【KAC20228】恐怖の旧校舎

井澤文明

私だけのヒーロー

「なあなあ、旧校舎の前でキャッチボールしよう!」


 昼休み。給食を食べ終えると、いつも連んでいる秀雄に誘われた。


「旧校舎? あのボロボロの?」

「そうそう。あそこなら誰も来ないから、もっと遊べるって!」


 秀雄は少し興奮してるっぽかった。そんなにいい所なら、行ってみた方がいいのかもしれない。

 秀雄に案内されて、僕は彼の言う場所へ行く。子供で溢れた校庭からは少し離れた、今の校舎の裏にある旧校舎の前。名前も知らない植物の蔦や苔が生えまくってて、ちょっとカッコいい。ゲームに出てきそうな感じ。


「すげー、よくここ見つけたな」

「前に体育の授業でボールをここら辺まで飛ばしちゃってさ。それより、早くやろうぜ」


 昼休みは残り二十分しかない。僕らはたくさん遊んだ。

 でも事態が変わったのは、秀雄がボールを取り損ねた時だった。転がっていくボールを必死に追いかけるけど、間違えて旧校舎の割れた窓の隙間に綺麗に入ってしまった。


「はあ? ふざけんなよ、誕生日に買ってもらったヤツだぞ」


 秀雄が怒る。

 ボールが入っていった窓を覗いてみると、何もない物置きみたいな部屋の隅に転がっていた。


「急いで取りに行けば、休みが終わる前までには戻れるよ」

「うん、早く行こう」


 旧校舎に入る裏口があって、そこはいつもは南京錠がかかっているけど、行ってみると今日は鍵がなくなっていた。


「やった、ラッキーじゃん」


 重い錆びた扉を開けて、僕らは走ってボールが転がった部屋がある方向に向かった。窓が汚れているのと、電気が付いていないせいで周りは真っ暗だったけど、なんとなく手探りで部屋を探していく。


「ここかな?」


 僕は扉を開けて、中を覗く。何もなかった。秀雄は文句をつけてくる。


「はあっ!? ハズレかよ」

「うるせーわ」

「うっせーうっせーうっせーわ♪」


 秀雄が、ちょっと前に流行った歌を歌って、僕を揶揄う。


「うっせえよ、ほんとに」


 僕は隣の空き部屋を開く。今度は正解だったようで、部屋の隅に埃が付いて汚れたボールが転がっていた。


「今度は当てたかんな!」

「はいはい、すごいすごーい」


 僕はボールをズボンのポケットに突っ込んだ。そして僕らはさっき走ってきた道を戻ろうとした。


 その時。


 ゾゾっと冷たい何かが急に身体中を巡った。何か聞こえた訳じゃない。見えた訳でもない。ただ、ただ、怖い。暗い。帰りたい。逃げたい。

 でも、体が、動かない。


「走れ!!!!!」


 秀雄が叫んだ。

 体がビクッと跳ね上がって、動かせるようになった。僕は、それからは何も考えずに、ただ遠くに見える小さな光に向かって、ただひたすら走った。

 隣で秀雄が一緒に走る音と息が聞こえた気がする。僕の荒い息も。交じる。走った。

 でも途中で、壁みたいな何かにぶつかった。


「穴だ、穴を通らないと出れない!」


 秀雄が言っているように、僕ら一人がやっと入れるぐらいの穴が壁に空いていた。通気口って言うヤツなのか、それとも昔の人が逃げるために作ったのかも、とか色々考えそうになったけど、答え探す時間はない。


「早く行け!!」


 秀雄は僕を急かす。僕の方が体が小さくて、早いからかもしれない。

 僕は穴の中に飛び込んだ。埃と土の匂いが口に入る。蜘蛛の巣が顔にくっついた。でも気にしてる時間はない。

 僕は必死に這い続けた。自分をモグラだと思い込んだ。

 光はどんどん大きく、どんどん明るくなって行く。そして、全速力で、どれぐらいの時間をかけたのかは分からないけど、僕らは光の基にたどり着いた。外だった。校庭が見える。僕らの同級生が下校しているのが見えた。日も傾いている。


「はあっ、もう帰る時間!? ヤバい、高田のババアにボコられる!!」


 僕は叫んだ。焦って。いつの間にか旧校舎の中で何時間も過ごしていたんだ。旧校舎で怖い思いをしたことも忘れて叫んだ。でも、秀雄の返事がなかった。

 後ろを見る。誰もいなかった。さっきまで潜って通ってきた穴しかない。秀雄がいない。


「秀雄!!!!!」


 穴に向かって叫ぶ。僕の声が、こだまするだけ。誰も返事はしてくれなかった。

 旧校舎の穴の暗闇が、僕を引きずり込んでしまう気がして、怖くなって僕はそこから逃げた。


 こういう時、誰を頼ったらいいのか分からなくて、僕はさっきボコられるかもと怖がっていた担任の高田先生がいる職員室に走って行った。

 職員室に駆け込んだ僕を見て、高田先生は最初、怒った顔をして、説教モードに入ろうとしていたけど、僕がボロボロなのを見て、ちょっとビックリしていた。


「何をしてたんですか、伊藤さん。午後の授業サボったでしょ」

「旧校舎にボールが入っちゃって、それで───」

「旧校舎!!? 鍵がかかってるはずでしょ!?」

「鍵が空いてたんだって!! それで、まだ中に秀雄が───まだ秀雄が残ってるんです!!」


 怖いのと、訳が分からないのとで、気持ちが滅茶苦茶になって、僕は涙が出てきてしまった。

 先生は困った感じで僕に近付いて、質問をした。


「秀雄?」

「そう、稲垣秀雄!! 僕の隣の席にいる!!」


 涙を必死に拭っても、ぼやける視界で見る先生の顔は、とても困惑していた。


「先生のクラスに稲垣は一人もいないはずですよ?」

「───は?」


 そんなはずはないと、僕は先生の生徒名簿を見るけど、僕の一個下の出席番号だった秀雄の名前は綺麗さっぱり消えていた。

 秀雄の名前が、あるべき所から全部なくなっている。誰も秀雄のことを覚えていない。

 先生と僕は、今度は旧校舎の裏口に行ってみたけど、さっきと違って、扉にはしっかりと南京錠がかかっていた。


 結局、先生は僕の話を信じてくれなかった。先生には、こってりと叱られて、親からも説教を受けた。

 でも、先生と親の説教は、『秀雄が消えた』っていうことと、旧校舎で感じた寒気よりはマシだ。

 僕は毎晩、ポケットに入っていた、唯一秀雄が本当にいて、僕の妄想じゃないっていう証拠である、秀雄の名前が書かれたボールを握りしめて眠る。

 秀雄が一緒にいてくれなかったら、きっと僕が消えていた。

 僕だけが覚えている、僕だけのヒーローを忘れないよう、大事に握りながら、今日も眠りにつく。秀雄がどこかで、幸せに生き延びていることを願いながら。

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