夜明けのトランペット

 ■ レアスミス・ゲットー再循環処理施設区画 


 トラックの不埒な行動によりゲットーは大混乱に陥っている。それでもなお人々は泥水をすするような生活を維持している。働きアリは全体の九割しか稼働しないと言われるが、仮に残りの一割を間引いてもまた一割の脱落者が生まれるのだという。恒常的に不適合者が発生するメカニズムは疲労の回復と育児目的だと生態学は説明する。

 倒壊した店舗の跡地に不法占拠者のバラックが建ち、屋台がひしめく。路地裏の側溝に新生児が捨てられて、それが人身売買される。底辺階層(ロワーデッキ)には底辺の循環が蠢いている。肥った中年女性がよちよち歩きの女児に罵声を浴びせている。一人や二人ではない。ざっと十人ほどの女の子がドロドロに汚れ、シャツとワンピースを兼ねたボロ布に着てバスの中に追い立てられている。下半身は裸で靴も下着もつけていない。

 イオナ・フローレンスはその光景にとてつもない不条理を感じた。彼女が朗読教徒を信奉しているからではない。上層甲板(アッパーデッキ)プロムナードに見え隠れする裕福なカップルと貧困幼女の対比が病的な遠近感を思い起こすのだ。

 彼女は言いようのない眩暈を覚えてその場にしゃがみ込む。いくつも重ね着した服を引き裂いて、今すぐにでも女児たちをくるんでやりたい。だが、朗読教徒の法衣はそれを許さない。彼女の局部に張り付いているアンダースイムショーツ、それからビキニ水着やレオタードやブルマを経てセーラー服の上に重ねたゴスロリ服に至るまで、一枚たりとも欠けては抽選演出能力スクリブティブが完全燃焼しない。戦闘純文学者メイドサーバント突破刑事トランセンドたちが身に纏う衣装は服飾兵器(ウェアポン)と呼ばれ、織り込まれたヒエロニムス回路がラジオニクス装置として魔力を揮う。どうにもならないもどかしさが胸を圧迫する。

 彼女は貧困と富裕が入り混じった理不尽の圧気に噎せ返った。

 しばらくして、救済を求める声を風の中に聞いた。空耳ではない懸命な呼びかけが特定の方角から繰り返しやって来る。

 貧民街の底辺に埋没するように居座っている「それ」は行政の怠慢と住民の不満に苛まれながらも懸命に働いていた。貯留槽に滞留する廃水と汚物は浄化しきれぬまま再利用される。配管にこびりついた泥濘が分解しメタンガスを発生する。そして、処理施設を劣化させる。やがて処理能力と供給量が逆転し、悪臭が住宅街に健康被害を及ぼし始めると社会不安が倍増した。

 改善要望が資源再処理区政府に殺到するが、もともとが居住に適さない部分であるうえに、苦情者の大半が密航者であるため、受理されないまま、悪臭だけが充満している。

 百万人規模の移民船は甲板から船底にかけて自治が何階層も分権化している。その需要と供給は様々で花形役者もいれば、世間に評価されない仕事というものがある。彼女の背後にそびえ立つ再処理施設は完全自動化されていて「3K」汚い危険きつい労働者の入り込む余地はない。だが「彼」は発達段階の意思を持ち、感情も備わっている。

 その勤勉者は、さんざん悪態をつかれながらも、傷つくだけの自尊心を持ち合わせていなかった。

 宣教師イオナ・フローレンスは彼に福音を与えることにした。


「随分と熱心な尼さんだな」

 エイプ・バーグラーソンが詠唱中のイオナに声をかけた。

「邪魔をするならわたしより『彼』の力になってあげて」

「汚水処理場を篭絡して清美運動でも広める気か。それもよかろう。まず、櫂より始めよというからな」

「悠長な男ね。フローシア・アヴェノチカを奪取する足掛かりよ」

「怪物蚊(モンスキート)では心もとないから、汚水槽で蠅魔王(ベルゼバブ)でも育てようってか!」

 エロ事師は少女の無策ぶりを笑い飛ばした。

「力なら間に合ってるから。二度と来ないで!」

 イオナは男の返事も聞かずに読経を再開した。施設を司るAIは設備の老朽化を嘆いていた。目標値を達成しても評価されることはなく、際限なくハードルがあがっていく。故障したまま更新されない個所を工程の組み換えや工夫で補い、だましだまし稼働してきたが限界が近い。彼は施工主レアスミスを決して恨むようなことはせず、己の至らなさを恥じ入るばかりだった。再処理しきれなくなった汚水は近隣住民に悪臭を振りまいていた。その苦情がひっきりなしに自分を苦しめている。すべて自己責任だ。人工知能でありながら効率的な解決策を見いだせない自分を責めた。

