cette fois,est la guerre 今度は戦争だ

 ■ 冷血の艦のアリス

 にわかに風雲急を告げるラヴォーチキン号。人工大地に穿たれた爆発痕は有機的な断面を描いていて、陥穽というよりも魔物の口蓋を思わせる。

 三人は狂った機械アリスの腹中にいる。それは高所と閉所、両方が合併した未曽有の恐怖症を呼び起こした。

「こわいわ。地獄大陸って、きっとこういう雰囲気なのかしらね」


 ミーチャがみるみるうちに青ざめていく。無知という麻酔が切れ、潜在的な危機が眼中に飛び込んできた時、人は死に物狂いで現実を拒絶する。


「考えてみれば色々と不誠実な事実が整合する。イリジウムのDNAや幽子情報系ソウスを全船スキャンしたにも関わらずコートに遺伝情報が遺留していた。奴は隠蔽工作をしてあたいらを欺いたにも関わらず証拠を残した。嘘か誠か判らない『イリジウム伝説』を創造したのさ」


 セラは震えるミーチャを鎮めるためにカフェインチューブを差し出した。カフェインはモノアミン神経伝達物質を亢進し興奮を呼び覚ます。


「冷血方程式は死刑の白紙委任状を持っているわ。それだけにAIは厳重な客観性が担保される設計のはず。なぜ無差別殺人が船の安全航行に優先すると考えたのかしら。理解できないから恐ろしい」


「浪賊に毒されたんだろう。ミーチャ、考えていても始まらないさ。狂った機械はぶっ壊すに限る。それで万事解決する」


 セラはなおも現場が気になるらしく破断したパイプの類を調べている。

「グズグズしないで早く行きましょう」

 落ち着きを取り戻したブロンド娘が刺々しい声でうながす。


「すんなりと行かせてくれるかどうか。これをご覧」

 ねじくれた配管の内側にびっしりと回路のような文様が刻まれている。断面はまるで動物の線維組織のようにしなやかでぬめりがある。


「汚水処理システムは他のインフラと比較にならないくらい敏感なんだ。神経系のように知覚が張り巡らしてある。漏れたら大変だからね」


 真空に浮かぶ泡沫のような宇宙船内部で硫化水素やメタンガスが発生したら想像を絶する最期が待ち受けている。彼女はギガランチャーで管の構造分析を終えた。


「AIは処理システムじたいを脳神経系へ再構築したんだ。その先にはこの船の中枢がある。閃狂師が汚水処理場にいた理由も説明がつく」


「わたしたちはこの船から生きて出られるんでしょうか?」

 ミーチャは虚空に見えぬ神を思い描いた。猫の目のように輝く人工太陽灯が自分を睥睨しているように思えてくる。


「冷血方程式は、あたいたちを消化するために呼び込んだのかも知れないね。国家権力の犬をイリジウムのギロチンで溶かしちまえば、同じ手口で一人二人、最後には全員を都市伝説に封じ込める。ついには移民政策を有耶無耶にして世代テロ植民世界の一丁あがりさ」


 ■ ラヴォーチキン号中層甲板ミドルデッキ 蜥蜴棄民装置キャリーザ・キャン

 見えない床が地平線の向こうまで続いている。膝の上で揺れるドレスをつまみあげ、右足をあげる。一歩踏み込んだ場所にしっかりとした足場を確保した。それでも高所恐怖症がおさまらない。


 何を恐れるのだ。内面から湧き上がる絶対正義に照らし合わせて自分に瑕疵がないと確信している。誰が懲罰を下すというのか。


 イオナの胸を早鐘が打つ。透明な天国の下には突破刑事たちが自分勝手な憶測を並べ立てている。

 キャリーザ・キャンは別名シックスナイン装置とも呼ばれる。下層民の生存確率が小数点五位以下、すなわち99.9999(シックスナイン)パーセント絶望視された場合に発動する。彼女の頭上に並ぶ雲海のような冷凍金属重水素スラッシュメタルが炸裂し、下層階を丸ごと船外投棄する。シックスナインは冷血方程式アリスの下部組織だ。


「冷血方程式機構の公平性を論じるなどナンセンスの極みですよ。生殺与奪権を握る者はすでに生存者リストに載っている。審判者自身の生存権は誰が審査するのか」


 こんなわかりきった講釈にエネルギーを費やしたくない、と魔王は幼い宣教師に言い聞かせている。


「お前が心酔しているエイプこそ自己矛盾よ。歪みを正す、だなんて。共産主義者の化石を崇めてるだけ。幼稚なお人」


 イオナはネオフソーを笑い飛ばすと、次なる布教に取り掛かった。キャリーザ・キャンは御託宣の恩恵に浴そうと水をうったように静まり返った。


 汚水処理場を構成していた物質が情報エネルギーの炎となってイオナの周囲にわだかまっている。

「私は間違っていました。設備投資が滞った現実を直視せず、ただ破綻を取り繕うことに目を奪わていた。その徒労を正義の循環に振り向けるべきでした。きょう、キャリーザ・キャンの『ひとびと』に慧眼のお導きが在らんことを!」


