03.そして奇跡は
エスカー様は、目を覚さなかった。
あの襲ってきた異邦人は、デクシハン王国の者だったらしい。
一人は逃げられ、一人は死亡していたが、残りの一人があっさりと吐いた。
彼らはデクシハン王国の姫派という存在で、自分たちの国の姫が、かつて敵だった国の王子を受け入れることが許せなかったらしい。
それで婿候補であったエスカー様を、傷つけるつもりだったと言った。
両国の間に亀裂が入れば、オルターユ王国からの婿は来なくなるだろうと。
殺すつもりはなかった……と。
私は、エスカー様を守れなかった。
それどころか、エスカー様は私を守ってこうなってしまった。
私の命など、王子の命に比べれば、塵に等しいものなのに。
たかが賊の三人程度、一人で処理できなくて何が護衛騎士だ。
護衛騎士は、王族に怪我をさせてはいけないというのに。
これは、私の失態だ。
おそらく、若い頃ならば対処できていたはずだった。
体が衰え、視野が狭くなっていた。なんとなく気づいていたのに、騙し騙しやってきた結果がこれだ。
女は三十七歳で警護騎士を退役しなければいけないにも関わらず、エスカー様のそばにいたいからと、いつまでもしがみついていた結果だった。
護衛対象を守れなかった護衛騎士には、処分が下ることになっている。
私は城内の一室に呼び出され、来月には王となるジェイス様の前でひざまずいた。
「エスカーの護衛騎士カトレア。処分を言い渡す」
怪我の程度によって処分も変わるが、私の場合は除名処分程度はすまないだろう。
しかし、どんな処分だったとしても受け入れるつもりだ。
「オルターユ王国騎士団から除名する……そして死ぬまで帯剣は許さん。以上だ」
「え……それだけ、ですか?」
「そうだ」
罰金や禁固、あるいは追放処分まで覚悟していた私は、拍子抜けすると同時に激しい罪悪感に襲われた。
エスカー様をあんな目に遭わせておいて、処分が軽すぎる。ジェイス様だって、弟があんな目に遭わされて、私を恨んでいるはずだ。本当はもっともっと重い処分にしたいはずだ。
「ジェイス様、私を国外追放処分にしてください」
「……気持ちは分かるが、そこまでの処分をするわけにはいかない。奴らが襲ってきたのがお前の画策というならばともかく、カトレアは奴等を撃退した方だ」
「撃退……できませんでした……」
「十分よくやってくれた。これは妥当な処分だ」
「いいえ……いいえ、私を追放処分にしてくださいっ!」
私が懇願すると、ジェイス様は大きく息を吐いた。
「国外追放処分にはしない。そんなに国外がいいなら、好きに行けば良い。誰も止めはしない」
ジェイス様に言われ、そうかと私は納得した。
処分を下してもらえないなら、自分で自分に処罰を課せばいい。
くだらない自己満足であるとはわかっているが、こんなことくらいしかできることはないのだから。
私は最後にお願いして、エスカー様に会わせてもらうことにした。
お部屋に入ると、エスカー様はベッドの上でピクリともせず横たわっている。
あれから三日、エスカー様は目を覚ましていない。眠るように、細く細く息をしているだけ。
どうかどうか、目を覚ましてくれますように。
私はもう二度と、そのお姿を見られはしないけれど。
その精悍な顔立ちに触れたいのを我慢して、私は部屋を出た。
部屋を出たところで、エスカー様の弟君であるシモンズ様に会い、私はゆっくりと首を垂れる。
「ジェイス兄様に聞いた。出て行くんだって?」
「……はい」
「カトレアがいなくなったら、エスカー兄様は悲しむよ」
「……」
「行く当てはあるの?」
「いいえ、何も……」
私がそう告げると、シモンズ様はさらさらと紙に何かを書いて渡してくれる。
「……これは?」
「ハウアドル王国の端の町の、ある宿屋の住所だ。この国なら情勢も安定しているし、事情を話せば宿の主人がなんらかの仕事を斡旋してくれるだろう。僕からも宿の者に連絡を入れておく」
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
私がその紙を返そうとすると、シモンズ様は受け取りを拒否された。
「いや、受け取って欲しい。強制することはできないが、できればこの町で暮らすんだ」
「どうして……」
私が疑問を口にすると、シモンズ様は困ったように微笑んだ。
「エスカー兄様が目を覚ましたとき……カトレアの行方がわからないとなれば、僕が兄様に何をしていたのかと責められるからね」
「けれど……」
「僕のために頼むよ、カトレア」
「……ご厚意、感謝致します……」
紙を抱きしめるように胸にあて、深く頭を下げる。
もし、エスカー様が目を覚ましたら、会いにきてくれるのだろうか。
そんなことが許されるはずはない……そう思っていても、どこかで期待してしまう私がいた。
私は、こうして生まれ育ったオルターユ王国を出て、ハウアドル王国へと向かった。
シモンズ様がハウアドルまでの馬車を手配してくれていて、一週間もしないうちに目的地に辿り着く。
そこは思ったよりも大きな宿で、町も発展途上ながらに活気があった。
ドキドキしながら宿の扉をくぐると、そこは食堂兼受け付けになっているようだ。