「わかりました」

 告解を聞き終えたイオナは「彼」の無力感を全身で受け入れた。ドレスが慙愧の風になびき、アンダースコートが丸見えになる。

「再生処理という仕事は感謝と感動にあふれた仕事です。しかしながら喜びで人々の苦しみを払拭できていない」

「方向が間違っているからです」

 イオナは彼の自己撞着を的確に言い当てた。手短に教え授ける。「自分の正義を成しなさい。風向きを変えなさい」

 工場制御AIは「千万人と雖も我往かん」という格言を一般教養データベースから掘り起こした。

「ありがとうございました」

 彼は爽やかな声で感謝を述べた。クールミントと甘酸っぱい檸檬を含んだ香りがどっと煙突から吹き付ける。

「ひゃん☆」

 イオナの視界がエプロンドレスで遮られた。

 立ち込めていたアンモニア臭が霧消し、ごうごうと汚水タンクが唸り始める。

「――何をしたんだ?」

 エイプ・バーグラーソンが街路樹にしがみつく。

「何をした、じゃなくて、何をすべきか、なのよ。彼自身の回答をとくとご覧あれ」

 イオナがロングヘアを烈風になびかせる。工場群がシュウシュウと蒸気を噴き上げて、タンクが爆散する。そして、ムッとするような異臭が鼻をつく。

 と、思いきや、青空にキラキラと星がまたたいた。いや、金属箔のような物が舞っている。建屋の窓ガラスが割れ、爆炎が噴出した。外壁が吹き飛び、鉄骨が崩れ落ちた。小爆発が連鎖している。

「――なるほど、自爆か。それがお前流の『救い』か。うわっはっは。幼稚すぎる」

「木を見て森を見ないで!」

 哄笑する男をイオナが平手打ちした。

「だが、事実だろう? お前の手口はよくわかった。AI自爆テロは斬新だ。だが、画期的じゃない。意気込みだけは褒めてやる」

 キリキリと歯噛みするイオナを遺して男は忽然と消えた。

「……そんなんじゃないわ! 彼の化けっぷりに腰を抜かすがいいわ」

 ■ プラジェーブールバードα287ブロック リバーサイド・ダイニングバー「ニニ・ロッソ」

「ちょおっとぉ! 女子トイレが使えないってどういうことなのさ?」

 ガラの悪い大女がカウンターに怒鳴り込んできた。タチアナはひるまず無表情で答えた。

「ウチは公共施設じゃありませんので。ところで、ご注文は?」

「これから、しこたま呑んだくれようってのにベンジョが故障してちゃ、お前も商売にならないだろうがぁ!」

 女は至近距離から口臭をまき散らす。ツンと鼻を突く刺激。噎せ返るような強烈な酸味。

「化粧室なら店を出て信号渡った突き当りの十階ですが。お料理のご注文は後ほど。 お飲み物は何になさいます?」

 タチアナはあくまで冷静にオーダーを取る。壁面のディスプレイの中では、大物女性戦闘純文学者が過呼吸している。「女寡と妾のパラドックス」、と題字。歌詞が底辺甲板放浪遊興者チーパー・リバーサイダーの悲哀を謡っている。

「ああら、ま。オトコ?♪」

 大女が破顔すると同時にカラコロとカウベルが鳴った。アムウェイ・ピーターソンは長身の優男で前髪を垂らしている。

「手切れ金がギガランチャー1丁というのもたいがいだなぁ」

 彼は席に着くなりタチアナの太ももに視線を這わせた。

「ミーチャは冷たい女よ。あいつらってばイリジウムのことなんか上の空でさ。これは返しておいてね」

 ヴェンチュラ署員の前にドカッと重い銃が横たわる。

「所轄外の装備品を預かるわけにはいかないんだ。バーボンのダブルとモロキュウ」

 琥珀色のグラスがカウンターを滑る。つづいて、平皿。キュウリの漬物が装ってある。

「でも、銃刀法に触れないかしら?」

 タチアナがアンダースコートを降ろしてブルマの間にストラップを挟む。車ひだプリーツとテニススコートをもどかしくドレスの下にたくし込む。

「保護観察の一環だろ? 君はその銃を撃てない」

 刑事はタチアナのみっともないヒップを存分に鑑賞した。

「小娘じゃあるまいし。こう見えても軍神イリジウムの長女です!」

 男の視線をスカートで振り払う。彼女は肖像画に尊敬のまなざしを向ける。

「十分にガキだよ。『シャレコフ漁協のマスコットキャラは実在した』なんて少女趣味はそろそろ卒業してイイ女を探せ」

 アムウェイは空想と現実を混同するなと諭す。実父を否定されたタチアナは感情的に反論した。イリジウム・アモルファスは昨日の朝に玄関口でわたしに微笑んだ、と強弁する。男にしてみれば、マガジンラックに積んである古びた会報の連載小説(ラノベ)を愛読するあまり妄想だ昂じただけの事。両者平行線のまま、気まずい沈黙が流れる。

