裏切りの確率変動

 ■ アミダラ養魚池 従業員避難棟。

「信じられない……」

 泣き崩れるタチアナにミーチャがバスタオルを手渡した。セラが入念にギガランチャーをかざしている。ボロボロに風化した軍用コートの内側から本人の物らしい組織片が検出された。経年劣化が激しくてDNAを完全に再現できない。ギガランチャーの状況分析機構が塩基配列の欠損部分を前後の文脈から推測した。

 タチアナの遺伝情報と照合、帰納法でイリジウム・アモルファス本人であると断定できた。採取できた遺伝子は鮮度の差が著しい。ある塩基はまるで数百年前の遺骨であるかのような傷み具合を示したかと思えば、他の組織片は生体と変わらぬ反応をした。

「イリジウムは何処かでいきているのよ」

「無限に低い可能性の範囲でね……」と、セラ。

 ミーチャがコートの内ポケットを見やる。財布に領収書の束が挟まっている。イリジウムは悪役令嬢が暴れる直前まで梯子酒をしていたようだ。

「父は呑んだくれるタイプではなかったわ」

 タチアナがセラの見解に憤りをあらわした。

「そうだろうねぇ。むしろ泥酔した女の子の話し相手になってたろうねぇ」


 ギガランチャーのスコープに明細がスクロールする。揚げ物やチーズ和えなどといった酒の肴より低カロリーの品目が多い。

「信じられないのはこっちの方よ。何で証拠を残すようなドジを踏んだのか」

 ブロンド娘が穴が開くほどバスタブを凝視している。大人の背の高さほどの位置に情報ディスプレイを兼ねた洗面台がある。セラがおもむろに浴槽へ飛び込んだ。小気味よく切れ上がったヒップにビキニが食い込んでいる。物欲しそうな目線でおいでおいでと手招きする。


「な、な、何なんです?」

 ミーチャがごくりと唾をのむ。扇情的な眼差しを追うと、その先に例の天測センサー類があった。視界の端に壁面モニターがある。

「イリジウムはこうやって疲れた体をほぐしながら殺されたんだ」

 あーっと背伸びをして湯船に身を沈めるセラ。

「くつろがないで下さい!」

「あたしゃ眠くなったよ。少し横にさせておくれ。滅入る事の連続だったからねぇ……」

 女刑事はだらしないポーズのまま寝息を立てた。

「先輩、ちょっと、先輩! ……あっ、そうか!!」


 ミーチャはホルスターからギガランチャーを抜く。振り向きざまに天井を狙う。センサーポッドが燻りながら落ちてくる。焦げる部品。のたうち回る配線。ほとばしる火花が浴室を駆ける。彼女はタチアナに声をかけた。M字に開いた両脚を掴んで湯船から引きずり出す。ギガランチャーの台尻で容赦なくたたき起こす。


「い゛ひゃん! 死ぬじゃないのさ!!」

 激昂するセラ。起き上がった弾みで足を滑らせた。ビキニが蛇口に引っかかってビリビリと破れる。

「ひあ」

 裸体をよじらせるセラ。


 ミーチャはイリジウムの死が他人事とは思えない。世間は殺害なんて絶対に許されることではないし、虐待も暴力もいかなる場合も許し難いという。だが、こうも簡単に人の命が虚構の毒牙にかかるなら、そういう倫理観こそ空論だろう。


「何が現実で何が虚構か分からなくなって来たわ!」

 タチアナがクローゼットを物色している。棚から黄ばんだタオルが出てきた。触れると泥のように崩れる。

「少なくとも此処で人死にが出た事は確かさ。犯人は天文学的な演算能力者だ。入浴者の認識を把握してリアルタイムに波動方程式を解いて人間原理を逆用できる波動関数を組み立てつつ、意図した状態へ収縮させる。とても人間技じゃない」

