第6話 違うひと

 そこかしこで新たな命が芽吹き、花々が大地を彩る季節。いつも通り、朝を告げる柔らかな日差しが窓から差し込んでいて、春の暖かな陽気である



「フィーネ?起きなさい、もう朝よ」


「むゅ……起きてるよ…」


「あら。なら早く顔を洗って、着替えてきなさい。朝ごはんの準備をしているから」


「ぅん…わかった」


 眠ぃ…でも今日はお母さんが、私を起こしに来た。ちょっと寝すぎたかも…。起こされた後も、窓から差し込む朝日をしばらくぼーっと見つめて、ようやく起きる気になった


………あれ?フィーネ………?わたしの名前だよね…?うん、間違いないはずなのに…でも、なんか…忘れてるような気がする……





………そうだ。そうだった

 わたしのの名前。前世の名前は瀬戸内千秋。都内にある大学の3年生だった

 あの日、バイト帰りに車の暴走事故に巻き込まれて命を落とし、神様に会い、この世界に転生した…はずだ


…ということは、無事転生できたのか。それにしても、流石に赤ちゃんからとかはなかったな。いやぁちょっとだけ心配してたんだよね。転生する直前、『そういやどこから始まるんだ?赤ちゃんはないよな』って考えたのが、フラグにならなくて良かったの一言に尽きる

 さっきのは不思議な感覚だったな。sれが記憶を思い出すってことなのか…内から浮き出て、融ける様な感じ…って、そろそろ行かないと。諸々は後でにしよう



 そうして朝の支度を始める中、顔を洗うための井戸水に、わたしの顔が映った時にふと、そういや部屋に鏡とか無かったな、なんて思ったりした。ともかく、自分の容姿についてそこでぼんやりとだけ確認できた

 最初に気になったのは髪、かな。ロングで、何より髪色がうすいピンク?もしくは桜色にも見える…見る分には綺麗だと思うけど、結構目立つ見た目してるなぁ…という印象。これって地毛か…?前世で街にいたら、絶対浮く

 というか両親は茶髪なのに、なんでわたしだけピンクなんだ?祖父母とかがこうだった…とかではないよな。どっちもわたしが生まれる前に亡くなってるから、その容姿とかは分からないけど、少なくともそんな話は聞かないし

 転生が関係したりしてるのかね。…前世も黒髪だったけど。余計訳分からんくなったな…ごめん適当言ったわ

 

 それはさて置き、顔も…わたし基準だとまあまあ整ってる方…。けどそれを言ったら、さっき見たお母さんだって、前世だと十分美人と言われる部類だし…異世界はこれでも普通ぐらいなのかもしれない。知らんけど



 前世を思い出したのはついさっき。おかげで転生して、既にそこそこの時間が過ぎているようだ。これはあの神っぽい男の、何らかの計らいだろうか?いや…でもこれでよかったのかもしれないな。

だって、よくよく考えたら、既に二十歳を2年超えている精神で、乳幼児期を過ごしてた可能性も…うん、死ぬな。羞恥心と空腹で開始早々ログアウトしていた可能性すらあった。前に見た漫画の主人公は、どうしてたんだろうな…。どちらにせよ、相当に強靭な精神をお持ちだったようで

 まあ、一先ず状況確認はこれくらいにしておこう。いい加減、2人を待たせてるだろうし


 これまで毎日着ていたはずだが、ここよりは明らかに進んだ文明を知っている身としては随分と粗末に思える衣服に袖を通して、足早にリビングへと向かった

 と言ってもリビングまで5秒くらいしか掛かんないけどね。この家狭いから





 


「おはよぅ」


「おはよう、フィーネ」


「ちょっとスープをよそうのを手伝ってくれる?」


「いいよ」


 支度を終えて、リビングに行くとすでに家族がそろっていた。やわらかい印象の女性と、大柄で熊のような巨漢が、わたしの両親だ

 二人とも普段は農家だけど、特にお父さんは肉がなくなったら狩りもするし、いざというとき村の守衛とかもするから、この村の中では割りと重要なポジションを担っているらしい

…というのは記憶が目覚めるまでの記憶だそれとお母さんも、普段の仕事とは別に、どうやら定期的に村の外に出る仕事をしてるみたいだ



 そんなこんなしている内に朝食の用意ができた。わたしたちは、昼はそれぞれの作業なんかをしてるけど、毎日朝食と夕食の時はこうやって顔を合わせて、その日あったこととか、予定とかを話すのだ


「リリー、今日はダーコンの種まきをやるつもりだったんだが…冬に撒いたナズに肥料をやるのと、モロコシの土作りと、嵐で遅れちまったテマトも畑に撒かなきゃならなくなっちまった。正直手が回らないからどれか頼めるか」


 ダーコン…ナズとモロコシにテマト…例年通りの面子だな


「えぇー…?そうは言っても、私の方も今日は隣村まで薬草を売りに行こうと思ってたんだけれど…。ああそうよ、今日は薬草を摘みに行く時間がないわ。あなたお願いできる?」


