仕方のないことだと思っていた。
だから、先生が辞めると聞いたときは驚いた。
あれだけで、辞めるという決断をするのか。
意外だった。
「なあ、レンズ」
「なに?」
「先生がいなくなるの、寂しいか?」
「…………」
唐突な問いかけに、レンズは戸惑ったようだった。
聞き方を間違えた、と僕は少し後悔した。もう少し自然に、話の流れに合わせて聞くべき事だった。今、どうしても聞かなくてはいけないことではなかったはずだ。少し焦ったのかもしれない。自分のした一連の行動を思い返して、その酷さを再確認して、自己嫌悪をしたのかもしれない。そしてレンズに、なにか救いを求めたのかもしれない。べたつく嫌悪感から抜け出す言葉を、レンズに求めたのかもしれない。
それは、最悪のことだった。僕はレンズを、罪悪感や嫌悪感から抜け出すための道具にした。
最悪の行動だった。
「いや、ごめん。なんでもない」
「ヤマヤドリ、なんか、変だよ?」
「そうだな」
認める。僕は今、冷静ではない。
「先生がいなくなるのが、悲しいの?」
「いや、逆だ。僕はあの先生が、あまり好きじゃなかったから」
「……そうだったんだ」
「でも、みんなはそうじゃない。寂しがっていたし、泣いている人もいた。そういうのを見ると、自分は……」卑劣漢と誹られても文句は言えないだろう。「……なんていうか、悪い人間なんだなと感じる」
「うん」
レンズは憂え気な顔で頷く。
「わかるよ。……私も、ほっとしてるから」
「そうか」
「悪い人間だね、私たちは」
「そうだな」
夕焼け小焼けのチャイムが、空を割る。僕も、レンズも、なにも言わずにその音を聞いていた。見上げた空は燃えるような赤色で、禍々しいようにも、神々しいようにも思えた。
僕は悪い人間だ。レンズとは比較にもならない程に。個人的な感情から、一人の人間の人生を大きく歪めてしまった。それは本来、許されることではない。許して良いことではない。裁かれるべき罪悪だ。
では後悔しているのか、と聞かれると、そんなことはない。僕は少しも後悔はしていなかった。僕はレンズが再び登校できるようになるなら、どんなことでもするつもりだった。それが不当な手段による担任教師の排除であっても、必要であればする。そのつもりでいたし、そのようにした。レンズのため、と言うのはレンズを言い訳にしているようで嫌なのだが、実際そのつもりで僕は行動したのだ。だから、後悔はしていない。……今のところは。
チャイムが鳴り終わる。余韻が、ゆわんゆわんと空気を揺らめかせた。
「……帰ろっか」
「ああ」
ブランコから腰を上げる。
きぃ、と物悲しい音がした。
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