ユグドー、灼熱の中に編
「何故、殺した?」
ユグドーの目の前で声がする。レッドドラゴンロードは、まだ遠くにいるが、声の主は確実にユグドーの目の前にいる。
誰もいなくなった閑寂としたジェモーの上空で、ユグドーはレッドドラゴンロードと向き合う。
「何故、殺した」
再び、空気を揺るがす声がした。心を震わせる声が、ユグドーの身体を貫く。暑さを感じる風が、顔にぶつかり、目を閉じる。
灼熱に炙られた怨嗟の匂いが鼻腔をこじ開ける。間違いなく、声の主は近くにいる。
しかし、ユグドーが目を開けるとレッドドラゴンロードは、まだジェモーの入口で止まっていた。巨大なヘビのような体を鷹揚に屈曲させる。
「何故、殺した」
三度、声が聞こえる。
「君たちが、街を襲うからだ!!」
精一杯しっかりとした口調で答えた。
ユグドーは、指の震えを押さえるために拳を固く握りしめた。
「人間の驕りが、災いを起こしたのだ」
レッドドラゴンロードの焦熱の
「でも、マリエルふ……。いや、新しい命が、この先にいるんだ。僕は、守るために戦った、それだけだ」
ユグドーは、これまでの人生で、人間の嫌な部分を多く見てきた。レッドドラゴンロードの言い分も理解できる部分はある。しかし、背後にあるものには、関係ない。
ただ、守りたい生命なのである。
「お前は、悪魔であろう。何故、人の味方をする?」
レッドドラゴンロードの
「僕が、悪魔に見えるの?」
「相違なかろう……」
ユグドーは、紫に変色した手を見つめる。幾匹もの飛竜の体液が滴っていた。雫は、雨のように閑散としたジェモーの街に落ちていく。
「下位種の無念、晴らさせてもらう」
レッドドラゴンロードは、火口のような
身動ぎができない。指一本も動かない。まるで、ユグドーのすべての時間が止まったように。
「僕は、今度こそ守りたいもののために戦う、僕は、僕は、あの親子を守りたいッ!!」
ユグドーは、思いのたけを叫びに変えた。生物の欠片もなくなったジェモーの上空で、心の悪魔の解放を願う。
背中が掻き回されるように疼く。肌が、八つ裂きにされたような痛みも、全て叫びに昇華させる。
ジェモーの地表に鮮血が流れる。ユグドーは、それが、自分の血であることに気付く。背中から新たな腕が生えてきたのだ。
巨木の幹のように太い腕。紫に隆起した手が、ユグドーの腕をがっしり掴んだ。接合部分が同化していく。一つの太い腕と化していった。
(凄い……力だ……これならッ!!)
レッドドラゴンロードは、今だ大口を開けている。その奥には、灼熱の光が見える。
ユグドーは、もはや恐れない。レッドドラゴンロードを目指して飛翔した。彼我の距離が狭まっていく。今だ、レッドドラゴンロードまだ動かない。
これなら、行ける。十分な間合いだ。レッドドラゴンロードの赤熱の鱗に覆われた形相は目の前だ。
「くらえぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!」
もうすぐだ。全てを終わらせて、全てを守れる。ユグドーは、腕を振り上げた。
手首の脈に激しい痛みを感じながらも、剛腕を振るう。鱗を引き裂き、牙を砕き、舌を裂く、顎を振り抜く。龍の生命とも言われる逆鱗すらも、叩き潰した。
ユグドーの勝ちだ。
「やった……僕は、ふたりを」
ユグドーは、丘の上にある大霊殿を見る。金色の宮殿は、誇らしく輝いている。
丘の燐光が、慈母の腕に。ユグドーには、微笑みに見えた。マリエル夫人とアンベールは、その先で待っている。
「僕は!?」
衝撃と激痛。風圧と刹那のうちに変わる景色。きっと光に視界があるならば、今のユグドーと同じ光景を見ているのだろう。
ジェモーの街にある小霊殿の壁が目の前に現れて、耳を突き破る轟音とともに視界が真っ暗になった。
「儚いものだな……」
声が聞こえる。上を見上げると太陽は見えなくなっていた。巨大な何かが、上空を動く。
レッドドラゴンロードだ。倒したはずの存在が、ジェモーの上空にいる。ユグドーがいたはずの場所を優雅に泳ぐように。
巨躯が去り、日差しに照らし出されてユグドーは、気付いた。片腕がなくなっていた。傷口から、黒い血が流れている。
「僕は、負けたのか……」
ユグドーは、立ち上がる。
足元の瓦礫が崩れていく。祭壇は壊れていて、リュンヌ像が持つ剣には、ユグドーの腕が刺さっていた。黒い血が流れて、女神像の目を黒く染める。
まるで、泣いているように見えた。
「マリエル夫人……アンベール!?」
(飛べない……翼が動かない!?)
ユグドーは、背中を見る。翼が根元から、ちぎれていて、断面には細胞が蠢いていた。
脳内にマリエル夫人とアンベールの顔を浮かぶ。ユグドーは、鉛のようになった足を引きずりながら、必死に呼びかける。
小霊殿の残骸をかき分けながら外に出る。
レッドドラゴンロードは、剣山を思わせる鉤爪を大霊殿に振り下ろそうとしていた。
「あぁ……やめ、やめて……やめてくれぇ!!!」
ユグドーの叫びが、廃墟となったジェモーに反響するのだった。
【ユグドー、灼熱の中に編】完。
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