第3話 彼が僕を招いた理由

明日、どんな顔をしてマリア様に会えばいいんだ。

頭を抱えた僕とは対照的に、アルト様は上機嫌でメイド達に食事の命令を下した。

あっという間に銀食器を並べられ、数分後には目の前に温かなほうれん草のポタージュと部屋全体を包むほどの香ばしいかおりのする焼き立てのバゲット、続けてメインに赤ワインで煮込まれた牛肉が並ぶ。

美味しそうな料理に目を輝かせつつ次々と平らげていると、正面に座っているアルト様はこちらを眺めるだけであまり食が進んでいないことに気づく。

食べ慣れているから、こんなご馳走にも興味がないのだろうか?

頬張っていた赤身肉をごくりと飲み込んでから、僕はアルト様に声をかけた。


「こんなに素敵なお料理を、殿下は毎日召し上がっているのですか?」

「いいや…今日は君が来たから多めに用意させた。普段は一食しか食べない日もある」


同じ歳の僕が言うのも変な話だが、今僕らは世間で言う"育ち盛り"な年齢だ。

それに殿下は、僕のように貧乏で意図的に食事を少なくしているのとは訳が違う。

とはいっても、硬くなったバゲットを卵液につけてフレンチトーストにする等母は色々と工夫をしてくれていた。

そのおかげで、貧乏ではあるものの僕が空腹で虚しくなるようなことは一切なかった。

それに比べて、有り余るほどの食材がこの屋敷のキッチンには揃えられているだろうに、それらのほとんどが殿下に食されることもないまま処分されていくのか。

そう思うと、日頃領地の農民達と畑仕事に精を出していた僕は苛立ちを覚えた。

初対面での言葉といい、やはりこの人は冷酷無比な性格だと思う。

王家の食卓に並ぶ為必死に育てられ精密な監査を潜り抜けた食材や、その食材を王家のシェフが趣向を凝らして作り上げた料理達をなんだと思っているんだ。

フツフツと怒りが込み上げる中、どうにかその怒りを逃がそうと別の話題を探し始める。

ふと、自分の持っている銀食器に視線がいった。


「それにしても、素敵な銀食器ですね。僕の家庭には一本も無いので羨ましい限りです」

「……ほんとうに、羨ましいと思うか?」


瞬間、身の凍りそうなほどの冷ややかな表情が自分に向けられた。

何か、まずいことを言ってしまっただろうか。

無意識のうちにガタガタと震え出す手から、フォークが大きな音を立てて地面に転がり落ちた。


「も、申し訳ありません。不用意な発言をいたしました」


怯える僕の顔を見た途端ハッとして、アルト様はこめかみに手を当て黙り込んでしまった。


「すまないが、レオナルドと2人きりにしてくれ」

「ですが、殿下っ」

「この貧弱な体つきの彼に、私が倒されると思っているのか?」


たしなめる様な口調でアルト様が従者に問うと、ぐっと押し黙った彼はメイドや執事達を連れて部屋を去っていった。


この空気感の中で2人きりというのは、なかなかに厳しい状況じゃないだろうか。

手懐けられない獣がいる檻の中に放り込まれた様な気分だ。

ふぅ…と、深いため息が聞こえ俯いたままビクリと体を動かす。


「そんなに怯えないでくれ」


まるで懇願する様な声が聞こえて、僕は顔を上げる。

先程までの威圧的な雰囲気は消えていて、どこか悲しそうな表情をしているアルト様と目が合った。

このお方の瞳の奥には、どれだけの苦悩が隠されているんだろう。

コバルトブルーの瞳には憂いが漂っていて、深く呑み込まれる様に僕はそれに釘付けになった。

底の見えない深海のようだ。暗く、深く、そして…孤独で。

いつのまにか、僕はアルト様の頬に手を添えていた。

驚いた表情をしていたアルト様だったが、身を委ねるように僕の手に自分の手を重ねる。


「豪華な食事が並ぶ食卓や、銀を使ったカトラリーよりも、君の様な"純粋に食事を楽しむ心"が私はとても羨ましいんだ」


僕の手のひらの暖かさに、凍てついた彼の心が溶かされていく。

ぽつりぽつりと話し出すアルト様の言葉に、僕は何も言わずに耳を傾けた。


「私は生まれて間もない頃から処世術を叩き込まれた。少し成長すると、微量の毒を混ぜられた皿を探し当てる訓練が始まった。当てられず口にすれば、全身に痛みを感じながら痺れる両手をなんとか使って必死に解毒剤をのみ干した」

「…っ!!」


壮絶な過去の話に、思わず絶句する。

僕が呑気に生きていた中で、彼はここまで苦しんで生きてきたのかと。


「その頃から、この食事にも毒が盛られているかもしれないと恐れる様になった。何か口に入れるとあの体の痛みと不快感が体を支配した。次第に食欲が湧かなくなり、食事は私にとってはあくまでも"生きるための作業"でしかなかった」


そこまで語り終え、アルト様は僕が落としたフォークを見つめる。

そして、ゆっくりと瞳を閉じて僕に告げた。


「銀食器は、化学反応で毒を検知できるから使用しているだけだ。どれだけ豪華な食事を見ても心が躍ることはない。今にも食器が黒く変色するのではと、そればかりを考えてしまう」


感情を落ち着かせる様に、アルト様は深呼吸をしてから瞼を開いた。


「レオナルド…君を不快にさせて悪かったな。怖がらせるつもりはなかった。ただ、私と対等に話ができる存在に浮かれてしまっただけだったんだ」


重ねていた左手をそっと離して、アルト様は立ち上がる。

窓からは月が顔を出していて、月光に照らされた彼は絵画の様に美しかった。


「フォーセット家への手紙も無かったことにしよう。馬を走らせて急げば、まだ間に合う距離だ。金輪際君には関わらない様に尽力する」

「なにを、勝手に…!」


バンっと机を叩いた衝撃をいかして、僕は思い切り立ち上がった。

それからズンズンとアルト様の方に進み、手首を掴み上げる。


「今日あなたに出会って、屋敷についてきた時点で振り回される覚悟はできています!勝手に話を進めて僕を見限るなんて、勝手にも程がある!こんな話を聞いて、僕があなたを置いて呑気に暮らせると本気で思っているんですか!」


自分でも、ここまで誰かに怒ったことは初めてだと思う。

慣れていない怒りの感情で息を切らし、返答を待つ。

アルト様は僕に捲し立てられ、驚きで硬直した後にーープッと吹き出した。


「すまない、私が勘違いをしていた。そうだ、君がこういう人間だから私はここに連れてきたんだった」


騒動を聞きつけた従者やメイド達が、扉を開けて押し入ってくる。

しかし、自分達の主人が笑っている姿を見て今度はこちらが硬直してしまった。

その一連の流れを見て、僕もうっかり笑い出した。

一度笑い出すとなかなか止まらず、僕たちは疲れ果てるまで共に笑い続けたのだった。

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