お騒がせ銀河婦警セラとミーチャ♡百合の華咲く捜査線

水原麻以

悪役宣教師令嬢イオナ

 ■ 宇宙超長距離移民船 ウラジミール・ラヴォーチキン

 ――絶対正義を振りかざす者は己の窮地など夢想だにしないか、敢えて無視することでゆるぎなく力を行使するのであろう。

 それは、信仰と呼び換えてもいい。

 それは閃狂師(せんきょうし)にとって遅滞なく己の正義を行使することは神への帰依に等しい。つい先ほど、前世記憶がよみがえったのだ。わたしは殺し屋だった。ぼんやりとした脳裏にはっきりと像が浮かぶ。金を貰って誰彼なく殺った。ひたすら生き延びるために。

 だから、イオナ・フローレンスは人を殺すことにした。

 電磁リニア軌道に無人トラックが横転している。大きなコンテナがゴロンと外れて歩行者を枕にしている。まもなく治安当局が血の匂いを嗅ぎつけるだろう。フロントガラスは粉々に砕け散り、カメラアイにいくつも弾痕が穿たれている。

「お嬢様。そのような小物を……」

 老人がおかっぱ髪の少女をたしなめる。彼女の年恰好は十四、五歳くらいで、黒いパフスリーブの付いたエプロンドレスに歩きやすそうななストラップ付きのシューズを履いている。

「宣教師を名乗るには役不足だと言いたいの? 私は的確な一撃だと思ってる。じきに奴らの状況が雪だるま式に悪化する。そうだ。これ、隠滅しといてね」

 彼女は素早く対物狙撃銃を片付け、老執事に手渡そうとした。その刹那――。

「見つけたぞ! 閃狂師一名」

 拡声器から容赦なく蔑称が降ってくる。治安局は紛れ込んだ異分子を瞬殺する。説得や威嚇射撃などない。

「あたしは宣教師!」

 イオナは銃撃で反論した。12・7ミリ弾が武装艇の防弾ガラスを打ち砕く。朗読教徒の抽選演出能力は閉塞状況に劇的な演出を加える。物理法則が斜め上にねじ曲がり、あり得ない弾道が透明な風防を貫いた。内側からどす黒く染まる。

 魔法、チート、超能力、超絶技巧、神通力、術式、何でもいい、とにかく、そう言った常軌を逸した作用が正義感に燃える若者を殺した。正義って何だ。イオナは常に問う。それは安全を要求する民衆の最大公約数に過ぎない。彼らが所属する集団、土地、文化によって差異はあれど、絶対不変の要素がある。……と、常識人は諭す。

「無差別殺人犯(テロリスト)め!」

 非難が轟々と降ってくる。包囲網を埋める様に重武装したフライヤーが二機、三機、四機と降下して退路を防ぐ。

「朗読教徒は殺していいのかい?」

 イオナはスカートをめくりげて、太もものガンベルトから量子ベレッタを取り出す。量子(キュー)チップ弾を装填。遮蔽物をすり抜けながら撃つ。キューチップは銀の弾丸シルバーブリットだ。正確に狙わずとも不確定性原理の加護が働く。路地を駆ける。両壁が押し潰すように迫ってくる。底辺地区は再処理施設が行き届いておらず、無造作に置かれたゴミ箱から残飯や生理用品がはみ出ている。

