ユグドー、地獄の戦場編
咆哮が大空を染め、断末魔は、地表にぶつかる。黒き蒼天をひとりで守る男の手には、骨格をむきだしにした飛竜の肉塊が、踊る。
ユグドーは、戦っている。無数のワイバーンと。自身に受ける傷も、消費する気力も体力も、目減りする生命力すらも瞬時に快癒する。
それが、さらなる地獄を作っていく。
ユグドーは、渾身の力を込めて、飛竜の死体を振り回す。肉と肉、骨と骨が激しくぶつかりあう音が反響し、またひとつの断末魔が落ちていく。
半数くらいには出来ただろうか。荒くなる息は、刹那のうちに整う。大霊殿の丘にいる付与術師らのおかげだ。
骨が突き刺さり、痺れる紫の手でワイバーンを叩きつける。また一匹。
ぼろぼろになって、まるで食べ尽くした魚のようになった飛龍から手を離し、新たなワイバーン《武器》を求める。
ユグドーが叫ぶたびに、悪魔が嗤う。鋼の意志を持つ勇者であっても、これほど多くの魔性の血を浴びたものはいないだろう。
ユグドーが渾身の一撃を与えるたびに、悪魔が哄笑する。鋼鉄の魂を持つ英雄であっても、これほどの殺戮を行ったものなどいない。
いるはずがないのだ。
(まだ、まだだァ、一匹残らずァ、この空からァ、マリエル様の前からァ、アンベールの前からァ)
ワイバーンの吐く火球を握りしめた得物で防いだ。肉の焼ける匂いと血液が蒸発するすえた匂いにユグドーは、眉をひそめた。
盾として使った焼けただれた死体を、ワイバーンの頭上から叩きつける。
薄汚れた中天から太陽の光が、ジェモーを照らしはじめていた……
ユグドーが、何百匹目かのワイバーンを叩き落としたとき、ジェモーの地面が光る。ただの光ではない。街の両端から魔法陣が、中央に向かって描かれていく。
ユグドーの中の悪魔が叫ぶ。空へ、と。
ユグドーは、天高く舞い上がる。街の入り口の魔法陣から虹色の虹彩が、大霊殿とベトフォン別邸を除く全ての街にほとばしっていく。
一瞬だ。一瞬で全てが、光の果てに消えていく。ユグドーの耳に数多の怨嗟の声が聞こえる。
耳をふさいでも、叫んでも、聞こえて来た。リザードマンや騎士たちの断末魔が……
✢✢✢
「酷いことをしますね……」
アーデルハイトは、その紅色の瞳で大霊殿の窓の外を覗く。
「ユグドーさん……」
マリエル夫人は、力なく呟く。少しだけ肩を震わせて。
「彼は、無事ですよ」
アーデルハイトは、無表情でマリエル夫人を不思議そうに見つめた。
「いえ、どんな魔術を使っても、どれほどの治癒術があっても、心の傷までは癒せないわ……」
マリエル夫人の涙が、アンベールの頬に落ち、おくるみに伝っていく。
「貴方達が、それを言うの? 神話の再現を企む人間の貴方達が……」
「私も、私も、頼みました!! ユグドーさんだけは巻き込まないでって!! でも……うぅ」
マリエル夫人は、アンベールを抱きしめて叫んだ。涙は止まることなく、布団を濡らす。天よりもたらされた陽光が、涙の水面を煌めかせた。
「あの
アーデルハイトは、ちらりと窓の外を見る。ユグドーが、身動ぎもせずに首を左右に振っていた。
「餌にされるのね。あの子は……」
「……ユグドーさんは、勝つわ。勝って、私たちのもとに……」
マリエル夫人の水気を含んだ翡翠の瞳が、アーデルハイトを睨む。
「無理ですね。アレは人の手には負えない。だから、餌が必要なのね……」
アーデルハイトの腕の中で、ルーナは小さな寝息をたてている。
「私は、罰を受け入れます。でも、ユグドーさんなら、絶対に乗り越えられるでしょう」
マリエル夫人は、愛おしげに窓の外のユグドーを見つめた。優しげな顔に、微笑を浮かべて。
「このジェモー、神話の再現を望む人間。そのすべてが狂っています。何も知らないあの子が可哀想ですね……」
アーデルハイトは、ユグドーから目を逸らしながら呟いた。
✢✢✢
ユグドーの目の前に、巨大な何かが近づいてくる。今や、飛竜の姿もなく、地上には人の気配すらない。
壮絶な戦いの後に赤黒い雲が、山々を割りながら近づいてくる。
龍だ。飛竜などの劣等種ではなく、上位種の本物の龍。
ユグドーの背筋が寒くなる。
その龍は、飛竜など比べ物にならないほどの巨躯を持つ。青空を朱に染める灼熱の鱗をもち、鉤爪のひとつひとつが、城の主塔のように伸びている。
龍の中の龍。
赤龍を統べる
【ユグドー、地獄の戦場編】完。
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