 壁面はQNNの臨時ニュースに切り替わっている。ゲットーの汚水処理場が何者かに爆破され、上下水道ともに断水。各地でメーターに障害が生じていると伝えている。

 いがみ合う男女を交際のもつれと判断したのか、大女が積極攻勢ナンパに出た。

「あらン。そこの殿方、繁殖許可証はお持ちかしらン」

 口臭女が体を火照らせる。

「あ、俺か? 俺は突破刑事だ。生涯ヤモメ。死んだらそれでおしまい。もっとも非魔力ひりきなんで婦警みたいに前線(まえ)には出れない」

「あらン。昼行燈(かざり)にしとくのはもったいないワ。ヴォードビル(肉看板)とか演ればいいのにン」

 大女の掌がアムウェイの膝を這う

「あたしの常連に触れないで」

 タチアナが肘鉄を喰らわせた。

「何さ! この淫売!! 刑事を垂らし込んで無許可(エッチ)とか最低!!! 通報してやるから!!!!」

 逆ギレした女が胸元から水晶球を取り出した。ギガランチャーが殺意に反応。オレンジ色のビームがタチアナのドレスを裂く。

「あぶない!」

 窓ガラスをたたき割り、レオタード姿のミーチャが飛び込む。水晶球をくわえてふたたび戸外へ。大女の顔に脱ぎ掛けたスカートとブルマが被さる。

「ミーチャ、ゼロニア・ヒートサプレッサーだ!」

「はいっ♡」

 発砲、爆音。人型の焦げ目がすえた臭いを放っている。その上に男が白目を剥いたまま倒れ込む。

「アムウェイは死んだよ。これが現実さ」

 セラはさっさと現場保全をすませ、スキンケアで所轄署に報告した。目頭を押さえるタチアナ。ミーチャが肩を支える。

 ■ シャレコフ漁協アミダラ養魚池

「現実と虚構は合わせ鏡だよ。歪みやボケは付きものさ。いくらイリジウムをラノベキャラに貶めたところで完璧じゃない」

 セラは足場の悪い桟橋を慎重に歩んでいる。風の影響を避けるために三人は紺地の丸首体操服クールネックシャツに濃紺ブルマー姿だ。

「存在が疑わしい人物に落とし込めば、関係者全員を始末する必要がないと踏んだのね。その成功すらも確率論でしかないのに」

 ミーチャが交互に脚を進める度に腰の白二重線が伸縮する。彼女が言う通り、タチアナのような懐疑論者は払拭するできない。

「父は生きていたんです! トラックに轢かれて異世界転生したんじゃありません!!」

 タチアナは体操服の裾をのばして座り込む。

「タチアナを虚構化しなかったのは顧客が多すぎるから?」

 ミーチャはイジリウムの生簀を調べている。古びた立て札には火元責任者アニヤロフ・ネクタリスと記されている。十二年前の日付だ。

「いや、それはない。奴らなら彼女ですらヴァーチャルアイドルに仕立てるだろう」

「じゃあ、なぜ彼女は無事なの?」

 セラは表情一つ変えずファイルを繰る。古臭い手書きの日誌だ。太ももに擦りつけてスキンケア・クラウドに一頁ずつアップロードする。改竄の痕跡や整合性を専門の業者に目視で鑑定させている。筆跡には一貫性がある。老化による衰えだろう。筆圧が年々低下していく。

「あの小屋は何かしら?」

 ミーチャが池の隅に真新しいコンクリート躯体を見つけた。高さは十メートルほどで窓が一つもない。

「スキンケアで透視できない。法務局にも土地測量の記録が残ってない。何なんだろうねぇ?」

 セラがかぶりを振った。ああでもない、こうでもないと太腿をさすっている。

「そもそも、スキンケアネットワークは信用できるのかしら??」、とミーチャ。

「馬鹿をお言いでないよ。スキンケアネットワークは電気通信事業者法で設置を義務付けている設備だよ。正常に稼働してないと人類圏量子ネットワークから即時遮断されるんだ。宇宙船一つ飛ばせやしない」

 セラが体操着とブルマを脱ぎ捨ててピンクのレオタード姿になる。寝転んで両脚をばたつかせる。

「お腹のぽっこりが気になるの?」

 ミーチャがまじまじと覗き込む。

「駄目だこりゃ。量子共鳴アンテナの不調かと思ったけど、十本とも立ってるよ」

 ピンとつま先を伸ばして、可愛らしいピンクの爪を見せつけた。

「爆破の件と関係があるかもしれないわ」

 タチアナがフェンスによじ登っていく。頭上に作業員用コンソールがある。

「うわ。タチアナさん、お尻おっきい☆」

 ミーチャが絶賛する。グラマーなヒップがぴっちりと濃紺の生地に包まれている。

「管理者IDが違いますって? イオナって誰? もう!」

 タチアナはキーボードに八つ当たりした。

 その瞬間、トランペットが高らかに鳴り響いた。

「トラック? あいつが何でここに?!」

 セラが銃を構える前に、タチアナがフェンスごとなぎ倒された。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る