 正義とは何だ。スラムにおいては物理的な力だろう。腕力か武力が絶対的なものだ。これが上層甲板(アッパーデッキ)になれば意味合いが変わる。金だ。貨幣がモノをいう。

 そして、この船団。第八百八十八超長距離・大虚構艦隊付属移民船団においては、安全航行がゆるぎない正義だ。運航を脅かす者の命は七十七億トンの船一隻よりも軽い。

 だから、イオナ・フローレンスは人を殺すことにした。

 神は唯一無二にして絶対的だ。

 そして、何よりも無誤謬性(まちがいのないこと)が不可欠だ。

 鬱病で厭世的な仏陀は要らない。

 情緒不安定で統失で矛盾だらけの教えを説くなキリストも要らない。

 選民思想に凝り固まったユダヤ教も要らない。

 男尊女卑を強いる回教徒なんてまっぴらごめんだ。

 戦闘世界文学を振り回す航空戦艦(オンナ)たちは大嫌い。

 もっとも、今のところ船団で暮らすしかないから我慢しているが。

 それでも、誤謬(まちがい)だらけの神が蔓延る現世を正そうと朗読教徒は正義を布教している。

 だって、現実に朗読教徒は紙屑のように殺されていく。何も、高酸素療法が必要な間質性慢性気管支炎患者や、経管栄養で命をつなぐ老人を看護しろとは言っていない。将来ある十代、二十代の子が食えずに死んでいく。

「だからこそ、あたしは人を殺すことにした」

 バリバリと機銃掃射が低層住宅を突き崩していく。ぱあっと閃光が輝き、熱波が追いかけてくる。泣き声や悲鳴や怒号が交錯する。右側のベランダが崩れ、火だるまの住民が転がり落ちてきた。彼女は見なかったことにして飛び越えた。

 キュー弾丸は狙いたがわず重装甲を貫通するばかりでなく、隣の機体に風穴を開けた。二機が重なり合ってバラックを押し潰す。

「人殺し!」

 自衛用に隠し持っていたのだろうか。子供を背負った女がバーレット対空量子銃を縁の下から持ち出した。イオナは殺気を感じた瞬間に発砲した。あばら家が親子ごと炎上した。降って沸いたようにQNNの取材班がカメラを回している。レポーターは想像していた以上の惨劇に、ショックで放心状態になり、抵抗する力も奪われた。

「どきな」

 イオナは量子銃をカメラマンに突き付けた。彼女は金銭も政策も要求せず、ただ、正義の推敲を宣言してカメラを破壊した。

 遂行ではない。推敲だ。

 巷に蔓延している正義は神の校閲を経ていない。だから、敬虔な朗読教徒が己の内なる神に照らし合わせて書き換えるのだ。

 アシスタント・ディレクターは中継車の中で震えていたが、番組が大勢の視聴者にどのように伝わったかと考えて、底知れぬ不安感と恐怖に襲われた。眠れなくなったという苦情が殺到するだろう。

 彼は最後に報道の自由を主張したが、イオナは彼の前頭葉を打ち砕いた。当局はQNNを状況分析に使っている。

 最初の宣教ファーストプリーチャーは終わった。


 あぶるような熱気が丘を駆け抜けていく。きな臭さと草いきれが入り混じって何とも言えない。イオナは蒸せながら爆発炎上する低層住居専用地域を見ろした。

 治安当局は航空機による捜索をあきらめたらしく、装甲車まで繰り出して、物々しい警戒線を張っている。

「それで、お嬢様。これからどうなさいますか」

 老人の問いかけに彼女は拳銃で答えた。重い金属的な響きを立てて男は地面に倒れた。首のない死体が火花を散らしている。

「これが答えよ」

 銃口が隠れている監視者たちに向けられた。量子暗号通信が見えない帯域を沸き立たせる。

 《彼女の周りから護衛をすべて引き上げろ》

 《待て。教育課程はまだ》

 《いいから、全員引き揚げろ。教導部隊、これは命令だ》

 隊長と思しき声が強引に任務を打ち切る。

 《しかし……本当にいいのでありますか》

 忠誠心に満ちあふれた声が当然のことながら疑問を呈する。

 《俺たちがなまじ寄り添っているから誘蛾灯になってしまう。大衆の中に紛れ込ませてやれ。それがあの娘のためだ。なるべく目立たないように……》

 事件現場には周辺住民が集まって騒然としていた。イオナは人ごみに飲まれていった。


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