第2話 身柄を買い取り、ですか?
そびえ立つ大きな門を前に、どう見ても場違いな僕は立ち尽くしていた。
精巧な装飾に思わず手を伸ばすと、指先にピリッと電流が走った様な痛みを感じる。
厳重なセキュリティシステムが張られているのだろう。まるで王家の人間以外の全てを拒絶する様に思えるそれに、僕はごくりと唾を呑んだ。
「解錠せよ」
アルト様がそう呟き門に手をかざすと、ガチャリと鍵の開く音がした。
重厚感のある門からは見えなかった広大な庭が視界に飛び込んできて、僕は思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
光が差し込んでキラキラと輝く草花達は生き生きとしていて、生命の美しさを感じずにはいられない。
咲き誇る薔薇の香りに誘われ、僕は知らず知らずのうちに緊張ですくんでいた脚を動かしていた。
ここまで手入れの行き届いた庭は初めて見た。さぞ腕利きの庭師がいるのだろうなあ。
そんなことを考えながら庭を練り歩く様にして、キョロキョロと辺りを見渡していると、数歩先を歩いていたアルト様が腕を組んで僕を待っていた。
「まったく…この調子じゃ部屋に招くまでに日が暮れてしまう」
「申し訳ありません殿下…」
アルト様に出会ってからというもの、僕は失態ばかりを晒しているのではないか。
流石に一貴族としての示しがつかない。
もっと見て回りたいと思ったが、僕は諦めて目線をアルト様の背中に集中させ、とぼとぼと歩みを進めた。
庭だけでもかなりの土地を有していたアルト様の邸宅は、やはり屋敷内部も凄まじかった。
世界各地から取り寄せられたのであろう調度品に、僕は目を瞬かせる。
ピカピカに磨き上げられたそれらは、僕なんかがいくら努力しても到底お目にかかれない物だ。
それが何個も並べられているのだ。一体いくらになるのだろうと考えて眩暈がする。
そんな僕を余所に、アルト様は慣れた手つきで執事に上着を預けながら客人である僕の接待について命令を下していた。
「お上着をお預かり致します」
そんな様子を見ていると、どこからともなく現れたメイドが流れるようにコートを体から脱がしていく。
お礼を言おうとしていると、アルト様に肩を叩かれハッと後ろを振り返った。
「早く来たまえ。君には色々と確認したいことがあるんだ、時間が惜しい」
言われるがままに、応接室へと連れていかれる。
この先僕は一体どうなってしまうんだろう。
確認したいことって、いったいなんなんだ。
現実味のない事ばかりでまともに動いていない脳をフル回転させながら、僕は自分の行く末を案じた。
「ここに座るといい。すぐに飲み物を用意させる」
「は、はいっ」
情けない声を出した僕を許して欲しい。
品定めする様に屋敷の人間にジロジロと見つめられ、緊張が増すばかりなのだから。
嗚呼、父上…母上…。僕は生きて帰る自信がありません。
コンコンというノックの音に意識をどうにか戻すと、先ほどのメイドと執事がティーセットを運んできた。
手際良く準備をしていく中で、ふわりと漂った紅茶の香りに一瞬気が緩む。
「君があまりにも緊張しているから、アールグレイを用意させたよ」
「お気遣い感謝いたします」
アールグレイに含まれるベルガモットには、抗不安作用があると聞いたことがある。
差し出された紅茶は、マリア様に投げつけられたティーカップとは比べ物にならない程の代物に注がれていた。
落とさない様にと細心の注意を払いながら受け取り、一口飲んでホッと息をつく。
「殿下、僕に確認したいこととは何でしょうか」
単刀直入にそう聞くと、アルト様は手に持っていたティーカップをソーサーに置いてから口を開く。
「令嬢にティーカップを投げつけられていたが、君は何故反撃しなかったんだ?」
予想していなかった質問に、頭にはてなマークが浮かぶ。
そんなことを確認する為に、わざわざ屋敷に招待したんだろうか。
「僕にはマリア様に反撃する理由がありません」
「何故だ?君は侮辱されたんだぞ?貴族として、名誉を傷つけられることは最も腹立たしいことではないのか?」
「マリア様は、困窮していた僕の家を救ってくれたからです。そうじゃなくても、僕は自分の家を誇りに思っているので、あの程度では気にも留めないです」
今度はアルト様が首を捻った。
確かに貴族といえばプライドが高い。学園で他の名家に囲まれて暮らしていると、何となくだけどそう感じていた。
だが、僕は自分自身が家に誇りを持っているのであれば、他人の言葉なんて気にしなくて良いと思っているのだ。
裕福な暮らしができていなくとも、僕は優しい両親の元生まれ育つことができて幸せだと胸を張って言える。
だからこそ、マリア様に毎日いびられても耐えることが出来ていた。
「それに、フォーセット家には農作物が不作の時期に経済支援も受けました。我々の領地は水はけが悪い場所が多く、領民の生活を守る為には、僕が彼女の憂さ晴らしの相手にならないといけないんです」
彼女は土地の権利の為とはいえ、あまりいい噂のないルーカス家に嫁がされたことが嫌だったんだろう。
その鬱憤は僕だけが受ければ良い。
マリア様には悪いけれど、フォーセット家からの経済支援が無ければ領民の生活を充分に守れない。
ここで僕が耐えれば全てがうまくいくんだ。
強く語り終えた僕を見て、アルト様は何か考えこんでしまった。
二人の間に沈黙の時間が流れていく。
なんだか居た堪れなくなってしまって、場を和ませる様な言葉でも言おうかと口を開こうとした、その時だった。
「そんな扱いを受けるぐらいならば、私が君の身柄を引き受けよう」
僕が驚愕し硬直している横で、アルト様はどこか嬉々としながら筆を進める。
あっという間にフォーセット家に対しての文書を書き上げると、側に立っていた従者に渡した。
「これで君は私の所有物だ。異論はあるか?」
「いえ、ありません」
アルト様の口元は弧を描いているが、目の奥が笑っていない。
そんな顔で見つめられては拒絶など出来るはずもなく。
僕は少し泣きそうになりながら、アルト様の気まぐれな提案に身を委ねたのだった。
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