ナット・ア・セカンド・タイム
『ラスボスが彼女ってどういうこと?』
ミーチャは首をぐるっと巡らせた。航空戦艦はそれほどにデカい。ゆったりと雲のように漂い、流麗な可変翼が海岸通りに長い陰を落としている。鋼鉄製ではなく、人間の体細胞から培養された巨大生物兵器。その気になれば惑星全表面を瞬時に焦土化できる。
その凶悪なスペックとは裏腹に、フローシァ・アヴェノチカは物腰も柔らかく、とても協力的で悪意のかけらも感じられない。
どっしりと構えた体躯の下で、彼我絶縁体はビッグバンの破壊的創造力を抑え込んでピクリとも動かない。
『イオナのお説教を覚えているか? 朗読教徒は宇宙のどこかに第三者視点を設けて、人類の上に立つっていってたろ?』
『ええ。たわごとでしょうよ。どこかの惑星に理想郷を建設するのかと思いきや、こんなオンボロ船を乗っ取るための破壊工作をわたしたちにやらせるなんて、語るに落ちるわ。まさか、ラヴォーチキン号が理想郷でござい……って言い出すんじゃないでしょうね? せこ過ぎる』
ミーチャはあきれ返った。実に非効率なやり方をしたものだ。権謀術数を弄するならば突破刑事をハメるより、浪賊に冷血方程式機構のハッキングをさせた方が簡単だろうに。
彼女がツッコミを入れると、セラはこう答えた。
『世界遺産級の船を現代的な手法で改竄しようと思ったら、まず、システムを丸ごとアップグレードしなきゃいけない。どうせなら、突破刑事を煽ったほうが手っ取り早い』
それは置いておくとしても、航空戦艦がラスボスだなんて理解に苦しむ。セラは銀色に輝くドームを指さした。
『あいつらの理想郷なら、ほら、あそこにあるよ。出来立てのほやほやさ』
『――?! あの中』
『彼女の狙いはあの中身さ。あたいはテンパったエイプが例の仕掛けを使って何か仕掛けてくるとみた』
『それで警察艇を船の外に出したのね?』
『ああ。ガチであたいらを始末したけりゃ、あのタイミングで警察艇を自爆させればいい。遠隔操作をしなかったのは、何か裏があると見たね』
『戦闘機で風穴を開けて欲しかったのね。ラヴォーチキン号に来る口実をつくるために』
『そしてエイプがテンパった。あたいが彼我絶縁体の使用を提案したら、彼女、あっさりと乗ってきた、彼女……朗読教徒だ』
ヘッドアップディスプレイがドーム付近を拡大する。大小無数のトラックが集結している。軽からトレーラーまで。まるでモーターショーだ。聖地巡礼に来た車両に向かってイオナが垂訓している。
『先輩、まさか、ここまで先読みしてたんですか?』
『あたいは元インテリヤンキーだよ。喧嘩は先手必勝さ。タチアナの話を聞いた時点でピーンと来たね。大口顧客はレアスミスじゃない。もっとヤクを欲しがる鴨がいるさ』
『もしかして、抗ライブシップ・バクテリア弾頭弾VNIS――通称ワニス?』
『そう。薬物と宗教は大昔から相性がいい。
セラはミストラル二番機をドームに向けた。
ミーチャが
AIはエイプ師の死をキリストの磔刑になぞらえている。嘆きと深い悲しみ。その中にはキャリー・ザキャンや汚水処理場のIDが垣間見える。
『AIたちはフローシァ・アヴェノチカが連れてってくれると信じているわ。
ミーチャが通信内容を要約すると、セラは虹色の弾丸を取り出した。銃弾のエキスパートであるミーチャですら初めて見るものだ。
『フローシァ・アヴェノチカにこれで引導を渡してやるのさ。ワニスより効くよ♪』
大型駐車スペース。海軍戦闘機がゆっくりと垂直方向に着陸する。誰も突破刑事を撃墜するような愚はおかさない。宣教師が勝ち誇った顔でセラ達を出迎えた。安全確保のためタチアナを残して機外へ出る。一番機はアイドリング待機する。