「じゃあ、先輩さんは悪役令嬢イオナの仕業じゃないと?」

 タチアナは不機嫌そうな顔をしている。偉大な父親が機械に殺られるなんて受け容れ難いのだろう。

「わからない。暴走トラックを味方につけた女よ。冷血方程式機構キラーアリスの独走かもしれない」

「どちらにしても野放しにできないわ。まず機械を止めましょう」


 ミーチャは小屋を出て生簀のフェンスに昇った。予備のコンソールにしがみつく。管理者パスワードを解いて養魚場のシステム掌握を試みている。

「かなり重篤なウイルスに罹患してるようだね。発信源は?……っと」

 セラがスキンケア経由で病原体を受け取る。裸の女が太腿を擦り合う光景は異様さを越えて類人猿の野性を感じさせる。

「爆発現場よ!」


 ミーチャのギガランチャーが水面に地図を投影した。通信ログを遡るとすべて汚水処理場にたどり着く。

「あんな場所からウイルスが沸くわけないでしょ」


 にわかに信じがたい結果にセラは困惑している。汚水処理施設は生活排水の終着点だ。人体に有害な金属成分は予め除去されている。半導体が入り込む余地はない。施設内から人間がウイルスを発信したり、管理AIそのものが製造することもあり得ない。悪臭に満ちた環境が精密機器に悪影響を及ぼすだろうし、リサイクルに特化した人工知能をサイバーテロリストにプログラミングしなおす手間は計り知れない。



「さっきから言ってるけど、そのサーバーログは信用できるのかしら?」

 ミーチャが議論を蒸し返した。セラは憤りを覚えた。こういう物分りの悪い手合いは大嫌いだ。彼女は決まりきった手順に固執する。一度「こう」と決めたら徹底的なこだわりを見せる。例えば今週はカキを喰うと決めたら牡蠣バーガーに牡蠣、フライ牡蠣丼と極める習性がある。


スキンケアの信頼性は絶対だ。改竄の二文字は無い。恒久虚構警察機構のネットワークは既存のシステムを時分割する形で潜伏しており、通信パケットの一部を取り出して「これがインターリーブの電文だ」と断定することはできない。可変長かつ可変性なのだ。虚警はこれとは別に独立した回線を持っており、両者を照合することで初めて完全な通信文が復号出来る。


「スキンケアは三連三重三乗の冗長構成になってる。わかる? 7625597484987重のバックアップ回線をマイクロ秒単位で切り替えてる。どのチャンネルを採用するかは量子物理型真性乱数発生器ビットストリーマーが決めている。絶対に侵入できないんだからねッ!」


 セラがムキになると母親が叱りつけるような大声で怒鳴る。

「あのねぇ。おばさん。ビットストリーマーはネット回線に付着するハードウェアでしょ。丸ごと交換できるよ。例えば選択結果を傍受して……」


「同期させるだけなら覗き見しかできない」

「おばさん、最後まで聞きなよ。回線を保留したまま任意のデータを割り込ませるとか」

「ロードバランサ―が見逃さないだろ。全体の遅延を監視して回線の交通整理をする装置が」

「だ~か~ら~ロードバランサ込みでハードウェアがすり替えられているとか」


「データを混入させると虚警側の回線に齟齬が生じる。それを逃れる魔法を使ったとしても全体のパケット量は増加する。どうしてもネットワーク負荷が増える。負荷モニターはエンケラダス条約加盟国各国が相互監視している。特権者や概念の海民まで騙しおおせるのかい?」


「パケット量を増やさない絡繰りがあるよ。おばさん」

 ミーチャはペロリと舌を出した。

「あんまり人を担ぐと蹴るよ」


 セラが右足を大きく振り上げようとして、ハタと気付いた。「そうだわ! その手があったわねぇ!!」

「正解で~す。訂正符号パリティ・ビット


 データを送信したり記録すると往々にして意図しないデータの欠損が起こりがちだ。予防策がないため、送受信の際にエラーを検知し、ある程度の誤差は訂正出来るようにするのがパリティ・ビットである。この符号自体は負荷モニターの制約を受けない。仮に制限された場合、たった一個の過ちでネットワーク全体が停止に陥る。


