災厄刑事セラの、あとは野となれ大規模破壊

 ■ ヘリオポーズ

 太陽系最辺境空域ヘリオポーズとは太陽風が星間物質や銀河系の磁場と衝突して完全に混ざり合う境界面のことである。濃厚な水素ガスを掻き分けて、小惑星ほどもある構造物が群れを成している。まるで回遊魚を思わせる。

 その先頭にひときわ大きな流線型の塊が遊弋している。

 ラヴォーチキン号のプロムナード・デッキ。大がかりな全面改装工事が行われている。太陽風が蝕んだ肋材越しに砲艦外交プレゼンスの権化が見える。富裕層を喜ばせるために、タダで銀河放射線をたっぷり浴びて、日銭まで貰える地獄(テンゴク)で、イオナ・フローレンスは矯正すべき誤謬に出会ってときめいた。

 第八百八十八超長距離・大虚構艦隊付属移民船団 旗艦 フローシア・アヴェノチカ

 三千世界最強を自称する航空戦艦だ。世界一や宇宙ナンバーワンでない。地獄や天国、この宇宙を含めたあらゆる世界に比類のない無敵旗艦だ。

 それが証拠に異世界のモンスターを従えている。魔王類のギルバチアン。燃えるような鬣の双頭龍だ。全長は幼体で数百メートルに及ぶ。そのあぎとに寄生しているのは餓者髑髏(ガシャドクロ)。身の丈八メートルの巨大なスケルトンだ。科学万能の世の中にこのような魑魅魍魎が生息できる理由は遺伝子工学では説明できない。

「量子力学を全力で曲解した産物よ」

 イオナは蔑むように蓋板をはめた。それにしても労働者たちの負け犬っぷりはどうだ。わずかばかりの食い扶持のために機械の様に生きている。規律と能率と服従が正義だ。いつか彼らを錯誤から解放してやらねばならない。

 彼女は星の海を横切る隊列に視線を這わせた。するとそこに鍵が見つかった。

 太陽系第三惑星 南極大陸。そこに歪んだ正義の軸がある。

 昔、大きな戦争があった。人類が一丸となって共通の敵に挑み、様々な大量破壊兵器で立ち向かった。

 戦後の混乱期にそれらが流出し、取り締まるための武力集団が組織された。

 宇宙規模で刀狩を行う専門のハンターがいる。彼らは手段を厭わない。摘発に武器も使うし平気で人を殺す。そして、報酬を得る。

 大量破壊兵器撲滅委員会。通称ハンターギルド。そういったいびつな秩序の元で移民政策が行われている。

 ゆがみを修正しなくてはならない。

「根本を叩かなくちゃ」

 イオナは移民船団を送り出した元凶を葬ることにした。そのためには力を得る必要がある。

 力とは何だ。

 武力行使する相手と同じ土俵に立っても消耗戦に終わるだろう。いつの時代も勝敗を制するのは情報だ。攻撃に先立って状況分析が必要になる。

 そこで彼女はフローシア・アヴェノチカを篭絡することにした。


 ■ 海王星浮遊首都 サラキア。

 スラムの裏路地に覆面警察艇が止まっている。ボディはあちこちが凹み、ダクトファンがキィキィと悲鳴をあげている。バンパーには白く乾いた泥が固着しており、艇(フネ)の形式を正確に言い当てられる者は違法改造業者でもいないだろう。

 いるとすれば浪賊だ。彼らは古代のロマ人のように人類圏内を渡り歩き、ユダヤ人のようにたくまし商売をする。そして彼らは故買品であろうと、流出品であろうと漁獲と同じ勘定科目で計上する。

 彼らに犯罪という言葉はない。混沌の神がもたらした恵みに感謝するだけだ。そうやって彼らは社会の隙間で生き延びてきた。

 フロントガラスの向こうで角の生えた女が長い髪を掻き揚げた。量子ストリーミングは軽快なポップミュージックではなく、念仏を垂れ流している。

『人類が特権者と呼ばれる知的生命体との戦いに勝利して半年が過ぎた。彼らは因果律に抗い大宇宙の意思に背く存在である。認識が実体化するこの宇宙において、人類の天体観測そのものが、自分たちの存在を「かき消して」しまうと恐れ、反撃に出た。

 目には目を歯には歯を、認識には認識を。彼らの思考エネルギーはすさまじい。地球全体の確率均衡をゆがめ、各地で事故や天災が相次ぎ、マンハッタン島は大西洋に没した……』

 女は講義内容を聞き漏らすまいと翡翠タブレットの文字を必死で追っている。

『もっとも、そうなる前に、彼らは何億年も前から予防措置を講じていた。ほんらい、知的生命体というものは認識することによって宇宙を支えなければならない。量子力学の不確定性原理によれば宇宙はあいまいで不安定なのだから。そして、無限の宇宙を押し渡るには無限の寿命を持たねばならない。さもなければ世代交代する度に宇宙が更新されてしまう。

 その知的生命体が二種類以上いれば干渉しあって宇宙がめちゃくちゃになる』

 泥濘のように覆いかぶさる眠気を振り払おうと、彼女はダッシュボードからカフェインチューブを取り出した。片手でスティックを開封しようと四苦八苦するが、なかなか難しい。

『そう考えた特権者たちは人間の意識を霊界と呼ばれる惑星に捕らえていた。人間は死んだら終わりだ。そういった考えが見事に定着して、地球人類の宇宙進出が阻まれた。

 しかし、一人の転生勇者が特権者の隠ぺい工作をあばきだした。人類は冥界の偉人たち――ニュートン、アインシュタインといった錚々たる英知を結集して死後の世界である惑星プリリム・モビーレを制圧した。

