ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン

 ■ ラヴォーチキン号右舷離着艦港上空

 海軍戦闘機は高度をあげて港湾施設の天蓋をめざした。抜けるような青い空の先には亀の甲羅のような半透明多面体ドームがあった。偽りのホログラムが溶けて木星が見えてきた。第八百八十八超長距離移民船団が縞模様を横断している。柿の種をばら撒いたように遊弋している。その背景には特徴的な大赤班がこちらを睨みつけている。


 ヘッドアップディスプレイがドームの支柱を捉えた。攻撃レーダーがロックオン。武器セレクターが目まぐるしくスクロールしている。空対空ミサイルを使うべきか、それとも対地ミサイルか、射撃統制装置が考えあぐねているようだ。


 目標が眼前に迫ってきた。戦闘機はベクターノズルを偏向。支柱正面でホバリングする。歓送迎用のデッキや装飾が外れ、対空機銃が屹立した。


 平時に来訪者を委縮させないため配慮をかなぐり捨て、牙を剥く。その大半はデブリの排除や外敵侵入に備えて宇宙に向いている。が、いくつかはドームの内側を狙っている。


 海軍総司令部も座視していない。係留している対空ミサイル巡洋艦を繰り出した。海洋博物館じたいも、もちろん、戦闘機の強奪は想定済みで何重にも対策されている。展示中の対空兵器が一斉に首をもたげた。


 タチアナが意を決してボタンを押した。だが、拒絶するように警報音が鳴り響き、安全ロックが掛かった。カチカチと執拗にボタンを叩く。だが、何も起きないどころか、レーダースクリーンが砂嵐に見舞われた。


「ジャミングされたわ!」

 ミーチャが変容を解いた。虫食いだらけの計器類がどれも真っ赤に染まっている。


「操縦系はアナログだろ。オソロシアは旧態依然を温存する! 計器飛行アイエフアール解除! ヴィジュアル・フライト・ルール!」


 セラが有視界飛行に切り替える。後部座席の操縦桿に姿勢制御を一極集中。四方八方から降り注ぐレーダー波を振り切ろうとあがく。「やはり、冷血方程式機構キラーアリスは健在だったわ!」


 ミーチャの目線はディスプレイに向いている。「偶発的事態局所最適解対応系統キラリティラーニングアリスメトリクス」の文字列が埋め尽くす。

「ごめんなさい。貴女を疑って! あたしは人間として恥ずかしい」


 セラは顔を真っ赤にして頭を下げる。

「イリジウム・アモルファスはわたしの父です! 特権者戦争の大英雄です。その偉人が、”あいつ”に殺されたんです!!」


 傷痍軍人の娘は滝の様な涙をながして訴える。

「わかった! あたいがカタキを討ってやんよ。せめてもの償いだ」

 操縦桿を傾けるセラ。戦闘機が主翼を陸地に向ける。

 港湾内はあわただしい雰囲気に包まれ、一気に緊張が走った。


「実体が曖昧な敵をどうやっつけるの? 相手はソフトウェアなのよ?!」

「計算機をかす手口は他にもあるさ。ミーチャ。オーバーフローがダメなら、アベンドだ!」

 アブノーマル・エンド。異常終了とはプログラムが想定外の値に対処しきれず、停止してしまうことだ。通常は例外処理エラートラップという特別な処理手順を用意してあるが、プログラマーは全知全能ではない。


 ミストラル戦闘機は優秀な機体だ。市街戦にも適している。高度を地上スレスレまで下げて、エンジンナセルをクルリと反転。着陸脚にする。駝鳥のようにホバリングして幹線道路を飛びぬける。立体交差をくぐりぬけ、空中回廊が入り組んだ商業区に入る。艦対空ミサイルは目標を見失った。


 高級住宅街を見下ろす位置で空中静止。風防キャノピを開ける。風が三人のスカートをまくり上げる。


「町民は浪賊ばかりじゃないさ。富裕層の良識に期待しよう。ミーチャ、ウーハー・トゥイーター・スコーカー!」

「はいっ♡」


 セラは屋上の群がる野次馬に紙爆弾を放った。ポップコーンのように記憶媒体をばら撒いた。我先を争う人々。気の早い家庭から早速驚きの声があがる。

「何をばら撒いたの?」


 タチアナの質問にセラは笑い声でこたえた。

「一切合切さ」


 ■ 上層甲板居住区

 上層甲板各地で反乱が組織されている。個艦駐留陸軍と怒り狂った住民の間で散発的な銃撃戦が始まった。腐敗しきった政府は蒐集目的での武器隠匿を容認していた。金持ち喧嘩せず、の諺どおり治安は抜群だった。セラが世代テロを暴露するまでは。