「馬鹿言うな。俺も今日は忙しいって言っただろう」


「私もよ。困ったわねぇ…」


 忙しないなぁ、うちの両親は。まあこの村の大人の仕事って皆こんなもんだけどさ

 でも薬草採取か。一旦、一人でゆっくり現状確認もしたいから、丁度いい


「じゃあ、私がやるよ。薬草集めと、ついでにナズの肥料」


「お、ほんとか?」


「助かるわ。あそこに行くなら魔の森には入らないようにね」


「うん」


「一応、魔物にも気をつけるのよ?」


「わかってる」


 母はわたしに一度ハグをすると、わたし達が食べ終わった食器を片付けていった






 そういう訳で今、草原で薬草採取の最中だ。ナズに肥料を撒く作業は既に終えた。肥料とは言っても、前回消費しなかった分の作物やらを細かく砕いた物を、適当にばら撒いて来ただけだ。これで良いのか分からないけど今のところ毎年ちゃんと育ってるし、何らかの効果はあるのかも

 

 それで、いま集めている薬草はゲンノ草、ジュー草の2種類。ゲンノ草は風邪に効く、いわば総合かぜ薬のような粉薬の材料に使われているらしい。村の誰かが熱を出した時とかは、この粉薬が使われている。ジュー草はエキスを抽出して、洗剤に使われているみたい


 こういった知識を、転生した…いや、記憶が目覚めたばかりの"わたし"が持っているはずがない。要するに前の"わたし"…つまり記憶が目覚める前に、大人達から教えられたものを、現在の”わたし”が『借りている』ようなイメージになる。なので今のわたしからすると、同じ"わたし"なのに別人の記憶のような感覚なのだ。おかげで現状、頭の中で整理している間に若干こんがらがってくる

転生って、こういうものなんだなぁ



 ところでさ、そもそもまだ4歳の女の子だよ?なのに、この子の記憶には、薬草の種類やら火のおこし方やらのサバイバル知識か、農具の使い方とかの知識ばかりだ

 さらに言えば、今日のお母さんもナチュラルに送り出してたけど、危険な魔の森の近くで、薬草を探しってさ…、地球で考えたらあり得ないよね。普通の森ですら躊躇するだろう


 ちなみに魔の森っていうのは、魔物が多く生息している森の総称で、普通は一般人は絶対に近寄っちゃダメな場所だ

 この草原はそんな森からほど近い所にあるけれど、ここには魔物の餌になる動物とかが全然いないから、その結果こちらで遭遇する生物は一般人でも問題ないレベルなのだそうで、それがわたしが今ここで薬草採取をできている理由だ


 とはいえ、そんな雑魚が相手でも、子どもの身体になっているわたしには普通に危ない。この世界子どもに厳しいのだろうか?独り立ちの準備にはどう考えても早すぎる

 

 前世で言えばニチアサのアニメを見てはしゃいでいた頃だというのに…気づけば、今世では親にサバイバル知識を叩き込まれて、魔物がいる森の近くの草原で薬草採取させられて…。わたしのイメージでの異世界生活は、もっとのんびりもふもふのはずだったんだが?幸先不安だ。ここにはホーンラミットでもいないのか、定番のあのウサギ…

…あ、でも魔物だから駄目だ。普通に刺されるわ

 それに、さっきから歩くたびに硬い草がくるぶしに当たってチクチクするんだが…。家にくつしたもねぇ



 始まって早々夢のない現状にグダグダと文句を垂れ流していると大きなネズミが目に入った。そして即座に姿勢を低くし、近くの背の高い草に隠れた。…魔物だ


(あれはたしか…ビッグラット)


 ビッグラット―――要は大きいネズミの魔物だが、一応は魔物なため、普通のネズミより凶暴だ。とはいっても、魔物の中では最下級で、さっきも言った通りこの辺の魔物は一般人でも倒せるが、非力で武器も採取用ナイフしかないわたしじゃ難しいだろう。さて困ったな


 そういえば魔物を間近で見るのは初めてだ。…前世ならこんな大型犬ぐらいのネズミがいたら発狂&卒倒間違いなしのはずだけど、この程度はこの世界では当たり前に見かける奴だ。前にも一度、遠目から見たことがあるから、自分で思うより落ち着いていられた

 とりあえずできることもないので、こいつがいなくなるまで待つしかないかな











……長い


 いやまだ10分ぐらいだけど、あいつずっと半径10mの範囲から出ないでウロウロしてるんだよ。割と近いから、こっちは気が気じゃないんだよ

 なに、存在に気づかれてる?その割には全然襲ってくる気配がないが…………試しに石でも投げてみるか?いやいやバカ野郎。それこそ自分の居場所を教えてるようなもんじゃん



 そんな時、心の声が通じたのか、ビッグラットの動きにも変化があった。しかしそれがいい変化とも言いがたく…

 ビッグラットは突然穴を掘り始めたかと思いきや、今度は周りの草をかき分けてキョロキョロと辺りを見回した後、移動してまた同じ行動を繰り返している。何かを探すように―――フィーネのいる方向に移動してきている



…冗談抜かしてる場合じゃなくなったな。これ本格的にやばい。バレてるんじゃないか?もしそうじゃなくとも、見つかるのは時間の問題だ。どうしよう、逃げないと。でもここから動いたら足音でばれるかも…もし見つかったら、わたしの足じゃこいつを撒けるとは思えない

 こんな状況に置かれて、逆に冷静になれた。周りを見る分に、知らない間に少し遠くまで来すぎていたかもしれない。後ろに広がる緑の海は、距離的にも村まではそこそこあるように感じさせる。また、周囲に他に人はいない


 逃げる道も、助けを呼ぶ道もない



 追い詰められたような雰囲気があるが、これは―――――――自分でやるしかないのか?

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