 世界を救ったのは戦闘純文学者たちだ』

 女はカフェインチューブに物理的な攻撃を加えた。バシッと黄色いプラスチック片が弾け、褐色の液体が飛び出す。

「あちゃあっ!」

 制服のスカートにみるみるシミが広がっていく。


『認識を実体化させる能力(ちから)――量子力学の観測問題を武器にして、思い描いた事象を現実のものにする。

 それが、戦闘純文学。文字通り、世界を読み書きする技術である。

 戦闘純文学達は確率変動を捻じ曲げて「あり得ない」を顕在化する敵に、同等以上の力で抗った。

 特権者戦争に勝利した人類は冥界を解放した。肉体を失った人間はクローン技術によっていつでも何度でも蘇る。

 そして、特筆すべきは――すべての死者が復活した』

 女はすべての神に悪態をついて、チューブを投げ捨てた。

「こっちはオジャンだよ」


『彼らの居住場所を確保するために人類は大海原に乗り出した。

 赴くは、宇宙の果ての果て。深奥の深淵を飛び越えた更にその向こうに現実と虚構の境界線がある』


「サラ。もう、その辺にしといたら?」

 後部座席からブロンドの女が声をかける。

「うっさいわね。一夜漬けの真っ最中。じゃますんな」

 角のある女は翡翠タブレットでシートをひっぱたく。

「その分じゃ、今度の試験も……ね」

 同僚はテキストの中身をそらんじて見せた。

「え〜っと。時に西暦2788年8月6日。人類の天敵、特権者、国際連合、概念の海諸派連合(プラトニックオーシャンズ)三者はエンケラダス条約を発効、数百年に及ぶ対テロ戦争を終結させた。

 観測可能宇宙の境界線上に虚実不可侵空域が設定され、虚構と現実の区別が明確に定められた。

 三者連合は大虚構艦隊を編成し、まだ見ぬプラトニックオーシャンの地平に未知の概念、文明、生物、事象などを探索する旅を開始した」

「じゃますんなって!」

 サラは音声を早送りする。

『しかし、虚実直交座標理論が完成し、虚構と現実の境界があいまいになった時代においても、犯罪の種は尽きない。

  犯人たちは「現実と虚構の架け橋ミューソロジカル・コントラクターを悪用して物語の中に逃げ込む。

  彼らは、事件そのものが風化し、史実か捏造か論争が起きるほどの未来へ実体化する。

  そういった逃亡犯を「実存の下」に引き摺り下ろし、罪を償わせるために恒久虚構警察機構インターリーブが設立され……』

 ナレーションに乾いた音が混じった。落ち着いた雰囲気の男声がソフトに語りかける教材で娯楽作品はない。BGMや効果音など混ざる余地はない。

「聞いた?」

 サラがタブレットを投げ捨てて振り向く。

「ええ、銃声よ……って、きゃあ!」

 リアウインドーが一瞬で砕け、黒い人影が飛び込んできた。毛むくじゃらの大男がブロンドをわしづかみにしている。その姿は荒ぶる類人猿そのものである。

「ミーチャ!」

 サラは右足を男の顔面に蹴り入れた。同時にミーチャが後部ドアから転がり出る。

「突破捜査事案 対浪賊全権優先権発動!」

 彼女は逃げ惑う人々に宣言すると、スカートの下から量子銃を取り出した。警告なしで発砲。屋台が爆散する。太った女が燃え盛る商品を指して猛抗議している。

「対浪賊突破捜査にご協力をお願いします」

 ミーチャは焼きリンゴを拾い上げ、無断で齧る。

「あんたねぇ」

 サラはあきれ果てながらも、発砲を続ける。

「今日もトッパ、昨日もトッパ、いい加減にしておくれよ! ぎゃっ!!」

 老婆のヒステリーは流れ弾にかき消された。猿男は着弾より素早く壁をよじ登り、塀を渡り歩き、別の屋台を蹴散らして逃げる。

「ミーチャ。デブリスイーパーだ」

 サラが同僚に追加武器を要求する。阿吽の呼吸で長身のライフル銃が手渡される。その性能を知っている市民たちは慌てて手近な物陰に隠れた。ぽつねんとして老婆が一人佇んでいる。

 ブロンド髪がさっと駆け寄って、老婆を抱え上げる。二言三言語りかけて、刑事は紙切れを手渡した。女は納得した表情で荷車の向こうに潜んだ。

「エイプ。この野郎!」

 サラが周囲の安全を確認して、引き金を引いた。

 バリバリと切れ目のない雷鳴がエイプの退路を突き崩していく。舗装がめくりあがり、配管がバック転を繰り返し、窓枠が雪崩をうつ。

「俺の店が……」

 頭を抱える男に訳知り顔の女がささやく。「クライシスのセラだ。仕方ないさ」

「そうだな。セラならしょ〜がない」

「保険に入ってるんだろ。じゃなきゃ諦めろ」

 人々は疲れた表情で口々に男を諭す。

  アルマイト・カーバイド・セラミックス(セラ)は恒久虚構警察機構の艱難突破刑事である。称号はCC(クリエイティブ・クリアランス)。

  難事件中の難事件に挑むエリートであるが、破壊を厭わぬ捜査っぷりに一般市民からはクラッシュ・クライシス(壊滅的な災厄)と恐れられている。


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