影絵ウサギ 6

 二週間ほど、レンズは登校しなかった。

 久しぶりに会ったときには、制服は冬服から夏服に切り替わっていた。

「ヤマヤドリ。おはよう」

「今は、夕方だ」

「そうだった」

 心なしか困ったような顔で、レンズは笑う。いつもの、憂えるような顔とは違う、困惑の表情。その理由が先生にあることは、容易に予想できた。

 先生は、学校を辞めることになった。

 理由は、健康上の理由。精神的なものだという。

 突然のことに、レンズのクラスはかなりの混乱と動揺に襲われたようだ。先生の口からこのことが知らされると、泣き出した生徒もいたという。先生がどれだけ生徒から好かれていたのかを端的に表すエピソードだ。

 ただ、先生が辞める本当の理由を知ってもなお生徒たちがそんな風に慕ってくれるかというと、そんなことはないだろう。先生もそれをわかっているから、こうしてそれらしい理由をでっち上げて辞めるのだ。

 先生が辞める理由は、健康上の理由などではない。

 先生はとあるSNS上に匿名のアカウントを所持していた。そこでの発言は道義的、倫理的に問題のあるものが多く、公になれば糾弾されるのは必至だった。先生はそのアカウントが自分のものであると公表されることを怖れたのだ。だから、そうされる前に仕事を辞めて逃げることにした。

 なぜそんなことを僕が知っているのかと言えば、そのアカウントを見つけたのが僕だからである。

 クラスメイトの女子から聞いた噂の一つに、先生がどうやらSNS上にアカウントを所有しているらしいというものがあった。彼女の先輩がたまたま先生の携帯端末の画面を覗いたのが、噂の発端だ。画面上に並ぶアイコンの中に、自分たちも使っているSNSのアイコンがあった。通知のマークも出ていたので、どうやらアカウントを所持しているらしい。先輩はすぐさま知り合いに、先生に見られたら困るような投稿を削除するか、アカウントに閲覧制限をかけるかしたほうがいいと情報を共有した。

 その話を聞いた僕は、先生のほうも生徒に見られては困るような投稿をしていたりしないだろうか、というささやかな希望を抱いた。もちろん、それは単なる希望で、確信はなかった。そもそも本当にSNSのアカウントが存在しているのかも怪しい。

 それでも、他に出来ることのなかった僕は、駄目もとでアカウント探しをしてみることにした。


◇◇◇◆


 当たり前だが、人に見られて困る内容を本名で投稿する人間はほとんどいない。先生の本名で検索してもアカウントが出てこないのは、当然の流れである。

 意外だったのは学校名で検索した結果だ。こちらは、案外多くのアカウントがヒットする。学校名くらいならオープンにしても良いと思う人が、世の中には意外と多いらしい。それどころか、部活やクラスなどの所属、本名、顔写真までアップしている人までいる。

 僕は学校名どころか住んでいる都道府県すら知られたくないタイプの人間なので、これには驚いてしまった。

 確認してみると、詳細な情報を明かしているのはどれも生徒のアカウントだった。教師のものは一つもない。教師のネットリテラシーは生徒よりまともなようだ。そうでないと困る。いや、今回はそれでは困るのだけど。

 生徒のアカウントのうち、投稿を公開しているのは六割ほどだった。投稿内容や、他のユーザーとのやりとりを調べていく。他愛もない投稿をひたすら読むのは、ものすごく退屈で根気のいる作業だった。その割に、得るものも少ない。収穫といったら、やりとりをしているアカウントの中に、生徒のものらしいアカウントがいくつか見つかったことくらいだ。ただ、そちらも投稿内容は似たり寄ったりである。

 こちらを辿っていっても、先生のアカウントが見つけられそうにはない。

 僕は作業を中断し、別の方法に切り替えることにした。

 日付を指定し、校内で起きた出来事について検索する。体育祭や文化祭のような行事から、学校周辺で起きたトラブルや事件まで、印象的な出来事を片っ端から検索する。ヒットしたアカウントのうち、明らかに無関係なアカウントと生徒のアカウントは除外する。そうして残った正体不明のアカウントをリストアップしていくと、三十件程度が手元に残った。先ほどまでの、アカウントを辿る方法では見つからなかったものだ。内容からして学校関係者である可能性は高そうだが、その正体までは判別できない。確率で考えれば生徒だろうが、教師か、あるいは校外のご近所さんである可能性は否定できない。

 検索と確認という作業を繰り返してわかったことだが、人間はみんな、平和な日常に退屈している。倦んでいる。それ故に、周辺で起きた非日常的な出来事に飛びついて、記録し投稿する。そうすることで、自分の生活は退屈なだけではないと実感する。自分の人生は退屈なばかりではないと確かめている。そうしないと、きっと退屈さで心が死んでしまうのだろう。贅沢な悩みである。

 贅沢な悩みは、贅沢故に底がない。

 底なしの欲望は、付け入る隙と同義である。

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