「やっと悔い改めたのね。ようこそ朗読教会へ」
セラはギガランチャーを高らかに掲げて言い返した。
「改悛するなら減刑嘆願してあげてもいいよ。おいでませ、豚箱へ」
イオナも黙ってはいない。「お前が地獄に墜ちなさい」
トラックが二人を取り囲む。その中に魔王の姿があった。
「そうか……肉体を持たないAIに信仰心が芽生えるものかい」
セラは虹色の弾丸を込めるとミーチャに託した。「あたいが先陣を切る。合図したら航空戦艦を撃つんだ」
頭上には空飛ぶ要塞がのしかかっている。手が届きそうだ。
「これ、届くんですか?」
「いいから。突破るよ!」
ギガランチャーが正面のトラックを火達磨にする。後方から車が突っ込んでくる。両脇の車両が幅寄せする。さらにもう一台、上から降りてきた。排気ダクトにスライド式の装甲版がついている。
セラが横っ飛びに螺旋弾を何発も発射。ドリルが路面を抉る。右側の一台が横転し、後続車が追突する。パッと事故車から炎があがる。
車列は人ひとり通れる隙間がない。それでもセラは対戦車弾を装填する。さらに数台が吹き飛ぶ。開いたスペースにトラックがひしめく。
「多勢に無勢ですよ!」
ミーチャは袋小路に突き当たった。セラはスカートを引き裂いて、キャルショーツ姿で太腿を晒している。彼女は通話の相手と激しく口論している。どこかの部署と揉めているらしい。
「軍? 軍隊と話すことなんてあるんですか? 我々のライバルでしょう?」
ミーチャが膝を覗き込むと先輩は慌ててスカートを腰に巻いた。
「い、いいや。何でもないさ。それより、まとめてぶっ飛ばすよ!」
一番機がトラック数台を空爆した。遅れてきた二番機が突破刑事を収容する。
ゴッ、とエンジンを吹かしてアヴェノチカの艦橋をめざす。みすみす接近を許す航空戦艦ではない。雨あられと誘導弾が飛んでくる。セラはスキンケアを駆使して巧みに機体を操る。神的な連係プレーで二機はミサイルをすり抜ける。
「対艦ミサイルは……さすがに積んでないか」
セラが搭載兵器リストをみて吐息する。
「ワニスでようやく沈むような相手よ」
ミーチャは盗聴されていることを承知で間抜けな会話を続ける。
「フローシァ! あんたは大した脚本家だよ。聞こえてるんだろ?」
セラは例の虹色弾を見えるように掲げる。対空砲火がピタリと止んだ。
「旗振り役が重荷だったんだ。いっそ、死のうと思った。そこで漁協に頼った。違うかい?」
通信機は沈黙を続ける。葛藤しているようだ。
『その通りよ。エイプ師は良くしてくれたわ。あの世より素敵な理想郷』
旗艦はぽつぽつと精神的苦痛を語り始めた。不老不死の航空戦艦にとって超長距離移民船団の運営は無間地獄に等しい。四分の三以上の合意を得られるまで果てしない旅が続く。
「原理主義組織は善行をやたらと強調したがる。間違った移民政策の破壊が救済につながる、そう吹き込まれたんだろ? だから、セキュリティの甘いラヴォーチキン号を選んだ」
セラは機体を旗艦の戦闘指揮所に横付けした。ホバリングしつつキャノピーをゆっくりとあける。
『わたしを殺しに来たんでしょう?』
デッキに疲れ切った女が出てきた。顔だちは十代半ばにみえるが、よれよれのセーラー服を纏い、長い髪がほつれている。
「あたいらがもっと楽な世界に送ってやんよ」
ミーチャがゆっくりと狙いすました。虹色の弾丸に少女が目を丸くする。
『それは?!』
「ワニスより効くタマさ。ハンターギルドの押収武器リストにも載ってない。闇ルートを洗っていると偶にこういうヤバいブツが出てくるのさ。狂信に染まったまま大勢の人を巻き込むよりは、アンタひとりで逝く方が気楽だろ?」
『わかったわ』
