第27話 時速78km/h
「え」
「あれ…?」
「なんで…いっ…!?」
狼の牙が横から首筋に迫ってきていた。何とか体を反らして避け、左からの爪を手で弾き、正面の奴は間に合わなかったから鼻面を蹴り飛ばした
「フゥッ!」
「ガッ…!」
その勢いのまま地を蹴って、宙を一回転、その他1匹の攻撃もまともには喰らわずに済んだ
「うわあああ!」
落ち着いて…1mも上がってないよ。私が抱えているおねーちゃんがさっきからずっとこんな感じで…目も瞑っている
それはそうとして、包囲を抜けられた…かと思っても、直ぐにまた残りの仲間によって取り囲まれる
あの時2人を抱えていてよかった。でないと回避が間に合わなかったかった。…そうしたら、全部まともに捌くか、受け止めるしか無かったかな…でも、爪をはじいた左手が痛い
ともかく、戦闘中に注意を逸らすべきではなかった。生まれて数日、初めての痛みに正直動揺してしまったが、動きを緩める訳にもいかない
「…あ⁉ナギサ…!」
「いや…」
このいやってなんだろうね。右ももと左手は魔力で部分的に強化したからともかく、意識していなかった右腕の傷が結構深い。そこそこの勢いで血が流れ出ている。私って、血流れてたんだ…初めて知った…こっちの方が断然痛い。しかも、何故か急に魔力が減った
やば、立ち眩みが…
「グアア!!」
「…『クリップ』」
好機と見たのか、5匹全部飛び掛かってきた。もう避ける余裕はなかった、残った意識で咄嗟にその空間を切り取る
同時、ストンと崩れ落ちるように倒れ込んだ
「ナギサ!血…しっかりして!」
「…大丈夫…。…大丈夫だよお姉ちゃん…」
だからそんな泣きそうな顔で必死にならなくてもいいんだよ…ただ、痛いだけだから。本当に…
「そんな訳ないでしょ!!フラネ手伝って!傷押さえるから…」
「わかった…!」
「しっかりして!」
服の袖のところを破って、なんとか出血を止めようとしているお姉ちゃんの手を、動かせる左手で掴んだ
「ナギサ!」
「本当に、大丈夫…『再生』、できるから…ほら」
私は一番ひどかった腕の傷だけ、文字通り『再生』させた。潰れた組織が盛り上がり、数秒ほどで、傷などなかったかのように元に戻った。2人とも、びっくりして目が点みたいになってるよ
「…ね?」
「……なにそれ…」
「『再生』…ちょっと特殊な…」
「よかったぁ~…」
「ふしぎ…」
「さっきお姉ちゃんにもやったよ」
私は他の傷も『再生』で直して…実の所、エーテル体の再生にはかなり魔力を食うから、さっきの急激な喪失も相まってあまり余裕があるわけでもないんだけど…それを今言うのはやめた方がいいな
「でもありがとう、お姉ちゃん、フラネ…んぅ」
冷静に落ち着かせようとしたところ、お姉ちゃんが抱き返してきた。その手には、強い力が籠っている
「そんな簡単に死んだりしないよ…仮に死んでも復活するし…」
するとお姉ちゃんは、手に籠めていた力を緩めて、私の顔を正面から、やはり心配そうな表情で見据えた。もう少しこのままでも良かったな…
「そういう問題じゃない、例え復活するとしても、そうじゃないでしょ…!」
「……」
…お姉ちゃん、凄く怖い。その必死な表情に押されてしまう。だけど…不思議と優しさが身に沁みるみたいだ
「今度からはこういうのはやめてよ…?わたしの心配事が絶えないからさ」
「……そうだね。緊急だったから、仕方なかっただけだから。普段ならだいじょぶ」
「まったく…」
私がそう自信ありげに言うと、お姉ちゃんは呆れたような声を出したが、その表情には安堵が表れている。またお姉ちゃんの方から私を引き寄せて、今度は優しく包み込むように抱擁してくれた。さっきよりもずっと安心する温かさだ
「わたしの妹なら、なるべく危ない事はしないこと。あなただけじゃなくて、わたしのためにも…わかった?」
「…私も、ナギサが怪我するの嫌」
これまで、横に座って話を聞いているだけだったフラネも抱きついてきた。フラネってこんな感情表現もしてくれるんだ
「しょうがないなあ…」
「ありがと」
「……ん」
何だか照れくさい。でも、私はお姉ちゃんの撫でてくれる手も、見た目より力強い手で抱きしめてくるフラネも、退かそうとはしなかった。何故だか、二人が本気で私のことを心配くれているのが、たまらなく嬉しかったから。