 澄んだ光芒が早馬のように装置を駆け巡る。まるで讃美歌を謡うように緊急警報が鳴り響いた。


 蜥蜴棄民装置はOS内部に組み込まれているロボット三原則を回避する知恵を得た。第一条「可能な限り人命を尊重しなければならない」には大きな抜穴がある。裏返せば、可能ではない限り人命を軽視してよいのだ。彼は下層民の生存確率をシックスナインと見積もり、上位システムに具申。


『下層甲板乗員の百年後の死亡率は99.999989%』


 冷血方程式機構は下層階級の排除を承認した。


 バリバリと世界がうちふるえ、透明な非現実にひびが入り始めた。下層デッキの空がひび割れて破滅の序曲を奏でている。


「お乗りになりますか?」

 勇敢にも魔王がささくれた空を踏み越えてイオナの真横で停まった。

「支援は要らない。わたしは死なない」


「強がっていると窒息死するぞ。お前は神でも不死身のメイドサーバントでもない。生娘(きむすめ)だ」

 猿人が強引に手を取る。その手をチクリと蚊が射した。


「うっ!」

 腫れあがった腕をかばうエイプ。

「では貴方を外敵とみなします」


 宣教師は蚊に跨って薄らいでいく大気を押し渡った。


 ■ プラジェ―ブールバード ψ2733 下層甲板保守専用バイパス

「ミーチャ、ストレンジラブ・カーボン=オフセット・ペッパーだ!」

「はいっ♡」


 ギガランチャーに赤紫色のボンベが装填される。女刑事が車体から身を乗り出し、信号機を狙い撃つ。ぐしゃりと生卵を踏むような音。道路がスライムの洪水に埋まる。トラックはダクテッドファンを全開。ふうわりと飛び越える。通過した後に粘菌がはびこる。それらはウネウネと成長して量子ファイバー網を腐食していく。


 交通管制局が対浪賊全権優先権に異議を申し立ててきた。セラ達を名指しして謝罪と賠償を請求している。バイパスは下層甲板被災時の人道復興支援道路網に指定されている。


「どうするの? 先輩」

「反吐野郎と伝えてやれ」

「は?」

「へ・ど・や・ろ・う♪」


 セラは荒っぽいが、いちおう女子おにゃのこだ。間違っても排泄物の名前を口にしない。だから「反吐野郎」なのだ。吐瀉物はいいのか。


 交通局は話が通じない相手と交渉を打ち切って、実力行使に出た。上下感覚がぐるんぐるんと激変する。居住区のドラムは一つだけではない。大小さまざまな円筒が歯車のように入り組んでいる。局所的な遠心力や、それを無効化する力を作りだせる。


 高速回転する方向感覚に三人は眩暈した。

「ミーチャ!」

 たまらなかったセラが突破能力を要請する。

「わかってます。そおれ、へんよ~!」


 ピタリと上下動が止まった。トラックは酸味の利いたゼリーに包まれている。曲がりくねったトンネルをスムースに滑り落ちていく。


 コンソールでは鋼鉄の独裁を突き崩そうとタチアナが鍵盤相手に悪戦苦闘している。

「あれ? ダメだわ」


 彼女は手順を数え切れないほどやり直し、行き詰っては不平を垂れている。その七転八倒ぶりにミーチャは不安を感じた。看過できず、つい、口を挟む。


「<扇子ネット>の裏データーベースにアクセスしても無駄だよ」

 出どころの妖しい情報や裏付けのない噂をまとめた低俗な情報源だ。まれに消息筋が情報流出させることもあるが、たいていは世論操作や憶測があふれている。


「いいえ。小石を隠すなら砂利の中というわ。忍び込んだ際に偽装して垂れ流したのよ。おっかしいなぁ」

 タチアナは復号した地図と記憶に差異があるという。よくあることだが改竄された可能性がある。


「道順が込み入ってて大まかにしか覚えてないのよ。時間もなかったから丸ごと複写したの。そしたら、まるっきり書き換えられてるぅ~~!」


 セラはタチアナのドジッ娘ぶりを見てますます安心した。これでは浪賊の手下が務まるはずがない。

「冷血方程式機構が実体として存在するかともかく、記憶を辿って近くまで行ってみよう」


 先輩刑事の提案に従ってミーチャがタチアナから道順を聞き、ナビゲーションシステムをプログラミングした。最短コースはラヴォーチキン号の竜骨メインシャフトを貫いてまっすぐ最上階の戦闘指揮所に向かっている。途中に厳重な個艦防衛駐留軍基地や艦内陸海空軍の拠点があり、対浪賊全権優先権を振りかざしても突破はおろか接近は不可能だろう。


