恐怖の殺人浴室と父娘のあかし
■
掃除機で女は吸い取られるように車輪の間へ消えた。加速された重量感が帝国主義を主張する。君臨したのもつかの間、バリバリと乾いた音が崩れる。
ミーチャがとっさにタイヤと地面をお菓子へ【変容】させたのだ。タチアナは甘ったるいクリームに溺れている。セラがスクール水着を縦に裂いて垂らした。溺れる手が肩ひもを掴む。泡まみれの彼女をミーチャが下着姿に剥いてホースで水をあびせた。
「くしゅん☆」
「ほうら、風邪をひくよ。タオルが無いからあたいの水着で勘弁しとくれ」
セラがいそいそとレーシングショーツとタンクトップの肩ひもを外す。くしゃくしゃに丸めてタチアナの身体をぬぐった。さっきまでの喧騒は嘘のように消えていた。トラックが沈んだはずの場所には乾いたコンクリートしか残っていない。
「ほら、その濡れたブラやらぱんつも脱いじまいな」
セラはビキニ姿になると風呂上がりの子供に接するようにタチアナの下着をはぎとっていく。
「だって刑事さん。それじゃ裸んぼ」
セラが自分のブラ紐を外しかけたところで咎められた。
「心配にゃ及ばないさ」
なんでもないようにホルターネックを首から抜き去るとぺったんこの胸にチューブブラが巻かれていた。両手を腰に掛けてローレッグのビーチバレービキニを降ろす。振り向いたセラのヒップを真紅のビキニが斜めに横断していた。
「貴女たち、何枚着ているんですか?」
タチアナは後ろを向いてストラップを留める。
「官給品だからね。あたいらは深く考えてないよ。ヒエロニムス回路繊維がどうたら~とかいう原理で動いてるんだろ。あたいら署員は『ぶるま~履け、制服、着れ!』っていう規則に黙って従うまでさ」
セラはハイレグビキニからはみ出した大きめのアンダースイムショーツを指で強引に押し込めている。
「わぁ。タチアナさん、パツパツ~~」
ミーチャが羨ましそうにヒップを眺めまわす。
「ところで、さっきのトラックは何だったんですか?」
タチアナがビーチバレーショーツを腰骨にひっかけているとミーチャが答えた。
「確率変動トラップでしょう。防犯用の。ホログラムを見破る泥棒に『現実』をぶつけるんです。出現頻度を弄って、『本物』のトラックを一時召還する装置です」
「あ~クラクラする」
セラが頭を抱えてうずくまる。トラップは不審者の見当識を失わせる効果がある。
「ミーチャ、アンタよくも平気だわね~。能天気な貴女らしいわ~~」
「違います。先輩はわたしみたいに【変容】できないから」
「【変容】って何です?」、とタチアナ。
「わたしの母星アルカスでは終戦直後から特権者の傍系が暴れていて、住民は確率変動攻撃を避けるよう進化してきました。【変容】は襲いかかる現実に立ち向かう能力です。他の動植物たちは時間軸を渡ったり、無機物に同化したり、現実逃避で対応しました。わたしたち積極的なアルカス人だけが生存競争に打ち勝ったんです」
「彼女は、おおぐま座HD 81688 インテルクルース星系の出身なんだ」
「わぁっ♡ アルカス人の女の子って初めて見ました。毎日お菓子食べ放題で幸せでしょう? 先輩さん」
タチアナはスポンジケーキと化したトラックをチロチロと眺めている。彼女の心中を察したセラはクリームをペロッと舐めた。
「食えるよ。これ」
タチアナがチョコレートピーナツまみれのタイヤを頬張っている間に二人の刑事は謎の小屋を捜索した。入口は中からしっかりと施錠されており、ドアの量子ロックも改ざんされた跡が無い。セラは鍵穴に膝をあてて形式をカタログ検索した。ハイカットのビキニがぐいっと食い込んで渓谷が浮かび上がる。ギガランチャーには便利帳がインストールされており、この程度の捜査資料ならオフラインで参照できる。
「シャレコフ漁協は解散して久しいのに、量子鍵が更新されているってどういうわけ?」 セラが首をかしげる。
「自動住宅管理会社と十年のメンテナンス契約を結んでいます。今も養魚場に自律ドローンがあしげく通ってます」とタチアナ。
「っていうか、貴女と漁協はどういう労使関係なの? 父親と同じ職場なら浪賊災害時の避難先ぐらい知ってて当然でしょ?」
ミーチャが至極当たり前な質問をするとタチアナはいきなり泣き出した。
「わたし、戦災孤児なんです。ハドラマウト事変で家族を皆殺しにされて……それでイリジウムに」
彼女は孤児院を転々としてシャレコフ家に落ち着いたという。漁協に非正規雇用されていたようだ。
「なんてこったい!!」
こわもてのセラが思わず貰い泣きした。
「あたいもハドラマウトの被災者だよ。もしかして、ダーラ部族連合かい?」