何だかこみ上げてきたけど、今回は我慢するしかない。そんな穏やかな時間が流れているのはこの『クリップ』の中だけだから。まだ問題は解決していない
本心としてはもうしばらくこうしていたいけど、流石にそんな場合ではない。それも、時空系統の魔術である『クリップ』を維持するために、魔力をまあまあ消耗するからだ
魔力量も少なくなった今では、出会った時点みたいに数時間維持なんかできない。緊急時だから、先程からずっと、効果の程も分かっていない『魔力生成』も使用しているけれど、さっきの魔力の喪失もあるし『クリップ』を維持するのもそろそろ限界だろう
2人にはほどほどのところで離れてもらって、作戦を練らないといけない。…離れる時の、2人の少し不満げな顔は、ちょっと嬉しかった
「なんで魔術が発動しなかったんだろう…『クリップ』は問題なく発動してるのに」
そう。さきほど何故に負傷することになったかと、魔術が発動しなかったせいで、むしろ奴らに隙を与えてしまったからだ。そしてなぜ不発だったかは心当たりが無い
「その魔法ってどんな魔法だった?」
「『地を抉切る暴風』は風魔術の1つで、自分の周囲に高威力の風刃を生み出すっていうものなんだけど…原因がさっぱりわからない…」
術式の構築にも、魔力の充填にも不足は無かった。ただ、起動だけしなかった
「「うーん…」」
「…?…」
3人で考えてみるが、何も浮かんでこない。そもそも、2人にはまだ魔法について詳しいことは教えてないから、あまりあてにはできない
「仕方ない…やっぱり視てみる」
「接露魔力法とかいうの?」
「そ。…少し集中するから、待ってて」
「了解」
本体も、視たいなら視ろみたいなこと言ってたことだし。本体の言葉が本当なら、隠蔽は解かれてるから視られるはず。外部から阻害された感覚も、なんならキャンセル的な感覚でもなかった。…逆にそれが当然のような…ということは、私の本来持つ内在的な要因である可能性が高い
私は一度座り直して、全身に魔力を巡らせた。自身について、大量の情報が入ってくるが、その内の生体情報に注目する
…しっかり視える。そして身体値と魔力関連値が書かれた…正式名称『基盤』…本体が言っていた通り、そこにあったのは、エーテル体であることを考えれば大方普通の数値と設定だった。この世界の平均とかは知らないけど…そこまで常軌を逸してはいない、と思う…
本当に下がってる…それもかなり。それとその影響で、エーテルの変化の可能域が狭まり度合も計算できたがまあこれはどうでいい
もう一つ、ついでにさっきの血液らしきものは液体魔力だってことも分かった。これで魔力が突然減ったことにも合点がいったよ
それにしてもこの液体魔力の回路、初期は無かったよね?多分。創造後の組み換えや付けたしは本来の構造維持の観点でかなり難しいのに…本体は変なところで凝るなぁ…と。能力を下げたいなら、こんな回りくどいことせずに、ただ数値をいじるだけで済むはずなのにな…。こっちのほうがめんどくさいでしょ、ほんと
まだそれらしき原因が見つからないな…またまたついでに、使徒として与えられた恩恵…つまるところ第6始祖神ナギサ・メトロンの加護がどういうものかも大体予想することができた
エーテルの強化のようで、具体的には活性倍率(魔力での強化、変化比率)の上昇、そして魔力対性度の増幅などという一般的なもので、その倍率も普通だ。その他のおかしな項目も無かった
てことは
『(本当にないってば)』
?なんか聞こえたような…気のせいか
ん?これ妙だな。《制限》とかいう項目を見つけ……見つけたー…
「なんなの…」
「どう…?なんか分かった?」
とんでもないよ。少なくとも私からしたら
「魔術の使用が制限されてる…」
「…もうちょい詳しくお願い」
「攻撃魔術が、一切…使えないようになってる…」
「「…………は!?」」
2人もびっくりしてるけど、私もだよ。なるほどー確かに『地を抉切る暴風』は攻撃魔術だねー納得…できるわけないよ!?魔術はいま私たちの生命線なんだけど!?使えないと、この状況すんごいピンチなんだけど!