「いらっしゃいませ。お食事でしょうか、お泊まりでしょうか」
カトレアと同年代であろう
「いえ、客ではないのです。私はオルターユ王国から来た、カトレアと申します」
「ああ……第三王子のシモンズ様から、連絡をいただいております。ゆっくりお話をと言いたいところなんですが、今は昼時でちょうど忙しくて……」
「人手が必要なら、すぐにでもこちらで働かせてください!」
そう願い出ると、彼女は優しく笑った。
「じゃあ、お皿洗いをお願いしますね。改装したてで人手が足らなくて、困っていたんです」
裏に案内してくれた女性は、ユリアという名前だった。裏手に回ると、男の人が料理を作っている。
「ディー。先日シモンズ様の遣いの方が言っていた、カトレアさんがいらしたわ。お皿洗いを手伝ってもらうわね」
ディーと呼ばれた料理人らしき人物が、手を忙しく動かしながら私を見た。
「ああ、助かるよ。僕はディート。よろしく、カトレア」
「よろしくお願い致します」
私は皿洗いや出来る事を手伝い、一息つける状態になると賄いを急いで食べた。
店のおかみであるケーテという女性にも紹介してもらい、今度は宿の方の掃除に回る。
それが済むと次々にお客がチェックインしてきて、ケーテさんと一緒にお客を案内し、私も部屋の配置を覚えた。
今度は夕食の準備を手伝い、配膳し、また片付ける。
全部終えるとようやく夕食を取る時間ができて、ユリアさん、ディートさん、ケーテさんと四人で夕食を囲む。
昼の時も思ったが、本当に美味しい料理だ。王城の料理と遜色ない。
私が料理を褒めると、ディートさんは「舌には自信があるんだ」と嬉しそうだった。
夕食を食べながら事情を話すと、住み込みで働くことを提案された。私はありがたくその提案を受け入れる。
「今まで騎士としてしか生きてこなかった人間です。慣れない仕事で迷惑をかけると思いますが、どうかよろしくお願いします」
頭を下げると、三人は優しく私を迎え入れてくれた。働いていた時にわかっていたが、本当に良い人たちのようだ。
「あの、わかる範囲で結構なのですが、現在のオルターユ王国の現状を教えていただけますか?」
「オルターユ王国の? それなら、ディーが各国の新聞を取り寄せているから、見せてもらうと良いわ」
「本当ですか?! では、一週間前からの新聞を見せていただきたいのですが」
「構わないよ。すぐに持ってきてあげよう」
そうして持ってきてくれた新聞を、私は食い入るように読んだ。
どうやらまだ、エスカー様は目を覚ましていない。ずっと昏睡状態のままのようだ。
オルターユ王国はデクシハン王国に対して挙兵することはしていないが、難しい外交を強いられているらしい。
とは言っても、襲ってきたのはあちら側の人間なので、オルターユ王国は強気に出る姿勢である。
国民の感情を考えると、友好国として手を組むことは非常に厳しくなってしまったが、冷静なジェイス様が王となるのだから、おそらくうまく収めてくれるだろう。
そうして私は仕事をしながら、毎日オルターユ王国の新聞を読むのが日課となった。
目を覚ましたら、もしかして……と考える。
エスカー様が目を覚ませば、ここに会いにきてくれるかもしれない、と。
しかし、それは日が経つにつれて絶望に変わっていく。
昏睡状態で、ずっと体が持つわけがない。エスカー様は確実に死に向かっている。
毎朝、新聞を読む手が震えた。
訃報が載っていないことを祈った。
奇跡を、願った。
今日も、私はオルターユ王国の新聞を手に取る。
そして飛び込んでくる、『第三王子エスカー』の文字。
「う……そ……エスカー様が……」
奇跡が。
エスカー様には、起きると。
そう、願い続けていたのに。
「いやぁ……っ! エスカー様……エスカーさまぁあああああ!!」
私はその場に泣き崩れた。
どこかで覚悟はしていた。それでも、奇跡に縋りたかった。
新聞には、無情な逝去の文字。
どうして私は、エスカー様のプロポーズを断り続けていたのだろう。
どうして私は、エスカー様の幸せを一番に考えてあげられなかったのだろう。
「どうして、私は……っあああ、ああああぁぁぁああああ!!」
好きだと告げてくれた、あの日のエスカー様が脳裏に蘇る。
あんなにも、あんなにも私を求めてくれていたというのに。
拒否してしまった自分を許せない。
エスカー様が幸せになる可能性は、あったのに。
それを消し去ってしまったのは、紛れもなくこの私だ。
「エスカー様……申し訳ありません、エスカー様……ッ!!」
皮肉なことに、亡くなったことでどれだけ私の中でエスカー様への愛が大きかったのかを思い知らされた。
好きだったのだ、どうしようもなく。
この性格が、それを認めようとしなかっただけで。
私はもう、二度と恋などしないだろう。新しく好きな人など、できるわけもない。
私にとって、エスカー様は唯一無二の存在だったのだから。
エスカー様を差し置いて、私だけ幸せになど、なってはいけないのだから──
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