「そうです。ダリ土候国です」
同郷人同士がわっと抱き合った。
ダーラ部族連合はアラビア半島の南端にあった小さな王国だ。ハドラマウト地方には第二次大戦後も数百の諸侯が群雄割拠していた。1967年8月17日に南イエメンの独立に伴って強引に廃藩されたが、納得のいかない部族長は頑迷な抵抗をつづけた。
特権者戦争が集結した煽りで冥界から返り咲いた諸侯たちは、当然のことながら領土回復を主張し始めた。死人が墓場からよみがえって色々と厄介な土地問題が持ち上がったが、多くの人々は太陽系外惑星に代替地を得た。
しかしながら、土着に固執する勢力がサウジアラビアのキング・ハリド軍事都市から国連停戦監視軍の超兵器を持ち出した。これがハンターギルド設立のきっかけとなった「ハドラマウト事変」である。最終的に超時空振動弾が爆発して、七百年にわたる時空混乱が生まれた。流出した大量破壊兵器は今も人類圏を脅かしている。
「あたいの親族は嬲り殺しにされたんだ。アメリカ南部諸州連合軍か大ハドラマウト主義者か知らない。あたい以外に生き残りがいたなんてねぇ。おーいおいおい( ノД`)」
セラのギガランチャーが涙にぬれる。
「そいつらがイリジウムを亡き者にしたのね。きっと」
ミーチャが他人事のようにチョコを頬張っている。セラの生理周期が一巡する度に泣き言を聞かされている。
「イリジウムが何をしたって言うの? わたしじゃなくて? どうして、このタイミングで?」
「部族連合の痕跡は徹底的に消されたのさ。犯人はいまだに不明。事件が風化して、都市伝説だと言い出す馬鹿もいる始末。
「ごく普通の優しい父親でした。子煩悩だし、誰からも好かれる性格で。その関係にオンナにだらしなかったけど、薬も賭博もやらない真面目な人でした」
タチアナが語る人物像にどこも不審な点はない。
「その八方美人が命取りになったのかもしれない」
ゲスな性格のミーチャがイリジウムの意外な面を掘り起こした。
「なんてことをいうのさ! このアバズレ!!」
セラの踵落としを敏捷にかわすミーチャ。「聞き上手な男はモテるわよ。イリジウムは余計な事まで耳に入れちゃったのかしらね」
「あたしが父のカノジョになってあげればよかったのよ!!!」
タチアナがギガランチャーを自分の頭に向けた。
「馬鹿!!」
セラが血迷った娘を張り倒した。
「女が寂しがるのは性分さ。しかたないことだよ。どんなに満ち足りた女も孤独が癒されない。どんなに医学が発達しようとも、どんなに心理学を極めようとも治らない。おねがいだから、あたいやミーチャを寂しがらせないでおくれ!!」
「んっ?♡」
突破刑事の熱い想いがタチアナの唇を塞いだ。
■ ボース・アインシュタインの部屋
部屋の扉に不審者が出入りした痕跡はなかった。ギガランチャーの初動捜査ビームが指紋、血痕、DNA、繊維片などといった証拠を検出したが、事件との関連を立証できない。
「隠し認証システムが在るかも知れない。アンタが先頭に立っておくれ」
セラはタチアナのギガランチャーに働きかけて室内を傍受させた。潜伏者の息遣い、監視装置や量子レーダーの波動は皆無。部屋はシューマン共鳴発電による独立した永久電源を持っている。もちろん、量子ファイバーなどの通信回線も引いてない。
「ミーチャ、念のために見張ってておくれ」、とセラ。
ミーチャが屋根にジャンプ。ブルマに包まれた肢体がしなやかだ。セラが銃剣トーチを発動。ドアが枠ごと外れる。一歩、踏み入れると湿気とかび臭さが沈殿していた。
「二十年ぶりに田舎の勉強部屋に戻ってきたって感じだねぇ」
セラが時間の止まった室内を見やる。食器や筆記具がテーブルに散らばり、生活感に綿ぼこりが積もっている。
「これは父のコートだわ! って、どうしてボロボロなの?」
壁のハンガーにタチアナが遺品を見つけた。ポケットの中に何か入っている。セラがギガランチャーの吸引ビームを振り絞る。ボロ布を引き裂かないよう慎重に異物をひっぱりあげる。紙のように薄くて軽い物体だ。量子軟観測分光計でスキャンする。主成分は炭素。青酸ガスや炭疽菌など有害成分は塗布されていない。
「ニニ・ロッソの伝票じゃない! おとといの日付だよ」
ひらりとレシートが一枚、セラの足元に落ちた。それをミーチャがパッと咥える。もしゃもしゃ、山羊のように食む。「んまい」
「
あまりの食い意地にセラはほとほとあきれた。
「変死体の類や骨片はなかったわよ。野犬や小動物が出入りした痕跡、いや、アリの子一匹入っていないよ」
ギガランチャーをスライドショーモードで照射。ミーチャの索敵結果が天井に浮かび上がる。建物周辺の内部構造まで徹底的にスキャンした結果、食人バクテリアなど殺人の証拠隠滅に使えそうな隠しアイテムは発見できなかった。