「なんでこんな…あ」
「あ?」
うん、あいつだな。やった、やらかしたね?ほぉらやっぱり出たよ、変なもの。これだから信用ならない………あぁぁ……………やってくれたあの悪魔。あー、もう!?あの性悪無責任めーーー!!はぁ…はぁ…
「ねぇ…どうしたの?」
「え?あ、ごめんフラネ。あの
「うん…?」
「だってあいつしかいないよ!」
おっといけない、つい語調を荒げてしまった
「お、おう…。なんかよう分からんがともかく…とするとこの状況は……えー……詰んだってこと?わたしたちここであれの餌?」
「……」フッ
「あ!フラネしっかりして!おねーちゃんなにしてるの!」
「ごめん嘘!そんな事ないから…起きてー!」
おねーちゃんがそう言って、口を開けて止まっている狼を指すから、その可能性にフラネが卒倒しまった。さっきからずっと無理してたんだなぁ
「…今まで、ありがとう…」
「うわ言まで…」
「最期の言葉を残そうとしなくていいから!」
仕方ない、『ラムネ』!
「あ、寝た…」
「状態干渉魔術。とりあえず一旦寝かしといたの。いまのうちになんとかしよう」
「そうね。で、どうする?めちゃくちゃ襲いかかって来てるけど…」
『クリップ』で切り取った空間の外では、5匹の狼が、その鋭い牙が並んだ口を開けて飛び掛かってきているところで時が止まっている。…正しくはこちらの時間が圧縮されてるだけだけど…それはどうでもいい
「私がやるしかないことには、変わりないよ。おねーちゃんは使い物にならないし」
「うっ…そうだけど…」
「あ、ごめん…」
「いい、いい。事実だし…それより、攻撃魔法なしでいけるの?」
「…本気なら、こいつらくらいならワンチャン」
そうして5つの魔力砲を用意した
「いや、攻撃魔法は使えないんじゃないの?思いっきし攻撃用じゃね?」
「これはただ魔力を放出・操作してるだけで、内部術式がないから魔術の枠組みには入らない」
「むーん…?難しいな」
「今度教えるよ。それじゃあ…よいしょ」
私は2人を再び抱えて跳ぶ準備をした
「…ねぇ、いまちょうど相手止まってるんだから、そのまま撃てばいいんじゃない」
ああー…それね
「それがこの『クリップ』の欠点で…時間を圧縮した結果、ここだけ異次元空間のようになってて…今撃ってもすり抜けちゃうんだよ。見る?」
「いや…」
その言葉は待たずに、狼の一匹に向かって用意した魔力の一つを放った。それは狼の頭にたしかに当たったように見えたものの…すり抜けて、木なども全て無視して彼方へと飛んで行った
「ほら」
「話聞いてよ…でも本当だ」
「ついでに発動中、この一定の空間から出られない」
「…なるほど」
そう、当然見えないけどあの辺に空間壁が出来ちゃってるんだよね
「だから『クリップ』を解除して、すぐ包囲から抜けたら、これを撃ち込む。舌噛むかもだから口は閉じといて」
「仕方ないか…分かった。…わたしは何もできないから、お願い」
一瞬、真面目な口調にぽかんとしてしまった
「ふふ…私が指導するんだから、おねーちゃんにもすぐにできるようになるよ、もちろんフラネもね。頑張ってよ?」
「…なんか身の危険を感じる気もする……お手柔らかにお願い」
「…よし行くよ、解除!」
本当は口に出す必要はないけど、タイミングが分かりやすいようにはっきりと声に出した。おねーちゃんはそれに合わせて口を閉じる。圧縮された時間が流れが速まり、狼の牙が迫ってくる
「ガアアァッ!!」
「はっ!」
「―――!」
体に瞬間的に魔力を巡らせた。そして、身体能力を高め、5匹の包囲から抜けた。狼相手に単純な足の速さでは敵わない…けど、瞬間最高速度でなら話は別だ。消費が少ない『操風』で風も制御しているから、風圧も感じない
お姉ちゃんは目を閉じて、落ちないよう必死に私にしがみついてくれているから、そこまで手に力を入れなくていい
あとすれ違いに多分私の腕を傷つけただろう奴の腹に、強めの蹴りでも入れとく。狼の見分け方なんて知らないから間違ってるかもしれないけど、まあ別にいいか
ゴキャ
「ギャフッ…!」
ふん、これはお返しだからね。骨は完全に逝った?内臓まで入ったかも。まあ、どっちにしたって結果は変わらない。あとは魔力を放つだけの簡単なお仕事だから
放たれた魔力はいつかの時より一回り以上細かったが…先は槍のようなきれいな円柱で…それは鋭く確実に、5匹の頭部に到達し、吹き飛ばした
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