2、陽光峠展望台 その1

運転している途中、妙な事に気が付いた。赤信号で停止中に俺はカーナビの示すルートを軽く辿ってみた。それは現在位置である市を超えて、山道へ入るルートを示していた。


「何で山道なんか案内してるんだ……?」


「どれどれ? あっ本当だ……」


不安そうな表情を浮かべながら、翠がルート表示を広域にした。目的地が表れたが、そこには峠の名前が表示されていた。


「何で目的地が峠なんだろう……」


「さぁな……」


翠は眉間に皺を寄せて腕を組むと押し黙ってしまった。それはまるで、必死に推理を巡らせる探偵ドラマの主人公のようだった。が、やがてハッとした表情を浮かべると思い切り顔を歪めて言った。


「もしかしてこのカーナビ、私達を山に捨てようとしているのでは……⁈」


「はぁ? んな訳あるかよ」


俺は思わず声を上げた。迷推理にも程がある。親父の残した車が俺達二人を闇に葬ろうと山へ向かってるというのか。そんな馬鹿な話があるか……いや、待てよ。あの親父ならやり兼ねない。俺はふと思った。


親父とは不仲だった。もちろん子供の頃は一緒に遊びに出かけたし、仲が良かったが、小学校高学年頃になるとお互いに反発し合うようになり、親父との関係に徐々にヒビが入っていった。そして、親父が死ぬ直前には口を聞くことは一切なくなっていた。だからそんな親父が俺を憎み、自身の愛車を操って山へ捨てようとしても不思議ではないかもしれない……と、ここまで考えを巡らせた俺はハッと我に返って苦笑いをした。いやいや、映画でもあるまいし、そんな非現実的なことが起こる訳がない。やはり馬鹿げている。


「昴? 何笑ってんの?」


「……なんでもねぇよ」


不思議そうに俺の顔を覗き込む翠に少し苛立った俺は舌打ちをすると問い掛けた。


「おい、このまま峠まで行くのか? やめておいた方がいいんじゃないのか?」


「……でもさ、もしかしたら峠に何かあるかもしれないよ?」


「何かってなんだよ」


「分かんないよ。でも、この黄色い車には何か意味がある……私はそう思うんだよね」


俺は深く溜息を吐いた。翠は『カーナビが勝手に動き出した』という現象が故障や不具合といった現実的なことではない、と言いたいのだ。好奇心旺盛な翠がそう考えていることは理解できた。しかし、元々俺はそういう超常現象的なものを信じない人間だ。早いところ引き返して修理に出すか、いっそのこと破棄した方がいいんじゃないか、そう思った。


しかし翠は依然として譲らなかった。頑なに『この車は絶対に何かある』と言い張る。こうなったらもう翠を止めることはできない。愛嬌があって柔らかな雰囲気の見た目に反して翠はかなりの頑固者だった。彼女の頑固さに俺はこれまで何度も根負けしてきたのだ。俺は再び溜息を吐くと、意を決してハンドルを握り締めた。


「まぁ、行くだけ行ってみるか」


「よし! その勢いだよ、昴くん」


まるで探偵のような口ぶりだ。得意気な笑顔を浮かべて、俺の顔を見つめている。


「俺はお前の探偵助手かよ……」


木々の合間から差し込む朝の陽光に照らされた山道をひたすら走る。徐々に傾斜が厳しくなっていく道路に細心の注意を払う。マニュアル車を運転する久々のコースがまさか山道だとは。俺は操作を誤らないように気を遣いながら運転を続けた。


人が車の免許を取る理由は色々ある。好きな車種に乗りたいとか、電車に乗らずに遠くへ行きたいとか、中には女にモテたいという理由で取る奴もいる。が、俺は運転する事を目的として免許を取ったようなものだ。親父がマニュアル車(今、俺が乗っているこの車のことになるが)のギアを手動でカチカチと入れ替えている姿は幼い俺にとってはとてもかっこよく見え、同じ男として憧れを抱いたものである。俺も大人になったらギアをかっこよく入れ替えながら車を運転してみたい、と。


大きくなってからは親父の事を嫌っていたし、かっこいいなんて思ったこともなかったが、車を運転する親父が輝いて見えた事は今でも覚えている。俺の脳裏にそんな幼い頃の気持ちがふっと蘇ってきた。親父の愛車を運転しながら幼い頃のことを思い出す……俺は自身の胸に湧いた不思議な感覚に少し戸惑いながらハンドルを握り続けた。


幾多のカーブを登り切ると突然視界が開けた。翠の座る助手席側が崖に面した展望台になっており、まだ朝の時間帯にも関わらず観光客で賑わっていた。家族連れやツーリングに訪れたライダーが眼下に広がる景色にカメラやスマホを向けている。


