10、昴の告白 その3

俺の話を一通り聞いた翠は暫くの間、押し黙っていた。俺の方を見ず、真っすぐに視線を正面に向けたまま。腕を組み、眉間に深い皺を寄せて何かを考え込んでいる様子だった。俺は声を掛けることはせず、翠の心が落ち着き、受け入れてくれるのを待った。


俺は親父が死んだ理由やその時に思ったことを付き合う前から既に翠には打ち明けていたが、ここまで詳細に、また苦悩を吐露したのは初めてだった。高校生の時に出会った翠は俺にとって自身の悩みを打ち明けられる数少ない親友の一人だったが、その関係は長い時を経て、いつしか親友以上に深いものになっていった。翠は幼い頃に最愛の祖母を亡くしていた。共働きだった両親に代わってたった一人の孫である翠を大切に育ててくれた優しくて温かな祖母だったという。


そんな最愛の祖母を亡くした経験から人の心の痛みを誰よりも理解できるようになった翠は、その性格を生かしてスクールカウンセラーになった。現在、非常勤務員として学校に通い、自分と同じく身近な人を亡くした子、いじめに悩んでいる子、勉強に悩んでいる子など沢山の子供達の心に寄り添っている。


そんな翠は言葉少ない俺の話から、俺が親父に対して抱いている思いを汲み取り、何度も俺を励ましてくれた。翠の気持ちは嬉しかった。が、恋人の励ましで全てを受け入れられる程、俺の心は単純ではなかった。懸命に俺を励まそうとする翠を、時には鬱陶しいと思ったことさえある。俺の中にある親父に対しての思いはそれほど冷え切っていたのだ。


暫くして、翠がふっとこちらに顔を向けた。その眉間にはもう皺は寄っておらず、その代わりに優しげな笑みが浮んでいた。


「昴、話してくれてありがとう。その話、ずっと胸の奥に仕舞い込んできたんでしょう?」


俺は返事の代わりに黙って頷いた。


「辛かったよね。私はおばあちゃんのことが大好きだったから、ただひたすら悲しくて沢山泣いた。けど……昴はそうじゃないんだもんね……きっと、昴の中で『幼い頃に大好きだったお父さん』と『大きくなってから大嫌いになったお父さん』がいて、だから苦しんでいるんじゃないかな……」


「……」


俺は翠の言う『幼い頃に好きだった親父』と『大きくなってから大嫌いになった親父』の姿を思い浮かべた。


「昴の中にいるお父さんが、一人だけだったらきっとこんなには苦しまない……と私は思うよ。だって、『大好きなお父さん』だったらきっととても悲しくて、沢山泣いてしまうでしょう?」


俺は先ほど、思い浮かべた二人の親父から『大きくなってから大嫌いになった親父』を一旦消した。そして『幼い頃に大好きだった親父』の姿をじっと見つめた。


「……」


隣で翠が俺の顔をじっと見つめている。俺は親父と一緒に遊んだ幼かった日々を思い返した。先ほど愉と再会したあの湧き水公園での思い出や、親子三人で仲良く遊んだ思い出。あの頃の親父はとても明るくて母親にも俺にも優しかった。湧き水公園では俺と愉にソフトクリームを買ってくれたし、俺が前の席に座りたいと言ったら、嬉しそうに、また得意気な顔をして愛車の助手席に乗せてくれた。俺が成長してからもそんな親父のままだったなら……


「確かに、悲しいな」


俺は自身の胸の中に純粋な悲しみと同時に懐かしさが込み上げるのを感じた。もう一度、あの頃に戻れたら……。翠は俯いた俺の姿を何も言わずにじっと見つめていた。その視線は、自身の心の変化に戸惑う俺のことをそっと見守ってくれているようだった。暫くして、翠がふっと思いついたように口を開いた。


「そういえば、お父さんはなんで昴の貯金を使ったんだろうね?」


「そりゃあ、お前の金は俺の金って言ってたぐらいだから自分の欲求の為に使ったんだろ」


「うーん……だって、昴の学費貯金とは別の貯金があったんでしょう?」


確かに、俺の貯金はあくまで学費の為の貯金だった。両親は学費と家計の為に働いていたが、家計の為の貯金は別にあったのだ。家族の金銭は主に母親が管理をしており、自分がパートで働いた給料、俺がバイトで働いた給料、そして親父の給料を合わせ、毎月、俺の学費貯金と家計の貯金に分けていたのだ。


親父は金銭の細かい管理はしていなかったが、いつでもその口座を利用できるように暗証番号を知っていた。もしも親父が暗証番号を知らなければ勝手に引き出すことは不可能だったはずだが、翠が疑問を覚えたのはそこではなく、その家計の貯金には手をつけずに何故親父はわざわざ俺の学費貯金の方に手をつけたのか、ということである。俺は翠の言葉にハッとした。今までそんなことは一度も考えたことがなかったからだ。


「……翠の言う通りだ、確かに、なんで親父は俺の貯金に手をつけたんだ……?」


「もしかしたら、自分で使う為ではなくて、昴の為に何かをしようとしてたんじゃないかな……?」


翠は少し言いにくそうに戸惑いながら静かに言った。俺は首を横に振りながら翠の考えを即座に否定した。


「そんなことあるかよ。あのクソ親父だぞ? 俺の為に何かしようとした? ありえねぇ」


「じゃあ、単純に家計の貯金に余裕がなかったから昴の貯金に手を付けた……?」


「……」


俺と翠は黙り込んでしまった。親父が俺の金に手をつけた理由を必死に探した。しかし、どの可能性もピンと来るものはなかった。と、その時だった。


『目的地へ進みます』


急にカーナビが動き出した。必死に考えを巡らせていた俺と翠は酷く驚き、咄嗟に画面に目をやった。カーナビは地図上のとある方向を指していた。そこには見慣れた文字があった。


「……母さんの病院だ……」


翠がハッとして俺の顔を見た。俺は内心ギクリとした。母さんの見舞いには頻繁に訪れていたが、殆ど口を聞くことはなかった。当然ながら、親父のことやあの大喧嘩のことを話すことも全くなかった。いつも着替えや必要なものを持っていき、他に欲しいものはあるか、など二言、三言話して終了。だからこそ、このタイミングでカーナビが母親の病院を指示したことに、俺は動揺を隠せなかった。この黄色い車に親父の魂が宿っていることはもはや間違いないと、俺と翠は悟ったのだった。

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