フローシァ・アヴェノチカは手すりから身を乗り出した。じっと目を瞑り、前髪を掻き分けて眉間をさらす。
「待ちなさい!!」
魔王が猛スピードで二者の間に割り込む。二番機に体当たりを喰らわせ、その間に
「今だ! ミーチャ!!」
必殺の弾丸がフローシァの頭蓋に放たれた。
「させるかぁ!」
イオナが宙を舞い、胸に被弾する。
だが……
コツリ。
「あれ?」
銃弾はゴムのように跳ねた。少女は目をぱちくりしながら虚空へ落ちていく。
「至近距離に大規模な重力波探知!?」
ミーチャのヘッドアップディスプレイが重量物のワープアウトを告げている。航空戦艦が旗艦の背後に表われた。対艦ミサイルの接近警告音が鳴る。
HUDを彩る敵味方識別符号。懲罰艦隊だ。独立した司法権を持つ死刑執行人。
『ワニス? 最後の最後まで騙したのね?』
フローシァは悲しい目でセラを睨んだ。
「お互いさまだよ」
『淫売おんな! 最ッ低!!』
ミサイルが次々と着弾し、旗艦が分解していく。薄らぐ意識の中でフローシァは女刑事を呪った。
「最高の褒め言葉ありがと。あたいら虚警は国家の
セラは遠ざかっていく少女に謝辞を贈った。
間髪を入れずミーチャの水晶球が鳴った。
「署長?」
「おまいら、退避しろ! 総員ワープだ!!」
レモネーアの顔が湯だっている。ただならぬ様相に、セラはミストラルのワープブースターを起動した。短距離なら跳躍できる。
旗艦の死に伴って彼我絶縁体が崩壊した。ローカルビッグバンの余熱があふれる。
混乱の中、懲罰艦が牽引ビームで可能な限り住民を拾い上げたり、召喚術で安全地帯へ放逐している。他の船は防御結界を展開する。だが、爆発をどこまで抑えられるかわからない。
海軍戦闘機が高次空間に突入した瞬間。
世界が白濁した。
■ シャレコフ漁協 養魚池跡
シャレコフ漁協の廃墟はごみごみした裏通りに埋没するように佇んでる。バラックや違法建築がひしめきあって、今にも将棋倒しになりそうだ。こんなに狭い範囲で濃密な陰謀が企てられていたと思うと、息が詰まりそうになった。ゆるんだ非常線が張り詰めた。黄色いテープがスカートを持ち上げる。白アンダースコートからブルマが透けている。タグには可愛らしい筆記体が踊っている。『みぃちゃ・えぷりる』
「あ、特等突破刑事、お疲れさまです♪」
婦人警官がタイトスカートをめくって階級章を見せる。
現場では地元警察による捜索と掃討が進行中だ。五体不満足な立てこもり犯が入り口付近に積み重なっている。
嗚咽をこらえつつミーチャは足を進めた。養魚池の周辺はコンパスで円を描いたように更地と化している。リーフィーステーションの土台があった場所に無残な遺体が転がっていた。すでに検視官や警察医が実況見分を進めている。突破刑事はホトケの身元を確認した。
「アニヤロフ・ネクタリス。間違いありませんわ」
「ええ、あたしも彼女と同意見です。かかりつけ医のカルテと治療痕が一致しました」
二人は同時に答えた。
「詳しい司法解剖結果はタッシーマ側の公式発表を待つしかありません。目視でしか確認できないのが心残りですが……。私達はこの男が容疑者本人であると確信しています」
警察医たちは残念そうに引き上げた。入れ替わりにタッシーマ星間帝国秘密警察の捜査官が到着した。
腰まで届く黒髪をまとめ、黒のブーツにレザージャケット。バックスリットからは漆黒のブルマが見え隠れする。スカートもパンツ類も身につけていない。
彼女たちは黒いバイザーをかけており表情は全く読み取れない。無言できびきびと作業をこなしている。
『まぁっ! タッシーマ。厭らしいオンナ達だこと!』