 富裕層は傲慢に見られがちだが、大半は篤志家だ。貧困層よりもそれ自体を平然と切り捨てる装置を社会の恥部だと考えた。


 知識階級の有志がサイバー攻撃に成功した。アリスは生活インフラに密着しており、ピンポイント攻撃は理論上不可能である。だが、居住区の生活基盤そのものを危うくすることで混乱を招いた。


 どこの世界に衣食住満ち足りた生活を自壊させる馬鹿がいよう。事態は例外処理の斜め上を推移している。


 そこへ中下層階からの難民がどっと雪崩れ込んだ。レアスミス・ゲットーの住民が主力となって切り捨てられた怨念をぶちまけた。追加燃料を得て反政府勢力が勢いづく。燎原の火は港湾地区にも回り、とうとう天蓋の一部が崩れた。すでにアリスは機能不全だ。


 ラヴォーチキン号艦橋最高府は手をこまねかず、旗艦に援護を要請した。航空戦艦フローシァ・アヴェノチカが回頭し、直ちに救援に向かった。


「これで父も浮かばれるでしょう。長い間どうもありがとうございました」


 紙の様に燃えるビル街を眺望するタチアナ。戦闘機は養魚池に向かっている。イリジウム・アモルファスの遺品をかき集めるためだ。


「おっと、まだ送迎は終わっちゃいないさ」

 セラは降機しようとするタチアナを座席に押しとどめ、風防を外からロックした。


「ちょっ、ちょっと!」

 猛抗議を無視して刑事たちは漁協に駆け込んだ。セラが黒い人影を懸命に追っている。


「エイプ、この野郎!」

 猿人そっくりな巨漢は軽々とフェンスを飛び越えて、管理棟に向かう。


「ミーチャ、風呂場に回れ!」

 セラの指示に従ってギガランチャーを最大出力モードに設定。インプライザーを装着する。助走して屋根に飛び乗った。ひらりとキャルショーツがのぞく。


 フェンスを踏みしだいて魔王が乱入した。バック、前進を繰り返し、セラの行く手を塞ぐ。ギガランチャーが粘着弾を発射。トラックが足を取られる。その勢いで片輪が養魚池にはまった。車台のホバーを吹かして飛行を試みる。


「貰った!」

 ミーチャの対戦車ミサイルがダクトファンにロックオンした。赤外線照準だ。逃れられない。ドカンと派手な水しぶきがあがる。


「エイプ! 待て! エイプ!!」

 大股で逃げるエロ事師にセラが追いすがる。

「エイプ! タチアナから逃げるのか!」


 セラは戦闘機のコクピットを指さす。女はエイプに顔を向けてドンドンとガラスを叩いている。その表情は顔見知りといった感じだ。エイプは振り向きもせず避難棟をめざす。


「タチアナに、娘に合わせる顔が無いのか!」

 セラは大声で二人の親子関係を暴露した。ピタリと男の足が止まった。


「なぜ、それを知っている?」

「答えはその目の前にあるだろう」

 判っているはずだと刑事が顎をしゃくる。


「海洋博物館でリーフィーステーションの展示を見ていて閃いたのさ。冷血方程式機構といい、浴室といいどこかしら始祖ロシア特有の胡散臭さが漂っている。あれの一部を持ち出してお咎めなしというからには裏があると見たね」


「何の話やらさっぱり」

 エロ事師は肩をすくめて見せる。


「じゃあ、図星を指してやろうか。お前が今ここにいること自体が動かぬ証拠さ。タチアナを唆してあたいらにアリスを”まんまと”破壊させたあと、三人纏めてここで始末しようと待ち伏せしてたんだろ?」