「この部屋は宿直室なの? それにしては広すぎるわ」
ロフト構造の中二階からセラが顔をのぞかせる。内装は殺風景なコンクリートではなく、初夏の草原をイメージした壁紙。寝心地の良さそうな二段ベッドにバーカウンター。大型フードシンセサイザーに
『浴槽に死体か何か浮かんでた?』
セラは
『綺麗なもんよ。さっきガラス窓から弱観測してみたんだけど、タチアナを動揺させる異変はなかった』
『貴女、シュレディンガーの猫小屋を開けちゃったかもよ?』
帰宅した途端に留守番猫の生死が決まるという有名な観測問題だ。
「いや、イリジウムは猫を飼う趣味はないとおもう」
「何の話なの?」
タチアナが眉間にしわを寄せる。また刑事たちがイリジウムを蔑ろにしていると懸念している。
「猫の額よりも狭い部屋で
セラが取り繕うとタチアナはますます機嫌を損ねた。
「やっぱり、どうでもいいと思っているんでしょ。御心配なく! 父の事なら、あたしはもう大丈夫だから!!」
気丈に構えて見せる彼女。目じりが光っている。
「お待ちよ!」
タチアナのビーチバレービキニをぐいっと引っ張るセラ。
「あたいのパンツを履いたまま何処ぞに身投げする気かい?」
「ふざけないで!」
タチアナはビリビリと身につけている物を破り捨てる。
「不思議の関門を無料公開されちゃあ困るねぇ。ミーチャ、げんこ~犯たいほ♡」
「はいっ♡」
「ちょっと貴女たちっ!」
タチアナの手首にレーザー環がはめられた。
◇ ◇ ◇ ◇
もし、裸の男が仰臥位で浮かんでいたなら簡単にコトが運んだだろう。タチアナを塀の中にブチ打ち込んで一件落着だ。浴室は綺麗なものだ。廃水処理は上下水道から独立しており、循環が部屋の中で完結している。
「そもそも、この小屋は何なの? まるで小観測基地よ。何か月も引きこもりできちゃう」
ミーチャが浴室から広い室内を見やる。
「確変嵐から避難するためです。確率変動魚はときおり暴れて事象を乱すんです。存在確率そのものを汚染しちゃう」
「タチアナ。どうしてそれを早く言ってくれなかったの? 従業員の避難小屋だって!」
セラは浪費した時間を惜しんだ。
「仕事中の事故を装って消すなら、閃狂師が暴れてる時でなくてもいいでしょ?」
ミーチャが先輩の早とちりを見透かすように言う。
「あいにく、あたいは別の角度から考えてるよ。天井を見な」
目線の先に大小さまざまなレンズがぶら下がっている。ミーチャはギガランチャーを振り上げてくまなく走査する。
「超低周波からγ線まで広帯域のスキャナー、っていうかニュートリノ検出器まで揃ってるじゃない。風呂場で惑星探査でもしようっての?」
「この小屋はもともと軌道ステーションの観測棟を流用したと考えるべきよ。風呂場だってスペースの有効活用するためでしょう。壁は
セラは浴槽をギガランチャーでコツコツと叩いた。宇宙船の内壁そのものだ。
ミーチャは顔をしかめた。イリジウム・アモルファスを殺害した手口がありありと浮かんだからだ。そして、逆流性食道炎を患った。「イリジウムはここで殺されたのよ!」
セラが恐るべき死亡宣告を下した。
「機器はすべて受動的なセンサーよ。発振して人間を加害するような構造じゃない」
ミーチャが胸糞悪い推論を懸命に否定する。
「いいえ! 観測者は認識するという行為によって対象に干渉するわ。極言すれば『望むような結果』を見てしまう。真実を何パーセントか汚染する。そして、観測者と対象は一組の環境だと言える。観測対象を弄ることで観測者に干渉することも……」
「刑事さん、どういうことなの?」
タチアナはついていけないと不平を漏らした。
「湯船に浸かって月見酒してたら、お月様に睨み殺されたってカンジよ」
「そのお月さまが誰かに雇われた刺客かもってコト」
二人の刑事が交互に答えた。
「じゃあ、さっきの、イオナとかいうハッカー?。父の存在確率を観測行為によって『限りなくゼロに近づけた』というの?」
凱旋戦士の娘はわなわなと肩を震わせた。
「それが閃狂師によるものかAIの仕業か冷血方程式機構の関与かはわかんないけど」
セラが考えあぐねているとミーチャがコートを持ってきた。
「貴女のお父さんは存在確率の低減と必死で戦ったのよ」
ポロリと落ちるレシート。
「おお。じゃあ、これが、イリジウムの、存在した、あかし? そんな。お父さん。お父さん。うわあああああああああ!!!」
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