12、母の告白
あなたに殴られたお父さんはその日の内に病院へ行ったわ。口と鼻を数針縫う大怪我だった。我が息子ながらとんでもない怪力を持っているものだと、包帯をグルグル巻きにされて意気消沈しているお父さんの姿を見ながら私は思った。
数週間の入院が必要だったけど命には別条がなかったから私は安心したわ。病室のベッドの上に身体を起こしながらお父さんは「すまない」と、申し訳なさそうに呟いた。こんなに気弱なお父さんを見るのは初めてだった。いつも昴と喧嘩を繰り返してはいたけどそれは殆ど口論だったから、殴られたことがよほどショックだったんでしょうね。答えを聞くのが怖かったけど一家のお金を管理している身として知らない訳にはいかないから、私は思い切ってお父さんに聞いたの。何であの子の貯金に手を付けたの? って。そしたらお父さん「それは……」って呟くと黙ってしまったの。私は何も言わずに、正直に告白してくれるのを信じて次の言葉を待った。
お父さんは言った。「あいつの為に何かしてやりたかったんだ」って。どうしてそれが、お金を使い込むことに繋がるの? って聞いたらなかなかはっきり口にしない。すると、暫くしてお父さんは信じられない言葉を口にしたの。それはとても小さな声だったけど私は聞き逃さなかったわ。
「競馬で一獲千金を狙ったんだよ」って。正気? って思わず聞いたわ。競馬で一獲千金を狙うことがどうして昴の為になるのか私にはさっぱり分からない。そしたらお父さん「お前、よく考えてみろよ。競馬で自分が賭けた馬が当たったら金が倍になるんだぜ? じゃあ、学費貯金を賭けたらどうなる? 当たったら大儲けだぞ⁈ そうすりゃ、あいつにもっと良い思いをさせてやれる」って言ったのよ。目を輝かせてね。
薄々勘付いてはいたけど、その後どうなったのか聞いたわ。そしたら「お前の察する通りだ」って。私は思わず絶句した。お父さんは、悪いことをした、とは思っているようだった。だけど、それはまるで、幼い息子が大好きなおやつを自分が食べてしまった、とでも言うような軽い雰囲気を漂わせていた。それはあまりにも身勝手で酷い行為だと思ったわ。自分の夫がどんな人なのか分かってはいたけど、私はこの時程、彼を軽蔑したことはなかった。お父さんの気持ちは分からないでもないけど、自分の息子の大切な将来のお金をそんな大博打に使うなんて全く持って理解できない……。
あなたも知っていると思うけどお父さんはとても不器用な人だったわ。特に思春期を迎えた息子に対しては、昴の為に良かれと思ってやっていること、言っていることが全て裏目に出てしまっていた。
学校から帰ると夜遅くまでバイトをしていた昴を心配したお父さんは、寝る時間も割いてリビングで昴の帰りをひたすら待っていたわ。それで、昴が帰宅すると玄関先に立って、お帰りの一言も言わずにいきなり怒鳴り散らした。「一体、何時だと思ってるんだ⁈ もっと早く帰って来い‼」って。くたくたになって帰宅した昴は鬱陶しそうに「うるせぇな」って一言だけ呟いて、そそくさと自室に籠ってしまった。こうしたやりとりが毎日続いたわ。
すぐ近くで見ていた私にはお父さんの気持ちが痛い程伝わってきた。
どうしてそういう言い方しかできないの?
どうしてそういう態度でしか接してあげられないの?
同時に昴の思いを察して居た堪れない気持ちになったわ。どうにかしてあげたかった。でも、例え怒鳴られても殴られても二人の間に割って入る勇気が私にはどうしても出せなかった。ただ傍観していることしかできなかった。
お父さんは一言で言えば破天荒な人だったわ。私はそんなお父さんに見初められて結婚し、昴を産んだ。だけど、私のこれまでの人生はとても過酷なものだったわ。お父さんは自分の思う通りにやりたいことをやり、自由気ままに生きた。私と昴はそんなお父さんに散々振り回された。私達の意見など無いのも同然だったわ。昴には特に苦労かけっ放しだったわよね……。離婚を考えた時もあったのよ。だけど、私自身生まれつき身体が弱くて誰かの助けがないと一人では生きていけなかった。そして何よりもお父さんのことを愛していたから踏み留まったの。例え破天荒な人であっても、お父さんを放っておくことなどできなかった。
何故なら、彼は自分の仕事と興味がある事以外の事が殆ど出来なかったから。掃除、洗濯、料理。そのどれも彼にとっては女がやるものだ、という激しい思い込みがあった。だから私は家事全般を一人でこなした。昴が生まれ、子育てをし、高校生になってから大学へ行く為の学費を貯金する為にスーパーのレジで一時的に働いたけど、短時間のパート勤務であっても家事との両立は私にとっては酷く辛いものだった。お父さんがそれらを手伝ってくれることは殆どなかったけど、私が体調を崩して寝込むと誰よりも私のことを心配してくれたし、家事も引き受けると言ってくれた。だけど、殆どやった事がないから結局上手くできずに私が自分でやるしかなかったのだけど……。
だから、その裏には私と昴に対する愛情があると私は信じていた。いや、信じたかっただけかもしれない。でも、私達家族は崩壊してしまった。出来ることなら私も黄色い車に乗りたい。だけど今の私にはもうこの病院の外へ出るだけの体力は残されていないの。それなら昴と翠ちゃんの言うことを信じようと思った。何より、亡くなったお父さんが昴に対して何かを伝えようとしていることが痛い程伝わってきたから……。
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