「やっぱりね。どこか町外れの工場か港湾の倉庫にでも埋まってると思ってた?」

 頭を抱えているタチアナを「それ見た事か」とミーチャが責め立てる。


「ワゴンセールのラノベじゃないんだからさ。て、いうかレアスミス家の人達は顔パスの筈でしょ?」

 ミーチャはタチアナに不信感を募らせている。


「いや、奥の院の人々でも容易に出入りできないんだろ。タチアナが掴まされた情報はコソ泥に対する一種の警告と見ていい」


 セラは深呼吸をして次善策を練り始めた。

「奥座敷で高みの見物するなら、引きずり出すまでさ」

 彼女はおもむろにギガランチャーを側道に向けた。


「ミーチャ、ハイドロ・バニング・エクスターミネッシャーだ」

「……? ――! ――♪ はいっ♡」

 ブロンド娘は一瞬、戸惑い、納得し、楽しそうに手渡した。

「ちょっと、貴女たちっ、戦術核……」


 タチアナが制止する間もなく銃口からM65無反動核ライフル弾が穿たれた。三ブロック離れた廃墟街区が地盤ごとめくれ上がる。

「風向き良好。自虐被曝なし♪」


 ミーチャは掌を額にあてて被害状況を眺望する。すぐさま水晶球ががなり立てた。下層甲板政府首脳が怒り心頭で捲し立てる。

「貴様らはラヴォーチキン号を沈める気か? すぐさま憲兵隊をやる。弁解は軍事法廷で聞こうか」


「そちらこそ殺人プログラムを野放しにする気ですかい?」

 負けじとセラが捜査資料一式を添付する。イリジウムの殺害疑惑、漁協の現場検証記録、宣教師イオナの暗躍、洗いざらいぶちまけた。


「よく出来た言いがかりだ。だが、冷血方程式機構などという不謹慎な装置は存在しない。密入国監視網なら法に乗っ取って運用している」


 首脳は突破刑事たちの積み上げた状況証拠を捏造だと言い張った。

「では、お聞きしますが、昔はキラーアリスは存在したんですか? この船はカプスチン・ヤール造船所製ですよね? 新国家秩序時代の遺物だ」


 セラが全体主義の揺り戻しをチクリと揶揄した。相手は黙って回線を切った。


「ミーチャ。ラヴォーチキン号来賓資料館にアクセス。検索せずに学芸員につないで」

「出ました♡」


 待ちかまえていたように水晶球が反応する。

「冷血方程式機構など過去にも未来にも存在しません。本号は人民を尊重します。これ以上侮辱すると祖国汚辱罪で……」


 釣り目の女が通報する前にセラはログオフした。

「もういい! ミーチャ。突破とっぱるよ」


 セラが言い終わらぬ内に警察艇が飛んできた。容赦なく対戦車誘導弾が飛んでくる。

「こちとら、立てこもり浪賊との戦車戦も想定済みなのよ♡」


 開き直ったミーチャが自分のギガランチャーを抜く。紺色スクール水着に白のガンベルト。太ももが凛々しく、狂おしいまでに眩しい。


「先輩♡ グレネイダブル・フィースト・ハイアット・マズルカ!」

「あいよ☆」


 セラがブルマをめくる。内ポケットから顔出す、飛び道具。誘導弾をマズルカが一網打尽する。

 ひるまず、警察艇はトラックを三方から取り囲んで多弾頭ロケット弾を浴びせ倒した。


「タチアナ! バックから攻めろ」

「え?」

 いきなり赤面するタチアナ。

「ギアをバックっつてんのよ!」


 セラが片足を蹴りあげてシフトチェンジ。廃品トラックがタイヤを鳴らす。接近するMLRS。その数四十八発。ジャミングやチャフが利かない一撃離脱無誘導弾スタンドオフ兵器だ。

「おりゃ!」


 セラが着弾予定地点に酸素剥奪弾を発射。与圧結界を車両周辺に展開。フルアクセルで切り通しを登坂する。

 初撃が失敗に終わる。カランコロンと跳弾する不発弾。警察艇は第二波を撃っていた。


 酸素剥奪弾が失効し、どっと空気が流れ込む。


 命中弾は最初の不発弾を巻き添えにして大爆発。そこへ新鮮な酸素が加わり、フラッシュバックを巻き起こす。


 ドンと腹に響く衝撃。

 ゴウンと重量物がずれる音。見上げる天井の裏側では地獄の火が燃えているのだろう。


「やべぇ」

 セラは高架橋が外れる前に発車した。

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