 セラはしばらく物思いに耽っていたが、その可能性は非常に低いがゼロではないと結論付けた。

「ミーチャ。とてつもないスペックを持った奴なら造作もないだろうけどさ。ラヴォーチキン号の冷血方程式機構アリスってどれくらいの容量だろうねぇ」


「宇宙船のハードウェアってどういう頻度で更新するのかしら。移民船団が編成された時点で大幅な仕様変更をしてる筈です。じゃなきゃ定格試験に通らない」


「ラヴォーチキンはそうとう古い船だよ。対浪賊対応改正電気通信事業法に適合するにゃ負荷モニターだのロードバランサだの、かなり拡張してあるはずさ。ドケチで鳴らすレアスミスだからねぇ。オンボロ船の中枢を丸ごと新品と交換なんてしないだろうさ」


 ふうっと吐息するセラ。とまれ、ラヴォーチキン号艦内の回線は虚警用も含めて悪人が握っている危険性も考慮すべきだろう。

「やはり、機械の関与と見て間違いないんですね?」

 ずっと二人の論争を聞いていたタチアナが意を決したように立ち上がった。

「なんだい、なぁんだい、いきなり?」

 セラが意表を突かれて絶句する。

「ぶっ壊してください!」


「いきなり、何を言い出すの? 餅つきなさい」とミーチャがタチアナをなだめている。

「ぶっ壊して下さい。アリスを、いや、ラヴォーチキン号を!!」


 父を殺された娘は並みならぬ敵意を燃やしている。


 ■ アミダラ池界隈

「どこかでお洋服を調達しなくちゃね」

 セラはくるりと身をよじり、一糸まとわぬ姿を水面に映す

「作業服の一枚ぐらいあると思ったけど」

 ミーチャはクローゼットを漁り終えて、残念そうに言う。男子更衣室のロッカーには生臭いツナギがいくつか吊るしてあったが、スキンケアを常用する突破刑事向けではない。

 フェンスのすぐ脇には長屋が並んでおりスラム特有の生活臭と喧騒が伝わってくる」


「ねぇ。イリジウムのコートが残っていたぐらいだから、彼の事を覚えてる住民もいるんじゃないかしら」

 犯人の確率操作が不十分で完全犯罪は未遂に終わった。ミーチャは僅かな証拠に期待している。

「そうだね。聞き込みついでに市民の良心を期待しようかねぇ、ミーチャ。サーフェスクインビー・グランドサツィアス!」

「はいっ♡」


 セラは残り少ない弾倉の一つをギガランチャーに装填した。水平に発砲。軒先に羽虫が群れる。それらがワンワンと唸って制服姿の女子突破刑事をかたどった。彼女は声も外見もセラそっくりになった。

「ウゲ」

 裸のセラが白目を剥いて転倒する。ヒクヒクと手足が痙攣する。


「えっ? 先輩さん、どーしちゃったの?」

 タチアナが血相を変えて駆け寄ろうとすると「こっちだ。こっちだ」と制服セラが手招きした。

「えーっ?!」

 二人を交互に見比べるタチアナ。「な~んつってな」 裸身の方がおどけて見せる。


「脅かさないでよ」

 ミーチャが先輩刑事の悪乗りを諫めた。かわいそうにタチアナは泣き崩れた。

「ちょっくら、聞き込み行ってくるわ」 セラの幽体がフワフワと飛び去っていく。



「イリジウム・アモルファス? 知らないわね」

 養魚場の周辺には大小百軒余りの住宅が並んでいるが、そのほとんどが空き家か留守だった。セラのサーフェスクインビー・グランドサツィアスは赤外線反応のあった十数件を訪問した。呼びかけに応じてくれた母子世帯や娼婦は午睡中だったり、娘を寝かしつけた後だったりで協力的ではなかった。聞こえてくるのは養魚場に対する不満やレアスミス家への恨みばかり。そもそも従業員の勤務態度はは直行直帰型の真面目人間ばかりで、目撃情報は期待できそうになかった。