「うわあ……! 凄いね、昴!」


助手席に座っている翠からはその景色が僅かに見えるらしく酷く感動した様子で声を上げた。どんな景色が広がっているのか確かめようと速度を落として車を路肩に寄せたが、俺の位置からは何も見えなかった。


展望台の隣にはバス停があった。あの険しい山道をバスが通るとは。俺は少し驚きながら更にその隣に視線を移した。そこには小さな駐車場があった。入り口に「陽光峠展望台」という古びた看板があり、所狭しと車やバイクが停まっている。が、まだ満車ではない。一旦中に入った方が良さそうだ。俺はウインカーを出して、駐車場へと車を移動させた。車を停止させた途端、翠は俺を待たずに車から飛び出し、展望台へと駆けて行った。


「お、おい翠! 待てよ!」


俺は急いでキーを回しエンジンを切ると、慌てて翠の後を追った。展望台はどこも観光客で一杯だったが、翠は一番端に人気のないスペースがあることに気が付いた。


「昴、あそこが空いてる! 行こう!」


「ちょ、慌てんなよ!」


翠は俺の腕をスカジャンの上から強く引っ張り、足早に進んで行く。俺の胸ぐらいまでの背丈しかない小柄な翠にぐいぐいと引っ張られ、俺は慌てた。


「……っ⁈」


辿り着いた先に見える光景に、俺は思わず言葉を失った。周りを雄大な山々に囲まれ、その中心に沢山の田畑、家々が並び、それらは朝の陽光に照らされてキラキラと輝いていた。それはまさに絶景だった。感動しているのか翠も言葉を失っていた。大きな瞳を輝かせてのどかで雄大なその光景にひたすら見入っていた。と、その時だった。突然、自分の脳裏にふっと映像が浮び上がった。酷く驚き、俺は思わず声を上げた。


「なんだ今の……?」


「どうしたの?」


「いや、急に頭の中に何か浮んできた」


「えっ⁈ どういうこと⁈」


俺はもう一度その映像を確かめようと、目を閉じた。そこには今、自分の目の前にあるものと全く同じ光景が広がっていた。雄大な山々に囲まれる田畑と家。のどかな田舎町だ。自分の脳裏に広がるその風景に、自身の胸の奥でじんわりとしたどこか懐かしい感覚が湧き上がるのが分かった。その感覚に俺は覚えがあることに気が付いた。


「俺、この風景、前にも見たことある」


「それホント⁈」


「ああ……はっきりとは思い出せないが」


翠が更に驚きの声を上げる。俺は目を閉じたままなので表情は分からないが、恐らく目を丸くしているに違いない。すると、脳内の映像に変化が起こった。小柄で華奢な一人の女と手を繋いだ一人の男の子が目の前に現れた。こちらに背を向けている為、顔は分からない。男の子が目の前に広がる風景に感激してはしゃいでいる。


『かあさん、きれいだね!』


『ええ、そうね』


『ここにとうさんがいるの?』


『そうよ。お父さんは今、私とすばるの為にこの町で頑張って働いてくれているのよ』


『そっかぁ』


俺はハッとして目を開けた。翠が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。


「昴、何が見えたの?」


俺は翠の顔をじっと見つめた。あの親子を俺は知っている。間違いなく。心臓が早鐘のように鳴り響いている。そこで俺は再びハッとした。


「すばる……そうだ、俺だ……!」


「えっ⁈ 何どういうこと⁈」


隣で困惑している翠には目もくれず、俺は再び目を閉じた。繋いでいた母親の手を振り解くと、男の子はその小さな両手を口元に当てた。そして全身の力を振り絞って思い切り叫んだ。


『とうさーん! はやくかえってきてねー!』


しかし、男の子の声は眼下に広がる雄大な景色に消えていった。暫くの間広げた手を耳に当て、何かを男の子は待っていた。それはまるで、やっほー!と叫んだらやまびことして返ってくるのを待っているかのようだった。


『すばる、待っていてもここまではお父さんの声は聞こえないわ。だけど、あなたの声はきっと風に乗って、お父さんに聞こえているはずよ』


『そっかぁ。きこえてるといいねぇ』


男の子はそう言うと、再び母親の手をぎゅっと握り締めた。


『さぁ、すばる。そろそろ帰る時間よ。バスに乗り遅れないようにしないと』


『うん!』


そうして、親子は俺の目の前から去って行った。俺はゆっくりと目を開けた。


「……あれは俺と母さんだ……」


「えっ……?」


困惑している翠に身体を向けると、俺は彼女の両肩を掴んで思い切り揺さぶった。


「俺は幼い頃、ここで母さんと親父の帰りを待ってたんだ! 親父は隣町に仕事をしに行ってて、家に帰ってこないことが多かった。だから、寂しくないようにって母さんが俺をここに連れてきたんだ!」


「ちょ、ちょっと待って昴! 一旦、落ち着こう⁈」


突然、揺さぶられながら何事かを訴えられた翠は更に困惑して声を上げた。

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