破壊活動の片棒を担がされた、とセラが激昂する。


「いい加減にしないか!」

「こっちの台詞さ。タチアナはラノベキャラだ。確率変動を摂取しないと生きていけない。縁起物は養分になる。だから、あたいらが必ず、ここに来ると考えた。違うかい?」

「参ったな……」


 男は観念したように両手を挙げた。

「エイプ・バーグラーソン。いや、アニヤロフ・ネクタリス。外患誘致罪で逮捕する!!」

 ブロンド娘がギガランチャーを向ける。


「ついでに言うけど、アニヤロフ・ネクタリスは始祖ロシア科学アカデミー会員だろ?」

 セラの追及に容疑者は何の話だと首をかしげる。


「情報提供者は知識層の”有志”だ。ロシア情報軍のネクタリス少佐は確率変動学の学士号を持ち、地球脱出教団を長年に渡って内偵していた。サラキア署にゃお前自身のラノベキャラを行かせたんだ。そいつは人間じゃないから良心を計量できない」


「ほう? 公判維持に耐えるだけの証拠がネットの与太話だというんだな」

 エイプはベンチに腰を降ろし開き直った。


「物証は山ほどあるよ。あのびっしりと書き込んだ日誌。イリジウム・アモルファスという人物をネクタリスに代替したというより、逆だと考えた方がスッキリする。おまけにアンタ、ページ繰る時に指をなめるだろ。唾液からDNAが出た。確率変動学者なら全艦スキャンを回避するぐらいお手の物だろ。」


 セラがにじり寄ると、男は建屋の中に逃げ込んだ。

「あの時、わたしに触ったでしょう?! すべてのDNAが一致したわよ!!」

 ミーチャがサラキアで襲われた事件を蒸し返した。

 風呂場の窓から色とりどりの光線が漏れ始めた。ブウン、と振動音が伝わってくる。池の魚が騒ぎ始めた。

「ミーチャ、逃げろ!」

「えっ?」

「爆発するぞ! トランセ・クリティカルパス!!」


 海洋博物館試乗コーナーの管理サーバーにセラのスキンケアが介入した。自走機械が目まぐるしく二番機を整備し、滑走路へ誘導する。排気音と牽引ビームが飛び去った。あっという間に二人は機上の人となる。


「お父さん!」


 後続する一番機の中で人造娘が泣きじゃくる。コクピットにアニヤロフ・ネクタリスの像が結んだ。


『俺は”未来”へ脱出する。そこで遭おう。お前は俺にとって、”本当の娘だ”。信じて強く生きろ!!』

 タチアナが何か言いかけると一方的に通信が切れた。


 急上昇する海軍機。ドームの大穴をめざす。割れた周囲にペタペタと呪符が貼ってある。応急処置用の結界が大気流出を防いでいる。


「ミーチャ、警察艇を呼べ!」 セラが開闢爆弾のロックを外す。

「先輩、馬鹿な事はやめて!」


 制止する手をセラが振り払う。

「あの野郎、池を爆発させる気だ。確率変動をブチまいて、望み通りの『結末』を迎える気だ。目には目を、確率変動には確率変動だ! 投下目標、シャレコフ漁協養魚池!!」


 自爆特攻コースを華奢な指が連弾する。容疑者は確率変動爆発を誘発して自分を虚構の彼方に吹き飛ばそうとしている。局所的に起きるビッグバンはありとあらゆる可能性をスタートラインに引き戻す。エロ事師であろうと宇宙創成の力には抗えない。


「やめてください、先輩! 百万市民は?!」

「抜かりはないさ! ”彼女”が来てくれた!!」


 セラが羨望のまなざしを向ける、その先には旗艦が浮かんでいる。

『若いお嬢さん! よくやってくれました。あとは私に任せなさい!!』


 フローシァ・アヴェノチカは超生産能力を発揮して養魚池周辺を銀色のドームで覆った。

「彼我絶縁体?!」


 ミーチャは先輩の用意周到さに感心した。すべての確率変動を完封する彼我絶縁体、リーフィーステーションに使われていた素材だ。巨大なお椀の縁から、一瞬だけ閃光が漏れ出た。


「お父さん!!!!!」

 タチアナが絶叫する。


 刑事たちは高速言語を交わし合った。

 『ようやく、終わったわね』

 『まだまださ。真の敵を倒さなくちゃいけない』

 『イオナ・フローレンス?』

 『いや、旗艦フローシァ・アヴェノチカさ』

 『――?!』

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