「アニヤロフ・ネクタリスなら見たことがあるよ。知り合いなんてもんじゃない。あいつら昼も夜も乱痴気騒ぎ。小さい子が寝ててもお構いなし。怒鳴り込んでやったさ」


 硫化水素が微に漂う玄関先。三十路の女は三人乗りのベビーカーを押して買い物に出かける所だった。


「魚じゃなくて女を養ってたんですか?」

「女も男もだよ。海じゃなくて陸(おか)釣りして来た子を出入りさせて。何やってたんだろうねぇ。女の子はパンツ丸出しで。見てるこっちが恥ずかしくなるよ。こ~んな!」


 デブった母親はドレスを絡げてアンダースコートを突き出した。


「ありがとうございました」


 セラはふよふよと向かいのドアを叩いた。



「あ? イリジウム・アモルファス。それってコスプレだろ? ラノベの! いい歳して、よく読むよな。あんなクソみたいもん。転生~幼女~チ~トってか! バッカじゃねーの? で、どのアモルファスか知らないけどよ。どいつも女を連れてた」

 昼間から酒瓶を抱いている四十路男が答えた。セラはジャンルがどうあれ、読書は飲酒よりも遥かにマシだと反論した。


「その娘って、こんな子でしたか?」


 セラはタチアナのホログラムを投影した。


「おお、そうそう、その女の子だ。掃き溜めに鶴ってか、衣装が一番似合ってたな。メイクもばっちり決まってたぜ(死語)」


 何たることか。男はアモルファス親子が複数存在するというのだ。それも「なり切り」という形で。

「かわいこちゃん(死語)の名前はご存知でしょうか。お兄さん、そうとうモテる(死語)方でしょう。美人が放っておかない」


 セラがヨイショ(死語)すると男が乗ってきた。


「おお! 聞かいでか! サビーネだ。ま、フラれちったけどよ。後ろ姿がまた色っぽくてよぉ」

 男は無意識に手を伸ばしてきた。セラのプリーツスカートが風に揺れてアンダースコートがチロチロと見え隠れしている。サーフェスクインビーは実体をほとんど持たない影だ。うつろいやすい。セラは正体が暴露しないか焦った。そろそろ潮時だろう。

 と、彼の手が途中で止まる。スカートの裏地に隠した量子ベレッタに気付いたらしい。


「お姐さん、突破刑事かい?」

「……」

 図星を指されて一瞬、口ごもる。だが、セラは曲がったことが大嫌いだ。所属を明かして何が悪い。

「海王星サラキア署のアルマイト・カーバイド・セラミックス特等突破刑事」

 何事も正直が一番だ。彼は思わぬネタをくれた。

「おお。トッパの刑事さんか。耳寄り情報をおしえてやるぜ。あの女、レアスミスの屋敷にも招かれたっていうぜ」

「――!」


 ◇ ◇ ◇ ◇

「何か新しい情報は得られましたか?」

 タチアナは心配げな表情で尋ねた。

「ふん!」

 セラはご機嫌斜めだ。ミーチャに言わせれば「そうとうお冠」だという。

「な、な、何かわたしに問題でも」

 動揺するタチアナにセラは質問を叩き付けた。

「何が漁協だ。乱交会場じゃないのさ! あたいは洗いざらい聞いちまったのさ」

「仕方がなかったんです!」


 雷を撃たれたように泣き崩れるタチアナ。

「よくもまぁ黙ってくれてたもんだわ。どんな衣装を着ようと人様の迷惑にならなきゃ勝手さ。けど、レアスミスの次女に化けたんだって?」

「仕方がなかったんです!」

「あたいは泣く女は嫌いさ。でも、嘘つきババアは大嫌いなんだよ!」

 タチアナの頭上に肌色写真がドサドサと降り注いだ。


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