セラが高速言語で毒づくとリーダー格の女がキッ、と睨みつける。『もう一度、乳女園で言葉使いを学ぶといい。我々は女王陛下の知覚である』
どぎまぎする先輩に成り代わってミーチャが平身低頭した。
「た、大変失礼いたしましたぁ。このたびはこちらの痴女ならびに私共の匪賊が御皇族の方に対して大変な……」
相手はセラを蔑むように睨み、苦笑交じりに言った。『ダーラ部族がアルカス人の監督か。
「――!」
ミーチャはすばやく先輩のガンベルトを押さえつけた。訓練どおり、腕をねじあげて、その場から連れ出した。
■ ふたたび、ニニ・ロッソ
とっぷりと暮れた空に澄んだ音色が鳴り渡っている。「嘆きの天使」はセラのお気に入りのナンバーだ。
どん底に沈んだ彼女に代わってトランペットが泣いてくれる。それを他人事のように聞き流していると、ふつふつと生きる希望が沸いてくるのだ。詩人と呼ばれた巨匠はいつも彼女に元気をくれる。
女刑事はそれをおくびにも出さず、しれっと話題を切り出した。
「この子、お咎めなし、なんだとさ」
「それは何よりだわ」
ミーチャはカウンターを見やった。タチアナは気丈に、というより、普段通りの日常をこなしている。
セラはやるせない表情で続けた。
「創作上の人物に人権は認められない。だから、裁判も刑罰も受ける権利はない」
「でも、ここに居て活動しているわよ。現にお店を切り盛りしてるし」
タチアナは店番を続けながら、父の帰りを待つつもりだ。ミーチャはそう聞いている。
「そうはいかないさ。彼女は、法律的に犬猫扱いだよ。器物。
「そんなぁ!」
ブロンド娘は思わず席を立つ。不協和音にセラが顔をしかめた。彼女は音色の穢れを嫌う。
「壁のポスターと結婚するにゃ、『概念の海』政府の人格認定が必要なのさ。著作者が人格権を付与しなきゃいけない。アニヤロフは死んじまったからねぇ」
虚構と現実が陸続きになった世界で折り合いをつけていくことの困難さをセラが思い知らされた。スキンケアが赤熱するほど判例を検索した。
「でも、彼女は生きてるわ。食べるために稼がなくちゃ。確率変動を」
ミーチャはどうしてもタチアナと入籍したいと粘り強く訴える。晴れて認定を受け、虹婚した腐女子や、二次嫁を貰って幸せに暮らす女性はいる。
「あたいらも納税者のために働かなくちゃいけない」
セラはマグカップを置いて、うんっと背伸びをした。残務処理が山積みになっている。
「まだ終わりじゃないって感じね」
「結局のところ迷宮入りさ。あの死体が確かだっていう保証は何処にもない。イオナもエイプも確率嵐に紛れて逃げちまった」
うんざりした表情でセラは窓の外を見やる。薄くたなびくスモッグがネオンに濡れている。
「フローシァは天国に行けたのかしら?」
「メイドサーバントの方は生き残っただろ。きっとどこかで再建するだろうね。イオナは彼女が欲しかったんだ。無双できる下僕を」「それもフローシァのシナリオ?」
「恋してたのさ。今頃はどっかの
セラの言う通り未解決案件は積み残したままだ。だが、公式には外患誘致犯エイプと旗艦フローシァを被疑者死亡のまま書類送検して事件解決とされている。
「先輩も実は好きだったんでしょ?」
「は? あたいがフローシァを?」
「イオナも。好きだから、ずっとこのまま騒ぎが続いてほしいと思ってる。違う?」
ブロンド娘はいじわるな目つきをする。
「判った? 飯の種だからね。嫌っていながら尻尾を振る。厄介なオンナの病理だよ」
「悪役令嬢と恋わずらい……かぁ」
「はい。特効薬をどうぞ」
ミーチャが煮え切らない表情をしていると、タチアナがジャスミン茶を差し入れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます