あなたは私のただ一人の英雄です
相内充希
あなたは私のただ一人の英雄です
ルマーキクの北にあるモリュカ地方では、年に一回大きな祭りが開かれる。
これは千二百年ほど前にこの国を苦しめた巨大な氷の魔物を、英雄ジオラスが倒したことに由来する。小さかった祭りは時代を経て、やがて、春の訪れを祝う祭りへと変化した。
★
モリュカ地方北部の町、リダイ。
にぎやかな祭りの喧騒を遠くに聞きながら、デイジーは一度大きく深呼吸した。
祭りのために仕立てたドレスは綺麗な薄い黄色で、縁飾りは鮮やかな緑。春の花の色だ。
準備小屋のドアは開きっぱなしで、祭りのための色鮮やかな掛布がかけられている。それを手の甲でそっと押しやり、息をひそめたまま中を覗き込む。
(クリスってば、やっぱりここにいた)
ずっと探していた相手を見つけ、忙しく胸を打つ心臓を抑えるように、デイジーは己の胸元をぐっと押さえた。
準備小屋と言っても、祭りで使う巨大な木馬を作る作業場でもあるため、大人の男が十人入っても十分に作業できるスペースがある。木馬は英雄ジオラスの愛馬を模したものだ。地方によって作り方は様々だが、一般に板を組み合わせて中を空洞にしたものが主流。かなり大きな馬だったという伝説が残っているため、時代を経るごとに年々大きく、そして色鮮やかに変化したそれは、祭りの象徴だった。
ルマーキクの男たちは毎年祭りのために趣向を凝らした木馬を作り、三日間ある祭りの最終日に燃やして天に返す。今日は二日目の夜で、他の土地からの旅行者も多く、町が賑わっているのだ。
そんな喧騒から隠れるように、また明日のために木馬がしまわれた小屋には、普段見張りの係以外そばにいない。皆でごちそうを食べたり踊ったり、交代で春の到来を楽しむのだ。なので見張り係はある意味ハズレ役。
なのにクリスは係の代わりに、一人で木馬のそばにいた。
(ま、まあね。どこぞの美人と一緒じゃなくてよかったけど)
木馬を愛しむように撫でるクリスを見て、デイジーはほっと胸をなでおろした。
クリス・ロッカは今年、この地区の木馬作りにおけるまとめ役だった。
モリュカ地方で最も大きな商会の一つであるロッカ家当主には、五男三女の子供がいる。クリスはその地主の息子で、兄四人、姉三人の兄弟がいる末っ子だ。
生まれつき体が小さかったクリスは、十八歳になった今でも他の男たちに比べて小柄だ。それでもデイジーよりは背が高いし、力だって強い。
クリスの父や兄姉たちは恵まれた体躯に、明るい青い目と金色の髪の美丈夫だが、クリスだけは母親譲りの栗色の髪。しかもその前髪をいつも伸ばしているので、彼の目の色を知るものは少ないけれど、デイジーは彼の目がロッカ家でも一番きれいな深い青だと知っていた。
デイジーはもう一度深呼吸をして髪を撫でつけ、できるだけかわいく見えるよう祈りながら笑顔を作る。そして、ドレスの隠しポケットに入れたものがきちんとそこにあるのを確認し、なんでもない風を装って小屋の中へと足を踏み出した。
(どうぞ、ひきつってませんように。いつもみたいに彼にツンツンしませんように)
「クリス、ここにいたんだね」
デイジーの呼びかけに振り向いたクリスは、「デイジー、どうした?」とにっこり笑った。その無邪気ともいえる笑顔に、デイジーの胸が撃ち抜かれる。
でもそんなことはばれないよう、デイジーはついいつものように、つんと澄ました顔になった。
「どうしたじゃないわ。ずっと探してたのよ」
(ああ、ちがう。ちがうの。こんなきつい言い方したいわけじゃないのに)
心と裏腹な自分の態度に落ち込むデイジーに、クリスは不思議そうに首を傾げた。
「誰かが呼んでるとか?」
なんで一人なんだろうとでも言いたげな彼の様子に、デイジーは軽く頬を膨らませた。
「ちがうわよ」
分かってたことだけど、クリスから見たデイジーは、学生時代のままで止まっているんだとあらためて気づかされがっくりだ。
ルマーキクでは、七歳前後になると学校に通うことになる。これは貧富に関係なく一律だ。学校は先生個人の家に通う小規模なもので、年齢様々な男女が通ってくる。
貧しい地区の子だと四年ほど通うのが一般的だが、デイジーたちのような町人は、十四歳前後まで学ぶことが多いし、クリスの一番上の兄のように学者の先生につきもっと長く学ぶ人もいた。
デイジーとクリスは同じときに入学した仲間だ。
その時のデイジーは七歳、クリスは一つ上の八歳。
一律で入学時期が決まっているわけではないため、同じ時期に入学したもの同士は色々と一緒に行動することが多い。十三歳までクリスはデイジーよりも小さかったから、彼のほうが年上にもかかわらず、なんとなく周りもデイジーをクリスの世話係として見ていたように思う。
実際最初のころは、自分がお姉さんになったようにふるまっていた。クリスも末っ子だったせいで、そんなデイジーに懐いてくれたような感じの関係が続いていた。
でもそれはデイジーの、いや、みんなの勘違いだ。
実際守られてきたのはデイジーのほう。
彼のやさしさはあまりにもさりげなくて、当のデイジーでさえそれに気づくのに時間がかかった。
学校を出て、デイジーは伯母が一人で切り盛りしていた食堂で働き始め、クリスは実家の店のひとつを手伝うことになり、あまり頻繁に会うことはなくなった。毎日顔を合わせていた学生時代が夢だったみたいに。
デイジーの働く店にクリスが食事をしに来てくれることもあるけれど、仕事中だし、一番忙しい時間であることが大野で、個人的に話をすることもほとんどない。
だから今年のくじ引きでクリスがまとめ役になったと聞いたとき、デイジーはすかさず世話係に立候補した。男たちが木馬を作り、女たちはその世話をする。食事の差し入れなどが主な仕事だ。
木馬作りは全員参加ではないけれど、ここリダイでは十六歳から二十五歳くらいまでの結婚前の男女の仕事と決まっているし、そこで出会って結ばれるものも多い。だからデイジーの行動もむしろ自然に見える。
久々にクリスと行動を共にすることができ、彼の仕事を間近で見たデイジーは、彼が労力をいとわない働き者で、あいかわらずさりげなく皆のことを助けていることに気づいた。そして、ずっと自分の胸の奥でコトコト動いていた何かが、彼への恋心であったことにようやく気付いたのだ。
(そのきっかけが、ブラッサムだったのはちょっぴり癪だけど)
ブラッサムは貴族の服も手掛ける用品店のお針子だ。
デイジーと同い年だけど入学が一年遅かった彼女とは、おなじ学校で学んだ旧友。
美人で素直で可愛い彼女に憧れる男は多く、彼女に言い寄る男から守るのもデイジーの役割だった。
「いつも澄まして気が強くてかわいくないデイジー」と、「花のように可憐なブラッサム」。
そう言われることに不満はなかったし、むしろ変な誇りもあったけど、今年一緒に世話係をして気持ちが変化した。
彼女とクリスが一緒にいるとモヤモヤした。
自分の居場所を取られた気がした。
小柄なブラッサムなら、クリスの隣に立っても違和感がない。
もしクリスがあの前髪を上げてしまえば、実は端正な顔立ちであることが皆にばれてしまうだろう。少したれ目で、それが軟派な感じに映ってしまうことを彼は嫌がっているけれど、働き者で親切なクリスだから、むしろその
だから誰にもバレてほしくなかったけど、ブラッサムもそれに気づいているのは明らかだったし、他にもちらほらと気づかれ始めている。
だからブラッサムから、
「デイジーはリリーの護符をクリスに上げるの?」
と聞かれて動揺した。
リリーは英雄ジオラスの妻になった女性だ。
彼女が戦いに赴くジオラスに、妖精の力を込めた護符を渡したという話があり、女の子たちは祭りでこの護符を意中の男性に渡す。
自分だけのただ一人の英雄に渡す、愛の証だ。
でも受け取ってもらえなかった護符は、木馬と一緒に燃やして天に返してしまう。
デイジーはブラッサムの言葉に、気づいたばかりの恋心は、すぐに決着をつけなくてはいけないことに気づいたのだ。
珍しく言葉を失ったデイジーに、彼女はにっこりと「頑張ってね」と言った。
(ブラッサムが護符を渡したら、断る男の子なんていない)
それでもデイジーは、最初で最後の悪あがきをしてみようと思った。
失ってしまう恋でも後悔だけはしたくない。
だから世話係も頑張ったし、合間を縫ってドレスも仕立てた。可愛く見えるための研究もしてるのがばれて母親には笑われたけど、娘時代の髪飾りも貸してくれた。
護符も心を込めて作った。
いつもさりげなくデイジーを守ってくれていたクリスは、実際デイジーにとって唯一無二の
デイジーは木馬の前に立つクリスのそばまで行って、彼を見つめた。
うまく言葉が出なくて乾いた唇をなめると、なぜかクリスが緊張したようにのどが上下するのが見える。
デイジーに、何か叱られると思っているのかもしれない。
そう思うと苦笑が漏れ、ちょっと涙が出そうになった。
クリスが木馬を隠すように少し体の位置を動かすので、彼が何をしていたかにも気づいてしまったのだ。
(クリス、好きな子の名前を書いてたんだ)
男たちは木馬の腹に、意中の女性の名前を書く。
最終日には大広間に飾られるそれに、彼は誰の名前を書いたのだろう。
(でもいいや)
誰の名前でもいい。
デイジーは彼が好きで、大好きで。だからクリスが幸せになってくれるなら、自分の恋心を天に返すことくらいわけない。
(だけど一度だけ、私に素直になる勇気をください)
「クリス、これをもらって」
両手に隠し持っていた護符を差し出すデイジーに、クリスは息を飲む。
そして彼が照れくさそうに、木馬に書かれたデイジーの名を見せてくれることになるとはまったく気づきもしないまま、最初で最後のつもりの決まり言葉を口にした。
「あなたは私のただ一人の英雄です」
あなたは私のただ一人の英雄です 相内充希 @mituki_aiuchi
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